7章11話 敵地進入
ド・メディシス家に戻ったファルマらはさっそく新大陸へ旅立つ準備を始めた。
まずは防寒具、携帯用の食糧、普段から準備している薬品一式を手早くとりそろえ、携行できる医療機器なども準備する。
パッレも何やら必需品らしきものをカバンに詰めて早々に用意を終えた。
杖も一応携行するようだ。
エレンは自宅に帰らず、ブランシュの家庭教師のためにあてがわれているメディシス家の自室の荷物の中から、あり合わせで支度をした。いつものように大荷物になりそうだ。
多少なりとも荷造りをする彼らとは対照的に杖一振りを手に身一つで出発しようと考えているらしい聖帝は、ド・メディシス家のゲストルームで早々にくつろいでいた。
「慌てなくてよいぞ、忘れ物をするな?」
「は、恐れ入ります。お待ちの間に、お茶をお出しいたしますのでお寛ぎください」
ファルマは夜勤のシフトに入っていた新任の執事に、紅茶とお菓子を注文した。
「かしこまりました。あちらのご令嬢は?」
「あまり詮索しないほうが賢明かな」
まさか目の前の人物が聖帝エリザベスだと気づいてすらいない執事は戸惑い、ファルマに確認する。エリザベスは身バレを警戒してか偶然か、扇で口元を隠している。
それでも眼光の鋭さやその佇まいから、ただものでない雰囲気を醸し出していた。
「ところでファルマ様、お出かけでしたらお仕度を手伝いましょうか」
「いえ、一人で支度できます」
というか、今回ばかりは他人に任せられない。持ち物の不備は、助けを待つ人々を窮地に陥れる。
「承知いたしました。お帰りは本日で?」
「まだ予定がたちません。薬局と大学に、私の本日と明日のすべての予定をキャンセルするよう伝えてください」
ファルマの本来の予定はぶっちぎればいいとしても、何しろ国家元首であり宗教最高指導者である聖帝が、脱走というか帝都から不在となるのである。バレてややこしいことになる前に帝都へ戻りたいのはやまやまで、何なら彼女をここへ置いてゆきたいところだが、エリザベスは聞く耳を持つまい。だが、彼女を連れていってよいこともある。それは、新大陸で問題がこじれたときに、現地民とサン・フルーヴ帝国最高責任者が直接話し合いを持てるということだ。意思決定の迅速さはありがたい。
抜き足差し足で自室で準備していると、思いがけず扉が開いた。
「あにうえ……? こんな明け方にどこか行くの?」
「ブランシュ。起きてきたのか、ちょっとそこまでね」
トイレに起きてきたブランシュが、目をこすりながら入ってきた。間の悪い時に妹に見つかってしまったものである。
ちょっとそこまでという距離でも装備でもないのだが、ブランシュはファルマの顔を見て何かを察知したらしい。
「私も行くー! 支度してくるのー!」
「だめだよ、連れていけない」
「小さい兄上が一人でどこかに行くときは、何か起こるから心配なんだもん……一緒にいたほうがいいと思うんだもん……」
ブランシュはネグリジェの裾を握りしめ、目を潤ませていた。悪霊による帝都の襲撃を思い出しているのだろう。
ファルマは、わっとだきついてきたブランシュをなだめるように頭を撫でる。
「一人じゃないよ。兄上もエレンも一緒に行くから、心配いらないよ」
「じゃあやっぱり私も行くー!」
ブランシュは大急ぎで出ていってしまった。
とはいえ一人で着替えや支度をしたことのない彼女は、着替え一つするにも悪戦苦闘するだろう。
彼女には悪いが、その間に出発してしまうしかない。ファルマはブランシュを二階に残し、階段を下りて客室に戻る。エリザベスは紅茶で喉を潤していたが、舌の肥えた帝王の口には合わなかったか、砂糖控えめな自家製クッキーは一口かじって残されていた。
「ところでファルマよ、新大陸での最初の目的地はどこだ」
「こちらをご高覧ください」
ファルマは新大陸の地図を聖帝に渡す。
これはファルマ謹製、できたてほかほかの新大陸の地図だ。
上空から新大陸をスマホで撮影して帝都に持ち帰り、それを拡大しつつガラスを通して写真をなぞり、異世界の人々にうっかり見られてもいいよう地図化した。
