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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第二幕 〈王国〉東部防衛戦

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遅れました。済みません。

多くの方からご感想、評価、ブクマをいただきまして、本当にありがとうございます。

 第41大隊が二次防衛線司令部の仮設されている村へと到着した頃には、すっかり日が暮れかけていた。

 わずか三リーグの移動にほぼ一日かかった理由は、言うまでもなく誰もが疲弊しきっていたからだった。

 三日三晩に渡る敵地での行動、作戦中止という喪失感、捨て身のような敵前衛に向けての突撃、そして生還。

 確かに第41大隊はヴィルハルト・シュルツという男の妄執のような厳しさにより、その所属する将兵たちは長く戦争から遠ざかってきた〈王国〉軍の中でも類を見ないほどに高度な訓練を受けた精兵集団ではあるが、やはり人間である以上、心身の限界というものは訪れる。

 むしろ、神経が張り裂けるような緊張から一転して、安全な(それもまぁ、取りあえずのものではあるが)友軍前線の後方へと帰還した事で、今まで昂った精神が誤魔化し続けていた疲労が一挙に噴出したのだった。

 だらだらと歩く兵をしかし、ヴィルハルトは叱らなかった。

 それどころか、通常の行軍よりも多くの休憩を取らせた。

 むろん、未だにこの場所が戦場であることを兵たちに忘れさせぬよう、休憩時であっても哨兵を立たせ警戒を緩めることだけは無いようにしてはいた。

 彼は部下たちに怠けることを許さぬ代わりに、だらけることは許したのだった。


 そうした牛歩の歩みで、ようやくホボスという名の小さな村へと到着した後、生き残りの将校たち、主にエルヴィン・ライカ中尉に、兵たちの寝床を確保するよう命じたヴィルハルトは、見張りの兵から司令部の場所を聞き出し、一人そこへと向かった。

 司令部として徴用されていたのはどうやら、元々この村の村長が住んでいたらしい家だった。

 とは言っても、小さな村の中では大きい方という程度の間取りであり、戸を潜ってすぐにある居間には押し込まれるようにして防衛線の参謀たちが詰め込まれていた。

 ここ数日の激務で寝不足なのか、戸を潜るなりその場に居た誰も彼もが殺意に近い視線をヴィルハルトへ集中させた。

 ヴィルハルトはそれに臆した風もなく敬礼し、答礼を受けた後で彼らに司令官の所在を尋ねる。

 参謀の一人に、執務室として使われている部屋をぞんざいに示された彼は小さく会釈をすると、扉を叩いた。

「〈王国〉軍独立捜索第41大隊、大隊長、ヴィルハルト・シュルツ少佐であります。ご入室を許可願います」

 扉の奥から「おう」という返事が聞こえた。

 ヴィルハルトは部屋へと入った。

 質素という以外に言葉が見つからない部屋には、この家の調度としてはいささか大きすぎる執務机が持ち込まれており、そこでライナー・シュトライヒ少将が戦況図を睨んでいた。

