7章12話 貫通
「ところで、いないのはクララだけか?」
船員たちの顔をしげしげと見ていた聖帝が、ふと疑問を口にした。
「たしかにクララ・クルーエ嬢のみとお見受けします」
ジャン提督が周囲を見回しながら答える。点呼をしている時間はない。
「む? はぐれた者もおらんか」
「どういうことですか?」
その訊き方にひっかかるものを感じたファルマが横から尋ねる。
「余の配下の准騎士を随行させておったのだがな」
「ノア・ル・ノートル様のことですか?」
ファルマが勘付いた。
「うむ。姿が見えんのだが、クララとともに攫われたのか?」
「や……先ほどまで我々と共におられました。すぐそのあたりにいらっしゃるのでは」
「いつ消えた……?」
不穏な空気が漂い始めたとき、ファルマが緊急避難場所としていた台地を震動が揺るがした。
突き上げるような大きな地響きが起こりその場の誰もが身構えたとき、周囲を取り囲むように、森の中から蛇状の霊体が現れた。
その威容は圧倒されるほどで、大蛇は鎌首をもたげ今にも襲い掛かろうとする。
怪異の襲撃に、船員たちは竦み上がる。ファルマも白昼堂々の襲撃に、
(なんだ、これは)
ファルマはこのタイプの霊を目撃したことがない。
抽象画をそのまま実体化させたかのような、いびつで不自然な形状をしている。
「これはなんだ? 落書きのような。悪霊なのか?」
造形物とも見紛う形状に、ファルマは理解が追いつかない。
「見たことがないタイプだわ。どの系譜にもなさそう」
「なんだこりゃあ」
それなりに悪霊には詳しいと自負しているらしかったエレンもパッレも知らないようだ。
聖帝でさえも帝杖を握ったまま首をかしげ、気味が悪そうに顔をしかめる。
ファルマはもともと悪霊の生態学の心得などはないが、それを見た探検隊らの反応は違った。
「気を付けて! それこそが悪霊です!」
「我々はこれに船を破壊されたのです!」
聖帝が強がりというより拍子抜けといったように苦笑する。
「余の目には落書きにしか見えんのだが?」
「そうなのです! それで我々も侮りました。しかし決して侮ってはいけません。奴らは地上に描いた絵を実体化させます!」
「実体化だと?」
神術使いらは悲鳴とも絶叫ともつかない声で口々に叫ぶ。中には果敢にも神技を放つ者もあったが、攻撃は大蛇を透過し虚空に飲み込まれていった。
必死の応戦をものともせず、大蛇はファルマらが一時避難しているせり上がった鉄の台地にまで迫ってきた。
「面白い、この蛇めを我が杖の餌食にしてくれよう」
「聖下。白昼堂々と実体化している霊です、もう少し探りを入れたほうがよいのでは」
「では少しつついてみよう」
前に出ようとするファルマを制し、聖帝は鬱陶しくなったらしく、杖に手を添えて神力を通じると、声を整え詠唱を行う。
「火焔神術陣、“火神の障壁”」
彼女が叫ぶと同時に、視界を覆いつくさんばかりに火柱が上がった。聖帝が放った白炎は火柱を形成したのち、空中に島全体を覆いつくすほどの巨大な神術陣を描き出し、その火柱で辺り一面を蹂躙する。
神術陣は火焔旋風となって大蛇を焼き、円盤状の防御域を形成する。
変幻自在かつ大火力の火炎神術を前にパッレは前のめりになり、エレンは腰が引けたようだった。圧倒的な熱量にあおられ、熱風が渦を巻く。彼女いわく“少しつついた”程度なのかもしれないが、ファルマもさすがに口があいた。余人ならば生涯神力量を費やすほどの神力を消費しながら、彼女は悠々としているのだ。
「悪霊を標的として広範囲に撫で斬る神術陣だ。実戦では使う機会がないのだが、こういう時に使わねばな」
