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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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 それは翌朝、未だ〈帝国〉軍が総攻撃二日目の火蓋を切るよりも早い時刻のことであった。

「失礼します、司令」

 控えめに扉を叩く音の後で、守備隊司令付副官のカレン・スピラ中尉がそっと司令室へと入室してきた。連日に続く軍務、そして初の実戦を間近で感じたためか、普段は少年のような快活さを宿している彼女のほっそりとした顔はいくらか疲れて見えた。

「なんだ」

 しかし、現在この部屋の主である男は彼女に対して一抹の気遣いすら感じられない声でカレンを迎えた。

 いや、正確に言えば彼にも他人を気遣いほどの余裕がないのかもしれない。守備隊司令、ヴィルハルト・シュルツ少佐は昨日の戦闘報告を受け、都市防衛計画を一部修正するために昨晩は一睡もしていなかった。寝不足のせいか、ただでさえ悪い目つきが、さらに酷薄なものとなっている。

 彼は凶悪な目つきのまま、それをカレンへと向けた。本人にそのつもりがなくとも、親の仇でも睨みつけているかのような表情だった。そして、次にカレンが発した言葉を聞いたとき、ヴィルハルトの顔はさらに険しく歪んだ。

「その、司令にお会いしたいという方がいらしています」

「俺に? 一体、誰だ。レーヴェンザールに旧知は居ないはずだが」

 今、この場に同期生の一人でも居ればどれほど楽なことかと心の中で無いものねだりをしながら、ヴィルハルトは尋ねた。それに、彼女にしては珍しく、カレンは途切れ途切れに答えた。

「ええ、それが、義勇兵として志願してきたのですが、その前に、どうしても一度司令にお目にかかりたいと」

 ヴィルハルトは眉間の皺をさらに深めた。持っていた鉄筆の筆尻を顎に押し付けて考える。

「志願してきた義勇兵の扱いに関しては、主席士官のギュンター大尉に一任している」

 彼が遠回しに、面会謝絶を伝えた時だった。

 廊下が何やら騒がしくなった。今、ヴィルハルトが名を口にした将校、元レーヴェンザール衛士隊指揮官、現レーヴェンザール守備隊の主席士官であるエミール・ギュンター大尉の声も聞こえた。窓際に置かれている席で書類の処理に追われていた守備隊副司令、アルベルト・ケスラー少佐が顔を上げた。訝しげな表情を浮かべつつ、ヴィルハルトへ視線を送ってくる。

 騒ぎはだんだんと、この部屋へ近づいていた。知らない男の濁声が響いた。カレンが慌てた様子で部屋を飛び出してゆく。取り残されたヴィルハルトは、さして気にした様子もなく執務机の上に広がっている紙の束へと目を落とした。

 何者かを制止するギュンターとカレンの声が聞こえた後で、とうとう司令室の扉が開け放たれた。堂々と入室してきたのは、軍服に身を包んだ禿頭の老人だった。背が低いことなど忘れてしまうような、堂々とした歩みで彼はヴィルハルトの前までやってきた。その後を呆れたような、どうして良いのか分からないような顔をしたギュンターとカレンが続く。最後に、酷く申し訳なさそうな顔をしたヴェルナー曹長が部屋に入ってくるのが見えた。

「申し訳ありません、司令。お止めしたのですが……」

 ヴェルナーは執務机を回り込みヴィルハルトのすぐ後ろへ立つと身をかがめ、彼の耳元で囁くようにそう言った。ヴィルハルトは構わないとばかりに頷いた。鉄筆を一度置き、机の上で指を組む。そして目の前に立った人物を観察した。

 一目見た瞬間から、ヴィルハルトは彼が優秀な兵隊であったと察した。

 一方で、小柄な肉体を筋肉で膨らませ、髪の抜け落ちた丸い頭の下にある顔面を組み立てている部品はどれも武骨で、旧時代の騎士たちが被っていた鉄面を想起させるその老人は、ヴィルハルトを品定めするように見ていた。

「朝早くにお騒がせして申し訳ありません。自分はオラフ・クレーマンであります、少佐殿」

「そうか。よろしく、クレーマンさん。ヴィルハルト・シュルツだ。レーヴェンザール臨時守備隊の司令を任されている」

 クレーマンの自己紹介に、ヴィルハルトは比較的丁寧に応じた。いや、そもそも彼は(将校を例外として)軍務中でも、戦闘時以外では兵や部下に対して丁寧に対応する男だった。

「それで。小官に何用なのだろうか。失礼だが、自分と貴方は今が初対面だと思うのだが」

「まさに仰る通りであります。少佐殿」

 クレーマンは下士官に相応しい、洗練された一礼で彼に応じた。意識してそうなったわけではない。過剰にへりくだって見せたわけでもなかった。そうするだけの理由が、彼の中にはあった。

「自分には、守備隊に志願するにあたり、どうしても確かめておきたいことがあったのです。このような非礼を行った上、初対面の上官に対してまことに失礼ではありますが、一つ質問をよろしいでしょうか」

「なんだろうか」

 クレーマンにヴィルハルトは頷いた。

「噂に聞いたのです。司令が、17年前の〈帝国〉軍による南部襲撃の際、故郷を追われた一人だと。この噂は、真実でしょうか」

 それにヴィルハルトは怪訝げな表情を浮かべて応じた。

「事実だが。それが何か」

 小銭を用水路に落としたような口調で答えたヴィルハルトの言葉に、クレーマンの顔面が引き締まった。まるで今、生涯忠誠を捧げるに足る主君を見つけたと言わんばかりの態度で、彼は告げた。