公的にはジャン提督らが測量して得るはずだった代物だ。
「ふむ、この地図が今ここにあるのは摩訶不思議だ」
探検隊が戻っていないのになぜ地図が既に完成しているのか、とでも言いたいのか、聖帝はじっとりした眼差しでファルマを一瞥した。
とはいえ深いつっこみもなく、ファルマとは共犯的な態度をとっている。
ファルマは特に慌てることもなく、指先を地図に走らせる。
「ジャン提督らの上陸地点はここだと思われます」
「湾の間口は広いが、奥行きもそれなりにある。波除にはちょうど良いが」
「水深が深いので、船舶は直接陸に乗り付けたと思われます。仮に通信の不具合があったとして、一時避難をしているとすれば、洋上です。まずは船を探し生存者を救出、船を沖合まで遠ざけ、安全を確保したいと思います」
「全員上陸してしまっていたら?」
「全員は上陸せず一部待機を前提としていますが、その場合陸上の捜索が先決となりますね」
ファルマがコートのボタンを留めていると、エレンとパッレも支度を終えて合流した。エレンのカバンは案の定パンパンに膨らんでいた。
泣かれるだろうが、ブランシュの姿はまだ見えないので置いてゆく。
「聖下、お待たせいたしました」
「じゃあ行こう」
「何泊ぐらいを想定すればよかったのかしら」
大荷物を抱えたエレンが言いにくそうに尋ねると、エリザベスは「泊まらんぞ、即時解決が目標だ」というので、ファルマは大きく「長引きそうなら一旦戻るし、大丈夫だよ」とエレンに説明する。
「あくまでも安全確認と傷病者の救出が第一だからね。心配なら、ここに残る?」
「残らないわよ、なんの役にも立てないじゃない」
「四の五の言うでない、エレオノール。明日の夕刻には戻っておる!」
エリザベスの強気な言葉に、エレンは恐れ入って肩をすくめる。
「御意にございます」
「余の同行があっても心細いと申すか」
「滅相もございません!」
「ならばよかろう!」
エリザベスが軽口をたたく。飄々として強気の聖帝に、エレンはたじたじだ。
パッレは聖帝の背後からエレンをからかうようなジェスチャーをして、エレンが拳を握りしめていた。あまり緊張感のない彼らに一抹の不安を覚えつつ、ファルマは一行をまとめる。
「では早速参りましょうか、新大陸へお連れしましょう。と言いたいところですが、高速飛行時に直に風を受けると危険です。風よけを準備します、取ってきますのでここでお待ちください」
ファルマは駆け足で外に出ると、ド・メディシス家の倉庫の鍵を開け足を踏み入れる。
倉庫の中には、整然と壁に立てかけられた数十枚ものインゴットが左右に陳列している。
待機と言われたのにファルマについてきた聖帝が訝りながら尋ねる。
「これは銀か?」
「光沢は似ていますが、すべてアルミニウム合金です」
「なんだその耳慣れんものは」
「未完成ゆえに、ご報告はまたの機会に。マーセイルでの工業的な製造をもくろんで量産化の検討をしていたところです」
「そなたはまた! 性懲りもなくせっせと内職をしておったのか」
「ええと、生産者は私ではないですよ! メロディ尊爵に作っていただいていました」
細かいことを言えば、製法を伝え、資金も出してメロディとその弟子らに作ってもらった。
ファルマはインゴットを見繕いながら、簡単にアルミニウムの性質と活用法を聖帝に説明する。
なぜアルミニウムかというと、アルミニウムの原料であるボーキサイトがマーセイル南西部から発見されたからだ。
アルミニウムが発見されていなかったこの異世界において、ボーキサイトを豊富に含む土地は農業的に不毛であった。
そこに住む領民は主たる産業もなく、近隣の領地への出稼ぎや大領主の小作で生計をたてていた状況で、陳情があった。ファルマはその地域に住む領民の新たな収入源として、ボーキサイト鉱山の現金化の方法を企てている。
アルミニウムの精製は、地球上においては原料であるボーキサイトからバイヤー法によるアルミナの抽出に続き、ホール・エルー法による融解塩電解が一般的であった。
しかしこれらの過程には大量の電力を消費するし、現代地球の科学力、工業力をもってしても火災事故がたびたび発生するので、この方法を採用すると異世界での安全管理には心もとない。
