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今井信郎 (実在の人物) その1

今井信郎(1841~1918 76歳没)


この物語の中心・基点となる人物。


最も有名なのは「坂本龍馬暗殺実行犯のひとり」としてのエピソードでしょう。


今井信郎の血縁にあたる今井幸彦氏の『坂本竜馬を斬った男 幕臣 今井信郎の生涯/新人物往来社』。


同著は今井信郎という人物を知る上で、国内で最も有名な資料ではありますが……。



ただ、国内最高峰のアイドル・ヒーローである「坂本龍馬」を殺害した、というイメージは、少なからず「良い」ものとはなりにくいのは当然。


まして血縁者がご先祖を悪く書くはずが無く、ほぼ全編・今井信郎の弁護(そうではない、とも書いていますが)に回っています。中身としては100%信じるわけにはいかないでしょう。


ただ「坂本龍馬を暗殺した実行犯」が、未だ誰なのか明確ではない現在。

それはやはり……坂本龍馬を仕留めたのはやはり今井信郎だったかと、同著はそれを確信させるに足る内容で在る事は間違いありません。




坂本龍馬を暗殺したのが新撰組であるはずもなく、名も知らぬ暴漢であるわけでもなければ、薩摩、長州、土佐……当時京都にいたあらゆる志士にその確率はあったにせよ、佐々木只三郎率いる見廻組・そして今井信郎が、その必殺の一太刀を龍馬に叩きつけた確率は相当高く、ほぼ間違いないでしょう。




しかし、わたしは他の部分でも書きましたが、この今井信郎というキャラクターで最も魅かれるエピソードは、坂本龍馬殺害エピソードではなく……。


あの西郷隆盛が、今井の助命嘆願に奔走したということ。


戊辰を戦い抜き、そして最期に函館で今井は降伏・龍馬殺しの裁判と進んでいくのですが、結果的には軽い刑でその罪は放免となるのです。


裏に薩摩、そして西郷がいた、というのはあまりに小説的だ、というのもどうかと思います。裁判の進行具合を見ても、不審な点もいくつか散見されています。


また今井幸彦氏の同著には、あの西郷が今井信郎に直接会いに、自ら家宅に赴いたという話も残っているほどです(真実かどうかは謎ですが)。



当時の西郷は鹿児島では志士の魁であり、藩の最重要人物、官軍内でも最も発言力・影響力のある人物なのです。その西郷が、……単なるひとりのサムライ、ましてや敵軍である幕臣のひとりをあえて助けようとした、不可思議極まりないその……謎。


まして龍馬とは家族のように親しく、新婚旅行まで斡旋した西郷隆盛。仁義に厚いはずの西郷隆盛が、親友・龍馬を斬り殺した人間をなぜ、助けるのか……?


また坂本龍馬殺害の1867年の時点まで、西郷と今井の両者は間違いなく面識はなく、たぶん龍馬殺害の前後から何らかの理由で知り合ったとしか思えないのです。



そう、俗言う「龍馬暗殺の手引き・黒幕は薩摩」である、というストーリーですね。


最もよく言われるのが、龍馬の潜伏先を薩摩が見廻組にリーク、実行犯は見廻組、という組み立てです。



もちろん、薩摩藩→見廻組という直結繋がりはありえないので、その間に様々な人間が介在していたのは確かなのでしょう。

勝海舟が言うところの「榎本対馬守」が直接的な暗殺の指揮者だったというのも、何となく信じられますが、しかし其処にどうやって薩摩が介在したのか、それは何とも……。というところです。




……まあ、そんなわけで書き始めると終わんないので笑) これくらいにしますが、要するに今井信郎という人物、そして西郷の間には、極めて小説的な物語がある(らしい)のです。もちろん、このへんも多数の小説やドラマが今まで書かれ、そして大抵、西郷が「実は冷血な、残虐な面もあった」と、締めくくられるのですが……。




