2章6話 影のない少年と異端審問官
「影がない子供がいる?」
「はい」
金の縁取りの刺繍のある、詰襟の白いローブにケープを纏い、特徴的な形の神官帽をかぶった初老の男。彼はマーセイル教区、風の守護神殿の神官長である。
神官長は、教区神官の臨時の報告を受けていた。守護神殿とは、大陸全土の大神殿の管下にあたる各地の神殿組織で、属性ごとに複数の守護神を合祀している。ここは風属性の守護神殿であった。
「はっ、孤児院の孤児が浜辺で一人で目撃しました。孤児の話によると、影のない少年が、溺れた幼児を助けるために杖もなしに海水を一定領域消してしまったということです」
「なんだ、子供の作り話か。すておけ」
神官長はとりあわず、積み上げられた書類に羽ペンでサインをしてゆく。
「で、あればよかったのですが……」
神官は大真面目で説明を始める。
「やけに孤児がうるさくいうので、孤児院の教務神官が、翌日孤児と浜辺に行ったそうです。すると……神力だまりができていたそうです」
神力だまりというのは、強大な神術を行使したあとにその場に残る神力のよどみである。
「翌日なのに、残っていたのか」
神官長は耳を疑う。皇帝レベルの強力な術者が大規模な神術を使えば、多少神力だまりは発生するかもしれないが、それも数時間残る程度だ。一日単位で残っているなど、にわかには信じがたい。
「今も消えずに神力だまりはあるそうです。何人もの神官が確認しています」
異常だ、と神官は興奮する。
「海水を消した……? 水属性の負の神術使いか」
「そうなのでしょうか? 円柱状に海水を消したと言っていました。そんなことが、神術でできますか?」
神力だまりが発生しているというのが事実なら、影のない少年の使った術は神術なのだという前提になる。だが、そんな神術は見たことも聞いたこともない。神官長は書類をすみにやり、いつしか神官の話を傾聴していた。
ステンドグラスから漏れたカラフルな光が、薄暗い大神官室の中に幻想的な空気を漂わせている。燭台の炎が厳かにゆらめいていた。
「影がないというのは、そもそも何なんだ」
「悪霊でしょうか」
とはいえ、悪霊が白昼堂々と歩くものではないし、神の加護を受けていない者が神力だまりをつくったりはすまい。そういう結論になった。
「目撃された少年の外見は薄い金髪で、肌はやや白い。マーセイル教区で、金髪の、水の負属性の少年はいないのです」
奇妙な話だった。神官長の長い在職期間でも、そのような例は記憶にない。もともと、負属性というのはかなり珍しい属性なので、全属性のマーセイル教区の負属性の術者は、神官長が記憶している。
「目撃者の孤児は、少年の顔を覚えているか。別の教区の神術使いかもしれん」
神官長はたたみかける。
「遠かったので、詳細には見えなかったようです」
常識的に考えれば、影がなかったというのも、一定領域の水を消したというのも子供のホラか見間違いで、ただ強力な負属性を持った術者ということになる。神官長は上層部に連絡をしておくことにした。強大な力を持つ子供の術者は、未熟であるがゆえに、ときに市中で神力の暴走を起こすことがある。そうならないよう、専門機関での集中教育が必要だ。
「異端審問局に連絡を。その少年を探し出すように」
「仰せのままに」
大神殿の異端審問局。それは悪霊の調伏、異端者の粛清を専門としている部局であった。
その数日後、大陸の全神殿教区で、一人の子供の捜索指令が下された。
…━━…━━…━━…
そんな動向は露知らず。
ファルマたちはマーセイル領視察を終え、帝都に戻ってきた。一週間ほど留守にしていたので、薬局はその間閉めていた。さて、いよいよ営業再開だ、とファルマが出勤の準備をしていたところ、薬局の警備の騎士の一人、警備隊長がド・メディシスの屋敷に駆け込んできた。
「薬局に荷馬車がつっこんだ!?」
ブリュノも起きて、ファルマとともに朝食をとっていたところだった。
「はい、店の扉も、商品の一部も粉々です。私どもが二人体制で警備をしていたのですが、朝になったので格子門をあけたところ、その隙をついて御者のいない荷馬車が二台、立て続けに、突っ込んできました。止める事はできませんでした。私どもがいながら、申し訳ありません。馬車の持ち主は分かりません。登録番号もありません」
「調剤室は?」
調剤室は、カウンターを隔てて、ある意味仕切られている。調剤室こそが薬局の本体だ。あそこがやられていなければ、とファルマは気にかける。