そこでファルマは精製度にはこだわらず安全な精錬を第一目標とした。
土属性神術使いの破砕・分解神術で最初にボーキサイトを細かくし、鉱石や宝石をふるい分ける神術で材料を分別、分取、続いてメロディの炎で分別晶析法を用いた精製方法を確立しようとしていた。そして最後に火炎技術師メロディの卓越した火炎神術と連携し、ド・メディシス家の倉庫にはアルミニウム合金のインゴットがいくつも転がっている。
「アルミ・マンガン合金で簡易客室を作りましょう」
精製した純アルミニウムと微量のマンガンを加えて加熱、溶体化し、冷却し固めるという地道な手順を踏んで作られたこの合金は、地球においては航空機などの本体に用いられ、精製度に問題があり不純物もそれなりにあるが、強度には問題なく軽量だ。
それを見たパッレが困惑したように眉を寄せる。
「ご立派なんだが、まだ板の状態だ、今から加工するとか言うんじゃないだろうな?」
「用意していないんだから、今からやるしかないよ」
ファルマは工具置き場の中から大型定規を引っ張り出してくると、左手で鉄の塊を創造する。物質創造直後は造ったものを短時間なら浮かせておけるので、滞空させながら鉄塊を標的とし左手で持ち替えた定規の上に右手を一直線に滑らせ、物質消去で直線に加工してゆく。
まるで鋭利な刃物でカットしたように成型できるこの方法は、最近ファルマが思いついて気に入って便利に使っている。直方体の鉄塊の金型にアルミ・マンガンのインゴットを挟み込み、プレス加工をすると、素朴なキャリッジができあがった。
「一発でやりおった……」
聖帝はファルマの奇想天外かつ、文字通り物量と物理で解決する神術に唸りっぱなしで、エレンとパッレも口が半開きになっていた。
「すさまじい神業だ、もはや理解が追い付かん。物質を思うがままに生み出し、狙った通りに消しているのか」
「いえいえ、これは合金ですので、作ってもらったものを加工しただけですよ」
ファルマは愛想笑いをした。聖帝には「合金ですので」、の意味がわからなかったようだが、ファルマは化合物以外の共融混合物などは作れないので、誰かに作ってもらうのが望ましい。
それに、なんでもかんでもファルマが物質創造でお膳立てするのはもう卒業したい。
この世界に存在する材料で、この世界でできるものを、この世界の人たちの手で作る。それが次の目標だ。それでなければ、技術として普及しない。
パッレはできたての客室の中を見渡し、構造を確認してから首をかしげる。
「お前の作品、十人以上乗れそうなんだがサイズ間違えてねーか? 乗るのは三人だぞ?」
「行きは三人だけど、帰りはこれで乗員全員を運ぶつもり」
「重すぎてはこべねーだろ。船にでもすんのか?」
「その点は帰りに説明するよ。いったん乗ってください」
三人は口をつぐんで荷物とともにキャリッジに乗り込み、二重の毛布にくるまった。
乗ってみて、エレンが好待遇をありがたがる。
「寒風吹き曝しで凍傷寸前を覚悟してたけど、馬車客室みたいに快適だわ。ありがとうファルマくん」
「それはどうも。寝て構わないので、体力を温存し神力を回復させておいてください。往路五時間ほどかかります」
直前に大規模演習でくたびれ果てた後の、新大陸へ直行という弾丸スケジュールである。
疲労困憊で上陸しても、何の戦力にもならない。ファルマとしては少しでも睡眠をとっておいてほしかった。
「一時間そこらで着くと言っていなかったか?」
今日中に戻るという目標がある聖帝は気忙しい。
「それは単身で行った場合です。この人数ですから」
「速度がでんのか」
「出せますが、この装備で人を運ぶとなると高速は出せないのです」
「移動だけで十時間か……」
「申し訳ありませんが」
というか、ファルマが全速すると宇宙を経由するので彼らが死ぬ。さすがに説明はしなかったが、理由はそうだ。
「途中、マーセイルに寄り道します。マーセイルは新大陸までの最短ルート上にあるので、時間は無駄にしません」
「うむ、任せきりになってしまうが、すまぬの」