得意満面なエリザベスが杖を下げると、神術陣は空間に固着化されたようで、結界のように機能している。
「お見事です聖下。私も援護いたします」
「“雹の大涙”」
エレンは聖帝のダイナミックな神技に驚嘆しつつ、間髪いれず自身も森の全域にくまなく大型の雹の雨を降らせ、森の中からの飛び道具による奇襲を牽制する。
「ちょっと待てエレン、“人”を狙うな!」
先住民への攻撃を見とがめたファルマが、反撃をとどめる。
「ええっ。明らかに人工の霊に攻撃されてるのに!?」
「それでも」
「積極的な加害はしなくても、脅かす程度には遣り込めるつもりなんだけど。待って! 下!」
エレンの指摘でファルマとパッレが下を見やると、首を失った大蛇が異様な動きをはじめ、切断面が盛り上がり、新たな首が再生しはじめた。
「しつこそうだな」
ファルマがそう呟いた直後に、思わぬ方向から全身に鈍い衝撃が走った。
真横から全身を打ち付けられ、そのまま島外に放り出された。
「っ……何が!」
久々に痛覚を味わったからか、ファルマは対処が遅れた。
ファルマの体は半実体に近く、これまで基本的に物理攻撃は通用しなかったため、それに慣れすぎて防御を忘れてしまっていた。瞬時に襲撃者を探し彼が素早く視界に捉えたのは、同じく抽象画をそのまま実体化させたかのような、大猿とも巨人ともつかない巨駆を持つ霊だ。
(物理無効だと思ってたんだけどな……相手が霊だとそうはいかないか)
殴られた衝撃で杖を手放して浮力を失ったため、そのままの衝撃で海面に激突しそうになる。
実際には「海面に激突」などはしないのだが、ファルマは反射的に素手で生み出した柔らかな雪の塊をクッションにして衝突を避けた。まだエレンに神術訓練の相手をしてもらっていた頃に、海上で何度となく使った受け身の動作で、体が自然に動く。
海面を踏むと同時に氷板を形成し、彼は海上に立ち踏みとどまる。
(殴られたってことは“俺も”殴れるんだよな)
発想を転換すれば、彼と同質である霊も、本来ファルマに干渉できるのだ。ただ単純に、これまで出会ってきた悪霊とファルマの間には圧倒的な力の差があり、悪霊の攻撃がファルマに届くことはなかった。
霊と霊で「消滅をかけた命の駆け引き」など思ってもみなかったが、そうとなれば話も変わってくる。
「杖がないから飛べないのか、ほかの秘宝も全部杖の中だしな」
殴打の衝撃で杖を手放してしまったため、飛翔ができない。不便なことだが、秘宝あってこその飛翔能力だ。
ファルマは薬神杖を手元に呼び寄せようとするが、戻ってこない。
薬神杖をつかみ損ねたファルマは、こちらを見下ろしている筋肉質の青年が猿型の霊に乗り、薬神杖を左手に握っているのを目撃した。
「新しい薬神杖は誰にでも持てるんだったな。セキュリティ面でも迂闊だった」
自分以外に使えない杖は意味がないと考えた彼は、人体を透過するというかつての素材の性質を殺してコアだけを組み込み、誰にでも持てるようにしておいたものだが、それが完全に裏目に出てしまった。
それでも駆動には大神力を要するために、神術の使えない青年にとってはただの棒きれとなってしまっている。
青年が薬神杖を持て余しているのを落ち着いて眺めながら、どうしたものかなとファルマは思案する。
エレンが台地から身を乗り出すようにしてファルマを気遣った。
「ファルマ君ー、怪我してない? 無事ー⁉ 加勢するわ!」
「心配ないよ! 何もしなくていい」
