41 ロッツ・トイス
ロッツ視点での廃病院編です。
チェリー色に色付いた唇から紡がれた名に、軽い衝撃が脳内を駆け巡る。
動揺が表情に表れないよう気をつけながらゆっくりと片膝を折り、小さな手をそっと手繰り寄せた。
薄くマニキュアだけ塗った爪は短く切りそろえてあり、よくお洒落に目聡い令嬢に見られがちな鋭く伸びた爪とは違う。
手の甲へ唇を寄せると微かに震え、息を吸い込む音に目線を上げた。
此方を不安げに見つめる少女につい笑が漏れ、自然と気持ちが綻ぶのを感じる。
「ジェノ・モーズリスト様。私、ロッツ・トイスと優美な夢の時を共有しませんか?」
視界の端で上がる悲鳴を無視して中央へと歩み出し、軽快なメロディに乗ってリズムを刻んだ。
回る景色の中でほんのり頬を染めた少女は、ふんわりとした微笑みを寄越してくる。
妙にキラキラな視界に瞬きを繰り返しつつ、ロッツは思った。
女の子って・・・柔らかいんだな。
「オッサンか! このムッツリスケベがっ」
小鳥の囀りに寝返りを繰り返すパーティー2日目の朝。
早朝から無断で入室してきたチャコットに昨日のダンスの感想を求められ、眠い頭を揺り動かして記憶を辿った。率直に思った事を話すと「ドン引きだわー」と距離をとられる。
「そういう事じゃなくて・・・雰囲気とか表情とか、やっぱ男とは全然違う印象を受けたんだ」
初めて自発的にダンスを申し込んだ件は瞬く間に広がり、1日目の舞踏会後は部屋へ戻るまで多くの者にその話題を振られた。個室に入ってからも嬉しそうに詳細を聞いてくる父親を躱すのに時間が掛かり、パーティーとは関係のない所で疲労が溜まってしまう。
ずっと心配していた『女嫌い』が治ったと喜ぶ両親には悪いが、別に女の子が大丈夫になったわけではない。
期待に満ちた眼差しに内心深い溜息を付き、二人が出て行った後ベットに倒れ込む様に一日目を終えた。
今後も寄ってくる女子を避けるだろうし、仲良くしたいなんて一切思わない。
女の子は面倒な生き物だ。
「でも麩菓子さんを誘ったんだろう? 好意を持ったんじゃないのか」
ニヤついた幼馴染と差し込む朝陽から視線を逸らし、「違う」と力なく否定する。
あの子を誘ったのは、他の女と踊りたくなかった為だ。騒がしい令嬢達と比べて落ち着いて会話できる子だった。
・・・だから、他意はない。
「んじゃ自分から話しかけたのは何で?」
何で? それは――・・・ あれ、何でだ?
質問に詰まり、思わず枕を抱きしめる。
眠くて頭回らない。5時前に来るってどんだけ早起きなんだこいつ。
えーっと、確かに自分から声を掛けた。
目の前に例の黒髪少女がいて、咄嗟に口が動いた。
何気ない普通の会話だったし、特におかしいところはない。
ただ普段はしない行動を女子相手にとった、それだけだ。
目で彼女を追って、促してくる幼馴染がいない中わざわざ近づいて、どうでもいい会話を振った。
それだけ。
んん・・・ よく考えると、おかしくないか? んぅー 眠い。
昨日の己の行動に今更ながらに疑問が沸き、秀才と褒められる頭脳で考え込む。しかしロッツの頭は通常通りには働かず、納得できる答えを導き出してはくれなかった。
興味が沸いたんだ、彼女に・・・ジェノに。面白い人物だと思ったから、話してみたくなった。それは好奇心で、つまりは好意って事か?
「また会えたらいいのにね。今度こそは見逃さないようにしなくっちゃなー」
部屋を出て行く直前にカーテンを全開にし、嫌がらせを終えたチャコットは満足気に去っていった。
眩しっ、何しに来たんだよ!
