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『古代生物が現代に蘇る。数万年の時代をも越える第三王子の奇跡!』
一面トップを飾る見出しと、図鑑でしか見たことの無い奇怪な生物の写真。デカデカと下に書かれているよく見知った友の名に、ジェノは「ついに時空を超越しやがった」と舌の上で転がしていた飴を噛んだ。
『またもや快挙! クローン技術を用いた研究によって、絶滅した生物がまさかの復活』
ふむふむ、第三王子カルシェンツ様が連日連夜で偉業を成し遂げる・・・か。
いや、何してんだよあいつ。知らないところで理解の追いつかない研究しやがって、新聞で功績知るこっちの身にもなれよな。
無駄に送りつけてくる手紙はくだらない話題で溢れているにも関わらず、こういった重大な事は一切書かれていない。その為ジェノは、予期せぬ所で親友の成果を知らされるのが常だった。
次のページには『隕石の解析に着手していたカルシェンツ様、宇宙産の新たなエネルギーの抽出に成功。全人類を救う大発見に世界が驚愕!』と大々的に褒め称えられている。
やってる事が宇宙規模・・・僕の小さな頭では理解できない案件ですな。
僕が傍にいないと仕事も研究も身が入らないとか言ってなかったか?
あれは嘘か?
それとも身が入らなくてもこのくらい朝めし前って事なのか?
ありえる。
号外として配られていた新聞を複雑な顔で見下ろしていたジェノは、隣を歩くロッツの「カルシェンツ様には毎度驚かされるな」と感心しきった台詞に同意を返した。
「シナトリアの新聞ってさ、第三王子のネタ多くない? 自国の王族をもっと取り上げるべきなんじゃないの?」
隣国に位置するヴェジニア国の第三王子ばかりを一面で取り扱っている現状に少々疑問を感じるが、それも仕方がないのかなとも思う。
何をやらかすかわからない隣の王族に興味は尽きないだろうし、尊敬や敬意を抱く国民は数知れない。それに伴って畏怖の念や恐怖心も同時に芽生えるというものだ。いちいち業績を取り上げ現状を把握しておかなければ、国交を結ぶ側としては大変なのだろう。
「第三王子は多くの新聞各社に取り上げられているが、一枚もまともな写真が出回ってないんだ。知っているかジェノ、あの方の姿が写った写真は凄い高額で引き取って貰えると」
「え、マジ?」
ロッツが高額と言うのなら、それはもう物凄く高い値段なのだろう。
噂の第三王子の写真なら嫌って程持ってますよ。そりゃあもう腐るほどに・・・。
「しかし未だに小さく後姿が写っている写真しかないらしい。まず人前に殆ど出ないし、写真とかそういうの嫌いそうだしな」
いやいやいや写真大好きだよあいつ。ナルシスト全開の驚愕鳥肌物恐怖写真を大量に送り付けてくるからね。気持ち悪いくらい何十枚も撮りまくってましたよ? これからも定期的に送り付けて来る気満々の写真大好き変態野郎ですよ。
「城には肖像画もないし、己の姿を形に残したくないのかもしれない。何をお考えになっているのか、俺には到底理解など出来ないが」
うん、僕にも奴の思考回路は理解できない。したくもない。
肖像画なら以前油絵に嵌っていたオババ様が、「エンジェルちゃんはマブイねぇ~」と言いながらモデルにしていた筈だ。僕と2人でソファに腰掛けて戯れているバージョンも描き上げていたし、終始ノリノリだった。
ロッツに奴の本性を教えてあげたいが、仮にもカルシェンツは王子様だ。あまり恥ずかしい生態を話すのも憚られ、ジェノは口を開かなかった。
うーん、それにしても高額なのか・・・万が一家が没落して金が無くなったらあの写真引き取ってもらおうかな。僕の部分だけ切り取れば問題ないし、良い小遣い稼ぎになるかも。
世の中金が全てだとは言わないが、有るに越した事ないもんな。
「それにしても、寂れた場所ならわかるがこんな賑わっている街でスリがあるとはな。ジェノに怪我が無くて本当に良かった」
