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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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 ルイスバウムの発言が終わるとともに、静寂どころではない静けさが議場に満ちた。それは沈黙ではなく、絶句であった。ルイスバウムの告げた真実は、それほどまでに重く、残酷な意味を持っていた。

「……確かな情報なのか。それは」

 最も早く言葉を取り戻したのはバッハシュタインであった。彼は食いしばった歯の隙間から細い声を出しながら、縋るような、否定を求めるような顔をしていた。

 彼の示した態度は当然であった。今、ルイスバウムの口から告げられた敵総司令官、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフという名は大陸世界において、百万の軍勢よりも厄介な相手であるからだった。

「この報せを持ち帰ったのは、帝都にある我が国の領事館に送り込んでおりました手の者です。開戦以来、連絡がつかなくなっていたのですが今朝方、ようやく王都へと帰還致しまして。その足で私の下まで報告に参りました。どうやら帝都を脱出し、〈帝国〉領を抜けた後は〈帝国〉統制総務局からの追跡を逃れるために〈西方諸王国連合〉諸国の領地を転々としてきたようです。隣国のオスタニア公国に関する情報もまた、その者が収集してきた情報の一つです」

「随分と優秀な部下が居たものだな。しかし、つまりその情報はその一人だけが持ちかえったものだというわけだな? だとしたら、どこまで信頼してよいものか」

 そう、皮肉げに零したのはローゼンバインであった。確かに、あらゆる情報はその確証を得るため複数の情報源から事実を収集し、精査することによって価値あるものと成りえる。そうした情報戦の基本的観点から見れば、ローゼンバインの言った言葉は正しい。ただし、いかなる事柄にも例外は必ず存在する。

「今朝、私にこの情報を持ち帰ったのは私の息子です」

 彼の止めのようなその一言に、場にいた全員が諦観に似た呻きを漏らした。

 ルイスバウムの名をどれほど忌み嫌っていようとも、こと情報収集に関する限り彼らの有能さだけは決して否定できぬからであった。彼ら一族が連綿と築き上げ、受け継いできた情報網は〈王国〉国内に限らない。その気になれば〈王国〉宰相府の重要な役職に就く者はおろか、関係する他国の要職の首すら挿げ替えかねないと謳われるその情報網は大陸各地に広く敷きしめられている。

 何よりも彼らにとって不幸なのは、現在のルイスバウム家当主であるアドラー・ルイスバウムの一人息子と言えば、王立士官学校を好成績で卒業して以来、軍情報部、参謀本部勤務を歴任してきたという秀才であった。士官学校卒業後の強制服役期間を終えた後に予備役編入を願い出て、交易局第三課へ移ってからはその音沙汰が外部に漏れることはなかったが、軍将校時代における情報士官としての辣腕ぶりは軍情報部において知らぬ者はいないほどであった。

 たとえ血縁を無視したとしても、この世の全てを疑っているというアドラー・ルイスバウムがただ一人信頼を置くと言われているのだから、彼らの示した反応は至極当然のことであった。


「なるほど。〈帝国〉第三皇太子、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフか。武より、文に長けるともっぱらの噂ではあったが。いや、帝室に連なる者ならばそれも不思議ではないか」

 誰もが呆けたように思考を放棄しかけている中で、ディックホルストだけが普段と変わらぬ態度を保ったままだった。彼はすでに前線から報告のあった段階で、その情報について疑問を抱いていなかったからである。むしろ、相手の正体が知れたことに気分をすっきりとさせていた。

「ともかく、これで我が国の命運はいよいよ決したというわけですな。皇太子が出てきたとなれば、正面からの決戦を挑んで勝利したところで意味はないでしょう。むしろ、その皇太子が戦闘に巻き込まれて戦死しようものなら、この〈王国〉は地上から消滅させられる。つまり、我々に残されていた選択は一つのみだったわけです。いずれ〈帝国〉が飽き果てるか、祖国全土が燃え尽きるその日まで、ただひたすらに悪戦苦闘するという」

 彼は決めつけるような口調でそう言った。もはや反論の声は上がらなかった。どこまでも感情の面からディックホルストを嫌っているローゼンバインであっても、その言葉だけは真実であるからだった。

 つまるところ、〈王国〉に残されているのは絶望的な未来だけなのだ。

 これがまだ〈帝国〉六元帥の誰かであれば、話は違っただろう。もしも、限りなく実現する可能性は僅かだが、〈王国〉軍が〈帝国〉軍を撃退した場合でも、それは一軍人の汚点に過ぎない。〈帝国〉軍部内の派閥抗争や、〈帝国〉執政府の政局転換などといった戦場以外の要因による、戦争の終結も望めたかもしれない。

 だが、神聖不可侵たる皇帝の血族に汚点を残すことなど〈帝国〉は消して許さない。本人や皇帝がではなく、〈帝国〉という国そのものが、強大なる自国の君臨者に対してそのような欠点を許容しないのだ。であるからこそ、かの国は大陸東過半を併呑してきた。


「民の声はどうなっているのでしょうか?」

 痛みに近い沈黙を破ったのは、女性の声であった。女王、アリシア・ギュスタ―ベルク・フォン・ホーエンツェルンが、その内面を表にはおくびにも出さずに問いを発した。それに応じたのは、内務大臣代理として出席しているバルゲンディートであった。

「多くの者は徹底抗戦を望んでいます」

 彼は言った。

「〈帝国〉に負けてしまえば、彼らに待っているのは農奴としての未来だけですから。それならば戦って死した方が。よほど納得がゆくと考えている者が多いようです。実際に、多くの若い者たちが、特に東部から避難してきた者を中心に義勇兵として募り始めています」