寝起きには辛い陽の光を布団に潜って遮断し、ギシギシと痛む関節を抱き込むように摩る。メキメキと伸び始めた身長と連動する身体の痛みに眉を寄せつつ、ロッツはそのまま眠りに誘われていった。
モーズリスト家の子か・・・色々不思議な子だったな。
――その後少年と少女が意外な形で再会を果たす事など、この時はまだ・・・
誰も、知る由もなかった。
うるさいうるさいうるさい五月蝿いっ。
足場の悪い山中を勢いをつけて駆け下り、苛立ちに奥歯を噛み締める。
枯れ木が目立つ冬場の山はもの寂しく、灰色の空が己の心境を表しているかのようだ。
6月の舞踏会から約半年の月日がたった冬空の下、ロッツ・トイスはその日も追ってくる女性陣から逃げ回っていた。
普段と違う点は慣れない土地という事と、アプローチしてくる相手に平民も混じっているという事だけ。
勉学に学園行事、予期せぬ事態に精神的に疲れてしまったロッツは、「一時的に日常から離れたい」その想いで見知らぬ地へ避難してきた。しかし不用意な行動から上流貴族とバレ、玉の輿目当ての者達に目をつけられてしまう。
「ロッツ様どちらへお行きになったのですか~? やーん、寒くて怖ーいぃ」
くそっどこ行ってもこれだ、だから女は嫌なんだよっ。俺は休養しに此処へ来たのであって、お前等と戯れる為じゃない!
乾いた風が肌を冷たく刺し、耳鳴りのように響く高音の喋り声が冷静な判断力を鈍らせていく。
一人にしてくれっ、うるさいうるさいうるさいうるさい!
「――っ!」
次の瞬間、突然の驚きと衝撃で呼吸が一瞬止まった。
「おわ!?」
艶やかな黒髪に、吸い込まれそうな漆黒の瞳。
意志の強そうな大きな猫目が警戒した様に此方を向き、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
枯葉が舞い踊り降るなか白い息が宙を彷徨う様を、ロッツは呆然と見つめた。
「ジェノ? なんで此処に・・・」
ヒラリと舞った葉が黒髪を滑り落ち、白く柔らかそうな頬を撫でる。逃げている最中だった青年は足を止め、その光景から視線を逸らす事が出来なくなった。
少年から青年へと成長を遂げようとしているロッツの前に、彼女は再び現れる。
謎多き黒髪少女―― ジェノ・モーズリスト。
ロッツにとっては運命に近い、例の少女との二度目の邂逅だった。
「あのさぁ、そんなにモテるの嫌なら熟女趣味だとか言っとけば? 周囲をドン引きさせればいいんだよ」
「それだと年上の女性が寄ってくる恐れがある」
ドレス姿に比べ随分とボーイッシュな格好だが、一目で舞踏会の時の少女だと気付く事ができた。
面倒臭そうな態度を隠しもしないのは相変わらずで、ロッツに対しても取り繕う様子は一切ない。
「うっわ、自分でモテる発言したよ今この人。流石ですね、モテモテですもんね。そんなモテ人生を歩んできたロッツ青年は何が不満なんだ何がっ、言ってみるがいいさ!」
「わかった、ごめんっ。本当に悪いと思っているんだジェノ、落ち着いてくれ」
「落ち着いてますよ僕は、とぉぉおーっても落ち着いています。久しぶりに会った知り合いに無断で恋人呼ばわりされても、見知らぬ女の子達に謂れのない理由で睨まれ罵まれても、モテモテ男の一時の隠れ蓑にされてこれから始まるはずだったバラ色の共同生活がぐちゃぐちゃになるとわかりきっても落ち着いていますよ、はい」
「本当にすまなかった。ジェノを取り返しの付かない事態に巻き込んで、その・・・誠に申し訳ない!」
運命的な再会直後、判断力が低下していたロッツはしつこい少女達から逃れたいという身勝手な理由で、つい『ジェノと付き合っている』と大嘘をついてしまった。
悲壮な表情で離れていった少女達に安堵したものの、己の軽率な発言が今後の生活に大きな支障を来す事は間違いない。主にジェノへの被害が予想され、やらかしてしまった張本人のロッツも動揺を隠せずにいた。
「猛烈に反省してますか?」
「してる。どう償えばいいかっ」
「じぁあ許してあげる」
「許されない事は重々承知だ、俺にできる事ならどんなこ・・・・・・へ?」
伏せていた顔を上げると、器用に片眉を上げたジェノと目が合い、間の抜けた声が漏れる。
「もう勝手な発言とかしちゃ駄目。僕本気で怒るからね。反省してるならもういいよ」
えっちょっ、ちょっと待ってくれ、本気で怒ってなかったのか?
