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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 5 遺伝性疾患とバイオ創薬  Maladies héréditaires et découverte de biomédicaments(1147年)
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5章7話 マーセイル工場と神術陣風力発電システム

本日は2話あります、次がありますのでご注意ください。

 1147年8月、二頭の駿馬が、マーセイル領地内の平原を駆けていた。

 一頭にはパッレとブランシュ、もう一頭にはファルマとロッテが乗っている。ファルマたちは、土地の物色と製薬工場の視察を兼ねてマーセイルへ出かけていた。今回、マーセイル領へ向かったのはメディシス家の面々のみだ。

 というのも、エレンは診療を引き受けてくれるというので、バイトの薬師と共に店を任せ、異世界薬局は営業を続けている。

「あにうえー、馬が速すぎるのー。危ないからゆっくりしてほしいのー!」

 パッレの前に座ってぴょこぴょこ尻が浮いて、パッレに首根っこを掴まれているブランシュは恐怖に顔が引きつっていた。パッレの馬は軍馬なのでかなりスピードが出て、ブランシュは振り落とされるかと怯えているのだった。必死に馬のたてがみにしがみついている。

「ファルマ様っ、今どこですか? もう着きましたか!?」

 そしてロッテは目を閉じたままファルマの腰のあたりにしがみついている。ロッテは乗馬が苦手というか殆ど経験がないので、必要以上に体に力が入っている。

「目を開けなよロッテ。腰をしっかり持ってたら落ちないよ」

 顔をファルマの背にうずめたまま、「無理、無理です~」と首を左右に振っている。ぴったりとファルマにくっつけてみたり、密着するのが恥ずかしくなって離れたりと忙しい。

 ロッテの思春期ももうすぐかな、とファルマは微笑ましくなる。


「それで、ファルマ。こんな田舎でいいのか?」

 パッレが馬を走らせながら、大声でファルマに尋ねる。

「誰もいないほうがいい。この谷あいなんていいと思うよ。ほら、見えてきた」

 ファルマは地図を見ながら応じる。マーセイル領の中の、製薬工場にほどちかい海風の抜ける谷間に目をつけた。代行領主アダムに見繕ってもらった、無人の荒地だ。ここに試作の大型風車を立てて、手始めにマーセイル製薬工場の電力を賄う風力発電基地にしようという算段だ。

「ソフィ様のビリビリができる場所なんですねー。また、ファルマ様が気持ちよくなるんですね~」

 ロッテの電気に対する雑な理解に、ファルマは苦笑する。

「俺が気持ちよくなるって人聞きわるいな」

「あう、そうですか?」

「発電に適した場所は風が通る場所、あるいは高低差のある安定した水源だったな。お前の言う電気の必要性が、俺には分からないが……なにせ、それがなくても世界は回ってるからな」

 パッレはやれやれ、と言って馬の手綱を握り直す。またお前の思いつきか、などと口では言っていても、彼は弟の思いつきを全面的に支援してくれる。

「電気があることで、かなりの事ができるようになるんだよ」

「神術じゃだめなのか? 晶石は使えないのか?」

 パッレが根本的な部分に立ち返る。

「神術でもできるし開発の余地もあるのかもしれないけど、貴族のみならず平民も使えてこその技術だからね。貴族だけに使えても、それは使えるうちに入らないよ」

 遺伝子検査を行ったとき、電力がないことの不便さをファルマは痛感したものだ。電気が使えないからといって必ずソフィの協力が必要だったり、ファルマの他に追試のできない技術など、はっきり言って意味がない。

 それに、電気があればと思う場面がこの世界に転生して多々あった。X線、心電計、生化学分析、ペースメーカー、超音波診断装置、人工心肺。電気が医療にもたらす恩恵は数知れない。

 電気を知らない文明に電気をもたらすことについては、ファルマも悩む部分ではあった。というか、これまでその問題のために、腰を上げてこなかった。電気のある生活は世界を一変させるだろう。これまで何とか電気を使わずにきたが、より高度な医療を提供しようと思えば電気は必須だ。

「ファルマ様って薬学以外にも色々御存じなんですね」

 ロッテが賞賛する。

「化学や物理学は薬学の基礎だからね」

(生物学以外の数学、物理、化学は関係なさそうに見えるけど、普通は薬学部のカリキュラムの中でみっちりやるからな……)

 そして、何故ファルマが電気にまで詳しいかというと、彼は薬学部と大学院出身なので、物理、化学、数学や情報科学はもちろんのこと、電気工学的な知識も教養課程と専門課程、そして個人的にも学んでいる。

