20話
「……お手柔らかに頼む」
「いいえ?やるなら全力よ」
ハサミを構えたあづさを前に、ギルヴァスは身構えていた。
あづさは何やら楽しそうで、ギルヴァスにはそれが何とも恐ろしい。
……だがあづさは、そんなギルヴァスを見て吹き出した。
「冗談よ。切り揃えるだけ」
そう言いつつあづさはギルヴァスの後ろに回り、早速、ギルヴァスの髪に櫛を通していく。
「わー、すごい絡まり具合ね!」
「ここしばらく、櫛などまともに使っていなかったからなあ」
「道理で櫛が出てくるまでに時間がかかったわけだわ」
櫛とハサミはギルヴァスが持っていたものを使っているのだが、両方とも随分長いこと使われていなかったらしく、探し出されるまでに時間が掛かったのである。
古びた櫛を手に、あづさはギルヴァスの髪を梳く。初めは酷く引っかかってまともに櫛の歯が通らなかったが、あづさが根気よく梳かしていくと、やがてそれなりに滑らかに櫛が通るようになる。
「よし。じゃあ枝毛の酷いところは切っちゃうからね」
あづさはそう言って、ハサミを動かしていく。
他人の髪を切るのは初めてだったが、数度ハサミを入れれば慣れてきた。元々自分の前髪程度は整えているし、そもそもあづさは器用な性質である。髪を少々切り戻して切り揃えるくらいなら、なんとかなった。
サクサク、と髪が切られる音が小さく響き、ギルヴァスは落ち着かない気持ちでいたが、身じろぎする度あづさに怒られる。
そうしている内にギルヴァスはいよいよ観念したように大人しくなり、あづさは意気込んでハサミを動かしていくのだった。
「はい、できたわよ」
最後に前髪を整えて、あづさは作業終了を宣言した。
「ん、そうか。どれどれ」
ギルヴァスは古ぼけた鏡を覗き込み、ほう、と唸った。
「顔がよく見える」
「ええ、そうね。前髪切り揃えてちゃんと分けて流して顔が見えるようにしたもの。見えるようになってなきゃおかしいでしょ」
「そうかあ」
角度を変えてギルヴァスは自分の頭を一通り眺めて、頷いた。
「さっぱりしたなあ」
「……なんというか、あなたの感想ってすごくシンプルよね」
「しんぷる」
「単純って意味よ」
あづさはため息を吐きつつ、床に散らばったギルヴァスの髪を掃いて片付けつつ……ちら、とギルヴァスを見て、言った。
「……あなた、ちゃんとしたら結構男前よね」
ギルヴァスは少々驚いたような顔をして……首を傾げた。
「……そうか?」
「そうだって言ってるでしょ」
「……そうかあ」
ギルヴァスは何やら考え、やがて、今の自分の状態を現す言葉を見つけた。
「照れるなあ」
「自分が他人に言う分には照れない癖にそこは照れるってどうなのよ!」
全く、とぼやきつつ、あづさはギルヴァスに向き合い、正面から言う。
「いい!?折角持ってるものがあるんだから、有効利用してよね!背筋伸ばして!気の抜けた顔してないで!」
「俺が急にそうなったら驚かれるぞ」
「驚かせてやるのよ!いいわね!?」
あづさはそう言い放って、また床掃除に勤しむのだった。
……ギルヴァスは髪の量が多く、切り揃えるだけでもそれなりの量の髪が床に落ちてしまっている。
それを見て……あづさはふと、思った。
これ、とっておいたら何かになるかしら、と。
「そういうわけで、身代わり壱号よ」
布袋に切った髪を詰めててるてる坊主のような格好に整えただけのものを作ってみたところ、ギルヴァスには「いいクッションだな」と好評だった。
翌日からは、鉱山へ潜ることになった。
「じゃあ、お互い気をつけて作業しましょう」
「ああ。まあ、体は守れているからなあ、心配は要らないと思うが」
「天井向いた時に目に硫酸が落ちてこないとも限らないんだからね」
硫酸銅の脅威に対抗すべく、2人はしっかりしたコートと手袋を身に着けている。フードを被ってしまえば、そうそうはラギトのように火傷することもないだろう。
「しかし……何故、硫酸銅なんて集めるんだ?」
鉱山の中を歩いて、ついでに宝石も集めつつ、ギルヴァスはあづさにそう尋ねる。