動揺するロッツはひょこっと顔を覗き込む様に近づくジェノの瞳をマジマジと見つめ、そこに怒りや負の感情が無い事を見てとった。
あ、本当に怒ってない。
「過ぎた事気にしたって何も変わらないからね。取り戻せない過去は気にしない! ポジティブな方が楽しく人生を終えられると思うよ。ふっふーん、僕は寛大だからねぇ~」
「同じ様な事幼馴染が前に言ってたな」
「へぇ良い事言う幼馴染だね、その子と仲良くなれそうだわ」
ああ、気が合ってたもんな。絶対仲良くなれるはずだ。
許可なく恋人だなんて言ってしまい、怒るならまだしももし泣かれでもしたらどうしようかと心配だった青年は、少女の前向きさに心底救われた。
『偽恋人』をお願いしたのがジェノで助かったな。
それに――・・・ 嫌われなくて、本当に良かった。
使用人の元へ戻って行く少女の背中を見送り、もう突発的な発言や行動はしないと心に誓う。
取り敢えず、恋人ってどういうものなんだろうか。
山奥で行われる、医療関係の講義。
廃屋を教室として利用した一風変わった場で、成り行きとはいえ彼女(仮)が出来たロッツは、静かに今後の生活へと思いを馳せた。
傍目には平静を保ち普段通りに一日を終え、注がれる視線をスルーして自室へと篭る。
予習復習を済ませたロッツは緑色の日記帳を取り出し、おもむろに羽ペンを走らせた。
『12月 21日 火曜日
ザラッツ医療技師団 8日目
女子からの追撃を避けている最中、ジェノが唐突に現れた。まさかこんな場所で会うとは思っていなかった為とても驚いた。舞踏会での印象とは違い幾分ボーイッシュな服装だったが、動きやすそうでその方が山では良いと思う。スカートはまだしも、何故女性陣は身動きのとりずらい底の厚い靴を履くのだろう。場所と機能性を考えないのだろうか。
ジェノは苗字を隠している様で、口止めをされた。貴族の身分でボランティア側は絶対おかしい事だが、彼女は『モーズリスト家』の者だからな。事情を深く追求はしない方が懸命な気がする。恋人(偽)として出来るだけサポートしていきたい。明日からは自分の行動の他に、ジェノやその周囲にも気を払っていこう』
気が向いた時だけつけている日記へ久しぶりにその日あった出来事を書き記し、ゆっくりとペンを置く。一日の最後を日記で締めくくる事にしようかなとぼんやり考え、ロッツは寝るための準備を早々に始めた。
『12月 22日 水曜日
ザラッツ医療技師団講義 9日目
学園では使用されない医学専門の教材は為になるし、授業も想像以上に深くまで掘り下げて解説してくれるので面白い。遠い場所で自身を見つめ直す目的で訪れたが、新たな知識を得れて一石二鳥だ。紹介文を書いてくれた父上の御友人に感謝したい。将来的に医療の分野に進むつもりは無かったのだが、候補に加えてみるもの良いかもしれないな。
それはそうと、今日はジェノを見かける事は無かった。ボランティア側の施設とは離れていて、お互い忙しいのもある。彼女は大丈夫だろうか』
山へ来た子供達の中には夜泣きをする者や、地を這う虫や暗闇を怖がる子がちらほら見られた。特に貴族は慣れていない環境にすぐ弱音や愚痴を吐き、部屋から出てこない者もいる。
ボランティアは受講者と違って泥に塗れる仕事が多い。
ジェノに務まるのか? ・・・なぜだろう、全然大丈夫そうな気がする。あの子貴族の令嬢って感じしないもんな。
『12月 24日 金曜日
ザラッツ医療技師団講義 11日目
薬学を勉強してから、教室へ向かう途中に生えているキノコが気になるようになった。あれも薬になるのだろうか? スタッフの者に図鑑を借りて調べてみるのも面白そうだ。明日申し出てみよう。
遠目からだったが、今日はジェノの姿を見かけた。髪を結わえ一瞬男の子かと思ったが、大根を手刀で叩き割っていたのは紛れもなく彼女だった・・・あの大根は夕飯に出したのだろうか? とにかく元気そうで少し安心した。
しかし陰で色々言われていると情報が入ってきている。俺がしっかり対策をとらなければ』
『12月 25日 土曜日
ザラッツ医療技師団講義 12日目