 すぐ先に大学教授の仕事が入ってくるので、発電システムの立ちあげを急ぎたかった。そのために、まず土地を確保だ。

「まあ、こないだの遺伝子検査で言うと、PCRも電気泳動も、誰でもできるようになるしね。神術使いだけでなく、ロッテにだって」

「私にもですか? 私もやりたいです! 何をやるんでしたっけ」

 ロッテが嬉しそうに声を上げる。

「知識がない者にも誰にでもできるというのも、俺は危険だと思うがね」

 パッレは、無知な大衆が電気を使うことの危険性を考えてはいるようだ。

「だから、一般人が使っても安全な装置を作ればいい」

「なるほどな」

「発電というのは、火力、水力、風力、原子力と色々あるけど、どれも原理は似たり寄ったり。金属線を何重にも巻き付けたコイルの中に磁石を出し入れすると電気が取り出せる。コイルか磁石を動かす……どっちかを回転させるのが効率的だけど、その力があれば何を使っても電気はできる」

 水車だって、風車だって、蒸気で回すタービンだっていい、とファルマは説明する。

「随分単純に言うんだな」

 それならばあまり難しくはなさそうだ、とパッレは納得した。「私は分かりません~」と、ロッテは切なげな顔になった。

「その電気を工場までもってきて、製薬や実験に利用する。それがうまくいけば、帝都でも発電システムが動くようにしたい」

「風力か……確かに風車は回転力になるな。しかし、この谷あいでは風が弱くないか?」

 そよ風程度で、大型の風車が回るとは思えない、というのはパッレの見解だ。

「そこで。兄上についてきてもらったんだよ」

「は? 俺?」

 付き合い程度に考えていたらしいパッレの声が裏返る。

「兄上は全属性の神術陣を敷けるらしいじゃないか。風を呼び込む神術陣を、ここに書いてほしいんだ」

 気圧を下げるような神術があると、ファルマはエレンから聞いた。エレンは水属性しか書けないが、パッレは全属性の神術陣を書けるのだという事前情報だ。

「俺は水の神術使いだから、書いたって術が発動しないぞ」

 発動しないものをわざわざ勉強しているのは、神術使いの教養というものらしい。

「いいから、いいから」

「まあ、いいが」

 パッレは馬から降り、大型の黒杖を組み立てて地面に突き刺し、長詠唱をはじめた。彼が詠唱を開始してしばらくすると、円と七芒星で作られた光の魔法陣のような、風属性の神術陣が編みあがってゆく。その神術陣をパッレは大地に固定する。神術陣は大地に縫い付けられ完成した様子だが、属性が違うからか風は吹かない。

「できたぞ。でも動かない陣を作ってどうするんだ?」

 パッレは再度尋ねる。

「ありがとう。じゃ、俺が動かしてみる」

 パッレが神術陣を立ち上げるところまで済ませると、ファルマは神術陣の核に持ってきていた大型の晶石を据えた。その晶石に、ファルマが神力を圧縮する。

 神術陣は光を含んで動き出し、谷あいに海から吹き込む強風が流れ始めた。

 しかも、風速は常に一定だ。

 ファルマの神力は属性にとらわれないニュートラルなものなので、どんな属性の神術でも発動するのではないかとエレンは言っていたが、その通りになった。

「ファルマお前、何やったんだ?! 何で風属性の陣が動く! 水属性じゃなかったのかお前!?」

 パッレが驚愕して固まっていた。

「たまたまじゃないかな」

「神術陣に注がれた神力が完全充填状態だ……これだと、数か月はもつぞ! お前本当に何をやったんだ?」

 神術陣の持久性は、普通はもって一週間というところらしい。

(晶石に詰めた神力が尽きるまで、何十年かはもつんじゃないかな)

 ファルマは思ったが口にはしなかった。

「一回神術陣を立ち上げたら、ずっと同じ条件で風が吹くんだっけ」

「ああ、変わらないはずだ。夜間だろうが、周囲が無風だろうが、嵐が来ようがな」

(変圧装置を作って送電網に繋げればいいよな)

「ここを風力発電基地にしよう」


 その後、パッレはブリュノと共に領地の視察へ行き、ファルマとロッテは製薬工場の視察に赴いた。工場の医薬品製造プラントは完成し、簡単な有機化学合成実験が始まり、帝国医薬大学校から届けられたキャスパー教授らの放線菌の大量培養などが行われていた。

