第四十八話
同じ日の夜、わたしはクリス先輩と連れ立って、ロギアさんの元に向かった。
夕食後にブライル様との勉強があるのだけど、そのブライル様に今夜は予定が入っていたそうで、わたしにとっては何とも都合が良かった。内密にするとクリス先輩と約束した手前、嘘をついて出掛けなければならないことが心苦しかったからだ。
ロギアさんの家は、市場から少し下った辺りだと聞いていた。もちろん歩けばかなり時間がかかるが、馬車ならば市場ヘ行くのと然程変わらない。家の目の前で馬車を止めると目立つので、少し離れた所から徒歩で向かうことにした。
石造りの一般的な住居。その傍の階段を上った三階に、ロギアさんの自宅はあった。
細く薄暗い階段にクリス先輩は文句を言っていたけれど、階が上がるにつれ家賃は安くなるので仕方ないことだと説いた。わたしがちょっと前まで住んでいた家なんかは、五階にあってほぼ屋根裏のような部屋だったのだから。
お忍びということもあり、控えめにノックをすれば、躊躇うようにゆっくりと扉は開く。
「おばさん、こんばんは。お邪魔しても良い?」
「……本当に来たんだね」
わたしたちを迎え入れてくれたロギアさんは、まだどこか緊張しているようだった。やはり自宅に貴族を招くのは恐れ多いと感じているのだろう。いつもの元気の良さは鳴りを潜め、どうして良いかわからないといった風だ。その不安を取り除く為にわたしがついて来ているのだから、頑張って仕事をしなければ。
「今日は家族の方はいらっしゃらないのかしら」
家の中から他の人の気配がしなくて、何気なくそう尋ねると、ロギアさんは表示を変えずに答えた。
「旦那は数年前に死んじまったし、子供もとっくに独り立ちしてるよ。今は気ままな一人暮らしさ」
「……そうなの、ごめんなさい。でもそれなら胸が苦しくなった時は大変だわ。あれから痛みは起きてない?」
「ちょっとくらい起きたって、今ならそんなの吹っ飛んでしまいそうだよ」
「大丈夫よ。クリスティアン様にすべて任せておけば。まだ若いけど立派な薬師様だから。それにね、お貴族様だけどちゃんと話が通じる御方なの」
「ああ、頭ではわかってはいるんだけどね。やっぱりさ……」
それとなくフォローを入れてみるけれど、効果は微妙なところだ。
それにしても一人暮らしだとは。家族を亡くす辛さはわたしも経験している。だからさして気にしてない素ぶりを見せている場合は、下手に触れない方がいいことも知っている。クリス先輩からすれば、口止めする人数は少しでも少ない方がいいだけの話かもしれないけれど。
不安気なロギアさんとは反対に、クリス先輩は庶民の家が珍しいのか、キョロキョロと部屋の中を見渡していた。ああもう、他人の家の物を勝手に触らないでください。
二人共に少しでも落ち着いてもらおうと、ロギアさんにお茶の準備を頼む。わたしが淹れてもいいのだけれど、あまり台所を触られたくない人もいるので、カップを出すくらいの手伝いをして、あとはお任せすることにした。その台所までも珍しいのか、クリス先輩はお茶の準備をしているわたしたちの横でも、色々な物を見て回っていた。
そんな先輩を連れ戻し、唯一椅子のある食卓に着かせる。出されたお茶は、庶民が普段飲んでいるものだから先輩の口には合わないかもしれないけど、そこは我慢していただこう。
しかし案の定、一口飲んだだけで先輩はカップから手を離した。それを見たロギアさんが恐縮してしまったけれど、それよりも文句を飲み込んだ先輩を褒めてあげたい。
お茶を飲みながら会話をすれば、緊張も少しはとけるかと思っていたのだけれど、やはり期待は期待でしかなかったのだ。
仕方がないので、そのまま診察を開始することになった。わたしはロギアさんの横に座り、緊張しないようにそっと手を握った。
「それでは、問診から始めるぞ。ロギア・オロル、お前は僕の質問に正直に答えてくれればいい」
「は、はい」
「まずは痛みが起きる状況についてだ」
そうしてクリス先輩は症状についてや日常生活について、いくつも質問を投げかけていった。ロギアさんはそれに一所懸命答え、先輩はその回答を紙に記録していく。
もちろん触診も行うようで、脈を取ったり、何やら筒のようなもので胸の音を聞いたりと、様々なことをしている。素人のわたしからすれば、胸の病に関係あるのかと考えてしまうようなことも。それでも外見が若いことを除けば、クリス先輩はまるで本当のお医者様のように見えた。