ファルマはてきぱきとキャリッジのふちに何本もの鎖を通し、空中で束ねて吊り下げ、杖の柄に括り付ける。フレームに水銀気圧計を取り付け、すでにパッレが白血病を患っていた時期にマーセイル工場で量産化していた酸素ボンベを人数分入れ、あとでメロディ謹製の割れないガラスでキャリッジ上部に蓋をする。こうすることで、ファルマは中の様子を確認しながら飛ぶことができる。客室の換気のために時々低空に降りなければならないが。
人間三人分とアルミ合金フレームのキャリッジの重量は、ファルマが高速飛翔できる積載重量ギリギリだ。それに気づいたエレンがファルマを気遣う。
「さすがに三人は重い? 何か手伝えることは?」
ダイエットをしておくべきだったかしらね、とエレンが冗句を言う。それより荷物が多いんじゃないか、とファルマは指摘したい。
「今度の杖は薬神杖以外の性能を付加したマルチコアだし、杖そのものも頑強にしたから何とかなる。では、よい空の旅を。次に起きたときには、新大陸に到着しているよ」
「道案内とかいらない? 方位磁石でも見ましょうか? ごめん、邪魔かしら」
「何度か行ったから、間違えないよ。気圧の差を生じないよう、客室上部を強化ガラスで密閉するね」
「窒息しない⁉」
「しないよ。気圧計を見ながら客室内に圧縮空気を注入、ベントしてゆくけど、苦しくなったら酸素ボンベは早めに使って。とくに根拠もなく自信過剰だったり楽しくてたまらない気分になったりしたときもすぐ」
「前者はわかるが、後者はなんだ?」
まさに自信満々、傲岸不遜が擬人化したような男、パッレ・ド・メディシスが首を傾ける。
「ひどい低酸素症の状態で、意識を失う寸前だって話だから」
高高度で低酸素症になるとそういう症状が出るという、地球での実話がある。
(仮にそうなっていたとしても、わかりにくい自信満々メンバーだよな)
苦笑しつつ、時折診眼で確認しながら飛ぶことにした。
神力を杖に通じると、鎖がぴんと張り、キャリッジが地上から浮かび上がった。
もともとの神力のおかげなのか、ファルマはほとんど寒さを感じない。
「あにうえのばかー!! せっかく支度したのにーおいてくなー!」
下から小さく声が聞こえた気がした。置いていかれたブランシュの姿をみとめたが、小さくなってゆく。
「ごめんブランシュ、帰ったら埋め合わせをするから」
空気抵抗を考えれば、寒さに構わず航空高度を飛びたいが、航空機ではないので急上昇をすると気圧が低くなり、乗客が危険だ。
そこでファルマは、進行方向の大気を適度に消去し、高高度を巡行しているような状態を作り出した。安定姿勢に入り、客室の気圧を確認すると、徐々に加速し高速飛翔に切り替えた。
ファルマらは夜明けの空、雲海の上を船出をするかのように滑り出した。
◆
マーセイルに寄り道をし、新大陸までは六時間がかかった。
ファルマ単身では一時間程度で到着できるのだが、地球においても飛行機での大西洋最速横断記録が五時間程度であるため、これ以上は速度の限界だといえる。気圧の調整をしてガラスのハッチを開け、高度を下げて五百メートルほどの位置を低速飛翔に切り替え、一応敵襲を警戒し雲の間を飛ぶ。エレンとパッレが顔を出した。
「見えてきたよ」
「これが新大陸!」
「で……か!」
二人とも、興奮したように身を乗り出して下を覗き込む。
エリザベスはまだ目覚めないようで、夢の中だ。ファルマは彼女の状態が問題ないことを診眼で確認する。寝てると思ったらそのまま起きてこずに死んでいた、ということがあってはならない。
ファルマは雲に隠れて飛翔しつつ、海上に目を凝らす。
「妙だな」
「どした?」
「あそこ。板状の廃材が大量に漂流している。船が破壊されたのかもしれない」
「よく見えるなお前。船は五隻もいたんだぞ⁉」
「漂流物から見積もると、何隻とはいえないけど複数はやられてる」
ジャン提督と、クララら……出航前には全員の健康診断をしたので、乗組員の名前と顔も覚えていた。行方不明者の確認をするため、写真付きの乗組員全員の名簿も持ってきた。それなのに……船がない。ファルマの表情は凍り付く。