「調剤室は無事です」
「積み荷は何だった?」
単純化合物ならばファルマは消去して、すぐに営業再開できる。地道な営業の甲斐あり顧客もついて、休み明けの今日、薬を取りに来る予定だった患者もたくさんいる。
「土砂です」
騎士の報告は無情なものだった。
ああ、これは臨時休業だな、とファルマは営業をあきらめる。営業開始時間までに、大急ぎで張り紙を作らなければならない。
「まあ……馬車が無人で突っ込んでくるものなのね」
母が心配をしている。ロッテとセドリックも部屋に入ってきて、ただならぬ空気を察して口をつぐんだ。
「営業妨害の一種だな」
食事を終えたブリュノが、ファルマができればそうと言いたくなかった言葉を放った。
「奇妙な薬を売る店を、面白くない、恐ろしいと、有害だと思う者はたくさんいるのだ」
物理的に営業できなくする。あるいは店舗を物騒な場所だと思わせることで客を店から遠ざける寸法だ。
「もしかして」
いやな予感がした。MEDIQUEもやられるかもしれない。
「できるだけ速く営業を再開するのだ。休めば休むほど、客の足は遠のく」
ブリュノはそう言って、早期の営業再開を促した。
ファルマは、ブリュノが薬局を再開させたがっていることを意外に思った。
「これは」
「ひどいです……お店がぐちゃぐちゃです」
ファルマとロッテ、セドリックが薬局店舗に行ってみると、惨憺たるものだった。店内に流入した土は腐っていたのだろうか、悪臭が立ち込めていた。店舗部分は土砂でほとんど埋まっていた。騎士の言うようにかろうじて、調剤室は無事である。土の神術使いのセドリックは正の属性なので、土砂を取り除くことはできない。しかし、汚染された土を浄化した土にすることはできた。
"浄化(Purifier)"
セドリックは杖を握り、発動詠唱を打って土を浄化した。
「ありがとうセドリックさん、においがなくなったよ」
「この程度のことしかできませんで」
セドリックは悔しそうに鼻をすすった。
「どういうことなの、これは!」
何も知らずにボヌフォア家の屋敷から直接白馬に乗り、出勤してきたエレンの悲鳴が街なかに響き渡る。
「エレン、調剤室からMEDIQUEに薬を持って行って、そこで薬局の営業をしてくれないか。患者さんはそっちに送るから」
ファルマは、壁で隔離されていた清潔な調剤室に入り、今日来るはずだった患者全員の調剤を行い、薬袋に患者の名前を書いてエレンに預けた。それから、調剤セットと薬瓶も渡した。
「これ、今日来るはずの全員分あるから。新しい患者が来たら処方箋を書いてMEDIQUEにまわすから」
「え、ええ。わかったわ」
このころになると、エレンはファルマに聞いてある程度ファルマの治療方針に倣った現代医薬品の調剤をすることができたが、ファルマに聞かなければ、パターン化された疾患以外には対応できなかった。従来の薬学知識での薬草などの処方はできたが、エレンはファルマの薬のほうがよく効くと思ったので、処方を切り替えつつあった。
「それからエレン、MEDIQUEの表の鉄門は完全に開けてしまわないでくれ」
「なにそれ、そっちも襲撃されるかもってこと?」
「念のため、気をつけて。ロッテもそっちに連れて行ってほしい」
「ええっ、私ここで手伝いますよ!」
ロッテは移動する気はないようだ。
「わかったわ、行こうロッテちゃん。店主の言うことはきくものよ」
「頼んだよ」
「もし不審者が来たら神術で追い払ってやるんだから」
エレンは優れた水の神術使いなので、ファルマは任せることにした。ファルマはこちらに残って、再建のめどをたてなければいけない。
「こりゃあ、どういうことじゃあ……だれじゃあ、わしの贔屓の店にこんなことをしたやつは!」
開店前一番にやってきたジャン老人が、店の有様を見て我が家を潰されたかのように憤慨していた。
「今日からようやく飴が買えると思ったのに! それに、水も飲めんじゃないかー!」
それを聞いたファルマはいたたまれなくなって、商品が土砂に埋もれ散乱した店内で、”船乗りの飴”をさがす。飴の入った瓶は、幸い崩れかけた棚の上に載っていた。ファルマはそれをとって、ジャン老人に瓶ごと手渡した。
「瓶に土はついていますが、中はきれいです。ジャンさんはお得意さんなので差し上げます。またお店を再開する時には、買いに来てくださいね」
「ふおおお……! こんなに、タダでもらっていいのか!?」