貧乏人と交際するなんてトイス家は大丈夫かと知らない生徒に嫌味を言われた。不快になったが名も知らぬ奴の言葉など気にする価値もない。しかし実際に身分の差が原因で破局した恋人達は数知れないのだろう。ジェノは本来貴族だが、もし本当に平民の子だったらどうなるのか・・・父上は猛反対なさるだろうか。最近はもう跡取りを産んでくれれは誰でもいい的な事を零していたが、事態はそう簡単ではない。
ジェノを悪く言う噂に対抗し、執事のサントスに様々な噂をばら撒いてもらった。ある事ない事適当に流した事で彼女へ向いている興味が他に移り、噂など宛にならない馬鹿馬鹿しいものだと思わせる狙いだ。上手くいくといい。
それにしてもジェノが川に入って魚を鷲掴みしているのを見かけた。冬の川だぞ!? 寒くはないのか・・・野生児みたいだな』
次の日も地中に潜っていたミミズを掘り起こし、釣りの餌にしている姿を発見した。その無邪気な笑顔に山生活を満喫している事がうかがえる。すぐに釣りに飽きて使用人の男性と虫取りに夢中になっている様子を、ロッツは口元を綻ばせて眺めた。
やはり女の子っほくない子だな、だからこそ接しやすいんだろうけど。
「ロッツさん聞いてますか? 朝方にまた雪男が目撃されたそうですよ! やっぱりモンスターは実在するるんだなぁ」
「ああ、5件以上も報告があがっているし、この山に何かが居るのは確かかもな。フット、授業がそろそろ始まるぞ、急ごう」
後ろ髪引かれつつ、ロッツはその場を後にした。
『12月 28日 火曜日
ザラッツ医療技師団講義 15日目
二日後にグループでの課外授業が始まる。詳しい説明を受け、皆誰と組むかで悩み誘い合っている様子だった。俺も是非一緒にと多くの者達から誘いを受けたが、決め手に欠けて保留にしてしまった。時間もないし明日の朝までには返事を纏めておきたい。・・・今までは必ずグループ内にチャコットがいたが、此処に奴はいない。問題が起こらないのは有難いが、静か過ぎるのは妙に落ち着かないな。
ボランティア側の者とも組むという話だった為、夜にジェノの元を訪ね約束を取り付けた。遅くに女性の部屋に入るなど紳士的ではないが、聞きたい事も聞けて一旦状況を整理できたから良かったと思う』
再会してから約一週間がたった夜、ようやくまともに会話できた青年と少女。しかし、ロッツはベットの上で頭を悩ませていた。
少女に「別に欲しいものとかない」と言われてしまったからだ。
望みを叶えたかったのだがジェノには欲がないのか? そんな人間いるとは思えないし、恐らく他人に頼らず自力で解決してしまう質なのだろう。
人任せで我が儘な貴族の令嬢では考えられないタイプだ。でも今迄見てきた独特な行動や言動で、あの子なら有り得るって納得してしまうな。
こうなったら言われるまでもなく、勝手にサポートして役に立つしかない。
「しかし女子から頼りにされたいと思う日がくるなんてな」
普段は煩わしいと感じる女性の勝手な要望やお願されなかった事で、他者とは違い欲の薄いジェノに喜びを感じた一方、妙な寂しさも覚えた。
『お前は執着質タイプだから、追われるより追いかけたい派なんだよ』
以前適当な事しか口走らない幼馴染に言われたセリフ。その時は流したが、もしかするとあながち間違っていないのかもしれない。
・・・ふむ? だが俺は執着質なタイプではないからな。
痛む膝を撫でながら、青年は思考を巡らせ続けた。
廃病院を訪れて17日が過ぎたとあるお昼前。
夕方から始まる課外授業について質問をしに行った帰り際、ロッツは反対側の廊下の奥から階段を上がってくるジェノを視界の端で捉えた。
一切癖のついていない黒髪は、衛生的に良いとは言えない環境の中でも損なわれる事無く、サラサラと軽やかに揺れている。
二階を掃除しにきたのか手にモップとバケツを持った少女はすぐ手前の教室へ入り、視界から消えてしまった。手伝う事はないかと其方へ向かい、微かに聞こえてきた数人の話し声にロッツは扉の横で足を止める。