彼女は心配してくれているが、ふと思いついてファルマはこの状況を逆手にとった。ファルマは彼を狙う青年に気付かないふりをして体ごとエレンのほうに向け、エレンとやりとりを続け無防備な状態を演出した。
彼の演技に誘われたか、青年が動いた。ファルマをめがけ、大猿をけしかけ殴打を仕掛けてくる。
「きた」
ファルマは振り向きざま、大振りに繰り出される猿の握り拳に着目した。
「おや、親指を握ってるな」
なんということもない動作だが、彼は霊が青年の命を受けて自律的に動いているのではないと断定した。何故なら、人類を除く霊長類は親指を中に入れて拳を作ることができない。そんな動作になったということは、青年が意識を割いて操っているという間接的な証拠である。つまり、あの青年の意識と霊体はリンクされている。ファルマは瞬時にそこまで判断した。
「なら、ダメージを返してやる」
ファルマは背中に目がついていたかのように身を返し、海上で軽く腰を落として構えると、真正面から両手で拳を受けて、接触と同時に霊の右拳を粉砕した。
霊を直接操縦していたと思しき青年は右拳をおさえ、その場に縫い留められた。
不意をつかれ薬神杖を取り落とし、右拳を押さえて苦悶の表情を浮かべている。
ファルマは遠隔から診眼を使い、彼の拳のダメージが中手骨骨折までには至らなかったことを確認した。
今こそと薬神杖を呼び寄せ、小気味よい音を響かせて杖を握り、すかさず飛翔し地上を俯瞰した。
彼らは森に潜み、悪霊を使役し、あらゆる場所から変幻自在の攻撃を仕掛け、その実体化は昼間でも物理的なダメージを与えうるほどに強固で、並みの霊を雲散霧消させ無敗を貫いてきたファルマの聖域をものともしない。
ことここに至って、ファルマの聖域がどういうわけか、彼らの操る霊を排除できない。そうなると霊を成敗してもきりがなく、攻撃すべきはエレンの言うように霊を操る人間だ。
だが、対人戦闘において加害せず相手を制圧する、これが難しい。
ファルマが躊躇している様子を見物していたエリザベスが図星をつく。
「どうした、何を迷っておる。悪霊は蹴散らせても、人間はそうはいかんか?」
ファルマの煮え切らない態度に見切りをつけ、エリザベスは首を鳴らした。
「よかろう。一時退避だ。ここに守護神殿を建てるぞ」
鋭い宣誓が場の緊張を煽る。
「大神殿・守護神殿間神術網へ接続!」
エリザベスが片手で杖を地面へ突きたてる。
短期間に神殿の秘術をものにしつつあった彼女は大神官としての権能をフルに使い、ガラス箱入りの秘宝を地に埋め、流れるような動作で守護の核とした。続いて大地に神力を注ぎ込んで共鳴させ、神術陣を展開する。
「“――広域浄化、あしきものは立ち入るべからず”」
長詠唱ののち完成の発動詠唱を唱えると、彼女を基点に立方体の青い光の神術壁が出来上がった。
土地の守護神殿化は詠唱によって確立し、今、建物こそないが、仮想の守護神殿が現れたということになる。守りを固めてくれたエリザベスに感謝しつつ、ファルマも気を引き締める。
「奴らには神殿内にあるものを認識できんのだ、霞がかかったように捉えるらしい。この中に引きこもっていてもなんの解決にもならんが、ひとまずの防衛拠点にはなるであろう」
守護神殿への悪霊の攻撃は当たらない、とエリザベスは宣う。
一仕事を終えたエリザベスは腰に手を当てがいながら解説した。
ファルマも彼女の活躍に勇気付けられ、重ね掛けの安全策を講じた。
(気は進まないが、そっちがそれならオカルト全開だ)
この世界における悪霊に対して、物理法則は無用となれば、禁術系列、神術体系を使うしかない。ファルマは肚を決めた、備えは終えている。
(創薬神術陣!)