硫酸銅が必要だ、とあづさは言っていたが、その理由はギルヴァスも聞いていなかった。考えてみもしたのだが、結局分からずじまいだったのである。
「ああ、それはね。綺麗な毒だからよ」
「……ん?」
あづさの返答に、ギルヴァスは首を傾げる。
「あなたもよく知らなかったくらいだから、硫酸銅の知名度って、あんまり高くないんじゃない?だとしたら、これが毒だって思わない人は多いはずよね?」
「まあ、そうだなあ」
「なら、パーティー会場に持ち込んでも、毒を持ち込んでるとは思われにくいんじゃあないかしら」
「思われない、だろうが……ん?まさか、毒を盛るのか!」
「『ドレスコード』で武器も除外されるんでしょ?なら他の人たちは非武装ってことになるわ。でも、宝石みたいな毒だったら、持ち込めるじゃない。毒を盛るにはピッタリの環境よね」
あづさがサラサラと答えると、ギルヴァスは開いた口を閉じることも忘れてぽかんとするのだった。
そうして2人が城に戻る頃には、硫酸銅の結晶がそれなりの数、入手できていた。
「ギルヴァス。これ、加工できる?」
「まあ、できるぞ。石自体は少し脆そうだが……まあ、やってみようか」
ギルヴァスは手袋越しに硫酸銅の結晶の感触を確かめて、それから道具の類を取り出し始めた。
「しかし、これで風の四天王を暗殺する、ということか?」
「いいえ?そんなことしたら角が立つもの。殺しはしないわ。……というか、どんなに頑張ったところで、気づかれずに飲ませられる限度なんて精々、重体になる程度でしょうね」
「そんなものか」
「毒って味に変化を及ぼすものらしいし。違和感があったら口の中に入れたものを吐き出すくらい、するでしょ?」
あづさの言葉に、ギルヴァスは……ふむ、と唸って、言った。
「……以前、悪くなった麦粥を食べて胃を悪くしたことがあったんだが」
「……ええ」
「少し変だな、とは思ったが、こんなものかと思って食べてしまっていた」
あづさは少々、黙った。
ギルヴァスも黙って、道具を出したり、硫酸銅の結晶を見たりしていたが。
「あなたの鈍さは天下一品よね」
あづさはひとまず、そう審判を下したのだった。
「……まあ、風の四天王にはなんとか、硫酸銅一欠片程度は食べさせる予定よ」
ギルヴァスの鈍さはさておき、あづさは計画をギルヴァスに説明していく。
「程よく酔っぱらって判断力が鈍った頃に、味の濃いものか香りの強いものに溶かして飲ませちゃうのが良いでしょうね」
「そうか。それなら、蜜酒がいいかもしれないなあ。また今回のパーティー用に仕込んだものがあるようだ。絶対に出てくるだろう。あれは香りが良くて甘い酒だ。条件は満たしていると思うぞ」
「ふふふ。じゃあそうしましょうか。カクテルにしてお出ししちゃいましょ」
あづさはくすくす笑って、決まり、とばかりに指を鳴らす。ひとまず、これで風の四天王に毒を盛る算段は一段、整った。
「風の四天王が突然倒れたなら、きっと誰かが解呪の宝珠を使おうとするでしょう。それが出てきたらすぐ、偽物とすり替えちゃうの。それで本物の宝珠を持って帰ってきましょう」
「成程。それで解呪の宝珠を取り返したなら、侵食地帯の呪いを解いて……」
「気づいた風の軍勢が攻めてきたら、戦争ね。尤もその時の相手は、四天王を毒で倒された状態なわけだけど」
真っ先に風の四天王を毒で弱らせておけば、こちらとしては戦いやすく、相手としては戦いにくい。少なくとも、全力をかけた全面戦争はしにくいだろう。
なのであづさ達は風の四天王達が出あぐねている間に侵食地帯を整備して、侵攻に耐えうる力をつけてしまえばいいのだ。
「……それから、時間稼ぎと保険の為に他にも犠牲者を出すつもり」
続いてあづさは、もう1つの『保険』についても説明する。
「他の?それは誰だ」
あづさはギルヴァスが道具を取り出しつつ自分の言葉に耳を傾けているのを確かめて、言った。
「私よ」
「……君が?君が、毒を飲むのか?」
「そうね。私だけじゃなくてもいいけれど、少なくとも私は確実に、毒を盛られた方がいいと思うわ。勿論、死ぬ気なんて無いわ。死なない程度の分量に調節して盛るけれど」
