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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦

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 独立捜索第41大隊で過ごした日々はアリシアにとって、未だに色褪せぬ記憶であった。

 確かに訓練は厳しく、演習は苛烈そのもの。日々求められる課業は膨大で、上官たちは厳しかった(特に、凶悪な目つきの大隊監督官と、その彼に事あるたびに小言を漏らす大隊訓練担当士官の大尉が)。日ごと浮き彫りになってゆく自身の未熟さや至らなさに、胸を裂くような葛藤すら覚えた夜もあった。


 だが、それこそが彼女の望んでいたものだった。

 大隊監督官のヴィルハルト・シュルツは将校を能力以外の、階級や爵位などでは決して判断しない(いや、そもそも将校を人間として扱わない)人物であった。彼はアリシアに対して、ただの一度も部下として以外の言葉や態度を示さなかった(一度、そのことでウェスト大尉から「貴様には軍人として必要最低限の愛国心や忠誠心が欠落している」と小言を言われていた)。

 そうした大隊監督官に習い、第41大隊もまた、彼女をひたすらただの新品少尉として扱った。それはつまり、〈王国〉第一王女としてではなく、ただ一人のアリシア・フォン・ホーエンツェルンとして彼女が過ごした、初めての日々であるのだった。


 ――ええ。いいえ。違う。


 記憶にまどろむ意識が、ふと彼女の頭の中で囁いた。

 違う。あの方は、あの大隊監督官殿は、一度だけ、私に。何か、大切なことを。何だったかしら。思い出せない……。

 眠気に襲われた頭の片隅で、それは絶対に忘れてはいけないのだと誰かが叫んでいる。アリシアは脳裏の浮かぶ過去の情景が夢の国かどうかも区別できないまま、意識をさらに傾かせていった。


 それはアリシアが第41大隊に着任してから、半年ほど経った頃の演習でのことだった。

 実験部隊として創設されてから二年目の区切りということもあって、ようやく大隊はヴィルハルト・シュルツ大尉の考案した新戦術を形にし始めていた。そこで試験的な部隊の能力評価演習と兼ねて、所属する将校たちの実力を測るための演習が実施されることとなったのだった。

「演習は以下のような想定で行う」

 広大な平原と、森林を擁する東部演習場の一角に整列した200余名ほどの兵たちを前にした大隊監督官は、手にした書類を詰まらなそうに見つめながら口を開いた。

「我が大隊の目的は敵司令部の強襲およびこれの殲滅である。このため、大隊は現在、前線を超え、敵陣深くまで浸透中。三個小隊から成る偵察隊が主力を先導しつつ、敵司令部の位置、および敵情視察を行っている。今回、君たちはこの偵察隊として三個小隊に分かれた後、これから読みあげる指揮官にそれぞれ従って状況を進めてもらう」

 そこまで言い終えた彼は書類を畳むと、すっと顔を上げた。傍らに控えているヴェルナー曹長へと頷いてみせる。上官の意を察したヴェルナーは、てきぱきと兵たちを三つの小隊へ振り分けて行った。

 ものの数寸で、200名が新たな隊列を組みあげた。ヴィルハルトは三つに分かれた隊列を自分の右手側からそれぞれ第一、二、三小隊とした。

「偵察隊指揮官は、アレクシア・カロリング大尉を任ずる。以下、第一小隊、ビュッケン中尉。第二小隊、ウォーレン少尉。第三小隊、ホーエンツェルン少尉」

 最後に彼が読みあげた自身の名を聞いて、アリシアの心臓は跳ね上がった。

 信じられないと言った顔で、兵たちの前に立つヴィルハルトを見た。正直に言えば、自分はそこまで優秀な将校ではないことをアリシアは痛感していたからであった。無論、だからと言って凡庸でもなければ無能でもない。要するに周りにいる者たちと比べるには相手が悪すぎた。であるから、アリシアの視線に気づいたヴィルハルトは何か不可解そうなものを見るような目を彼女に向けた。