「自分はその時、軍曹として従軍しておりました」

「そうか」

 今度は、ヴィルハルトが神妙になる番だった。彼は立ち上がると、驚くほど丁寧な態度でクレーマンへと腰を折る。

「まさに。今、自分がこうしていられるのも、貴方がたがあの時、助けに来てくれたおかげだ」

「滅相もございません」

 クレーマンは顔じゅうに後悔を滲ませると、ヴィルハルトよりも深く頭を下げた。

「自分たちが到着したのは、何もかもが手遅れになった後でした」

「ああ、そうだ。そうだった。だが、何もかも取り返しがつかなかったわけではない」

 告罪のような響きがあるクレーマンの声に、ヴィルハルトは頭を上げるとそう答えた。クレーマンの横ではカレンが何か言いたそうな顔をしている。彼はそれを意図して無視した。

 彼とそれなりに長く付き合ってきたヴェルナーは驚いていた。ヴィルハルトが口にしたのは、目の前の老人への慰めの言葉以外の何物でもなかった。彼の記憶にある限り、ヴィルハルト・シュルツという男は他者に同情するような人間では決して無い。

 そして、当のヴィルハルトは困惑していた。

 クレーマンは彼に対して好意のような、敬意と言っても良い感情を向けていた。それはどうやら勘違いではないらしい。しかし、ヴィルハルトにはその理由が分からないかった。

 彼は探るような目で、クレーマンの丸い頭頂部を見つめた。

「それで」

 ヴィルハルトは促すように口を開いた。クレーマンが再び顔を上げる。彼は聖像を拝むように、ヴィルハルトへと言った。

「自分はかつて、〈王国〉軍で曹長を務めておりました。わずかに5フィート3インチの身ではありますが、何事かのお役には立てると思っております」

 ヴィルハルトは頷いた。何かを口にしようとする。

 ほぼ同時に、東門から砲声が響いてきた。司令部中がにわかに騒がしくなる。それまで、一連のやり取りを部外者のような顔で傍観していたケスラーが弾かれたように立ち上がった。

「主席士官! 総員、配置にはついておるか!? 市民への避難勧告も急げ!」

「はっ」

 鋭い声で発せられた命令に、ギュンターは即座に対応した。軍権の柄を手で押さえながら、司令室を飛び出してゆく。

 ヴィルハルトはあれこれと考えることをやめた。

「話はここまでのようだ、クレーマン曹長。俺は指揮を執らねばならない。よろしいかな?」

「はい、司令殿。お騒がせを致しました」

 クレーマンの謝罪を受けたヴィルハルトは、軍帽を被りなおしながら彼へ命じた。

「貴官をレーヴェンザール臨時守備隊の義勇兵として任用する。配置は予備隊。速やかにレーヴェンザール衛士隊の練兵場へ向かい、予備隊と合流せよ。これは即時発令の、指揮官命令である。復唱は要らん。急げ」

 正直、守備隊の人手不足は現在、猫の手も借りたい惨状である。クレーマンを登用することに、迷いはほぼ無かった。

「はっ」

 それに、クレーマンは踵を打ち鳴らして敬礼した。命令を即座に実行へ移そうとする。

「ああ、そうだ」

 司令室を後にしようとしたクレーマンの背中に、ヴィルハルトはにやりとした笑みを浮かべながら言葉を投げた。

「予備隊は訓練が遅れている。よって、貴官は現役の頃同様に振舞ってよろしい。現場で指揮を執っているアレクシア・カロリング大尉には、俺がそう言っていたと伝えろ。不服そうなら、司令部に出頭しろと言え」

「万事、了解致しました」

 応じて、クレーマンはさっと身を翻していった。

 扉がぱたりとしまった。砲声の最中、無言の時が室内を支配する。

 やがて。

「驚いたな」

 ヴィルハルトがぽつりと漏らした。

「君の大先輩だぞ、守備隊最先任曹長」

 彼はからかうような声でヴェルナーに言った。

「だからと言って甘えるなよ」

 それにヴェルナーもまた、にやりと頬を歪めて頷いてみせた。

「了解しました。ところで、自分も17年前は一等兵として加わっていたことはお忘れじゃありませんね」

 そう言ったヴェルナーの言葉の意味を、ヴィルハルトはやはり額面通りにしか理解できていなかった。


 すぐに司令部は慌ただしくなった。被害を報告する伝令が津波のように司令部へと押し寄せたからだった。〈帝国〉軍は昨日の教訓を確実に戦術へと反映させていた。街に轟く砲声は、昨日よりもさらに大きなものだった。

 しかし、どの報告もヴィルハルトに焦燥を感じさせるほどではなかった。すべては予測の範囲内であるからだった。戦場の日々とは、絶えず移り変わる空模様のようなもの。昨日の空と今日の空は表情が違うように、昨日と同じような今日など来ない。

 昨日はあいつが、今日はこいつが、明日は誰かが。確実に命は失われてゆく。それを受け入れることができないのであれば、戦争などできない。

 いや。

 ヴィルハルトは嘲るように笑みを浮かべ、思った。

 そもそも、戦争などするものではないのだが。まったくもって、人の世とは。

続きは土曜日。

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