予め準備しておいた自身の髪の毛入りの小さな封筒を取り出し、それを触媒に彼の体は白光の粒子と化す。
「神薬合成・地類 “爾今の神薬!”」
数秒とたたず、虹色に輝く神薬が空中に顕現したそれを船員らに霧雨にして注ぎかける。
エレンやパッレ、聖帝にも降りかかってしまったが致し方ない。
この神薬を飲む、またはそれに当たった人間は何があっても一日だけ不死化する。
いわば霊体に近い状態となるため、いかなる重症となっていても病状は進行することはない。
彼らは簡易守護神殿の中にいる限り、霊からの攻撃は受けず、脅威となりうる「人間からの」物理攻撃も無効となり、無敵となる。
神薬とは大仰なものだが、この世界に存在する時間操作系のバグ、もしくは衝突判定を誤魔化すバグ技なのだろうとファルマは分析している。
実体解除の隙を突かれないよう、ファルマ自身は再実体化。これで自陣営に現実世界での危険はなくなった。そのうえでファルマはてきぱきと平和的な制圧手順を実行していた。
「さて……強引かもしれないけど、俺にはこれしか思い浮かばない。襲撃者に出てきてもらわないとな。“セルロース、ヘミセルロース、ペクチン、リグニンを消去”」
ファルマは空中から右手で島全域をとらえ、真横に撫でるようにして、守護神殿の中にいる人々を除き島内全ての植物を対象とし物質消去をかけた。
島全体に有機物が沸騰するかのような霧が立ちこめる。
ありとあらゆる植物体が雲散霧消し、森に潜んでいた先住民らの姿があらわとなった。
ファルマの奇襲によほど驚いたのだろう。
悲鳴や咆哮を上げるもの。
物陰に隠れようとするもの。
威嚇するもの。
反応は様々だ。
獣皮の衣を着ていたものはともかく、植物性の衣類を着ていた者は服を消されて全裸になってしまったようである。男女入り混じった武装戦士ばかりであることを確認した。彼らはファルマの力に怯んだかにも見えた。
ファルマは彼らを無力化するため、さらに容赦ない手順を踏む。両手で格子を作り、指を組み合わせて物質創造と物質消去を同時にかけ、彼らを綾に織られた銅と、ニッケル化合物の格子の中に閉じ込めた。
導体で形成された電磁シールドの内部は霊の発生を妨げ、シールドは霊の通過を妨げる。
人も霊も同時に無力化できるのだ。
ファルマは捕獲した先住民たちににらみを利かせつつ島内を俯瞰し検索する。
島の生態系を破壊し、丸裸にまでしたのにクララの姿が見えない。
(彼女はいったいどこに?)
*
「あれ……?」
「いったいどうしたんだ……苦しくない?」
守護神殿の中で蹲っていた船員らは戸惑い、ふらふらと立ち上がる。聖帝がこの場を守護神殿化し、ファルマが彼らに神薬をそそぎかけた。何をされたのか気付いた者は船員らの中では皆無だったが、誰もが自らの身に起こった異変に気付いた。マジョレーヌに至っては、信じられないといったように目をぱちくりとして頬をつねっている。異変を察知したのは彼らだけではなかった。
「エレオノール」
パッレが自身の腕を見ながらエレンに視線をくれる。
エレンは応じたくなさそうに視線をそらす。
「話を聞け」
「なに?」
「この霧の輝き、この芳香、霊薬か神薬だよな」
「ごめんわかんない」
「ファルマは今、何か創造したよな? それをかけられた」
エレンが返事に窮していると、パッレの顔が迫ってくる。
「霧に紛れつつ、見間違いでなければ半実体化し、再実体化した後光の雨を降らせただろ。まるで神霊が変幻自在に姿を変えるようにな。そしてそれが当たった俺たちにも何か作用させている」
「んー、私は逆光でよく見えなかったわ」
「お前の目は節穴なのかもしれんが、俺はちゃんと見ていたぞ。なんの神術だ?」
「だから……」
エレンは目が泳ぎ、歯切れが悪い。
パッレはファルマを、「薬神の加護を受けた特殊な人間」だと未だに信じているようだ。
ファルマは両親には打ち明けたと言っていたが、兄妹には伝えていないようだ。パッレは当然、ファルマを人間だと信じて疑わなかったようだが、その言い訳が通用しそうな段階は過ぎた。