ジャン老人は目を輝かせて、瓶ごと抱えて走って行った。老人とは思えない走りっぷりだな、とファルマは思う。
「宮廷薬師様、お気を落とさずに」
「何か手伝えることがありましたら、声をかけてください」
「お手伝いしましょう」
親しくしていた周囲の商店街の店主が、災難を気の毒がって路地に出てきた。荷馬車の残骸を片付けるのに、徒弟を貸そうと言ってきた。
「ありがとうございます、助かります」
ぽつり、ぽつりと片付けの手伝いは増えてゆく。
薬局の営業時間になって、久々の営業を楽しみにしていた客が続々とやってきた。店が営業できる状態にないことを目の当たりにし、口々にファルマに声をかけ、首を振り、沈痛な面持ちで帰ってゆく。薬を必要としていた患者は、2号店の店舗を案内した。新規の患者は、ファルマがその場で処方箋を書いて、これを2号店に持って行くようにと言った。
気がつけば、多くの町の人々が、ボランティアで片付けに手を貸してくれていた。
「皆さん……ありがとうございます!」
ファルマがボランティアたちに頭を下げると、
「この薬局は、私らにとっても必要ですので」
持病をかかえた常連たちが、汗を流しながらにっこりと笑った。セドリックが、「もう、この薬局は地域に根付いていたようですね」と言って目頭を熱くした。
「手伝うぞい」
しばらくして、ジャン老人が戻ってきた。屈強そうな十人ほどの、筋骨隆々とした半裸の男たちを連れて。ファルマが面食らっていると。
「このかたがたは誰ですか?」
「うちの若い衆じゃ。船乗りの飴を気に入っとる」
ジャン老人は彼らを顎で使い、ファルマの作業を手伝わせる。腕に碇や港名の刺青が入っている、海の男たちのようだった。彼らはジャン老人には絶対服従といった様子。ジャン老人は引退した漁業関係者なのかな、とファルマは推測したが、詳しいことは何も分からなかった。
彼らのおかげで、土嚢がみるみる積み上げられ、店の外に運び出された。また、事情を聞きつけた女帝が、兵をよこしてMEDIQUEの警備の増強や、片付けの手伝いにあたらせた。女帝の小姓のノアが、現地を見にやってきた。
「陛下、お怒りだったよ。帝国の勅許印のある店をコケにされたって。徹底的にやるって、怖かったー」
ノアはその怒りっぷりを見て、逃げ出したくなったという。
「何をやるんだろう、報復か?」
「粛清だろうな。犯人の心当たりはあるのかい?」
「心当たりが多すぎて分からない」
薬師ギルドが本命だが、必ずしもそうとは言い切れない。何しろ証拠がないのだ。薬師ギルドかも、などとうかつなことを言うと女帝に叩き潰されそうなので、冤罪を招きかねないことはやめておく。
「陛下が、内装を直す職人をよこすって。今日中に土砂が片付けば、明日店内を施工して、あさってには再開できるだろう」
さすが、女帝は行動が早い。女帝の後ろ盾があって有難いこともあるな、と感謝するファルマであった。
「お昼なので休憩にしましょう、皆さんお疲れさまでした。ありがとうございます」
「おう、昼からも来るよ」
「ありがとうございます」
昼食休憩をとろうというときだった。午前中、作業をしただけで、服は土砂でドロドロになっていたので着替えて、ファルマとセドリックは路地向かいの食堂で昼を食べ終わった。
「夕方までに終わりそうですね、ファルマ様」
「皆が手伝いにきてくれたおかげだよ」
ファルマとセドリックが店舗の外で、ベンチに腰掛けて休憩をしていると、
「薬師様、患者がいるのです。助けてください!」
狼狽した様子で、若い女がファルマに近づいてきた。
「父が炎天下で作業をしていて、倒れてしまいました。すぐ近くです! 目をさましません!」
「熱中症かな。分かりました、行きます」
ファルマは店舗に入り、往診バッグを取ってきて自馬に乗る。女も馬に乗せた。
「ファルマ様、一人で大丈夫ですか?」
セドリックが心配そうに声をかける。
「手におえそうになかったら、戻って応援を呼ぶから、すぐ戻るよ」
「では、こちらは作業をすすめておきます」
「ありがとう」
女に案内されるまま馬を走らせて、帝都のはずれの丘の上までやってきた。帝都を一望できる、見晴らしのよい丘だった。すぐ近くのはずでは……とファルマは疑問をいだく。人気のない寂しい場所だ。
「ここです」
「ここですか?」
女とともに、ファルマも馬から降りる。
(どこに倒れている人がいるんだろう。こんなところで何をしてたんだろう?)