「工場の稼働状況、製品の生産はどうですか?」

 工場につくと、ファルマはキアラを呼び出した。

 高度な神術を使え、もともと医療神官であった彼女を、ファルマは製薬工場の管理主任に据えていた。

「はい、薬品の生産、出荷体制は整いつつあります。こちらに、資料が……」

 キアラは真っ白な防護服を脱ぎながら答える。

「キャスパー教授や帝国医薬大学校で開発されている抗生物質をはじめ、酸素ボンベ、一部の有機合成薬などの生産も軌道に乗っています」

「品質管理のほうは徹底してもらっていますか?」

 ファルマは確認する。


「はい、バリデーション試験による製品の無菌性の確認や、清浄な作業が必要な工場内部は風属性の神術使いの従業員を雇用し、神術で清浄度を厳密に維持しています。清浄度はクラス100を維持しています」

 清浄度とは、空調の用語で、空気中に浮遊する0.1μm以上の塵が1立方フィート当たりの空気中に何個あるかということを示している、とファルマは以前にキアラに教えた。その指標でいくと、クラス100というのは現代地球の製薬工場、どころか最も清浄度を必要とする半導体工場とほぼ変わらない清浄度である。これにはファルマも驚いた。

「それはかなり清浄ですね! キアラさんや従業員の方の努力の賜物だと思います、ありがとうございます」

 神術を使えば清浄な空間が出来上がるのだと知り、ファルマは神術の利点を見直す。だが、24時間交代で神術使いがその環境を維持しているということで、やはり電力の安定供給を行い、労働者の負担軽減を図るのが必要だとファルマは思う。

「負担をかけてすみませんね、電気を確保して、空調を自動でできるようにしますから」

 ファルマは詫びる。

「そうしていただければありがたいですが、神術使い班は、意識を高くもって頑張っています。ファルマ様や他の先生方が開発してくださった大事なお薬を、汚染するわけにいきませんので」

 事務職、技術職、製造職の従業員たちはもともと能力で選抜されていて、そのうえ十分な賃金が与えられやる気満々ですから、とキアラは誇らしそうに語る。

「神術使い以外のほかの従業員の方々は、どうですか?」

「楽しく、充実して働いているようです。ファルマ様のお言葉に刺激されて、従業員たちは健康にも気を付けているんですよ」

 採用当初ファルマに持病を暴かれた者たちも、治療を継続することにより健康を取り戻しつつあるという。


 工場の操業がいち段落した頃合いで、ファルマは工場従業員たちとレクリエーションと称したパーティーを開催した。ファルマが個人的に雇って連れてきていた帝都のパティシエにスイーツを作らせ、野外スイーツパーティーを楽しむ。カヌレにマカロン、フォンダン・オ・ショコラ、新作のクレーム・ブリュレ、フルーツ盛りにチョコレートフォンデュなど、庶民には見たこともない高級スイーツの目白押しに、工場従業員たちの手が伸びるのは止まらなかった。

「これは美味しい! 頬が落ちそうです!」

 大の男も子供のように喜んで鷲掴みにしていた。

「ファルマ様、家族に持って帰ってもいいですか? 子供たちに一生に一度きりでも食べさせてやりたくて……」

 母親らしい従業員が、ファルマに懇願する。

「いいですけど、今日中に食べてくださいね」

 その言葉を契機に、そこかしこでスイーツ争奪戦が始まり、とうとう喧嘩まで勃発した。

「みなさん。あの、慌てずに。ちゃんとありますから」


「はあ……私、甘いものを食べている時が一番幸せです。あっ、でも薬局で働いているときも幸せですよ、それから、絵を描いているときも、お散歩をしている時も……お昼寝も捨てがたいですね」

 ロッテはしっかりと自分のスイーツを確保し、舌鼓を打って満足そうだった。文字通り骨抜きになって、恍惚としている。そのまま蕩けてしまいそうだった。

「ロッテには楽しい事がたくさんあっていいな、口の周りにショコラがついてるよ」

「きゃーっ、ファルマ様。見ないでくださいーっ!?」

 ロッテは慌てて口元を手で隠しながら、スイーツの皿は忘れずに持って逃げた。


 パーティーがお開きになると、従業員全員で工場の庭に整列し、創業者であるファルマと記念写真を撮影した。従業員も増えた。

 前回撮影時からすると、随分と労働者の表情もほぐれ、自然に笑顔が出た。


「毎年、写真を撮っていきましょう」

 写真撮影は恒例行事にするつもりだ。

 現像が終わると、従業員全員に写真を配った。

「ありがとうございます、創業者様」

「ここで働かせていただいて、とても誇らしいです」

 彼らは感謝の言葉とともに写真を受け取った。

 たとえファルマがいなくなってしまっても、創薬拠点となるマーセイル製薬工場が長く、多くの人々の手に支えられながら発展し、その薬が帝国や世界へと届き人々を癒してゆけばいい。


 ファルマはそんなことを思った。

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