あづさがあっさりと答えれば、ギルヴァスは唖然とし……やがて道具の類を全てそのままに、あづさへ険しい表情を向ける。
「そういうつもりなら、この石は細工できない」
「……もし、風の四天王に毒が効かなくても。もし自分が主催したパーティーで大っぴらに『呪い』の毒にやられた人が出たら、風の四天王は解呪の宝玉を持ってこないわけにはいかないわ。そこで私が中毒してれば、解呪の宝玉を取り返すきっかけは作れると思わない?」
「なら俺が毒を飲もう。君よりは体が頑丈だ」
「風の四天王、或いは他の四天王が狙うとしたらあなたより私だわ。より自然な方がいいでしょ」
「そうは言っても……」
ギルヴァスは渋い顔でむっつりと黙り込む。反論は思いつかないが、譲る気もない。そんな思いが伝わってくる。
あづさはそんなギルヴァスに苦笑しつつつ、諭すように言う。
「それに、毒を盛る相手が私自身なら、死なない程度に分量を調節するのもそんなに難しくないわ。けれど、他の相手じゃそうもいかないでしょう?風の四天王側を混乱させるにはこれが一番良いのよ。それに、私が『犠牲者』になれば、それをネタに風の四天王側を強請れるかもしれないじゃない?」
最良の選択でしょう、とあづさが踏み込めば、ギルヴァスはじっと黙ったまま、考え込んだ。
「ねえ、ギルヴァス」
「少し黙っていてくれ。考えたい」
あづさがせっつこうとすると、ギルヴァスはいっそ冷たく感じさせる程にきっぱりと言って、宣言通りに黙って考え続ける。
……まるで大岩か何かのように、静かに黙って、動かないまま、ギルヴァスはそのままで居続け……あづさがいい加減痺れを切らす直前に、やっと口を開いた。
「……俺に、任せてくれないか」
「水の四天王は、毒に敏感だ。触れた水の事は大抵分かるらしい。その水に毒が溶けているか、も」
「ちょっと、そういう情報あるなら先に言っておいてよ」
あづさが抗議の声を上げると、ギルヴァスはすまん、と言いつつ、先を続けた。
「全員が飲む酒の壺に毒を入れれば、皆が飲む前に水の四天王が気づく。全員が毒を盛られるが、その前に毒は取り除かれる。全員が攻撃の対象で、全員が無事に済む。……それでは、駄目か」
ギルヴァスはじっとあづさを見つめ、あづさはその目に射竦められながら、考える。
……あづさが『犠牲者』になると、何かと便利なのだ。
まず、毒を盛った張本人だとは思われにくい。単なる被害者のふりをしていられる。
そしてギルヴァスにも説明した通り、風の四天王にもし毒が効かなくても、解呪の宝玉を持ってこない訳にはいかなくなる。解呪の宝玉を探す為にはこうするのが安全なのだ。
「……もし、風の四天王が毒を飲むより先に水の四天王が毒に気付いちゃったら、全てが水の泡だわ。そうなったらもう、解呪の宝玉を回収するのは難しい」
「それも俺が何とかする」
何とかするってどうするのよ、とあづさは思ったが、ギルヴァスはじっと、祈るようにあづさを見つめている。
「あづさ」
……見つめられて見つめられて、あづさはいよいよ、悟った。
自分はどうやら、ギルヴァスにこうして見つめられるのが苦手なのだ、と。
「……分かったわよ。ただし、毒を盛るタイミングは、全員で一斉に乾杯した後からのどこか。私が指示を出すけれど、いいわね?」
「ああ。それでいい。ありがとう」
「お礼言われるような事なにもしてないんだけど」
あづさはやれやれとばかりにため息を吐いて、どうにも甘い四天王を小突く。
「いい?絶対に成功させるわよ。風の四天王は重体にする。そして解呪の宝玉は奪還する。それでいて、あからさまに私達が犯人だっていう証拠は残さない!いいわね?」
「ああ。頑張ろう、参謀殿」
「あなたもね!四天王!」
にこにこと楽しげなギルヴァスをまた小突きつつ、あづさは、本当にこいつ分かってんのかしら、と少々不安になったが……考えていても仕方ない。
数日後のパーティーに向けて、他の準備を進めていくことに決めた。