エレンはエレンでファルマの実体化だのなんだのをそもそも見たことはなかったが、あまり詮索せず、むしろ気付かないふりをしていたかった。問い詰めればいつか、彼が時々冗談交じりに口にするように、本当に消えてしまいそうだ。
「お前が何か知っていて、俺に言うことがあるなら聞くぞ」
「何もないわよ、ファルマ君本人から聞きなさいよ、兄弟なんだから」
「兄弟だと思っていたんだがな……」
パッレはどことなく寂しげな口調でつぶやく。
「お前は今のを見て平気なのか?」
「なんとも思わないわけないけど、あの子にしかできない最善を尽くしているなら、脚を引っ張るようなことはしたくないの」
エレンは揺れ動く心情を吐露した。
「ふーむ。ファルマのやつ、この余を後方に回し、非殺傷の原則を守りつつ一人で制圧しおったな」
聖帝が素直な感想を絞り出す。噂をしていればファルマが何事もなかったかのように舞い降りてきた。
「ただいま!」
「おかえり、って調子が狂うわね」
エレンは杖を取り落としそうになりそうになっていたが、なんとか取り繕った。
「島中の木々はおろか、彼奴らの服も根こそぎ剥ぎ取りおったな。おぬし邪神だったか」
聖帝はファルマをいじり倒す。
「手っ取り早く視界を確保したくて……脱衣させてしまったのは本意ではないです。それよりあの中にクララはいなかったので、これから大陸に探しに行きます」
「ちょっと待ってよ、単独行動はダメって言ってるでしょ」
「船員たちの安全が第一だ、どのみち二手に分かれないといけない。エレンたちはここにいてほしい」
「それであやつらはどうする。檻の周囲に火柱を拵えて火あぶりにでもしておけばよいのか?」
聖帝が口を挟み、檻の中で身動きの取れない現住民らを指して尋ねる。服を剝かれた若い女戦士らは身をかがめて恥ずかしそうに、あらわになった肢体を隠していた。
「銅とニッケル化合物の檻で電磁シールドを二重に形成しましたので、彼らは“人工の霊”を呼ぶことができません。檻から手を出しても呼べないようにしておきました。暫く脱出はできないでしょう。飛び道具も届きませんし、彼らと争うことが目的ではありません、今のうちにクララさんを奪還して帰還しましょう」
「銅の檻から霊を出せぬ、などとぬかしおるか」
聖帝は苦虫をかみつぶしたような表情をした。
「そうです、正確には銅でなくとも電磁シールドとして利用できる金属であればいい。シールドに適切な密度と、遮断できる周波数の制限はあるようですけどね。浄化神術も実は同じような原理を利用しているはずです。霊を物理的に防いでいたというエンランド王国の技術を拝借しました」
「たったそれだけのことでいいのか!」
「今のところ、実験結果からすればそうだと思いますね。あまり詳しくは特定していませんが」
「むう……」
「その前にだ。お前、どうやって金属まで創造してんだ?」
パッレがファルマを問いただすので、ファルマは面倒くさそうに一言で要約する。
「兄上だって、水を造れるならほかのものも造れるよ」
「答えになってねーぞ。水と氷、百歩譲って湯、霧、雪、蒸気ぐらいしか出せねーぞ」
「水をもっと分解してみたら?」
「は?」
パッレは呆然とするが、ファルマはふざけてなどいなかった。
「ていうかそれを話すのは今じゃなくてもいいかな」
「いや、今だろ。物質創造なんてできたら即戦力になるだろうが」
「いやー……ちょっと勘弁して」
「お前今、話すの無駄だって思わなかったか?」
いかにも図星だったので、ファルマは手短にコツを伝えた。
「…………というわけで、水の創造も、その他の物質の創造も、無から有を生み出せる。それこそが “神技”なんだ。何を作ろうが原理的には同じだ。水の創造ができたら、なんでもできるんだ。“何を造りたいのか”、ちゃんと考えなよ」
「全く説明になってねー」
「もういい? 俺はクララの捜索、兄上らはここで皆を頼む」