畳んだ新聞を鞄にしまっていると、ロッツがしみじみと呟きを漏らした。
人通りの多い街中で起こった些細な事件。
慣れた手付きで財布をスリ取り何食わぬ顔で歩こうとした小汚い男の足を、脅威的な反射速度で薙ぎ払ったジェノは、犯罪行為を防ぐ事に成功した。
「賑わってるからこそだよ。遊ぶ為に皆ある程度お金持ってきてるだろうし、人出が多い方が紛れて盗みやすい」
「なるほど」
スリに気付いた瞬間、瞬時に地面スレスレに身を屈め足元を蹴り飛ばした。ナンパ男からは一瞬で消えた様に映り、離れた場所にいたロッツもあまりのスピードに動きを全く追えなかったらしい。
「すぐ気づかれても逃げ切れるように、裏路地にあらかじめ逃走ルートを用意してると思うよ」
「そうなのか」
「大通りは華やかで綺麗だけど、シナトリアって一本路地に入ると暗くて治安が不安だしね」
その点ヴェジニア国は警備隊や国家直属の騎士が大都市周辺を見回り、他国と比べ地方の町も充分に平和的だ。
でも僕騎士って見た事ないんだよね。カルシェンツの屋敷に行った時にちょっと期待したんだけど、結局出くわさなかったし・・・甲冑とか着用してんのかな? してるよね、見てみたいなー。
ホクホクと湯気の立つ焼きとうもろこしを頬張り、雲の少ない澄んだ夕空を見上げる。
ジェノが生れ落ちたスラム街は、フルール大陸の最北にある荒れた国だった。出身国を尋ねられた際にジェノはヴェジニア国と答えているが、出生国は実は違う。
踊り子をしていた母の稼ぎ場所だったらしいが、どうやって父親であるバンズ・モーズリストと知り合ったのかは不明だし、よくあんな所で赤ん坊を育てられたなと不思議に思う。
ああいった国ではまともな人間は育たない。
スラム生活時代、ジェノは共に暮らしていた“パパ”から生きる術としてスリの技術を教わった。
『俺は目立つが、お前はちっこいから大丈夫だ』
そう言ってコツを伝授してくれた虎の獣人からは、才能があるとよく褒められていた。
善悪の区別が付いていない幼子は遊び感覚で何度も盗みを働き、無邪気な顔で大人達やお店から盗み取っていく。
『金には困ってねぇから返してこい』
その度に戻すように言われたジェノは、ハラハラしながら盗品を返していった。
『対象者の注意力を対象物から如何に逸らすかが重要だ。盗み取る技巧も大事だが、気を逸らす為のちょっとした工夫を行えば、無くなった事実にも暫く気が付かない』
今思えば技術を身につけさせる事で、被害に合う前に察知出来る様にする事が目的だったのだろう。
幼子がスラム街で生き抜く為には、様々な知識と経験、危険を瞬時に見極める危機管理能力が不可欠だ。
『自分の服装は出来るだけ小奇麗な方が良い。盗みをしそうに無い格好の方が警戒心を生まないからな。・・・お前がこんな事をせずとも平穏に生きていけるのが理想なんだが』
ただただ飢えに苦しみ、餓死するのを待つ人生なんてまっぴらだ。
今更ながらに、未来を与えてくれた大きな存在の優しさに気付く。
結局何処からかパパがご飯を持ってきて、僕が本当の盗みをする事は無かったっけ。
黒と黄色の美しい縞模様の巨大な背中は――
死に抗う術と、生きる糧を授けてくれた。
スラム時代は苦しいだけじゃない、ちゃんと僕の糧になってる。
その事がどこか誇らしく、どこか寂しい。ジェノはゆらりと瞳を揺らし、儚げな微笑みを浮べた。
「・・・」
ハラリと落ちる髪を耳に掛けて真っ直ぐに前を見つめる少女を見つめ、青年は息を呑んだ。
吸い寄せられて釘付けになる視線と、じんわりと熱を持つ胸部。想い人のちょっとした仕種や声音に簡単に振り回される心情に、ロッツはどこか心地良さを感じていた。
「僕ってさぁ、筋肉好きじゃん?」
「え? あ、あぁ」
「今迄深く考えた事なかったけど・・・多分昔出会った命の恩人が凄い筋肉質だったからだと思う」