 彼のその顔色は、死人もかくやという有様であった。

「閣下」

 室内であるため、ヴィルハルトは腰を半直角分折り曲げる敬礼を行った。

「貴官か、シュルツ少佐」

 シュトライヒは敬礼など要らんと、猫を追い払うように手を振った。

 そして、薄暗い声を出す。

「それで、貴官の任務はどうなった? まぁ、その有様では聞くまでもないがな」

 悪態を吐くような言葉とは裏腹に、シュトライヒはヴィルハルトへと椅子を示した。

 ヴィルハルトはその薦めに有り難く従った後で、口を開いた。

「はい。任務は失敗致しました。すべては自分の責任です。ことに、将兵の命をあたら失った罪業は、弁明の余地もありません」

 そう謝罪し、彼は頭を下げた。

 最後に付け加えられた言葉には本物の後悔と自責が含まれていた。

 嘘をつけと、内心で己を罵倒する声をどうにか追いやると、ヴィルハルトは顔を上げた

 シュトライヒへと尋ねる。

「しかし、同時に司令官閣下に早急にお伝えせねばならない、重要な情報を持ち帰りました。ディックホルスト大将閣下は、どちらでしょうか?」

 ヴィルハルトの問いかけに、シュトライヒは俯くと、くぐもった呻きを漏らした。

 数寸、何かに耐えるようにそうしていた彼は、唐突に執務机の上に載っている葉巻入れを掴むと、ヴィルハルトへと投げる。

 受け取ったヴィルハルトは迷う事無く一本取り出すと、火を点けた。

 大陸南方産の上質な葉の香りが、疲弊し尽くした肉体に心地よく染み込む。

 思わず吐息が漏れ、両肩が下がった。

 彼が一息つけたらしい事を見て取ったシュトライヒは、やや語調を和らげた声を出し、言った。

「司令官閣下の所在については後で話す。まずは報告を聞こう。その、重要な情報とはなんだ?」

「はい。敵総司令官の人物についてであります」

「それなら分かっておる」

 どさりと椅子に腰を下ろしたシュトライヒのその言葉に、ヴィルハルトの脳内が一瞬、真っ白に染まった。

 ウェストの顔が浮かぶ。相変わらず、不機嫌そうなあの横顔。

 では、一体何のために――。

 しかし、放心しているヴィルハルトを他所に、シュトライヒの言葉は続いていた。

「前線の者たちから、多くの目撃報告が届いているからな。敵将帥は、どうやら女性であると」

 彼はそこまで言うと、卑屈に喉を鳴らせた。

「何ともまぁ。こんな小さな国一つに対して元トルクスの英雄、ラミール・アルメルガーに続いて、随分な大物を取りそろえたものだ、〈帝国〉軍は」

 自身の罪状を読み上げる死刑囚のような口ぶりで言ったシュトライヒに対して、ヴィルハルトは絶望の淵から引き返していた。

「“辺領征伐姫”、リゼアベート・ルヴィンスカヤ中将ですか」

 彼は答えた。

 〈帝国〉広しといえど、かの国の軍隊で将校の地位にある女性はただ一人。

 大陸中に響き渡る彼女の名声を知らぬ者は、大陸世界の軍人である限り一人もいない。

「どうやら、大将に昇進したらしい。理由については憶測も立たんが、紛れもなく事実だ。偵察を出したわけでもないのに、何故断言できるか分かるか?」

 シュトライヒはヴィルハルトから返された葉巻入れを弄びつつ、詰まらなそうに言った。

「簡単なことだ。こちらからでも望遠筒を覗けば見える位置で敵軍を指揮しているのだからな」

 それにヴィルハルトは頷いた。

「噂に違わぬ人物であるようですね」

 それは敵将への敬意に満ちた声だった。

 シュトライヒは嘆息して応じた。

 彼もまた、武人としての意見を言うなら同意するよりないからであった。

「しかし、解せん。大陸の東端で、辺境も辺境の島国の討伐に当たっていたはずの彼女が、何故、こんな場所に居るのだ」

 それだけが皆目見当もつかないと頭を掻きむしったシュトライヒに、ヴィルハルトは答えた。

「その疑問については、自分の部隊が得た情報でお答えできると思います」

 すっかり短くなった葉巻を灰皿代わりに使っている皿へと押し付けながら、彼はシュトライヒに向け、淡々とした口調で続けた。

「ルヴィンスカヤ大将は確かに〈帝国〉軍の総指揮に当たってはおられますが、恐らくそれは代理、或いは補佐としてであると思われます。何故なら、敵の総司令官は別にいるからです」

