香編 part3:自身
誠は無事湊をデートに誘うことに成功したようだ。
うまく口に出せず、相当苦労したらしい。
自室に戻ってきた瞬間、誠は安堵の息を吐いた。
だが、これでスタートラインに立てた。
香は絶対に成功させようと思った。
香が来て二日目の日も泊まり、次の日は誠の部屋で作戦を練っていた。
二人でベッドの上に座り、雑誌を見ていく。
「いろいろ見て考えたんだけど、ここなんてどうかな?」
香はチェックしたところを誠に見せた。
「へえ~。けっこういいところだな」
そこは旅館だった。
ここからバスで三十分移動しなければいけないが、値段もお手ごろで、良さそうなところだった。
露天風呂から見える景色は最高で、多くのカップルが訪れているらしい。
その近くには公園もあり、そこもベストスポットで、夜景や天気がいい日は満面の星が見えるようだ。
「ここならいいんじゃないかな。けっこう楽しそうだし。明日はここにしなさい」
「うん。ここ気に入ったぜ。よし、さっそく予約しよう」
誠は携帯を取り出す。すると、電話をかけようとしたところで誠の手が止まった。
「香も同じ部屋でいいよな? 三人分頼むぞ」
そこで香は誠の頭をパコンと叩いた。
「あんたバカ? 二人のためのデートなのに、私が一緒じゃ邪魔してるじゃない」
誠は叩かれた頭を擦って香を見た。
「じゃあ、お前はどうするんだよ」
「もちろん行くわよ。ここ本当に良さそうだし。ばれないように、後ろからこっそり来るわ。部屋も別々。あんたはしっかり湊ちゃんをエスコートするのよ」
「あ、ああ、わかった」
誠は再び雑誌に目を通し、携帯で予約を入れる。
隣で香はふっと息を吐いて口元を緩ませた。
本当に誠は世話が焼ける。
誠はいざというときは頼りになる。行動力や優しさをかね揃え、相手のことばかりを考えている。
そんな誠に自分も助けられた。
だが、自分のことになるとほんとダメだった。
こうやって手伝わなければ、デートすら満足にできない。いつしか立場が逆になっていた。
香はクスクス笑った。
今思えば、こんな誠を見るのは初めてかもしれない。つい笑ってしまう。
「なに笑ってんだ?」
誠が疑問の表情で訊いてくる。
「なんでもない。それより、予約は取れたの?」
「ああ。部屋二人分。ギリギリ取れたぜ。一泊二日。ご飯もついてるって」
「そう。良かった。それじゃ、作戦を立てるわよ。絶対成功させるんだから」
二人は雑誌を見て作戦を練っていく。
そこで香はふと思った。
本当に楽しそうだった。
この旅館に行って、自分も好きな人と楽しみたい。
一緒に行って、話して、ご飯食べて。
お風呂に入ったら景色を眺めて、部屋で遊んで、公園に行って星を見ながら過ごして。
香はちらっと誠を見た。
誠と行けたら、一番楽しいだろうな。
思い返せば、誠といるときが一番楽しかった。
学校から下校する時間、休みにどこか行って遊んだり、散歩にいったり。
それだけで満足するほど幸せだった。
ならば、この旅行にだって行けば、あのとき以上の楽しさが自分を包んでくれるはず。
行きたい。楽しみたい。幸せになりたい。誠と、一緒に過ごしたい。
「ねえ、誠」
「ん? なんだ?」
誠は香を見る。そこで香は気づいた。
誠の心は湊のことばかりでいっぱいだった。
湊とこの旅館でどう楽しく過ごすかということしか考えていない。
自分が入り込む隙など、微塵もなかった。
香は笑みを浮かべると手を振った。
「あ、ううん。なんでもない。楽しんできなさいよ」
「ああ、もちろん」
誠は笑みを返すと、再び雑誌に目を通していった。
香はそっとうつむいた。
そうだ。自分は手伝う。サポートするだけだ。それだけでいいはずだ。
もう、誠は自分のことなんて、考えていないのだから。
そう思うと、少し寂しい感じがした。
あの時のように、自分だけを見て欲しい。
そんなわがままを、つい抱いてしまった。
「それじゃ、明日は楽しみなさいね」
三人で夕食を食べたあと、香は自分の家に帰ることにした。
玄関で香は靴を履き、誠と湊は見送っている。
「でも、香さん。せっかく帰ってきたのに、私たちだけ旅行に行っていいの? 今からキャンセルして、この休日中は」
そこで香は湊の口を人差し指で抑えた。
「私に気を使わないの。私も勉強で忙しいからね。帰ったら宿題やら何やらたくさんやることがあるの。だからいいのよ」
香は優しく微笑む。
そんな香見て、湊は同情したように悲しげな目になっていた。
「そうですか……。兄さん、家まで香さんを送ってあげてよ」
「え? ああ、そうだな。送ってやるよ」
「ふふ。ありがと」