ファルマは話を終える前にほぼほぼ浮いていた。半分浮きかけたファルマのコートの裾をエレンが引っ張る。
「ファルマ君、私がついていくって」
「気持ちはありがたいけどエレンがついてきたら、クララとエレンと、場合によってはノアも持って帰らないと……素手で三人持たないといけないんだよ」
「そっか、ファルマ君の手は二本だし」
毎度のお約束のようにエレンを丸め込み、ファルマは不穏な言葉を残すと南北に横たわる大陸へと飛び立った。加勢は嬉しいが、この状況ではどう考えても足手まといにしかならない。ファルマはそう判断した。
取り残されたエレンとパッレは顔を見合わせ、パッレは吐き捨てた。
「あいつ無茶苦茶だ」
「そうなのよ。ファルマ君って常識では考えられない神術の使い方してる。何考えてるのかわからなかったんだけど、説明してもらってもやっぱりさっぱりだわ」
エレンの言葉を聞いた聖帝が面白そうにニヤついていた。
「水属性は楽しそうなことになっておるではないか。余は属性違いなのが口惜しいが」
「聖下は天下無敵の炎術使いではございませんか。確かに、水属性と土属性だけが物質を創造してんだよな」
パッレが雑に聖帝を持ち上げていると、船員たちの何名かが手を挙げて集まってきた。
「あのう、私も水属性ですけど、どういうことですか?」
「私は土属性ですが、何かお手伝いができますか」
「全員で脳みそ絞って考えるんだ。あいつ、水が造れたらなんでも造れるって言いやがったんだぜ」
「あ、ありえません。ファルマ師のおっしゃることが理解できません」
「何か特殊な詠唱があるのでしょうか」
「属性を変える裏技とか?」
「守護神と交渉する方法とか」
船員たちの場当たり的な推理を聞き流しながら、エレンは首をひねっていた。
「詠唱じゃないのよねえ……神術属性を決めているのは遺伝子だってとこまでファルマ君が突き止めているから、私たちが属性に縛られているように見えるのは、後天的に遺伝子発現が変わっているからなのかしら」
「近いところまできた気がするぞ」
パッレの論理スイッチが入った。あっと思ったエレンが要点を整理する。
「でも私たち水の神術使いは、水しか作れない。本当はなんでも造れるけど、何か先入観に縛られているってこと?」
「物質創造の能力はもともとすべての神術使いに備わっていると仮定して、水っていったいなんだ?」
「えぇ?」
エレンは調子を崩した。
聖帝は属性が違うため、聞き流して守護神殿の結界の補強にとりかかっているようだった。
「そこ? この非常時に今そこから始める? 水素と酸素の化合物とかそういう話からいく? 君、化学の教科書も書いたんじゃなかったっけ」
「そうとも。だからこそ言える。俺たちは確かに、水なら創造できるんだ!」
エレンは何を言い始めたのかと妙な顔をする。
しかしパッレは真剣そのものだった。
彼はファルマの言葉を反芻している。エレンはもうパッレを相手にしないと決めたらしく、周囲への警戒を怠らず、聖帝や守護神殿の防御を担いつつ杖を握りしめている。
「水を酸素と水素に分解か……」
パッレはブツブツ言いながら両手を開いて前に突き出す。
「さあて、論より証拠、まずは実験だ。防御していろよ、ここら一帯すこぶる危険だからな」
パッレは大きく深呼吸をし、照準を海上に合わせ、杖を振りぬいた。
パッレの杖の先端からは何も出てこない。それを見届ける間もなく、
「“氷の防壁”」
エレンはパッレの動作とほぼ同時に詠唱を発し、守護神殿の周りを幾重もの氷の壁で囲い込んだ。嫌な予感がしたのだ。肩で息をするエレンをしり目に、パッレは自身の持っていた柄の部分を聖帝に向けて差し出した。
「聖下、この杖の先端を加熱していただきたく」
「何か企んでおるな?」
「答えをご覧にいれましょう」
「よかろう」
聖帝は片手間にパッレの杖の先端を握ると、ものの数秒とかからず先端は赤熱した。パッレは杖の先端を軽く握り、エレンの生成した氷の防壁の上に飛び乗り、海上に向けて振りかぶる。
「パッレ・ド・メディシス様。何をなさるのでしょうか」