小窓から覗くと空き部屋となった教室の中には、ジェノの他に3人の女の子達が見えた。後ろの席で頬杖つきながらお喋りしている少女達は合間あいまに教卓を拭いているジェノへ視線を送り、何が可笑しいのかその度にクスクスと笑って目配せしている。
その内の1人は質のいいショールを羽織っており、恐らく貴族の令嬢だろう。他の2人はジェノと同じボランティアの子達だが、ふんぞり返っている令嬢の機嫌をうかがいながら、彼女の服装を褒めちぎっていた。
仕事道具の箒は教室の隅に追いやられ、3人はお喋りに華を咲かせている。
何しに来たんだよ、ジェノしかちゃんと掃除してないじゃないか。ボランティアの仕事は貴族に取り入る事じゃないはずだ。
「ほらゴミあるわよ、しっかり掃除しなさいよ」
役目を果たさないどころかモップ掛けしているジェノに対し、少女達は紙屑を投げ付け出した。思わず飛び出そうとしたロッツは、しかし寸前の所で思い留まる。
俺が止めさせるべきだ。どう考えてもジェノが謂れのない中傷を受けるのは、俺の身勝手な行動が原因なのだから。
「男に媚売るなんて厭らしい子。どうせあんたなんて遊ばれてるだけなんだから」
でも、俺のせいで余計に酷くなったりしないだろうか。守る事で更に周囲の反感を買い、エスカレートする事も考えられる。
ロッツが寝泊まりしている処とボランティア側の建物は離れており、大体の時間離れている彼女の安全を確保する事は難しい。
いや、やろうと思えばトイス家の力で24時間体制見張るのは可能だし、望まれればセキュリティのしっかりとした建物を造ったっていい。
後が面倒でも、あの子達がもう二度と手を出さないよう威圧しよう。トイス家は他国でも知名度が高い。誰も敵に回したくはないだろう。そもそも俺は男でジェノは女の子。
絶対守るべきだ!
出て行くべきか様子を見るべきが一瞬逡巡し出遅れた青年は、「キャッ」と小さな悲鳴が聞こえて目線を上げた。
先ほどまで離れた位置で掃除していた筈のジェノが少女達の間近に立っており、3人が驚きに目を見開いている。
モップで足元をガシガシと擦り鈍い音を立てたかと思うと、首をコキコキッと鳴らしてみせた。
椅子に座る令嬢の手に先ほど投げられた紙屑を強引に握らせ、唖然とする彼女にニヤリとした笑みを向けて言い放つ。
「邪魔してんなよ女共。僕は育ちが悪いからな、売られた喧嘩は買ってやる。掃除しないなら出てけ。その綺麗に塗りたくった顔モップでぐちゃぐちゃにされたかったら、もう一度そのゴミ投げてみな。ほら、投げるの好きなんだろう?」
一体どこから出ているのかわからない底冷えするような声音が響き、楽しそうに獲物を狙う獣の眼光に少女達は言葉を発せずに固まっている。
静かに掃除していた時とはまるで別人のジェノは、ロッツも驚く程冷たい空気を孕んで3人を見下ろしていた。
ああ、この空気。
舞踏会でも感じた、他の貴族とは全く違う雰囲気を放つ少女。チャコットが獣みたいって言っていたが、確かになと納得してしまう。
多勢に無勢でも萎縮することなく殺気混じりの眼光を向けるジェノに、優位に立っていたと勘違いしていた少女達は一瞬でのまれてしまっているのだから。
とくに声を荒げているわけでもなく寧ろ淡々とした口調なのだが、これが余計に狂気を含んでいる様に感じて怖い。
一体どんな教育を受けたら自然にあんな雰囲気出せるんだ? ・・・・・・面白い。
その後も助ける間もなく一人で乗り切ってしまう少女の、毅然とした行動を度々目撃する事となった。
薬草を探しに出発した足場の悪い森での出来事。
足を引っ掛けられそうになったジェノが完璧に動きを読んで、「おりゃあ!」と野太い声を発しながら思いっきり相手の足を踏みつけていた。矮小な笑みを浮かべて足を伸ばしていた小汚い青年は「ぐぎょっ」と聞いたこともない悲鳴を上げ、地面で藻掻き苦しむ。
「僕が本気出したらこの辺一体抉れるんだからな、手加減してやった事を感謝しろよ」
どこかの令嬢に命じられて姑息な行動をとったボランティアの青年は蹲ったまま悶絶し、コネや金に目が眩んでいた周囲の者達の頬には、冷たい汗が伝っていた。
そして数日後、ロッツはとある結論を出す。