急なカミングアウトに瞳を瞬かせ、「命の恩人?」と聞き返す。それに頷き「大きくて強い人だったんだ」と答えたジェノは、いつの間に買ったのか冷凍ミカンを齧りながら遠い過去へと想いを馳せていた。
引き締まった腹筋の上で眠るのが好きだった。
硬い腕のこぶに掴まりブラブラ振り回されるのがお気に入りだった。
逞しい背にしがみ付いて荒野を駆けるのが楽しかった。
無駄の無い筋肉質の体躯が披露する剣舞は、豪快で美しかった。
強くて、強くて、何よりも強くて、優しかった。
大好きだった。
だから同じように鍛え上げられた存在に惹かれ、求めてしまうのだろう。ジェノは自分の原点に思い至り、深く納得した。
そっか、僕はパパに似た人に好意を抱くんだな。
幼い頃に受けた出来事は大人になっても強く残り、影響を及ぼすと言う。
「つまりジェノは筋肉質な男性が・・・その、恋愛的にタイプという事か?」
「いや、そうと限ったわけじゃないんだよなぁ、これが」
実際に恋した相手がアレだしな。本当に不思議だ、何でアレなんだろう。全然好みのタイプじゃないのに。
恋愛って理屈じゃないよね。
「あっ、聖樹見えてきた! 大きいな~ 傘みたい」
「ああ、高さはそんなに無いが横に枝が伸び続けた超巨大樹なんだ。品種は謎で、毎年違う色の花が咲く事で有名らしい」
大きい建物が連なる路地を抜け、街の外れへ出た所で瞳に飛び込んできた巨大な樹に、目を丸くして感嘆の声を上げた。なんでも根っこや幹からは微力ながら魔力が検出されるそうで、切り落とした枝から作られる名産品は縁起物として遠くからわざわざ買いに来る人がいる程人気なのだとか。
「シナトリア国王の玉座には、この聖樹が使われているそうだ」
「すごっ、超ご利益がある樹なんだね」
大きな傘のように伸びた枝は剥き出しで現在は物寂しいが、緑の葉が付き花が満開になる季節は壮観だと聞く。
さぞ綺麗なんだろうなぁ、とジェノは想像を膨らませた。
「夏は零れんばかりに咲き乱れるらしい。・・・また、2人で一緒に来ないか」
「うん! 楽しみだね」
即座に承諾すると、ふんわりとした柔らかな笑みを返される。
ジェノの横を平行して歩いていたカップルの彼女の方が「はわぁ!」と奇妙な声を上げ、頬を赤らめてロッツに見蕩れていた。
イケメンの微笑みの破壊力半端じゃないな。お嬢さん、隣の彼氏を見てあげて下さい。ほったらかしじゃ可哀想ですよ。
「そういえば、さっき話していた男は誰だったんだ? バンダナで長髪の」
「あれはコジロー」
「コジロー? 誰だ」
「ナンパ男。チャラかった」
「――は?」
ロッツは驚愕に目を見開き、足を止めた。どうやらナンパ男との会話は聞こえていなかったらしいと、身の無くなったとうもろこしとミカンを挿していた串をゴミ箱に捨て、ジェノは軽く笑った。
「僕人生で初めてナンパされちゃったよ。あんな簡単に盗られてるんじゃスリ師にとっては良いカモだろうね」
「・・・」
「もうそろそろ劇が始まる時間じゃない? 少し急いだ方がいいんじゃ―― っ!?」
手を取って急かそうとしたジェノは逆にその手首を掴まれ、進行方向とは逆の細い路地に引っ張り込まれた。
不思議に思っていると、人気の無い路地裏で壁と青年に挟まれる形となる。
何かデジャブ。
「ジェノ、俺は怒っている」
「どうして? 僕何かした?」
真っ黒に見える髪をサラサラと横に振ったロッツは、切れ長の眼をスッと細めて頬に掛かる髪を掻き上げた。
薄暗い路地裏では野良猫がゴミ袋を漁っており、隙間風が生臭い。配管が犇き合い用途の無いドラム缶が無造作に転がっている背景は品の良いロッツとは似合わず、違和感が凄かった。
「自分自身に怒っている」
普段きちんと纏められている髪が乱れた事で、爽やかな印象からワイルド系へとジョブチェンジする。
急に色気を増した相手にドキリと心臓が跳ね、ジェノは無意識に口元を両の指で押さえた。
「デートなのに・・・仮の彼氏だけど、今はデート中なのに・・・失態をおかした」