香はニコッと笑みを浮かべた。
綺麗な星が瞬く中、二人は夜道を歩いていた。
閑とした静寂に包まれ、自分たちの砂利を踏む足音だけが耳に響く。
誠と香は夜空を見上げながら、ゆっくりとした足取りで歩いていた。
「明日は頑張りなさいよ。最低でも、キスくらいはしなさい」
「き、キスって……できるかな?」
「できなくてもするの。男がそんな臆病でどうするのよ」
そこで香は誠の背中をバチンと叩いた。
誠は呻き声を上げると、痛そうにうずくまり、背中を擦る。
「お、お前、なんか乱暴になってないか……?」
「そう? 気のせいよ」
香は可笑しそうに笑い歩いていく。
誠も笑みを浮かべて着いて行った。
「あ、そうだ。誠。あそこに行こうよ」
「あそこ?」
香の要望で、二人はある場所を訪れた。
本来夜は立ち入り禁止だが、静かに忍び込み、少し薄気味悪い雰囲気の中を通り、階段を登って上へと目指して行く。
そしてドアを開け、ようやく目的地へと辿り着いた。
「わあ~。ここも久しぶりだな~」
香は両腕をいっぱいに広げ中に入った。
二人は屋上に来たのだ。
夜空の中明るく照らす月が浮かび、星が輝いている。
目の前の景色は、商店街や住宅街から漏れる光で眩しく、イルミネーションのような見事な夜景だった。
「すごいね。綺麗だよ」
香はフェンスまで近づき、じっと夜景を見ていた。
そして静かに思い出した。
この場所で起こった、誠との思い出を。
出会ったのもここだった。
一人ぼっちだった自分の心を癒してくれる場所に向かい、ここで転校するかしないか考えようと思い、重い鉄格子の扉を開けた。
そこには一人の生徒がいた。
空を見上げ、寂しそうな表情で立っていた。
香はその生徒が同じクラスの清水誠だとわかった。
そしてそっと心を読んだ。
誰か死んだようだ。
誠の心は暗闇に取り込まれ、抜け出せないように濁っていた。
最後に、この人の心を自分の力で助け出そうと思い、手伝うことにした。
それから誠と一緒にいる時間が多くなった。
妹の湊やその親友の瞳と昼食を食べ、久しぶりに学校が楽しいと思えてきた。
そして、あの噂のせいでまた地獄の苦しみを味わった。
誠は信じてくれると思った。
あんな噂、嘘だって。
でも、誠は迷った。否定してくれなかった。
また、一人になるのだと思った。
もうあんな苦しみを味わいたくないのに。
でも、誠は最後には信じてくれた。
わざわざ家に来て、信じてくれるといった。
そのときどんなに嬉しかったか。やっと、自分にもこんな友達ができたと思った。
そして誠のおかげで親友だった一河岬とも仲直りし、全て元に戻った。
でも、最後に自分は転校することを選んだ。
ずっといたかった。誠のそばにいて、楽しい時間を過ごしたかった。
でも、それではダメなのだ。
それではいつまでも誠を頼りにし、一人では生きていけなくなってしまう。
だから、転校することを選んだ。
でも、やっぱりつらかった。
そこで最後に恋人としてデートして欲しく、誠に頼んだ。
うまくいった。最高の思い出ができ、思い残すことはなかった。
だが、未練は残ってしまった。
自分は、誠のことが好きだ。
こんなにも人を好きなったのは初めてだった。
どうしようもなくこの感情が溢れ、抑えることができなかった。
別れたくない。会えなくなるなんて寂しすぎる。
だから、私はこの想いを伝えた。
その想いは届かなかった。
でも、もうよかった。伝えることができただけで、十分だった。
我に帰った香は、そっと誠を見た。
隣に立ち、同じように夜景を見ている。
そんな姿を見て、香の心はドキッとした。
頬が熱くなり、体が熱を帯びたようだった。
香の視線に気づき、誠がこっちを向いた。
「ん? どうかしたか?」
「う、ううん。なんでもないよ。なんでも……」
香はうつむき、誠から視線を外した。
もう、自分は振り切ったはずだ……。
屋上を後にし、二人は香の家に着いた。
香は家の前で誠に振り返った。
「ありがと、誠。送ってくれて」
「これくらい、お安い御用だよ」
「さすが誠。優しいね」
香は誠に近づくと、ポンと肩に手を置いた。
そして優しく笑みを浮かべて言った。
「誠。あんたの一番のいいところはその優しさだよ。湊ちゃんを、その優しさで幸せにしてね」
「ああ。わかってるよ」
香はうなずく。
「またね。明日、頑張りなさいよ」
そういって香は家の中に入っていった。
誠は軽く笑みを浮かべ、家に帰っていった。
玄関で、香はその場に立ち尽くし、自分の胸を抑えた。
「なんだろう。この気持ち……」
香はぎゅっと拳に力を込め、静かに自分の部屋に向かった。