「あの、患者さんは」
ファルマがそう言い終わるか終わらないか、というときだった。
丘の下から、真っ白な装束を着た男たちの騎馬が丘を一列で登ってきた。女はいつの間にかいなくなっていた。
(はめられた!)
多勢に無勢、ファルマは身が竦むようだった。
馬上にいる男たちの全員が杖を持っている。れっきとした神術使いの戦闘だ。チンピラのリンチではない。
「我々は大神殿異端審局の異端審問官である」
全員が、耐神術戦闘服と思われる機能性の高い白い衣装を纏い、神殿聖騎士団の腕章をつけていた。
「何の用ですか」
「大神殿の下命により、影のない、金髪の少年を捜していた」
(俺かよ! いつからつけられていたんだ!?)
ファルマ以外にそうそう、影のいない子供がいるとも思えない。
「あんなに堂々と昼間に歩いているとは、迂闊だったな」
「なぜ、お前には影がない」
よく晴れた、快晴の空の下の丘だった。ファルマの足元には、影がない。厚着をすれば、服には少し影ができる。だが、薄着をしていると、彼のどこにも影はなくなる。男たちの足元には色濃く影が落ちている。
「悪霊か」
「違います。悪霊ではないです!」
最悪、霊なのかもしれないが、せめて悪霊ではない筈だ。とファルマは思う。
「では何なのだ!」
ファルマが返答に困っていると、痺れをきらした一人の男が、
「手を上げて、10歩後ろに下がれ」
と脅迫した。ファルマは言われるまま10歩下がる。そこは草のない、平らな地面であった。
"捕縛せよ!(Arrestation)"
馬から飛び降りた男が叫んで、杖を地面に突き立てて叫んだ。対悪霊の上位結界が発動する。予め地面に描かれていたと思われる精密な神術法陣に、発動コマンドと神力が注ぎ込まれ、地面から赤い光が迸り、閃光はファルマに襲い掛かった。しかし、
「な、何だと!?」
大きな爆発音を残し、結界は自壊した。
「対悪霊結界が効かない、だと!?」
「あの、俺、悪霊じゃないです」
その言葉は、なんと間抜けに聞こえただろう。
手っ取り早く正体を見破ろうとした一人の男が、
「正体をあらわせ!」
"炎の嵐(Tempête de la flamme)"
そう言うが早いか、火炎の発動詠唱を打ち、大火炎の攻撃を放ってくる。
唐突に、戦闘が始まった。
ファルマは診療カバンを丘の上に放り投げ、左手を翳し、息を止め無詠唱で大量に窒素を生成。同時に、炎のある領域から酸素も消去。貴族たるものの備え、ということで不測の事態に備えた戦闘訓練は、エレンから受けている。ファルマの体は防御力が高いのか、攻撃が当たってもせいぜいかすり傷程度で、ほとんど傷がつかない。ましてやエレン相手には、血など流したこともなかった。ファルマが心配しているのは「やりすぎて相手を殺したりしないか」ということだ。火炎はファルマに到達する前に消えた。昏倒を防ぐために、窒素も消す。
「なっ……素手で! 炎の負属性か!」
水の神術使いが放つ氷系の攻撃は、右手で難なく消去する。
「水の負属性も、だと?!」
基本的に、神術使いは複数の属性を持ったりはしないものなので、男たちは混乱しているようだ。
(気化麻酔でも撒いて気絶させるか。あ、それは俺も気絶する)
ならば、負の能力で低血糖や軽い脱水にして失神させるか。
ファルマは何とかこの場を互いに無傷で切り抜ける方法を探ろうとしていたが、この場をやり過ごしたとしても、薬局をやっている限りもう身バレはしたし、何度でも彼らは異端審問にやってくるだろう。この場で残らず彼らを殺せば口封じはできるが、どこかで誰かがそれを見ているかもしれないし、そもそも殺害は選択肢にない。しかし、
「生死は問わんとのお達しだ。殺せ」
(えーー!?)
腕章に二重線のあるリーダー格の男から、あっさり殺害指令が出てしまった。
異端、死すべし。の精神のようである。
これはもう、互いに無傷では済みそうにない。