 そして彼は、部下が命を賭けて持ち帰った大隊唯一の戦果を報告した。

「我が大隊が得た情報によれば、敵総司令官は〈帝国〉皇太子のうちの誰かであります」

 ヴィルハルトの言葉の意味を脳内でかみ砕いた後、シュトライヒはすっと背筋を伸ばした。

「事実か」

 己の命日を聞かされたような顔で呟く。

「ウェスト大尉からの報告です。まず間違いないでしょう。だからこそ、自分の大隊は任務を中止し、こうして今、閣下の前に立っているのですから」

「直接話を聞きたい」

「彼は戦死しました。情報自体は、彼の部下が持ち帰りました。敵輸送部隊と思われる馬車列の中に、〈帝国〉親衛隊が囲む一等豪華なものがあった、と。親衛隊が出てきている以上、敵司令官は帝室に連なる者と考えて間違いありません。ならば、現在の〈帝国〉に存在する帝室直系の人間は四名のみ。〈帝国〉軍にとって、このような小さな戦に皇帝その人が出てくるはずは無いと考えれば、答えは自ずと残る三名の皇太子の内のいずれかとなります」

 室内に重苦しい溜息が響いた。

 ヴィルハルトは沈黙を破るようにして、言葉を続けた。

「恐らく、ルヴィンスカヤ大将は事実上の総指揮権を任されているのでしょう。武を唱える現在の〈帝国〉皇帝の息子とは言え軍人として完璧になれるわけでもありませんから。それに皇太子が参戦、親征を行った過去の事例から見るにそう判断できます。自分は、その任に当たっているのは〈帝国〉六元帥の一人であろうと憶測していたのですが、ルヴィンスカヤ大将、あの“辺領征伐姫”であるのならば、納得はできます。彼女の軍才、軍功は大陸の隅々にまで轟いていますから」

 事実だった。

 主に大陸の東側各地で停滞しつつあった〈帝国〉軍の戦線が、リゼアベート・ルヴィンスカヤただ一人の参戦によって大きく前進した事例など山のようにある。

 彼女の指揮する軍に、膠着などという言葉は無かった。

 そして、何よりも彼女が常にその先頭に在り続けるのだから、将兵たちは付き従うより他にない。

 ただ進軍あるのみ。神速と評して恥じない、電撃侵攻戦。

 それがリゼアベート・ルヴィンスカヤという将帥が最も得意とする戦法であった。

「それに、」

 さらに言葉を重ねようとしたヴィルハルトへ、シュトライヒはもうよいと片手を上げて抑えた。

「この戦争が始まってから、最悪と呼べる報告を耳にするのは二度目だ。もはや、これ以上落ちることは無いと思っていたが。もちろん、戦争が始まったことは別としてな」

「上手く行かぬ時は、何もかもが悪い方向へと連鎖するものです」

 シュトライヒの内心を慮るような口調であったが、ヴィルハルトの表情はそれを裏切るように無表情だった。

 実際、彼は本心から他人事のように思っていた。

 彼にしてみればこの戦争は、ようやく叶った故郷への帰還に違いないのだから。

 やはり、どこまでも救えない人間かもしれない。


「しかし、閣下。二度目と仰いましたね?」

 シュトライヒの言葉に、何か引っかかるものを感じたヴィルハルトは尋ねた。

 いや、一度目はあれか、ルヴィンスカヤ大将についての報告を聞いたことか。

 確かに。半ば以上伝説的に語られている彼女の実力が真実であるのならば、一体どうやって勝てばよいのか。

 などと勝手に納得しかけた時であった。

「ここへ来た時、貴官はまず初めに、わしにディックホルスト大将の居場所を尋ねたな」

 確認するようなシュトライヒの声に、ヴィルハルトは頷いた。

「はい。このご報告は何よりも早急に大将閣下のお耳に入れねばならないと判断いたしましたので」

 当然のことだと応じたヴィルハルトに、やはり当然そうに頷いた後、シュトライヒは口を開いた。

「ディックホルスト大将閣下は、現在王都へと向かっておられる。この度の〈帝国〉軍侵攻に関し、〈王国〉三軍の司令官による協議のためにな」

 彼は虚ろな表情を浮かべたまま、人類廃絶を宣告する魔界の審判長のように告げた。

続きは2日後。

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