『ジェノはすっごく強いから大丈夫!』と。
当初のプランではピンチのジェノの前に颯爽と飛び出し、その場を収めようと考えていた。周囲の連中に手を出させないよう威圧して、ジェノへ優しく手を差し伸べる。
だが現実は『助ける』なんて考えがおこがましい気さえしてくる程恋人(仮)が頼もしく、段々嫌がらせを返り討ちにするの楽しんでるんじゃ? とすら思えてきた。
「ロッツが間に入ったら絶対目立つからなぁ・・・なるべく嫌がらせ受けない様に避けてるし、無理ならリーダー格の子潰せば終わるから、出てこなくても平気だよ」
「そういえばジェノは苗字を変えて身分を偽っている身の上だったな・・・わかった、俺は裏側からバレずに加勢することにする」
「え何それ影の支配者みたいで格好良いっ。僕もそっちやりたい!」
目立つのを嫌う彼女に俺がこれ以上余計なことをするわけにはいかない。という事で既にジェノは目立ちまくっている気もするが、彼女の意見を尊重する事に決めた。
よし、こうなったら課外授業のグループ行動でチャンスを窺い、彼女を手伝っていこう。
そう考え今まで以上にジェノを観察する機会の増えたロッツは、その後も彼女の不可解な行動を度々目撃する事となった。
「良い樹だ。登らなきゃ」
「え、何で?」
何の脈略も無く唐突に大樹に近づき足を掛け始めたかと思うと、スルスルと慣れた身のこなしであっという間に頂上まで登りきる。遠くを見つめて一言叫び声を発した少女は、すっきりした表情で戻ってきた。
ペットとよく登っていた為、高い樹を見ると身体がソワソワするらしい。よくわからない。
「痩せてるだけに見えて意外に上質な背筋を持ってるよね、鍛えてんの? どんなトレーニングしてるの? 最近プロテインに興味あってさ、これすっごい不味いの! あげる、飲みなよ、くっそ不味いからっ」
「いや、不味いなら飲みたくない」
可愛らしく微笑むジェノに無理矢理激マズプロテインを押し付けられ、断ったら知らない内に飲み物に溶かされていた。
これがものっ凄くマズイ。本気でヤバイくらい不味い。吐きかけた。
そもそもプロテインって令嬢が飲むものか!? 何故鍛える必要がある!
「これでロッツも筋肉溺愛協会の一員だね」
そう言って向けられた晴れやかな笑顔は天使のようだったが、騙されてはいけない。やっている事は悪魔の所業だ。
会員番号13番の称号を授与されたがちっとも嬉しくない。これを美味しいと言って一気飲みしたというジェノの『親友』は何者なんだ? 化物か? 「友情の成せる技」って・・・絶対味覚に何らかな障害があるからその子病院に連れて行ったほうがいいぞ。
「ロッツは少し親友に似てる、かな」
「へぇ・・・ジェノは俺の幼馴染に言動が重なる時があるよ」
互の友人について話をしていると、「じゃあ僕達が仲良くなったのは必然かもね」と少女は笑った。
ジェノの些細な言葉でザワつく胸に疑問を抱きながら、坂を上る後ろ姿を追う。
「親友とは仲良しなんだな」
「んー、そうでもないよ?」
舞踏会で踊っただけの女の子。
共同生活でより人となりを知った今、以前よりも彼女への興味が膨らんでいる気がする。
「話によく出すじゃないか、なんだかんだ言っても好きだろ? 俺も離れてると極たまーに幼馴染を思い出したりするしさ」
「うぅーん、まぁ・・・好き、だけどもさ」
「やっぱり。友達ってそういうもんだよな」
沈みゆく夕日を背に散策を終了した2人は、その日のノルマを無事達成し残りの仲間の元へと向かっていた。
「うん、会いたいよね」
風に揺れる真っ黒の髪に触れてみたいという衝動が唐突に込み上げ、ロッツは頭を振った。
「・・・?」
「どうしたのロッツ」
「いや、わからない」
理解が追いつかない無意識な感情に、戸惑いが大きくなっていく。
最近何か動機が激しいような・・・気のせいか? 山の生活に疲れが溜まっているのかもしれない、気を付けなくては。
それにしてもジェノの親友かぁ。
俺に似てるって話だけど、一体どんな『女の子』なんだろ。
いつか、会ってみたいものだ。
お読み下さり、ありがとうございました。