「そんな……もう終わっていただなんて。俺たちは何をしに来たんだ」
満艦飾の軍艦を一か月前に見送ったパッレは、信じようとしない。
最後の通信が、三日前。間に合わなかったのだろうか。
「でも、死体は浮いてないぞ」
その時、ファルマの視界の隅に何かがよぎったような気がした。
はっとして洋上に視線を配ると、散在する小島の一つの中心のあたりから、はっきりとしたフラッシュが見える。
「なんだ、あれは……何か神術を使って船をぶっ壊した奴らが居場所教えてくれてんのか?」
「いや、彼らは敵じゃないな」
「どうしてわかるの?」
「これはシグナルミラーだ、俺たちに当て続けてる」
「単なる反射とかじゃなくて?」
「偶然ではなく、明確な意図をもって当ててきてるよ」
サバイバルグッズでもおなじみ、遭難信号用のシグナルミラーというものだ。
シグナルミラーは、太陽光の反射を利用して、上空からの捜索者にピンポイントで位置を知らせる。手鏡サイズのミラーの中央に穴があいており、照準合わせを行なったうえで遭難信号を送ることができる。
東イドン会社がもともと船舶間の連絡に使っていたシグナルミラーを、ファルマが照準合わせができるように改良していた。それを見ていたパッレが叫ぶ。
「うわまっぶし! これ、敵にも位置を知らせてるようなもんだろ、アホか!」
「いや別にアホじゃないな、狙った目標以外には見えていないよ」
そのうち、光はチカチカと激しい反射を繰り返すようになった。
「あ、信号を送ってきてるぞ。エレン、俺の荷物の中から赤い手帳を出して。挟まっているメモを見ながら解読して。鏡を手で覆って信号を飛ばしてるんだ」
「えっ、わかったわ!」
ファルマは光の明滅を信号に変換し口頭で伝えながら、エレンに解読してもらうことにした。
彼女がファルマの手帳を開くと、彼がモールス通信の際に使っていた符号表が出てきた。
解読すると……、
「総員とらわれ、敵に囲まれている……ですって!」
「あの島に、船員を囲んで敵が潜んでいるんだな」
ファルマは診眼で上空から人数を確認する。
島の真ん中に、少し開けた場所があり、全身青白い光を放つ人々が大量に折り重なって倒れている。
その周囲には、彼らを見張るように健康成人数十名がぐるりと囲んでいるようだ。
そんな中、彼らに気づかれないよう必死にシグナルミラーを当ててきているのは、通信士だろう。
(! 倒れている人たちは全員、青? 発熱している?)
診眼で中毒症を疑ってみるが外れ。次に感染症を疑うが、前提が多すぎて特定できない。
「人質奪還が先決だな、急襲するか!」
パッレが語気を荒らげたので、エリザベスがその声に気付いて起きてきた。
「おお、もう到着か。なんと壮大な眺めではないか……」
エリザベスの感動をよそに、下を見ていたエレンが蒼白になって杖を振る。
「“氷の壁!”」
エレンの繰り出した頑強な氷の防壁がガラスのように粉砕され、何かが氷壁を貫通した。
(タングステンを創造)
エレンの防壁の背後に、ファルマがタングステンの防壁を展開していた。
飛翔物体は防壁に阻まれ、はじき返されて海面へと落下してゆく。そして遅れて聞こえたのは発砲音だ。
飛んできたのは銃弾、狙撃されているのは客室部分。
ファルマ個人を狙っているのではなさそうだった。
「なんで銃撃が!」
「銃だろうと大砲だろうと持ってくるがよい。どれ、肩慣らしに焼き尽くしてやるか」
パッレが叫び、エリザベスが不敵に笑う。
戦闘モードに入ったらしいエリザベスが鋭く杖を振り上げたところで、ファルマがたしなめる。
「あそこには人質がいます、お忘れなきよう。そして状況が判明しない中、彼我の戦力差もわからぬなか、いきなり相手を殺害すれば間違いなく話がこじれます」
「何を悠長な。わが臣民がやられておるのだろうが。敵をのみ燃やすよう火炎の制御ぐらいできるわ」
「彼らが手を下したのではないかもしれませんよ」
「そなたはお人よしが過ぎる!」
エリザベスはあきれ果てていた。
「根拠はあります。別個の場所から、六連発ずつ銃声が聞こえました。この銃声はジャンさんたちが持っていた銃ですからね」