それは僕がナンパされた事だろうか? 確かにデートしてる最中相手が他の異性に口説かれたら良い気はしないだろうけど、僕よりロッツの方がモテるじゃん。僕が一緒にいるにも関わらず肉食形のお姉さんはガンガン色目を使ってきていたし、さっきのカフェでだってトイレに行ったほんの少しの間に、ロッツの周囲に若い女子の人垣が生まれていた。
「ロッツは常に逆ナンされているようなもんじゃん」と言うと、細く整った眉が八の字を作る。
夕陽が向かいの建物の窓に反射し、ロッツは逆光の中に消えた。
オレンジの光と薄暗さが相まって、翳った表情は何とも言えない美しさを生み、ジェノはつい凝視してしまった。
うっわぁ・・・映画のワンシーンみたい。本当に絵になる男だな。
「ナンパにスリと、今日は危険に晒してばかりだ。守りたいと思っているのに、俺は何もしてやれない」
「そんな事ないよ」
「今日も俺との事で女子と揉めたんだろう? 部屋にいた俺は全く知らなくて・・・ 山を降りる直前にフットから聞かされたんだ。エンバーには感謝している。本当に感謝しているが、出来ることなら俺が助けに入りたかった」
小声で話すロッツは自身への不甲斐無さと怒りともどかしさで、頭がごちゃごちゃしているようだ。何も出来なかったお詫びも兼ねて街を下調べし、イベント情報やジェノの興味を持ちそうな食べ物を伝えるも、タイミング悪く肝心な場面で機を逃す。
どうやら一人にしてしまった事を、相当後悔しているらしい。
「いつも裏で僕が過ごしやすいように色々根回ししてくれてるの知ってるよ。さっきのは会計してたんだから仕方ないし、僕がふらふら外に出ちゃったせいだからロッツに落ち度はない」
「会計は途中で既に済ませていたんだ・・・これをジェノに渡そうと思って買ってたら予想以上に時間が掛かって」
手に持っていた手提げの紙袋には先程のカフェのロゴと、薄紫色の兔が描かれている。綺麗にラッピングされた包装の中からは、香ばしく食欲をそそる良い匂いが漂いジェノの鼻を擽った。
「わっ、僕これ好き! 凄く美味しかったもん!」
「好みの味なんだろうと思って・・・あるだけ買ったんだ。数量限定らしいから量が少ないけど」
「ありがとう!」
パッケージのお茶菓子はサービスとして店長から提供された品で、三種類あった内ジェノが特に気に入った味のものが一番多く袋詰めされていた。
よく見てるなぁ、外ばっかり見てイケメンウォッチなんかしてる僕とは大違いだ。ハイスペックな上に気遣いのできる爽やかイケメン。あれ、こいつ完璧じゃね?
「ナンパ野郎には何言われたんだ?」
「何だっけな、あんま覚えてないや。遊ぼう的な?」
「誰が遊ばせるか」
どうでもいい相手だった為、すぐに記憶から消えてしまったコジローとの遣り取り。顔は朧気だが名前は覚えている。
「遅くなってすまなかった」
どこか苦しげに唇を噛み締めるロッツがゆっくりと距離を詰めて来るのを、微動だにせずに壁に凭れたまま見上げていた。
ひんやりと冷たい壁とスタイルの良い身体に挟まれ、今日はよく板挟みになる日だと可笑しさで笑む。
令嬢達やナンパ男と対峙した時には冷め切っていた心臓が、間近に迫った長身に鼓動を速めるのを感じる。
頬が赤い・・・風邪大丈夫かな?
「――っ」
ジェノは無意識に手を伸ばしていた。
影とオレンジのコントラストが美しいシャープな輪郭は、滑らかな手触りと温かさを伝える。
触れたロッツの頬は思ったよりも柔らかく、指の背でスルリと撫でると目元もじんわりと色付いていった。
あ、やばい。つい触れちゃったけど、この後どうしよう。
30cmも無い距離で見詰め合ったまま動けずにいた男女は、互いに「どうしたら・・・」と内心で焦りを見せるも、得意のポーカーフェイスで悟らせる事はない。
えーと、とにかく移動しなきゃな、うん。旅芸人を観に行くって言ってたし。
「そろそろ行――」
バンッ!