 アリシアへそう告げるバルゲンディートの顔は辛そうであった。彼は若者の未来というものに対して、人並み以上の慈愛と責任感を持っているからであった。

「そうですか」

 そんなバルゲンディートの言葉に、アリシアは短く応じた。わずかに瞼を震わせながら、静かに吐息を漏らす。彼女の行った、その些細な仕草を見たエスターライヒが突然立ち上がった。彼は長机の左右に座る者たち全員を見回すと老練な臣下そのものの態度で告げた。

「申し訳ないが、女王陛下は次の御政務が残っておられるため、ここでご退室なさる。以降、残る者たちによる自由かつ活発な議論の場としたいのだが、諸卿方はよろしいだろうか」

 そう言われてしまえば引き留めることなどできない臣下の者たちが、口々に賛同を示す中で、アリシアだけが何事かを抗議するような視線をエスターライヒへと向けていた。それは彼女が一瞬見せた、疲れに対するエスターライヒの気遣い、つまり嘘であるからだった。

 彼女からの無言の抗議に気付いたエスターライヒだったが、逆に押しとどめるような眼差しでその純白の女王を見つめ返した。彼の聡明な瞳の奥に孫娘をあやすのに似た光が浮かんでいるのを見つけたアリシアは少し困ったような顔で微笑んだ後、肩を落とした。

「無論、吾輩は引き続き議長として残らせていただく」

 エスターライヒの一言に隠された意図を聞き取った女王は、護衛である宮廷近衛騎士を伴って退室した。


「まったく。爺やにも困ったものです」

 退室してからしばらく、無言のまま宮殿内の廊下を静々と進んでいたアリシアがふと零すように呟いた。

「私がお守役を必要としなくなって、何年経つと思っていらっしゃるのでしょう」

 彼女の拗ねたような声に、その数歩後ろを付き従っている女王付き王宮近衛騎士の一人であるレオハルト・ファルケンハイムは端正な口元に清廉な微笑みを浮かべると応じた。

「ご老公は心配なさっているのですよ。このところ、陛下のご精勤ぶりは目に余るものがありますから」

「今は、国家危急の時です。君主である私が怠けているわけには行きません」

 アリシアの返答を聞いたファルケンハイムは、案ずるような顔つきになった。

「しかし、本来の政務に加えて、先ほどのような戦争に関わる会議まですべて出席なさっていては。このところ、ほとんどお休みになっていないでしょう。今はご老公の心遣いに甘えて、少しばかりご自愛なさっては……」

 彼がそこまで言った時であった。侍女の一人である妙齢の女性が廊下の反対側からこちらへ向かってくる姿を認めたアリシアが立ち止まった。侍女は彼女の前までくると主君に対する礼を示し、耳打ちするような声音で告げた。

「陛下、お疲れとは存じますが、謁見を申し出ている者がございます」

「どなたでしょうか」

 彼女は臣下に対しても礼を失することのない言葉で尋ねた。

「ええ、以前、民との交流を図る遊宴に招いたことのあるクロイツ商会の会長です。内容までは伺っておりませんが、何やら今回の戦争に関することだとか。どういたしましょうか?」

「分かりました。すぐに支度を整えますので、それまでお待ちいただいてください」

「陛下」

 アリシアの返事に、ファルケンハイムが咎めるような声を出した。アリシアはそれが聞こえていないような態度のまま、侍女に向けて微笑んだ。

「あの豪放磊落なクロイツ商会のお爺様とお話するのは楽しみです。ただお待ちいただくのも悪いですから、お茶をご用意してあげてください」

 彼女からの言葉を受けた侍女は、再び一礼し、その要望に応えるべく足早に去っていった。後に残されたのは侍女の後姿を見送るアリシアと、渋い顔を浮かべているファルケンハイム。

「陛下。政務に熱心なのは良いのですが」

「私なら大丈夫ですよ」

 ファルケンハイムの言葉を遮るように、アリシアが口を開いた。そして、彼女はここ数ヶ月ですっかりと大人びた ――そうならざるを得なかった、笑みを浮かべながら振り返る。ファルケンハイムの胸が荒縄のようなもので締め付けられた。彼女のそうした笑顔を見るたびに、己の無力さを思い知るからであった。

「これは君主としての私が果たすべき、責任ですから」

 そう言った後、アリシアはふと何かを思い出すかのような表情になった。やがて、ふわりとした彼女の本来の笑みが一瞬だけその口元を綻ばせる。

「以前、私に責任を果たすことの意味と大切さを教えてくれた方がいました」

 幼いころから自分をよく知っているファルケンハイムでも知らないだろう、その記憶の頁を捲りながらアリシアが言った。

「ほう」

 ファルケンハイムは大げさに両の眉をつり上げてみせた。

「その方は、今どちらに?」

「あの方は、今もなおその責任を果たし続けていますよ」

 ファルケンハイムからの質問に答えたアリシアは、自分の口にした言葉の意味に気付くと、ふと顔を廊下の一角に向けて固まった。突然動きを止めた彼女を不思議に思ったファルケンハイムはその視線の先を追ったが、やはりあるのは磨き上げられた石造りの壁だけであった。

「そう。あの人は今も確かに、その責任を果たし続けています」

 アリシアは動きを止めたまま小さく、それでいてどこか遠くへ呼びかけるような声で呟いた。ファルケンハイムは彼女の言葉の意図を読み切れなかった。

「もしかしたならば、今のこの国でただ一人」

 彼女はそう口にした後、心の中だけで小さく付け加えた。

 ――そう、あの大隊監督官殿だけが。


 彼女が目を向けている遥か先には、今や敵の大軍勢によって攻囲されている旧王都、レーヴェンザールがあった。


続きは火曜日。

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