「なんだ、ホーエンツェルン少尉。何かあるのか」

「い、いえ。何もありません、大隊監督官殿」

 何故、私を。という喉まで出かけた言葉を大慌てで飲み込んで彼女は答えた。

「そうか」

 ヴィルハルトはそれに興味が無さげに応じた後、視線を空へと彷徨わせながら小さな声で呟いた。

「一つだけ言っておくが、俺はその任務に耐えられないと判断した部下を責任ある立場には就けない」

 その一言に、彼が将校をどのように見る男かを思い出したアリシアは顔を引き締めた。


 そうだ。


 彼女は思った。

 この人は決して、私を王女としてなど見ていない。ただ一人の少尉として、その能力を信頼して私を小隊長にしたのだ。

 そう確信できる程度には、彼女もヴィルハルト・シュルツという人物について知っているつもりであった。

「ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」

 彼女は純白の髪をかき上げると、後頭部で一纏めに縛った。そして背筋を伸ばし、ヴィルハルトへと敬礼を送った。彼はいい加減な答礼でそれに応じた。

「よろしい。演習の全般状況は大隊監督官である俺が監督する。統裁官は大隊訓練担当士官であるウェスト大尉が務める。なお、演習域には敵部隊に扮した統裁部員が巡回している。了解したか? ・・・・・・では、状況を開始する」


 こうして始まった演習で、アリシアは決して期待を裏切らなかった。

 生まれ持った勤勉さと、幼いころからの教育によって培われた彼女の頭脳は、与えられた命令通りに兵を動かすことができたからであった。地形や樹木といった障害物を利用して兵を隠し、他の小隊と適時連絡可能な位置に兵を配置し、各小隊間は半刻以内に集結可能な距離を保つ。巡回中の敵部隊に扮した統裁部員を発見すれば、戦闘が必要である場合を除いてやり過ごし、即座に主力が控える後方へと伝令を走らせる。こうして送った情報をもとに、敵の目を掻い潜るようにして大隊は敵司令部へと肉薄する。彼女はその全てを完璧にこなした。演習は一見、順調であった。

 問題が起きたのは、静かに前進する小隊の前方から敵一個中隊規模(実際は四名の統裁部員)が姿を見せた時であった。


 ――いけない。

 彼女は直感した。

 彼らを見逃してしまえば、その先には大隊主力が。伝令を飛ばしても、他の小隊を経由してからでは遅いかもしれない。主力が発見されてしまえば、任務は失敗してしまう。

 主力へと敵の存在を報せ、回避を試みるという手ももちろんあるが、小隊の現在地が悪かった。伝令を送ったとしても、少なくとも他の小隊を経由しなければ主力へその情報を伝えられないのだった。とてもではないが間に合わない。

 アリシアは思考を巡らせた。

 敵司令部までは、目と鼻の距離。一度だけの戦闘なら、敵に知られる前に辿り着ける。敵は中隊規模とこちらの三倍の兵力があるけれど、付近にいる友軍へ伝令を送って、彼らが到着するまでの間拘束できれば……殲滅は可能。

 真っ白な髪に包まれた彼女の頭脳はそう結論付けた。彼女のすぐ横で、茂みがかさりと動いた。アリシアの小隊に付けられていた熟練の軍曹もまた、彼女と同じ結論に到達しているようだった。どうするかと、目で決断を迫ってくる。

 四人の統裁部員が、小隊の伏せている茂みの目前へ迫った。

 アリシアは口を開いた。しかし、喉がカラカラに乾いて声が出ない。

 独断で戦闘を始めてしまっていいのかという不安が、胸の中で膨らみ始めた。命令には反していない。必要であると判断した場合の戦闘は許可されている。……では、本当に必要なのか。

 何よりも。中隊規模の敵と戦端を開いてしまえば、友軍が合流するまでの半刻で小隊は半数を失うだろう。それはまったくの軍事的常識に則った、当然の事実であった。

 結局、アリシアは命令を発することができなかった。将校である前に王族である彼女は、兵をただ指揮すべき部下としては見られなかった。彼らもまた、自らが守るべき国民の一人であると考えていた。たとえ演習とは言え、彼らが犠牲になるような命令を口にすることが、アリシアにはできないのだった。

 そうだ。大隊主力へ任せてしまえばよいのでは?

 ふいに浮かんだその考えに、アリシアは飛びついた。

 大隊主力ならば、一個中隊程度の敵は相手ではない。それに小隊だけで戦った場合、敵兵を殲滅しきれず、逃がしてしまう可能性もある。そうすれば、全ては水の泡になってしまう。


 統裁官たちは通り過ぎて行った。傍らにいる軍曹は何か言いたげな顔をしていた。アリシアたちの背後から、茂みが揺れる音が響き、統裁官のオスカー・ウェスト大尉が姿を見せたのはちょうどその時だった。

