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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 8 崩壊し、つながる世界  Réduire et connexion(1148年)
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8章3話 パッレの覚悟と、客人の来訪

 1148年6月15日になった。

 ファルマはその日、朝からジョセフィーヌとエメリッヒらと研究室にいた。


「教授、遠心分離機の速度がこれ以上上がらないんですけど……」


 三人で遠心分離機の挙動をみている。少しずつ異音がはじまった時点で、装置の回転数を落としてゆく。ファルマは記録をつけながら二人に打ち切りを告げる。


「うーん。この回転数とGでは超遠心は厳しいかなあ……無理はしなくていいよ」


 遺伝子治療用のウイルス精製のために、遠心分離機の改良を行っている最中だ。

 超遠心分離機とは、溶質に遠心力をかけることにより、沈降挙動を解析する。地球世界では百万Gもの加速度を生み出すことができ、分子の大きさの差のふるい分けができるものだが、異世界ではそうはいかない。


「でも、今より真空度を上げれば空気抵抗も減りますよね?」


 エメリッヒがチャンバーを極高真空状態にしようと杖を構えるので、ファルマはその杖をおさえる。


「いや、もう十分」


 風の正属性の神術使いのエメリッヒだが、ファルマが教えたので真空を作り出すことができるようになっていた。空気の密度を移動させればいいのだと教えただけなのだが、彼もパッレと同様にすぐに原理を理解して応用に移す。


「やめよう」


 ファルマの決断は早い。粘るときは粘るが、諦めも早いのだ。ファルマはそう自負している。


「ええ、でも……超遠心を使わないと目的のウイルスやタンパク質の濃縮と精製が。最短で精製できそうなのに」


 エメリッヒは納得がいかない様子だ。


「カラムやメンブレンフィルターを使えば低速でも濃縮できるよ、私たちだけが使うわけじゃないから、皆が使えないと意味ない。安全にいこう」


 代替手段があるからには、安全第一でいきたい。帝都で研究室を爆発させたら、テオドールの笑いものになる。ファルマの脳裏にそんな考えが浮かぶ。


「さっき言ってた、超遠心機が爆発するって話ですか?」

「遠心力に耐えられず爆発したり、サンプルのバランスが少し崩れても、スウィングローターが崩壊しても爆発するよ。爆発というか、崩壊だね」


 ローターの回転数の電子制御が現状できていないので、なおさら危険度は高い。

 前世では、超遠心分離機の事故には細心の注意をはらっていた。

 学生にもバランスのとり方には気を付けるよう、口酸っぱく言っていた。それでもたまに事故が起こるものだ。


「遠心力って恐ろしいんですね……」


 ジョセフィーヌがぞっとしたようにのけぞって、顔をひきつらせる。

 この世界では、あまり遠心力を体感する機会はないので、ぴんとこないのだろう。


「そうだよ。甘く見てはいけないよ」


 なんなら事故の動画を見せてあげたいところだが、彼らにはスマホの画面が見えないのでもどかしい。ファルマは眉間にしわを寄せている二人を休ませるために、声のトーンを変えてぽんと手をうつ。


「いったん休憩にしよっか! お腹がすいたな」

「学食行きますかー。たしか二十日まで、パルフェ祭りだったはずなんですよ。ジョセフィーヌさん、好きですよね。うちの妹たちがチェックしていて。今日も学食に来ているはずですよ。昨日もいたんですけど」


 エメリッヒの妹たちは、スイーツの情報収集に余念がないらしく、その情報は逐一兄に報告されている。


「パルフェ、賛成です―! 妹さんたちと合流しましょう」


 ジョセフィーヌも満更でもないようだ。

 ファルマはロッテにそっくりの妹たちの顔を思い出した。エメリッヒ一族はロッテの遠い親戚なので、ロッテの顔を思い出せばだいたい当たらずも遠からずだ。


「そういえば、妹さんたちと弟さんは元気?」

「ええ、毎日元気にスイーツ開拓をしています。食べた分ダイエットに忙しいようです」

「そ……そう。たしか基礎代謝、脂質代謝、糖代謝が低い遺伝子型だったから、妹さんたちには食事に気を付けてもらって……」


 運動をすればいいというものではない、きちんと予防をしなければね、とやんわりと伝える。彼女たちはたしか遺伝型を調べると糖尿病リスクが高かったはずだ。とファルマは妹たちの結果を思い起こす。