来た方向へ身体を向け歩き出そうとした瞬間、ジェノの進行を妨げる様に目の前に紺の腕が現れた。鼻先に出現した腕はロッツのもの。壁に手を付いて此方を覗き込む顔は妙な色気が漂い、硬直したままジェノは瞬きを繰り返した。
「おぉ?」
「ジェノ」
「な、なに?」
シルエットを綺麗に見せる最高級のコートは触り心地抜群で、青年の腕はグイグイ押してもビクともしない。
「ジェノ・・・」
普段の知的なイメージは何処へ吹っ飛んだのか、潤んだグレーの瞳と朱色を帯びる目元が危うさを生み、ついつい守って甘やかしたくなる存在へと変貌していた。
「伝えたい事があって、その」
「ロッツ?」
「俺、ジェノの事・・・その」
そこで言葉を切らせ俯いた表情に、ジェノの胸はキュっと締め付けられた。
恥ずかしがって隠そうとしたロッツだったが、見上げる形となっているジェノからは逆に見やすい。
「初めて・・・会った、時からっ」
――あれ? 気付いてなかったけど、これってもしかして。
母性本能をこれでもかと擽る魅惑のルックスと、掠れる低音ボイスにぼんやりしていたジェノは、不意に気が付いた。
人気の無い路地裏。
吐き出される白い吐息。
間近で熱く視線を交わす男女。
間違いない。これが世の噂に聞く・・・
ジェノの揺ぎ無い漆黒の瞳は、爛々と輝いた。
「ジェノが――」
ガラガラ バリーンッ!
「ス・・・へ?」
「壁ドンだ!」
青年の決死の言の葉は、無常にも通路奥で倒れた角材に阻まれ、興奮した少女には届かず霧散した。
「僕壁ドン初めてされた! ほらこうやって壁に手を付いてね、『もう逃げられないぜベイベェ~』って言うんだよ!」
まるで阻まれるのが運命かの様に、足元を白猫が通り抜けて行く。楽し気なジェノと我関せずな野良猫を交互に見つめ、強張っていた肩の力を抜いた。
「ロッツは顎クイも壁ドンも凄いスマートにしてくるよね、誰に教わったの!? あ、猫可愛い」
「・・・自己流かな」
「格好良い!」
ニャアと可愛らしく鳴く黒猫を苦々しく思いながらも、横で「にぁあ~」と手を振る愛しい存在にすぐ気分が浮上してしまう虚しい恋心。
「そういえば何か言いかけてなかった?」
「いや・・・今はそのタイミングじゃないんだと察した。いつかちゃんと言うよ。衝動に流されず、準備万端の状態でな」
「えー何だろ、気になるな」
「内緒だ」
風船の舞う賑やかな街並みに戻った2人からは自然と笑みが零れ、本物の恋人たちと混じりながら、仮初めのデートは続いた。
シリアスな雰囲気の中、激しいアクションをふんだんに盛り込んだ演劇は、ジェノの瞳を輝かせた。剣と槍が合わさる度に響く金属音に、鼓動が高鳴り血が滾る。
「たしか悲劇だよね」
「昔に実際に起こった有名な物語だな」
とある島に座する隣りあわせの2つの大国。いくつもの不運な偶然が重なり敵対していった両王国は、戦乱の渦に突入し悲惨な末路を辿る。
ジェノのいる世界でかつて最も栄えていた2国の、消滅に至るまでの物語。
その争いの最中懸命に抗い戦争の終わりを願った主人公クリスタルは、最終的に多くの犠牲を払って終戦へと持っていくが、家族も友も恋人も自分の命すら最後には失い、灰となる。
名誉と栄光だけは後の世に語り継がれたが、大国だった2国は見る影も無く弱体し、今は小国として他国に認識されてしまっている現状だ。
悲劇としか言いようのないラストは気が重くなる。
しかし『乱舞が売りの劇団』という評判に違わぬ迫力満点の戦闘シーンは素晴らしく、終始ジェノは手に汗握る展開に笑顔だった。
わっ! あんな所から敵が。あっ、飛んだ。わわっ、危ない! よしそこだ、殴り飛ばせ! 急所を狙えっ、目潰しだ!