「奪われたに決まっておろうが」
「それだと使い方まではわからない。帝国側の誰かが彼らに教えたのですよ、とすると敵対的な関係ではないかもしれません。それに、彼らには創傷はないようですよ」
「ならばなぜ我々が狙撃されている」
「この世界で空に金属の塊が浮いていたら、まあ怪しいですからね。ひとまず、足場を作りましょう」
ファルマは左手を返し、物質創造を発動。
海中にビルほどの高さの鉄塊を突き刺し、頂上にキャリッジを置く。
地上から頂上に弾は届かないはずだが、届いてもかまわないよう、頂上にも砦のようにポリカーボネートの防壁を展開しつつ、視野を確保しておく。一瞬にして防御のための要塞ができた。
「ちょっとここにいてください、まず人質の安全を確保してきます。彼らをここに連れてきます」
「お前だけずるいぞ!」
パッレの叫びを背後に聴きながら、今度はファルマが単身で空から島へ近づく。
銃撃は執拗に、激しく繰り返されるが、高度をとって狙撃しにくいうえに、銃弾が仮に届いたとしても物理無効のファルマはものともしない。
六発の鉛玉を無駄に消費させ、弾の装填を始めたころ合いで、ファルマは上空から人質を囲うように円筒状の防壁を作り、物理的に攻撃を遮蔽しつつ急降下した。ついでに、付近一帯の鉛を消去。これで鉛玉での狙撃はできなくなったはずだ。正確にいえばなんでも詰めれば狙撃はできるのだが、ぴったりと合う小石を拾う時間などが稼げるので、あえて銃身の素材は消さない。防壁の底部にたどり着いたファルマが見たのは、帝国艦隊の乗組員らの衰弱しきった姿だった。
全員が息はある。死亡している者はいない。しかし熱と苦痛にあえぎ、手足を縛られて地面に転がされていた。シグナルミラーを送ってきていたものは、手が縛られているので口で咥えていたようだ。ファルマは炭素を一部消去して縄を素手で切りながら、異常な光景におののく。
「なんてことを……何があったんです」
「ファルマ師、本当によく来てくださいました。私がついていながらこんなことになり、申し訳ありません」
すすり泣きながらファルマに声をかけてきたのは、薬師マジョレーヌだった。
彼女の纏っていた薬師のロングコートは引き裂かれ、素足がむきだしに、あられもない姿になって縛られて這いつくばっている。
見かねたファルマは目をそらしながら自分のコートを脱ぎ、彼女の腰にかけた。
手足の自由を取り戻した人々は、病と熱にうかされて依然として苦しそうにしていた。
「杖は奪われたのですか?」
ファルマは、訊いていいものかと躊躇しながら尋ねる。
いわく、気絶している間に現地住民に奪われてしまったという。彼らは悔しそうにうなだれた。貴族の命の次に大切な杖を取り上げられ、彼らの自尊心と戦意はズタボロだった。
「とにかく安全を確保しましょう」
ファルマは地面に左手をつく。
「地面ごと上昇しますよ、地面に伏せてください」
ファルマは円筒防壁の底の地面を鉄板で覆い、そのまま物質創造をかけ続ける。すると鉄の円柱が上昇し、タワーのように伸長した。
「ここで伏せている限りは、撃たれませんよ」
銃弾の射程は数百メートルはあり、射程圏内にはいっている。
だが、地上からビルの屋上ほどの高さに伏せている人間を狙撃できる狙撃者はいない。ここでいったん、状況分析と傷病者の処置だ。気が付くと、ファルマが構築したばかりの鉄のタワーにパッレかエレンかの手によって氷の橋が架けられ、向こうのタワーに置いてきた三人がこちらへ走って向かってきているのが見えた。加勢はありがたいが、案の定狙撃されている。鉛玉は消しているので、代替の何かを詰めたのだろう。
「あー、こっちに来るみたいですね」
「薬師様、杖をお持ちではありませんか。銃弾でしたら土属性神術で防げます」
そう言うのは、同行してきた神官と乗員だ。
パッレが実証したように、杖がなくとも神術・神技は自身の腕を杖化すれば使えるのだが、そういうトレーニングをしていないために、全ての神術使いは杖を取られれば無力化すると信じ込まされている。彼らの自信を取り戻すには、杖がいる。