「はい、伝えておきます」


 エメリッヒはまじめに受け止めているようだった。

 財力と暇のある有閑階級は優雅でいいよな、とファルマは愛想笑いをする。

 ファルマもエメリッヒも有閑階級の高等遊民であるはずが、なぜか平民以上に忙しい。


「教授―! ご報告したいことが」


 ファルマたちが白衣を脱いで、さあ学食にお昼でも食べに行こうかと移動していた時、秘書のゾエが追いすがってファルマを呼びに来た。

 マーセイルから電信で驚くべき知らせが入ったというのだ。


「え? メレネーが貿易船に乗って来た? メレネーが!?」


 ファルマの眉間にしわが寄る。

 帝都と大陸は今や大陸間で通信が可能となっている。それなのに、第一報がマーセイル! 心の準備ができていない。


「教授?」


 ジョセフィーヌがファルマの顔を窺うので、ファルマは二人に手を振って見送った。


「ああごめん、二人で学食にいってきて。急用が入った」


 パフェ食べてる場合じゃないぞ、ということはファルマにも理解できた。

 エメリッヒたちは当然ながら、新大陸での顛末を知らない。


「後できてくださいよー。パルフェ祭りですよ、パルフェー!」


 ジョセフィーヌはファルマが食いっぱぐれるのではないかと気に掛けているようだ。


「行けたら行くね」

「行けたら行くという人は、だいたい行かないものですよ」


 ゾエが耳元でささやく。


「鋭いな」


 ファルマも閉口する。

 最近、ゾエからの当たりが厳しいような気がするのは、今回のような唐突な厄介ごとが転がり込んでくるからだろう。


「行くというといつまでも待つかもしれないので、行けないというべきですよ」

「次回からそうします。それで、メレネーたちはいまどこに」

「ええ。メレネー? ほかマイラカ族の六名はマーセイルで検疫を受けて、帝都を目指している、とのことです。ええと、マイラカ族って何ですか?」


 ゾエが、マーセイルからの電報を読み上げる。


「帝都に! 来る!」


 彼らが出航してから一か月近くかけて航海をしてきただろうに、どうして帝国側の貿易商の誰も出発前に教えてくれない! とファルマは白目になる。


「ええと、マイラカ族というのは新大陸の先住民の人たちだよ」

「そうなんですね! では勿論お会いになりますよね? 帝都の観光などの案内は?」

「俺が?」


 驚いて自分を指さし不本意そうな顔をしてはしたが、そうだな、と腑に落ちる。


「教授を訪ねておいでなので、おもてなしは教授がすべきなのではと」


 ゾエは諭すように伝える。


「でも俺、招いてないんだけどな」


 何か用があるのならば、大陸間通信でも間に合うだろうに、とファルマは対面を希望する謎に思いをはせる。


「まあ、細かいことはなしということで」

「そっか……ゾエさん、帝都の観光スポット教えてもらえる?」

「そうおっしゃると思って。帝都で評判のレストランを見繕っておきました」


 デキる秘書のゾエは興奮した様子で、リストをファルマに贈呈してくれた。

 普段から会食の場を用意するのにもそつのない仕事をしてくれる。


「食べられないものとか聞いてなかったな。アレルギーとかあるかな」


 エリザベスが薦めたものの、干し肉は食べなかったし、とメレネーの行動を思い出すが、彼女の服装から何から、生活感がなさすぎて、何を食べているのかよくわからない。


「海の近くにお住まいだったのですよね。では、魚介を食べていたのでは」


 確認はしてないが、貝塚のようなものがあったので、貝は食べていたのだろう。


「そうかもしれないな。あと、帝都の観光名所ってどこかな」

「建築のみどころというと、神殿などは! 帝都の建築様式は、国外からのお客様は珍しがられるようですよ!」


 ゾエが微妙な観光スポットを提示してくる。


「建築の観覧にはいいけど、中に案内するとなると思い切り宗教上の問題がありそうで」


 下手をすると、神殿内で霊を呼び出そうとするかもしれない。

 それを見た神官らと宗教戦争まったなしだ。


「では、宮廷を訪問するプランは?」

「聖下に確認が必要だな。甘いものでも食べながら考えるか。ゾエさんもパルフェ行く?」

「行きます」


 ファルマたちは遅ればせながらパフェ祭りに合流した。