ま、西郷が龍馬と最後まで友の契りを結んでいたかは別として……。


西郷にその生命を救われるほどの今井信郎の魅力を(簡単ですが)書いていきたいと思います。




まずはその剣客・剣士としての腕前から。


今井信郎が坂本龍馬暗殺部隊のひとりとして、京都に赴いたのは暗殺の一ヶ月ほど前。

急遽集められた、というのがふさわしいせわしなさです。しかも、その時は生まれたての赤ん坊と妻を京都まで伴っての参集でした。


たぶんですが、今井としては激動の京都に敢えて妻と子を伴ったのは、自分の最期も有り得るのではないか、と想像していたか、京都守護職に対する自分の誠忠さ、真剣さを示すためだと思います。他の志士たちが、あえて家族を伴って危険極まりない京都に連れてくる、というのはあまり聞きませんしね。


家族ぐるみで、幕府に対してどこまでも忠義を尽くす、との覚悟だったのでしょう。


ちなみに、妻の「いわ」は、今井信郎とともに後に静岡県に移住するのですが、そのときに住居に暴漢が襲ってきたとき、真剣を抜く今井信郎の横で、鎖鎌を手に暴漢に対して睨みつけて身構えたと言う豪傑ぶりです。


おそらく、主人が激動の京都で名誉ある職に就き、幕臣として命をかけて戦うのだ、ということを知り、自分も共に京都に行く、と言ったのではないかと思います。でなければ、乳飲み子を抱える女性がそんな暴挙に出るはずがありません。


妻「いわ」も、凄まじい女性なのです。実は彼女も、小説のエピソードに加えようかとずっと思っていた方です。





さて、佐々木只三郎率いる京都見廻組ですが、今井信郎召集より三年前から京都で活躍しており、また今井信郎も京都見廻組のエースとして長年活躍していたわけではありません。


また京都見廻組と新撰組が張り合っていたというのはよく聞く話ですが、坂本龍馬を新撰組が狙っていたのは当然で、リーダー・佐々木唯三郎が多少焦っていたのはあったのかもしれません。


前年、寺田屋でみすみす坂本龍馬を逃し、さらに(鉄砲での)捕方2名の殺害を許した屈辱は忘れ難く、佐々木只三郎も上司から色々と言われていたことでしょう。



そして……薩摩の協力があったかどうかはともかく、坂本龍馬の動向が徐々に判明し、一気に捕縛……と思った時に捕縛・暗殺の手ゴマが足りない。


だから凄腕のサムライがウチに欲しい、と前々から今井信郎は見廻組への参集を呼びかけられていました。まさに見廻組の切り札、エースといってもいいでしょう。


というのも、当時の見廻組は、前提としては旗本や御家人の「次男・三男」で構成されていました(長男は死なれると困るわけで)。


しかし今井信郎は今井家の未来を担う「長男」であり、しかも師匠の男谷信友、榊原鍵吉らと同じく、講武所師範代として期待される確固たる地位を築いていた有名な幕臣だったのです。


それが、人斬りとして、わざわざ京都まで呼び寄せられる……。


そう、それでも佐々木只三郎はどうしても彼の腕が欲しかったわけです。江戸でその名を馳せる、直心影の達人の技を。


水戸の道場破りを……頑丈な面金の上から「竹刀の一撃で」叩き殺したという、その恐ろしい腕前を……。



師匠・榊原鍵吉にその使用を止められた、必殺の「片手打ち」……。




また、京都行きが遅れたのは、旅費等の遅れなど色々あったようですが、しかし前述の家族との同行の可否……といった問題も色々あったのかもしれません。




ちなみに、衝鋒隊を率いて戊辰を戦い抜いたときには、江戸市内には今井信郎の「錦絵」が販売されていたとか。


新撰組の土方あたりとも、共に戊辰を戦い抜いた今井信郎ですが、幕末当時はたぶん、講武所師範代として有名な剣客だったこともあり、江戸では新撰組のメンバーや、土方よりもずっとメジャーな存在だったのでしょう。


何より、天下の直心影流・榊原道場の師範代でもあったわけですから……。





……さて、その1(笑)はこのくらいで。


その2(笑)では、有名な片手打ちのエピソードや、学校建設大好き! という今井の変なエピソードまで色々触れたいと思います。











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