そばに寄ってきたマジョレーヌがおそるおそる尋ねる。
「予定通り水を分解できたか確認しようと思ってな。全員、二十秒間耳をふさげ。聖下もお手を煩わせますがご協力を賜りたく」
パッレはその場で不審そうに首をかしげている船員らに呼び掛け、彼らが耳をふさいだことを確認した。
「エレオノール、お前も塞がないと耳がやられるぞ」
「それ、今やらないといけないこと?」
「まあ見てなって、ちゃんと実益も兼ねてるぞ」
パッレは海上に杖を投げつけ、一拍ほどして指をはじく動作を行う。
空中で氷の神技を作動させたのだ。
エレンが叫び終わらないうちに、海上では雷が落ちたような大爆音と爆発が起こった。
彼は最初の、空振りのような一撃で海水を酸素と水素に分解し創造。
海上に爆鳴気が生成したのを確認するために、聖帝の加熱と、投擲後に放った氷の神技によって瞬間的に熱電効果を起こし、発生させた電気で爆鳴気を引火したのだ。
「すげーすげー、火炎神術使いになったみたい」
「やるではないか」
「どういうこと?」
聖帝が食らいつき、エレンは恐ろしいものを相手にしているかのように尋ねる。するとパッレはふんぞり返って説明をはじめた。
「水は水素と、酸素の化合物だ。俺たちは化合物をいきなり造る能力があったわけじゃない。元素単体を創る能力が備わっていて、無意識に化合物にしていたんだ!」
「詠唱と同時に水をイメージすればいいだけなのに?」
「その詠唱がくせ者だったってことに気付かないとな。詠唱は便利だが、物質創造の自由度を奪う。たったそれだけのことさ。だったら原理を転用して、オゾンや過酸化水素にはじまり、下手すりゃ酸素化合物や水素化合物もできるってことだ! ファルマがやっていたのはそういうことさ」
「わかったような気もするけど、実証実験は帰ってからにしてよ」
「まあ実験は帰ってからだ、百理ある」
彼はエレンの制止を聞き入れたが、おもちゃを与えられた子供のように無邪気に笑った。彼はこの土壇場で、水の神術使いから無属性神術への一歩を踏み込みはじめていた。彼の様子を頼もしげに見ていた聖帝はぽんと手を打った。
「今の音に当てられたなら、奴らも戦意を喪失した頃であろう」
彼女はファルマの拵えた檻の中で地面に伏せてしまった現地住民らに視線をくれた。
「畏れながら聖下、すでに無力化されているので接触は不要かと」
「そなたらはやはり人を癒すことが専門の薬師だな、そういう着想はないのか」
聖帝はやれやれといわんばかりに首を振る。エレンは萎縮し、パッレは首をかしげる。
「捕虜の尋問にうってつけの状況だぞ。洗いざらい吐かせてくれよう」
「……大神官聖下が未開人の拷問などはまずいのでは……」
パッレの内心が外に漏れた。
「なあに、虐待的尋問は効果がない。怖がらせた後はたっぷりと甘やかし、寝返らせるのだ」
かつて帝国を世界最大の覇権国家にまで拡大せしめた、皇帝が静かに動き始めた。
*
ファルマは大陸にわたり、上空から診眼を使ってクララを発見したいところだが、何度看破しても陸地には人がいないように見えるのだ。
先ほどやってのけたように木々を地表から根こそぎ剥ぎ取ることはできるが、さすがに広範囲かつ無意味な生態系破壊はためらわれる。
「うーん……どこかに隠れている?」
ファルマの診眼は建物も透視する。洞窟や地下などに隠れていたとしても暴くのは造作ない。
「結界か何かを張って診眼すら欺いているのかも」
なるほどそうかと思い当たり、目視で確認しなければ分からないかと、彼は上陸して地上の探索を始めた。
彼が深い森の中で真っ先に探したのは獣道だ。どんなに隠れても、生活の痕跡を隠すことはできない。人も動物も、森を歩けば必ず道を作る。生活のために植物の繁茂した場所を怪我をすることなく往来するには、必ず一定のルートをとる必要があるからだ。獣道と人が踏み固めた道を区別するには、フィールドサインを見つけるのが手っ取り早い。フィールドサインというのは足跡、糞、果物や木の実の食痕などだ。