「父上、ご相談が」

「入れ」


 パッレがド・メディシス家の執務室で精力的に働くブリュノを訪ねる。

 パッレは内側から部屋の鍵をかけると、ブリュノの執務机の上にサン・フルーヴ帝国帝位御璽と書いてあるカードを置いた。


「申し上げるべきか迷ったのですが。やはりお耳に入れるべきかと思い。聖帝エリザベス聖下より、サン・フルーヴ帝国皇帝の帝位挑戦権を拝受しました」

「それは聖下より聞いておる」


 ブリュノは顔を上げた。


「この挑戦権を、ファルマに譲渡できないかと聖下に奏上したいのですが」


 パッレの目標は、あくまでもいっぱしの薬師になることだ。

 挑戦権を受け取りはしたものの、皇帝の座に興味はない。

 ブリュノは困ったように額をおさえながら答える。


「新たなる皇帝は、神聖国によって見いだされるものだ。したがって、帝位挑戦権の譲渡はできない決まりになっておる。だが、権利を一度も使わない、ということもできる」

「それはただの機会の損失です、聖下は後継者を見つけたいとお考えなのでしょう。新たな皇帝の候補を立てることができなければ、聖下のご公務の負担もご心労も重なるばかりです」

「そうであろうな」


 ブリュノは歯に衣を着せたような、歯切れの悪い喋り方になる。


「聖下はファルマのことを過小評価しておられます」


 パッレは熱気のこもった言葉でブリュノに問いかける。


「すでに宮廷薬師としてとりたてているであろう」

「薬師としての腕もそうなのですが……私は最近、神術試合においてもファルマに勝ったことがありません。彼は聡明で、類まれなる神術の使い手で、薬神の加護と知識を得ています。帝国の数々の危機を救いました、彼は英雄です。彼が即位したあかつきには、帝国は栄え、舵取りを間違えることはないでしょう。私は彼の兄として、彼の素質を畏怖してすらいます。人格も申し分ありません、彼ならば人民に慕われるよき皇となると思います。ファルマも薬師の身でありたいということは承知していますが……」

「はっきり言っておくが……ファルマは皇の器ではない」


 ブリュノはパッレに話して聞かせる覚悟を決めた。


「父上までそんなことをおっしゃるのですか。なぜ彼を認めないのですか。私に配慮してのお言葉であれば」

「そうではないのだ」


 そして、とうとうブリュノの口からパッレは真相を知ることになる。

 ファルマが神聖国において神籍を持ち、正統な守護神と認められていること。

 ブリュノの執務机に置かれていた紅茶がすっかり冷めきってしまうまでの間に、ブリュノは順を追って、パッレの知らなかったファルマの姿を話して聞かせた。パッレはうなだれる。


「彼は、まことに薬神……なのですか」

「さよう。彼は人界の皇ではなく、守護神であるがゆえに、皇帝位につくことはない。宮廷薬師の地位に甘んじておられるのも、彼の言葉を世に伝えるための、かりそめのものだと理解している」


 パッレは言葉を失ってしまった。

 思えば、数々の加護を受けていた気がする。

 彼のもっとも近い場所にいて、彼の言葉を聞き、彼に命を救われ、彼のわざをみてきた。それは、薬神を守護神に持つド・メディシス家に与えられた福音だったのか、因縁だったのかとパッレは振り返る。

 そしてそんな彼に、どんな態度で接してきたか。

 パッレは思い出すだけでも後悔で体の中が熱くほてるようだった。


「私は、守護神様に数々の無礼をはたらいてしまいました。のうのうと生きてゆくことなど、耐えられない。死んでお詫びしなければ」


 この身を引き裂き、百万遍の祈りを唱え、血と心臓を捧げなければと、パッレは悔悟の念からそうせずには気が済まない。


「まさにそれだ。そういう反応に困るから、神だと名乗っておらんのだ。彼は特別扱いをされることを望んでいない。彼は人々とともに生き、人々に寄り添い、人のために力を使い果たして滅びる益神だ、だから私もこれまで通り、彼の願うように親子のように接している。そうしてほしいと仰せだからだ。お前はこれまでのように、兄のようにふるまうのが正しい」


 ブリュノは大きくため息をついて、ペンを置く。

 ブリュノがまとめている資料は、ファルマの医学と薬学を記録したものだ。ブリュノもまた、その日に備えている。

 