「ふぅー よく今のあんな体勢から避けられるなぁ、身体柔らか!」
「悲劇だけどアクション重視だからそこまで暗い感じにならないな」
「仲間達がどんどん死んでくのは辛いけどね」
街外れに聳える聖樹。その周りに丸く囲うように置かれた舞台の足場。360度から観る事の出来る円形の劇場は簡素なテントで作られているが、真ん中で突き抜けた聖樹が屋根の代わりの様に大量の枝を伸ばし、その隙間から差し込む夕陽の光が美しい。
聖樹と舞台をくっ付けちゃうなんて面白い造りだな。
陽が落ちると共にラストに向け物語りも暗く寒々しい場面が多くなっていく為、観客も悲しい展開に涙を堪え自然と祈るように手を握っている。
聖樹の裏側に役者が回っちゃうと見えないけど、動きが多いからあまり気にならないな。
ちゃんとどの位置から観ても楽しめるように計算して戦っているのがわかった。
「面白かったね!」
「ああ、最後も少しアレンジを加えて希望が残る展開になっていたし、楽しめた」
観劇を終え記念にと劇団ロゴ入りのブレスレットをお揃いで買ったジェノとロッツは、大満足でテントを後にした。そろそろ帰ろうかと話したところで、急に寒気を感じて後ろを振り返った。
・・・何だ?
出てきたばかりのテント入り口付近は、まだ大勢の人が列をなしてグッズを買っている。
「ジェノ?」
白い、人。
頭から爪先まで真っ白いローブを被った集団が、20人ばかりテント内へと入って行くのが見えた。身に着けている装飾も顔上半分を覆う奇妙な仮面も全てが白い。
汚れが目立ちそうだという感想とは裏腹に、ローブの裾にもブーツにも目立つ汚れは見受けられなかった。
「なんだろ、今の集団」
「アリアリアンリ」
「ありあー・・・え、何?」
「おいてめぇ! ふざけた事抜かしてんじゃねぇぞっ」
「きゃあっ」
会話を遮る様に野太い声と女性の悲鳴が耳に入り、ジェノは直ぐ間近にいた2人の男に視線を向けた。体格の良い男達を避ける様に通行人が流れ、騒ぎに巻き込まれまいと男達の近くはポッカリと開けている。野次馬よろしく見物人となったジェノは、男達の怒鳴り声に眉根を寄せた。
酔っ払いか・・・匂いがきつい。
「関係ない奴はすっこんでろや!」
「嫌がってるのがわかんねーのか? 眼が付いてないの貴様等は。その2つ付いたもんは飾りかおい? ゴリラみたいな顔で盛りやがって、ジャングル帰ってナンパしやがれ糞ッたれ共」
どうやら手荒いやり方で女の人をナンパしていた男達を誰かが諌め、それに逆上して騒いでいるらしい。大きい男達でよく見えないが、小柄な人影を2つ奥に見て取れた。
「んだとゴラァッ、てめぇ女の癖に良い度胸じゃねぇか! ぐはっ」
「あぁん!? 節穴にも程があんだろ、潰すぞ糞ッたれ! いいよな、どうせ見えてねぇんだろ? んな目ん玉ただのお飾りだもんな? その臭そうな髭も毟るぞ!」
「遣れるモンなら――っうぐぉ! ・・・てめぇやりやがったなっぷひゃあ」
傍観している間に本格的な喧嘩へと発展したようで、鈍い音と共に唸り声と奇声が耳に届く。もっと近付こうとしたジェノだったが、ロッツに「危ないから」と押し留められてしまった。
「でも女の人助けなきゃ」
「ジェノを行かすくらいなら俺が行くよ。ちょっと待ってて」
「ぐごがっ、ぶほ」
大男が崩れ落ちた。見るともう一人の男も脇腹を抱え、悶絶しながらヨタヨタとポストへと手を突いている。
出る幕なかったな。あの小柄な人凄い強い。
「その巨体も見せ掛けかおい。貴様等無駄なもんしか持ってねぇのかよ糞ッたれ。この世に無駄な物ほど無駄な物は無いんだぞ無駄野郎共がっ!」
んん、この口の悪さ・・・もしかして。
黒いフードを被った小柄な人物を凝視し、ジェノは「あっ」と小さく声を漏らす。
「あ、あの、ありがとうござ」
「うるせえ、貴様も貴様だ。嫌ならもっとわかりやすく拒絶しろ。縮こまって言いなりになってんじゃねぇっ! こんだけ人通りが多いんだから大声上げて抵抗しろや糞ッたれ!」