 アリシアの心臓が嫌な方向へ跳ねた。統裁官が演習中の部隊の前に姿を見せるのは、何らかの戦闘行為や行動によって生じた問題について、その判定結果を伝える時だけである。

 瞬く間に、アリシアの脳内は負の疑問に満たされた。

 何故。敵は見逃した。戦闘は起こっていないはず。いえ、まさか。目前の敵に意識を集中しすぎて、後背から接近していた敵を見逃していたとか……。

 不安ばかりを煽る考えが脳裏に過ぎる。

 背後から現れたウェストは統裁部員たちが去っていった方向を眺め、手にした演習場の地図と照らし合わせた後で彼女へ顔を向けた。そこには複雑な表情が浮かんでいる。彼は言った。

「ホーエンツェルン少尉、今の敵は見逃すべきではなかった」

「は、い」

 アリシアは驚いたように返事をした。ウェストが口にした言葉は、統裁官としての任務から逸脱しているからであった。いや、そもそも演習中の部隊指揮官に対し、言葉をかけるという時点でおかしい。

 しかし、彼はひとつひとつ言葉を選ぶように、ゆっくりと話を続けた。

「敵が向かっていたのは、大隊主力が控えている方向だ。そして主力は君らほど身軽ではない。偽装しているとは言え、人数が多い分、敵に発見される危険性は彼らのほうが高い。敵は君たちに完全に気が付いていなかった。何より、ここは敵司令部が存在すると想定される位置まであとわずかな距離だ。背側からの一斉射撃で敵を壊乱させた後に、続く白兵で十分に殲滅もできた。或いは他の小隊へと伝令を送り、彼らが合流するまでの半刻、敵を拘束し続ければよかった。違うか」

「その通り、でした」

 彼女は力なく首肯した。ウェストの言ったことは全て、自分が当初考えていた通りであった。その後悔は余計であった。

「では、何故見逃した」

 ウェストは何か、決定的なことを確認するように尋ねた。

「それは……」

 アリシアは言い淀んだ。

 部下の犠牲を容認できなかった、と言って良いのだろうか。それは将校として、致命的な欠点になりはしないだろうか。そう考えてしまったからだった。

 そこへ、何処からともなくヴィルハルトがヴェルナー曹長を伴って現れた。

「どうした統裁官。何があった」

 彼は押し黙ったアリシアと、彼女を詰問するような姿勢のウェストを見比べて眉を顰めた。

 一瞬、とてつもなく嫌そうな顔をしたウェストはアリシアから離れると、ヴィルハルトの耳元へ口を寄せて何事かを呟いた。どうやら、状況を説明したらしかった。

「なるほど」

 ウェストが顔を離した後、ヴィルハルトは気の抜けた声でそう言った。そして、アリシアを呼ぶ。

「ホーエンツェルン少尉」

「はい。大隊監督官殿」

 凶悪な顔つきの大隊監督官の前に立った彼女は、虫の居所が悪い軍曹から鉄拳の制裁を受ける新兵のように背筋を一直線に伸ばした。たとえ、どのような叱責であれ甘んじて受け入れるという覚悟の表れだった。

 彼女のその態度に、ヴィルハルトは困ったように視線を泳がせた。何か、逡巡しているような顔つきになる。

 数寸後、ようやく彼は咳払いとともに口を開いた。

「ホーエンツェルン少尉、君主として慈悲深いのは良い。だが、軍指揮官としては時にそれが欠点ともなりえる」

 まるで心の中を見透かしたかのようなその一言に、アリシアは目を見開かせた。同時に、これまでただの一度も彼女を王族として見做さなかったヴィルハルト・シュルツが、そのことについて言及したことにも驚いていた。

 驚きのあまり、半ば感情を失っているアリシアを無視するようにヴィルハルトの言葉は続いていた。

「君がもしも今後、この〈王国〉を担うことになるというのであれば、一つだけ言っておきたいことがある」

「なんでしょうか」

 彼女は訊いた。ヴィルハルトは答えた。

「君は今回、小隊の半数の命を救った。だが、同時に大隊の半数を危険に晒した。或いは、そうなったかもしれない」

 そこで一度言葉を切った彼は大きく息を吸うと、断じるように言った。

「いいか、たとえその決断によって、己の手を血で染めることになろうとも。指導する者は決して決断を躊躇ってはいけない。何故か」

 彼の言葉に、アリシアは重く頷いた。

「守るべきもののために」

 彼女にとってそれは国であり、民であった。だが、目つきの凶悪な大隊監督官は彼女の答えを真っ向から否定した。

「違う」

 断定的な声であった。アリシアの顔に戸惑いが浮かんだ。

「では、何のために?」

 彼女は問いかけた。

 軍帽を目深に被った独立捜索第41大隊監督官、ヴィルハルト・シュルツ大尉は断頭台の刃を落とすような口調で断言した。

「その責任を果たすために」

続きは、済みません。来週中です。

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