「……そうだったのですか。それでは私が皇帝になり、彼のもたらす医学や薬学を保護し、普及させるのがよいでしょう。彼が身罷られてからでなく、世にまします間に」

「うむ……彼はこのところ、ゆかりのある各地を訪ねておられる。現世との別れを惜しんでいるようにも見える。言葉には出さんが、あまり時間はないのかもしれんな」


 パッレはぎゅっと拳を握りしめる。

 薬神はパッレの弟ファルマを宿し、彼の魂を生きながらえさせている。

 薬神は時折、パッレやブランシュの前で、あどけない弟の面影を見せることもある。

 それは、弟をなくしたパッレに配慮した、薬神からの救いなのだろう。

 薬神がこの世を去るとき、パッレの弟、ファルマ・ド・メディシスの魂も天上に連れてゆくのだろう。パッレは沈痛な面持ちで瞳を閉ざす。

 その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「今日より、薬学のほかに、聖下より帝王学の教えを請おうと思います」


 彼は静かに、決意を吐き出す。


「よろしい、では聖下に奏上しておく。聖下は宮殿に招く準備は整えておいでのようだった」

「ありがとうございます。そして今と思い定めたら、聖下の胸をかりて、帝位に挑みます」


 パッレは己のなすべきことを知った。

 ブリュノの執務室を出たところで、ファルマとばったり会った。

 どこかで買ったのか、たくさんのクッキーを抱えている。

 話を聞かれたかと身構えるが、彼は無防備にしている。


「兄上、今から下でロッテとお茶するんだけど一緒にどう?」

「ああ! その後で神術訓練しようぜ!」

「しないよ、今日は忙しいから」


 なるほど、このお方が当代の薬神様なのか、とパッレは改めて彼をみる。

 彼は華奢で、ほわっとしていて、見るからに頼りない。

 それでも、小さな体で数々の奇跡を起こしてきた。

 白血病に蝕まれ、死を待つのみだったパッレに、昼夜を問わず傍に付き添い、その天上の薬学をもって、確固たる理論のもとに癒してくれた。

 彼の言葉を、広く世に普及する書物として編纂することを許された。

 帝国医薬大の中枢として、医学薬学の普及に腐心された。


 そして、世に光明を与え、人々を癒して、もうすぐいなくなる。


 もっと早く知っていれば……パッレはそんな感慨を胸の奥に押し込む。

 パッレは嬉しそうに階段を下りてゆく彼の小さな背中に、そっと祈りをささげた。


「神様、あなたはこんなに近くにいて、私をご覧じていらしたのか」


 薬神をかたどったかりそめの守護神像に額づき、毎日のように祈りを捧げていたパッレを、彼は後ろからどんな思いで見ていたのだろうか。



「明後日、俺を訪ねてお客さんが来るから、観光プランを決めてみたんだけど」


 ゾエの手配で関係各所へ全ての根回しを終えたファルマは、自宅でロッテの意見を聴取する。

 パッレも誘ったので、お茶会に加わっている。


「このプランで女子の心が躍るか教えてほしいんだ」


 ロッテはおやつを給仕しながらファルマの言葉に耳を傾けていたが、ポットを持つ手を止めた。


「えっ? それを私が判定するのは責任重大ですね。それに、女子といっても色んなタイプがいますがよいのでしょうか。ほら、ブランシュ様とエレオノール様だってタイプが全然違いませんか?」


 ロッテが紅茶を出したトレイを持って小首をかしげる。


(うーん……確かにメレネーとロッテはタイプが違うっていうか真反対だけど)


 まあいっか、と、ファルマは資料をロッテに手渡す。パッレにも見せているが、パッレは何か別のことを考えているようだった。今日は少し様子が変だ。

 父上に絞られたのかな、とファルマはあまり触れないようにしておく。


「メレネーはロッテと年が近いから、ロッテの意見を聞きたいんだ。兄上も意見があったら何でも言ってよ」


 メレネーは十三歳だと聞いたので、ファルマの一つ上、ロッテの二つ上だ。

 天真爛漫な子供の心を忘れた、ファルマであるから、ロッテが喜ぶプランにすればメレネーウケも間違いなさそう、という目論見だ。

 一日目は自宅で出迎え、昼食は貸し切りレストランでランチ、午後は帝都を散策、宮殿へ招待、川辺でオープンパーティー、ド・メディシス家で一泊。

 二日目は薬学校を視察、あとはお買い物と自由行動につきあう。

 ロッテはファルマのプランに目を通し、恍惚とした笑顔を向けた。

 その反応に手応えを感じたファルマはほっとする。


「これならばっちりだと思います! 私がこのプランに参加したいぐらいです」

「買い物なんてするか?」

「これでも足りないぐらいだと思うよ」

 