女の人は何故か助けくれた人物に「ご、ごめんなさい」と謝罪して走り去り、後には痛みで動けない男達と、悠然と立っている黒いフードだけが残った。野次馬はかなりの体格さがある男達を瞬殺した人物に興味深々だが、何も言わずに黒フードは路地裏へと消えて行く。
「そろそろ帰ろうか・・・え、ジェノ?」
ジェノはフード姿を追うように路地裏へと歩を進め、怪訝そうなロッツを連れ立って角を曲がった。
そこには、美少女がいた。
黒いフードを被った美少女としか形容出来ない人物は、大きなドラム缶の上にちょこんと腰掛け、クリッとした青色の瞳を愉快気に細める。
「一丁前にイケメン捕まえてデートとはやるじゃねぇかジェノ。カルから鞍替えしたのか?」
「久々の再会で言う台詞がそれ? 来るって言ってたから待ってたけど・・・こんな所で何遊んでるの」
ジェノは徐に近づき、華奢な体躯を折り曲げ体育座りしている可愛らしい姿を見上げた。
「ジェノを迎えにきたんだよ。そしたら腹立つ連中がいたから憂さ晴らしついでに暇を潰してたところ。丁度いいタイミングだったな」
「迎え?」
「これから国境を越えての長旅になるぞ。準備は・・・ゴッデスがしてあるはずだ。これから直ぐに発とう」
「えっ、家に帰るの!?」
「いんや」
「ジェノの知り合いか」
唐突な展開に後ろで眺めていたロッツが呟き、ジェノは振り返って大きく頷いた。
「彼はモーズリスト家の護衛兼 馬屋番のクラウン」
「・・・彼?」
ロッツの不思議そうな視線を受けフードを外したクラウン・J・イヴは、ハラリと落ちた鮮やかな水色の前髪を横に撫で付け、二カッと笑った。
そう、美少女に見える彼は男だ。
「おう、イケメンボーイ。俺様の可愛い秘蔵っ子とデートするとは良い度胸だな」
「イケメンボーイ・・・」
サファイアみたいに美しく輝く瞳を眇め、戸惑っているロッツに露骨に絡む。
「モーズリスト家を敵に回す気があるのか? 皆だまってねぇーぜ、主にファストが」
トイス家のロッツはモーズリスト家なんて敵に回しても怖くないだろ。同じ貴族と言っても地位にかなりの差があるだろうし。
しかしそう告げたジェノにチッチッチと人差し指を振ったクラウンは、二カッと可愛らしい八重歯を見せて嬉しそうに語った。
「とち狂ったファストはヤバイんだぜジェノ。人の世の地位の高さとかそんなんじゃなくてな、昔寝ぼけて大陸の地形変えた事あるしよ」
自然界では考えられない水色の髪を右側でゆるく編む彼は、どこからどう見ても美少女にしか見えない。しかし一見儚げに見える外見を大いに裏切り、モーズリスト家の中で『兄貴』と呼ばれている歴とした男性だった。
14、15歳に間違われる幼い顔立ちの持ち主は、実は28歳というなかなかいい年齢をしている。
信じられない様子で驚いているロッツを見て、昔カンバヤシが『奴は存在自体が詐欺だ』とぼやいていたのを思い出した。
合法ロリ・・・いや、合法ショタだとメロスが言っていたな。僕が男の子に間違われる以上に、クラウンは女の子に間違われる。顔もさることながら体付きがしなやかで、声色も僕より高い。これで28歳の男っていうのは確かに詐欺かも。
「腹減ったな。俺様が肉奢ってやるよ、2人とも付いて来い」
色白で少し垂れ目の清楚な見た目からは想像も付かない、乱暴な言葉遣い。激しいギャップも相まって、よく初対面の人間を困惑させている。
久々の再会に色々聞きたい事が山済みのジェノだったが、まず一番に気になる事を訪ねた。
「長旅になるって何処へ向かうの? 僕早く屋敷に戻りたいよ」
ようやく帰宅できるのかと期待したがどうやら違うらしいと察し、少し緊張した面持ちで答えを待つ。中途半端は状況で廃病院から出る事になるのなら、面倒だがちゃんと後始末をしていかないと皆に迷惑が掛かってしまう。
これから直ぐって一体何処へ――
「中途転入試験を受けに行く」
「え」
陽が落ちた事で、水色から青く見える髪が夜風に揺れる。すぐそこの通りで灯った街灯の光がぼんやりと路地裏へ差し込み、3人の男女を淡く照らした。
「学園に行くぞ」
お読み下さりありがとうございました。