「そうですね、では今作ります」
「作る⁉」
ファルマは左手と右手でこぶしを作って目の前で合わせ、左手で物質創造をかけながら、右手で即座に物質消去をし、3Dプリンタのようにタクト状の杖を成型してゆく。太目の杖を作り、真ん中に割りばしのように溝をつけてゆく。
そして仕上げに、聖別詠唱を念じると神杖化した。一本の太い杖を、割りばしのように真ん中でぼっきりと割り、二人に手渡す。
「はい」
晶石はついていないが、十分機能する。
今できたばかりの杖を手渡された土属性神術使いの神官と船員は、ぽかんと口を開けて目を丸くした。
「え、え? 杖は袖の中から出したのですよね?」
「あ、はい。もったいぶった出し方をしてすみません」
ファルマは面倒を避けるためにそういうことにしておいた。
彼らは神術使いに戻ったといわんばかりに杖を振り、土壁を形成して援護した。
ややあって、三人組が氷上中距離走を終え到着した。
「ファルマお前、置いていきやがって」
「なんで勝手に行くの」
パッレは罵るし、エレンは息が切れている。聖帝はまったく息が上がっていない。
「あ、後から呼ぼうと思っていたんだよ」
船員一同は、エリザベスの登場に驚く。そこで初めて意識を取り戻したジャン提督は、エリザベスを見るなり平伏した。
「聖下……!」
「エリザベス聖下!」
「いかにも。どうした、余が直々に助けにきたのだぞ。苦戦しておるではないか」
臣民の救助のためはるばる海をわたってきた君主の姿に胸をうたれ、感涙にむせび泣く者も。ジャン提督は静かに悔し涙を流していた。
しかし……、感動の対面のなか鋭い声が上がる。
「聖下、我々に近づかないでください。我々は感染しています! 聖下の御身が穢れます! 向こう岸にお戻りください!」
薬師マジョレーヌが絶叫を上げた。
主君を未知の病に感染させるわけにはいかない、という悲壮感がにじみ出ていた。
「ここでは空気感染は成立しないよ。接触感染はあるかもしれないけど」
ファルマがパッシブに展開している聖域は、ウイルスや菌の空気感染を無効化する。
害虫がいたとしても、この高度まではこれまい。
「ファルマ君、彼らに応急処置をしましょう。敵も次の手を打ってくるかもしれないわ」
「そうだな」
エレンが薬箱を開けはじめた。ファルマはマジョレーヌから症状の聞き取りをする。ファルマは代表的な感染症ではないことを先に診眼で確認してから、感染経路と感染源の特定をはじめた。
「彼らに共通しているのは発熱、筋肉痛、腹痛、血尿、嘔吐、なかには吐血をする者も……」
「わかりました。水はどうやって飲んでいた?」
「神術の水と、飲用にしていた湖水の水質には問題はなく、煮沸してから飲んでいました」
「何を食べた?」
「湖でとれた魚介類と、持ってきた食糧のみです。現地の果実、植物などは食べていません。もちろん、重金属検査や微生物、寄生虫検査もしました。また、完全に火を通して食べていました」
「そうか……」
「悔しいです……! 私は何を見落としたのでしょうか」
マジョレーヌが懐から取り出して、お守りのように抱えていたものは、ファルマの書いた薬学の教科書の簡易版だった。
その内容が、この場所ではなんら役に立たなかったことを物語っていた。
「虫に刺されたりは?」
「しましたが、刺し口は特に腫れていません」
「湖といったけど、そこで水浴をした?」
「しました。水質がよかったもので、泳いでいたものもいました。水質を調べましたが、寄生虫らしきものもいませんでしたよ?」
(淡水で泳いでいた……。まさかこれじゃないだろうな)
ファルマは診眼に問い、脳裏で答え合わせを行った。
「”住血吸虫症”」
なかば直感でしかないが、キーワードが頻出しすぎたためにすぐに確定してしまった。
「えっ……そんな。住血吸虫も疑いました! しかし特有の症状である急性のセルカリア皮膚炎などがなかったですし、それだとしたら進行が早すぎますし、虫卵も検出されなかったので除外したのです!」
彼女にはなまじ知識があったがために、「教科書通りの症状ではない」ことで除外してしまったのだ。