 タイムテーブルを見ていたパッレが買い物タイムが異様に長いのを疑問に思っているようだが、ファルマは長時間の買い物をすると踏んでいる。


「ちなみにこのお客様って、どんな方なんですか?」


 面識のない人物なので、そういう反応にもなる。


「実は、新大陸の、霊や呪術を操る呪術師の人たちで……」

「ひぃぃぃ! 霊を操るんですかーっ! 神術陣を書かなければーっ!」


 しまった、これでは印象が最悪だ。とファルマは渋い顔になる。


「怖いだけじゃなくて、絵を実体化することもできるよ」

「えっ! 絵ですか!?」


 宮廷画家のロッテは、絵と聞くと心が躍るのだろう。声にも艶が戻る。


「もしかして、私が描いた絵も動きます⁉」


(あっ、そうか。アニメーション! しかも3D!)


 ファルマはメレネーとのコラボで新たな芸術の幕開けの可能性に気付いてしまった。



 翌々日。

 彼女と呪術師の一族は、マーセイルのアダムの手配があったのだろう、帝国の装いでやってきた。メレネーは仕立ての良いドレスを着た、育ちの良いレディに見える。

 彼女に随行している呪術師らも、上等のスーツや、女性二人もパンツスタイルのスーツを準備してもらっていた。

 彼女を知るクララも、会いたいかは別として、関係者としてド・メディシス家に呼んでいた。ファルマが不在なので、エレンに薬局を任せている。

 迎えの馬車から降り立ったメレネーと随行者五人は、ファルマに気付くと笑顔を見せた

 

(ええと、男性三人、メレネー含めて女性三人か)


 ファルマは初対面の人物もいるな、と把握する。


「久しぶり、メレネー。帝都にようこそ」


 ファルマは朗らかに声をかける。わだかまりはあったが、お互いに水に流すべきだろう。


「出迎えご苦労。お前も変わっていないな、ファルマ」


 ファルマが手を差し出すと、メレネーは強く握り返してくる。

 その力強さから、メレネーが完全にファルマに気を許したわけではない、という強い意思を読み取る。ファルマも緊張感を取り戻す。


「そっちの人たちを紹介してもらっても?」

「こちらは私の一番目の兄のアイパ、同じく二番目の兄のレベパ、三番目の兄のボンパ、次期村長のミナ、ミナの妹のベナだ」


 似たような顔立ちなので、あとで写真を撮って覚えよう、とファルマは計画する。

 十代から二十代といった年齢層。メレネーが一番年下のようだった。

 スカーレット・ハリスの日記の記述にあったように、年功序列制ではなく、呪力が強い者順に地位が高いという社会なのだろう。


「よろしく。ファルマと、こっちがクララ」

「いらっしゃいメレネー、船酔いは平気だった?」


 クララがおそるおそる挨拶をするが、どんなに取り繕っても腰がひけていた。

 ロッテやブランシュ、ド・メディシス家の者も出迎えに出てきたものの、メレネーは彼らを脅威とも思っていないようで、一瞥もしない。ミナとベナがロッテに注目していた。


「まあ、私は興味ないのだが。家族が観光に行きたいというので、私は引率だ。それに貿易でたくさんの帝国通貨が手に入ったが、せっかくならば帝国で使ってしまいたい。本当に価値があるのものなのかも確かめたいしな」