そうしてすべての診察を終え、わたしたちはそれぞれに息を吐いた。ロギアさんなんて、疲れ果ててぐったりとしている。
「とにかくこれで治療の最初の一歩を踏み出したわけですね」
「体を診たからといって、今すぐ病名がわかるわけじゃないぞ。症状や結果を見比べて調べなければならないからな」
「はい」
「結果が出るまで数日待っていろ。その後薬の作成に入る」
「わかりました。お願いします」
ロギアさんは深々と頭を下げ、わたしたちは辞することにした。
その帰り道。
「どうですか、何の病気かわかりそうですか?」
「まあ、いくつか思い当たるものはあるけど、僕もすべての病気を覚えているわけじゃないからな。だから最初は研究資料や医学書との睨めっこだ」
面倒だとぼやきながらも、クリス先輩は楽しそうにそう答えた。いつもはブライル様の指示に従って仕事をしているけれど、今回は自分だけで行うのだ。お兄様の命があって始まったことだが、おそらく本人もやり甲斐を感じているのだろう。
クリス先輩の言った通り、まずは確認した病状と一致するものがないか調べる為、暫くはその作業にかかりっきりになるらしい。待たされるロギアさんは不安だろうけど、こればかりは仕方がない。
日中はいつも通りに仕事をして、空いた時間や仕事が終わった後に調べ物をする。これをブライル様に気取られないように行わなければならないけれど、クリス先輩は普段から勉強熱心なので、怪しまれることはないだろう。
先輩は毎日研究所に居残って遅くまで調べ物をしたり、王城の図書館にも足を運んだりしていた。わたしも暇を見つけては資料の整理を手伝ったり、軽く夜食を作ったりした。そんなことしかできないけれど、先輩が作業し易いようにと動いた。
しかし結局、完全に一致するものは判明しなかったらしい。
もし病名が発覚し、すでに薬が存在していればこの計画は振り出しに戻ることになる。なので先輩にとっては悪い結果ではない。だけどわたしは少しばかり落胆した。治療が遅くなるからだ。
薬が存在していた場合は、僅かでも協力してくれた報酬として、その薬を先輩が提供することになっていた。いずれにせよロギアさんにとっては、病状を回復できるチャンスであることに変わりはない。ただし薬の開発が失敗に終わる可能性もあるので、一概に好条件というわけではないのだ。
とにかくまずはロギアさんに報告しなければならないと、市場への買い出しにクリス先輩も同行した。今回は庶民的なフード付きのマントを纏っているので、目立ちはしないだろう。
ちなみにクリス先輩が仕事中にどうして抜け出せるのかというと、わたし一人の時にルディウス様が接触してこないように警護するとブライル様に提案したからだ。それを聞いたブライル様は、ならば自分がついて行こうととんでもないことを言い出した。慌てたクリス先輩と冷静なフェリ様に説得されて、ブライル様は渋々クリス先輩の案を了承したのだそう。
ブライル様、どれだけ仕事を抜け出したいのかしら。
目的地に到着すると、ロギアさんは戸惑いながらも笑顔で迎えてくれた。貴族とわからない恰好が良かったのか、少しは先輩にも慣れてきたらしい。
そんなロギアさんに病名が発見できなかったことを伝えるのは心苦しかったが、彼女はしょうがないと受け入れた。そういう結果になる覚悟は出来ていたのだろう。
それでも研究は続けると言った先輩の言葉が嬉しかったのか、ロギアさんは山盛りの商品を持たせたくれた。
「それで、これからどうするのですか?」
報告の帰り道、馬車に揺られながらクリス先輩に尋ねた。
「そうだな。とりあえず酷似してる病状の薬を作ってみる。もしかしたら効果があるかもしれないしな」
「その薬というのは、もう既に開発されているのですか?」
「いいや、痛みを和らげる薬ならいくつかあるけど、病気そのものを完治させる薬はまだない筈だ」
「じゃあそれが完成すれば、おばさんの病気は治るし、先輩の問題も解決しますね!」
「まだ効くと決まったわけじゃないぞ。……それに父上や兄上が納得してくれるかもわからない」
嫌なことを思い出したと、先輩は顔を顰めた。
わたしもあの頑固そうなお兄様の顔を思い出して、気が重くなるのを感じた。