「住血吸虫症には、セルカリア皮膚炎が出にくいタイプのものもいるし、初期の感染では虫卵は出ないのかもしれないよ」
はっきり言って、ファルマは薬学の教科書の中で住血吸虫の項について記事を割かなかった。
帝都や近隣諸国は高緯度であるためか、住血吸虫の症例がまったくなかったからともいえる。
地球上においても住血吸虫症にはいくつものタイプもあり、症状も様々で、流行地域もそれぞれ異なっている。ファルマは典型的な症状を記載しただけで、もちろんそれがすべてのタイプを網羅しているわけではない。
ましてやここは異世界。吸虫の引き起こす症状が異なっていてもなんら不思議ではない。
マジョレーヌは拳で膝をたたき、悔しさを爆発させた。
「プラジカンテル! ……持っていたのに! 私が管理していたのに。私が未熟だったばかりに……あのとき、すぐに飲ませていれば! 人数分はなかったけど飲む時間はあった。重症者は確実に救えたのに、襲撃で海の底に沈んでしまいました!」
彼女の頬を涙が伝う。
「私は無能です!」
船員の安全を預かっていた薬師として、彼女はこの大失態が許せないのだ。
同行していた薬師、技師の担当する検査一式では虫卵を検出できなかった。
誰も死亡していないので病理解剖もできなかった。血尿をみとめたようだが、組織生検などをしなかったため特定できなかった。船医もいたが、彼は外科が専門であり、見抜けなかった。
「君はよくやったよ」
ファルマが診眼を持っていなければ、原因すら確定できたかどうかわからない。おそらくはマジョレーヌと同じように最初の死亡者が出るまで途方に暮れていただろう。
だれかが死亡していたならば、病理解剖ができたかもしれない。
でも、おそらくは感染初期であったがために、誰も死ななかった。
彼女は最善を尽くした、とファルマは心からそう思う。
「“プラジカンテル”」
ファルマは定番といえる住血吸虫の治療薬を決定した。もう、大丈夫だ。
プラジカンテルは人数分の持ち合わせがない、だが、ファルマがここで創って飲ませれば問題ない。あとは帝国に全員を連れ帰り、そこで処置をすればいい。それを説明していると、
「人数分あるわよ、プラジカンテル」
エレンが告げた。
「なんだって? なんでそこまで想定していた?」
「私、荷物はいつも多めにもってくるの。ファルマ君が外しそうな、緊急性の低い薬を中心に持ってきたわ」
「さすがエレンだ。俺の行動の裏読みも完璧だな」
いつも大荷物を持って出勤し、旅行時も万が一を想定した準備を欠かさないエレンに感謝だ。
エレンの言葉を聞いてほっとしたマジョレーヌが言葉を続ける。
「思えば、クララ・クルーエさんが警告していたんです。湖に入るとよくないことが起こるって……でも彼女は理由を説明できなかった。彼女は何かを予知していたのだと思います」
「ん? そのクララさんの姿が見えないけど」
「私たちが気付いた時には全員ここに連れてこられていて……でも! どうしてか彼女一人だけいないんです」
ファルマは目を配る。嫌な予感がする。旅に特化した予知能力を持つ彼女は、この航海に欠かせない存在、水先案内人だった。その彼女が、消えている……。
敵は、クララの能力に気付いていた。そして、彼女を利用しようとしている。
「よう、弟。こいつは少し、手ごわい相手なんじゃないか?」
パッレもクララを奪われた意味を理解しつつあった。クララの予言を使って、待ち伏せていたということになる。そしてここの住民は、住血吸虫症にはかかっていない。むしろ、住血吸虫症を熟知していて、感染を成立させ頃合いを狙った線まである。
しかしパッレは怯えてはいない、その状況を楽しむかのようだ。ファルマも頷く。
「相手が誰だろうと、一人残らず無事に連れて帰るよ」
「奪われたら、奪い返すまで。余の臣民は、余のものだ」
聖帝も宣言した。
ファルマはゆらめくように立ち上がり、眼下に潜む見えない敵を睨みつけた。
【謝辞】
2019.3.1修正
防壁素材に関して強度不十分のご指摘があり変更しました。meso_cacase先生ご指導ありがとうございました。