 貨幣価値の確認も兼ねているとは、抜け目がない。


「そのドレス、似合っていますー」


 話題に困ったクララがとりあえず装いを褒める。


「アダムという男が準備してくれた帝国の服は生地がしなやかで、家族たちも気に入っている、ほかの家族にも買って帰りたいが……」

「価格がお手頃で仕立てのいい洋品店、知っていますよ!」


 クララが耳よりな情報を出してきた。メレネーは満更でもなさそうだ。


「では後でそこに連れて行ってくれ」


 ファルマははたと気付くが、そういえばメレネーはクララと肉声で話している。


「そうだね。たくさんお買い物して帰ったらいいよ。メレネー、帝国の言葉、どうやって喋ってるの?」

「祖霊を私の頭の中に宿し、単純に通訳をさせている。帝国人は臆病で、霊を嫌悪していると聞いた。霊の姿が見えないほうが都合がいいのだろう」


 一応、彼女なりに気遣いをしているようだった。


「そんなことできるんだ」


 ファルマはメレネーの呪術師としての能力に恐れ入る。


「何? ファルマにはできないのか?」


 少し勝ち誇ったような顔をするのが、小憎らしくもあり、かわいらしい。


「できないから素直にすごいと思う。こっちの言葉に合わせてくれてありがとう」

「そうそう、その前に。もしかしたらこれを取りにきたのかと思って」

「なんだ?」


 ファルマはメレネーに、美しい装丁を施したノートを手渡した。


「スカーレット・ハリスの日記だよ」


 マイラカ語には翻訳できなかったが、帝国語に翻訳しておいたものだ。


「来年までと言っていたから、もっと遅いと思っていた。こんなに分厚い日記を……優先してやってくれていたのか」

「たいした作業じゃないよ」


 ファルマは英語ならば読むのと同じスピードで翻訳できる。

 翻訳中、懐かしすぎて泣けてきたぐらいだ。地球言語の活字に飢えている今、日本語書籍でも差し入れされたら嬉しくて朗読してしまうかもしれない。


「なんだかんだで、一日でできたよ」


 何なら帝国の禁書の言語よりも簡単だ。地球の情報は極力伏せて、メレネーが知りたそうな内容を時系列に沿ってまとめなおした。


「帝国語なら霊が読めるんだろ?」

「そのはずだ。ああ、問題ないようだ」


 メレネーは毒気の抜けたような顔をしていた。

 彼らにとっては聖典のようなものなのだろう。


「最初に言っておくけど、ただの日記だったよ。ただ、君らにとっての偉人の人物観が変わってしまうかもしれない」

「わかった。心を落ち着けて、大陸に戻ってから皆で読むことにする」

「それがいいと思うよ」


 ファルマは何も言うまいと思った。

 少なからず、彼女らにとっては痛みを伴う内容だ。

 だって、彼女らが仰いだ偉大な呪術師は、地球に帰りたがっていた。


「それはそれとして、食事でもどうかと思ってレストランの予約をしているんだけど。そういえば、食べられないものってある?」


 メレネーは随行の四人にマイラカ語で話しかけたが、向き直る。


「ちょうど私たちも腹がすいていたところだ。お前たちが食べるものなら、何でも食べる。我々はカタナが好きだ」

「魚のことですね!」


 マイラカ語を覚えていたクララがすかさず通訳する。


「それはよかった。魚介が美味しいお店なのでね」


 ファルマはゾエのチョイスが間違っていなかったとほっとした。


 貸し切りにしておいた帝都の人気シーフードレストランで、ファルマにクララ、マイラカ族一行は舌鼓をうつ。カトラリーを使わなくても簡単に食べられるように、一口料理を中心にメニューを工夫してもらっていた。

 どうやら貝料理コキヤージュは特にお口に合ったらしく、たくさんおかわりをしていた。


「たくさん食べてしまったが、住血吸虫はいないだろうな?」


 メレネーがどぎつい冗談を放つ。


「淡水の貝ではないし、全部加熱してあるでしょ。ノロウイルスの心配はゼロではないけど」


 ファルマは聞き流しながらホタテ貝に手を伸ばす。

 メレネーは手を止めて、ファルマに向き直る。


「住血吸虫症だったか。あれにかかった者たちはどうなった?」


 ファルマはメレネーの意外な気遣いに驚く。


「薬を飲んで、みんな快復しているよ。心配ありがとう」

「そうか」


 メレネーはそれ以上踏み入っては何も言わないが、どこかほっとしたようでもあった。

 船員たちが住血吸虫症にかかったことに関して、メレネーの責任はいささかもない。

 ピチカカ湖に入るのを止めなかったということはあるかもしれないが、判断をしたのは船員たちだ。ファルマは話題を変える。


「帝都の食事はどうかな」

「帝国の料理は、調理方法が多彩だな。気に入った。同じ食材でも美味しく感じる」

「それはよかった。調味料とレシピ本を買って帰ったらいいよ」


 メレネーたちが立ち寄る予定の店が増えてゆく。

 ファルマは「ショッピングの時間を長めにとったのは正解だった」と思うほかになかった。


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