「小型小動物の足跡はあるが……大型動物の足跡はない。そして……」
ファルマは目を凝らし、それなりに存在感のある動物の糞を見つけた。
「……これ。この大きさ、色形からみても人糞だなあ……つまりこれは人道だな」
罠に警戒して地表から数メートルほど浮いたまま、人道を海側から山際へとたどった。
人が森林で生活するためには、周囲が安全であること、水場からそう離れていないことが条件だ。生活用水を汲みに行く場合もあろうが、何時間もかかるほど遠くにはならない。先ほどの島で出会った彼らの装備からして、それなりの文明と集落を築いていそうな雰囲気はあった。ただ、あの島は彼らの本拠地ではないとファルマは推定している。あれほど小さな島では、生活に必要な淡水を得ることが困難で、雨水を飲むしかないが、島を丸裸にした後もそれらしき雨水貯留設備はなかった。
(とはいえ、船で移動した形跡もなかったよな……霊を使って移動したのかな)
人道を辿ると、驚くほど簡単に洞窟の入口が見つかった。
洞窟の内部には、床一面に施された呪術的な刻印がある。
(なんかありそうだ)
よく見ると、奥には小動物の骨らしきものも見える。
手近にあった小枝を折って洞穴の中へ投げ入れてみると、呪印から湧き出た黒い霧が洞窟内部に渦巻き、投げ入れた小枝が一瞬にして灰へと変わる。
「やっぱりか」
植物も動物も、本質的な構造は変わらないため、迂闊に踏み込めば灰になっていたのはファルマだったかもしれない。
「害獣除けか、侵入者の抹殺のためか。今の、帝都を襲った黒霧に似てたよな……」
トラップを看破したファルマは、呪印を覆い隠すように物質創造で銅板の橋を作り、その上へめがけ小枝を再度内部へ投げ入れると、今度はトラップが作動しない。センサーを遮ることができたようだ。
安全確認もほどほどに、彼は呪印の絨毯を難なく踏破し、洞窟に踏み入ってゆく。
「……彼らは神術がない代わりに霊を呼び出したり、呪術で身を守っているのかな」
洞窟は横穴になっており、奥は広く、鍾乳洞のような構造をとっていた。
誰か人がいないかと診眼で岩盤ごと透徹すると、この先に数十名が息を潜めているのを検知した。ファルマは彼らの持つ種々の疾患が放つ蛍光に目を凝らす。が、目標は彼らではない。
「いた……!」
彼はついにクララの居場所を突き止めた。
潜伏中の現地住民とクララを区別するためには、大勢の神脈を持たない光の中から神脈を持つ人間を探せばいい。
洞壁に遮られクララの姿そのものは実体としては見えないが、ファルマは確かにクララの神脈を探知した。クララに怪我などはなさそうだ。だが、神力は枯渇しているようだった。
(他の皆は感染していた住血吸虫にも感染していないのか。占いで回避したんだな。マジョレーヌの言っていた通りだ。……ここにはノアはいないみたいだな)
そういうことかと合点がいったファルマは、暗闇に紛れ、まずはクララを奪還しようと決めた。そのために、洞壁ごしに原住民らが分散、移動している方向を見極め、彼らに到達するまでの通路を把握し奪還、脱出ルートを定める。ファルマのいるポイントから、クララのいる場所に到達するためには蛇行した洞穴が迷宮のように広がっており、接続している洞穴は一本しかない。
ファルマは脱出路を頭に叩き込むと、侵入を気取られないうちにと実行に移す。
彼は洞窟内を一定間隔で照らしているトーチの炎、そして手燭の灯を遠隔からの窒素生成で次々に消した。視界を失った原住民らから驚きの声と悲鳴が上がる。ファルマが洞窟の奥へ向け風のように加速を始めたとき、診眼が小さな蛍光の動きをとらえた。
(……?)
それは暗闇をものともせず、ファルマをめがけて全力疾走をかけてきた。
ファルマが違和感に気づいたのはその直後のことだった。
ファルマをめがけて突進してくる一点の光、それは、岩盤を貫通し“直進”してきていたのだ。
ファルマは瞬時にして察知した。
今にも現れるものは、人間ではないと。




