第15話 始動
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夜明け前、灰色の霧が漂う峡谷の奥へ、ACBの秘密部隊が足を踏み入れていた。
選び抜かれたのは黒印職員の中でも限られた精鋭と、ひとりの金印のみ。
彼らの背に刻まれた符は、過去に幾多の現象体を制圧してきた証だった。
「座標はこの先だ。“王”はもう逃げ場を失っている。」
冷徹な指揮官の声が霧に溶け、部隊は一糸乱れぬ足取りで進む。
谷底に開いた深紅の門──そこに“怪異の王”が眠っていた。
その姿は巫女のようでもあるが、目に映すだけで空間が軋み、時の流れすら狂う。
手負いのはずなのに、人知を拒む圧が、なお滲んでいた。
しかし、職員たちは怯むことなく異相封印器を展開し、透から得たデータをもとに奇怪な呪文を唱えていく。
ザ、ザザッ────
展開した封印器の周囲が砂嵐のように歪み、これまで収容してきた現象体がゆっくりと顕現した。
無限水路。リコリスの人魚。湖神。血に濡れた鉄馬。
かつて敵だった存在を、今は駒として呼び戻す。
彼らの存在に気づく王であったが、抵抗も虚しく追い詰められていく。
いくら王と言えども、これだけの戦力を相手するには荷が重すぎた。
現象体の猛攻に体力が奪われ、その隙を狙って鎖が絡みつく。
徐々に動きが制限され、やがてその圧倒的な存在は無力化された。
「自身が生み出した怪異によって収容されるとは、皮肉なものだな。」
金印職員が王の胸に特殊な封印符を挿し込む。
「......っ」
憎しみを込めた瞳で痛みを押し殺し、目の前の敵を見据える。
しかし、その怨恨が届くことはなく、金印職員は淡々と部下に収容指示を出す。
かくして、かつて王として君臨した存在は呆気なく封じられていった。
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数日後。
「じゃーん!異動決まりました!」
楓が辞令を突き出し、にやりと笑う。
「......鎮圧課?」
俺が目を細めると、彼女は胸を張った。
「そうです!ずっと行きたかったんですよ。やっと思いっきり戦えます!」
陣が呆れたように鼻を鳴らす。
「物好きだな......まあ、お前なら向いてるかもしれんが」
(向いてる?そんなキャラだったっけ……?)
俺が違和感を覚える横で、楓が答える。
「ええ!配属されたからには思いっきり暴れちゃいますよ♪」
その口調は後輩らしい軽さに満ちているのに、瞳の奥はどこか危うく燃えていた。
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その後、俺たちは新たな任務に参加していた。
内容は『真紅の花』の収容。
詳細は伏せられているが、黒印職員も同行していることから壱等級以上の現象体であることは明らかだった。
現場につくと俺、タマ、楓は黒印職員に指示され、部隊と離れた場所の影響調査を任された。
陣は本来黒印職員と同行する予定だったが、無理を言ってこちらへついてきてもらった。
話によると、どうやら本体は向こうで対応するらしい。
しばらくして指示されたポイントに到着する。
そこには辺り一面に真紅の花畑が広がっていた。
しかし、その見た目は今まで見てきたどの花とも似つかわしくなく、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。
「気味が悪いのう。」
タマも毛を逆立てて警戒していた。
歩みを進める中、急に吐き気を覚える。
「うっ.....」
咄嗟に俯くと、そこには異様な形相でこちらを見上げる花が一面に咲き乱れていた。
濡れたように艶やかな花弁。
人の血を吸い上げて咲いたのでは、と錯覚するほど赤黒い。
甘ったるい香りが肺を侵し、頭の芯がじわじわと痺れていく。
「......なんだ...これは...」
横を見ると、防穢マスクを押さえつつ、陣も苦しそうに顔をしかめていた。
そのとき。
前方に巨大な花が現れ、艶やかな女の姿が浮かび上がる。
肌は白磁のように滑らかで、唇は濡れた紅。
揺れる髪の間から覗く瞳が、透達を絡めとるように光る。
『ようこそ......私の庭へ。あなたも、溺れてしまいなさい』
声が響いた瞬間、俺の隣にいた陣がふらつき、花畑へと倒れこむ。
肩を掴もうとしたが、力が抜けていく。
赤い花弁が視界を覆い、耳元で甘い囁きが重なる。
『ほら......来て。全部...受け止めてあげるわ......』
心臓が異様に早く打ち、頭の中が霞む。
狐の瞳を握りしめるが、力が入らない。
気づけば自分の足が勝手に前へ動き出していた。
「透さんッ!」
楓の声が鋭く割り込む。
視線を向けると、彼女だけは眉ひとつ動かさず女の幻影を睨んでいた。
「......どうやら、私には効かないみたいですね。透さん、今は先輩をお願いします。」
そう言うと現象体に向かって戦闘態勢を取る。
「今度はこちらから行かせていただきますよっ......!」
にやりと笑った彼女は500番台の印が刻まれた刀を抜き、花畑へ躍り込んだ。
次の瞬間、刃が赤を裂く。
「く......っ!」
女の幻影が顔を歪め、花弁が爆ぜるように散った。
だが同時に、赤い花が一斉にうねりを上げる。
まるで意思を持つ触手のように茎が伸び、楓の身体を絡め取ろうとする。
「ふふっ......楽しいですね。一度こんな風に暴れてみたかったんです♪」
楓は笑い声を上げ、絡みつく茎を斬り払う。
斬撃が走るたび、鮮血のような花弁が宙を舞った。
初めて見る楓の一面に気をとられながらも、俺は歯を食いしばり、手を握り込む。
掌から現れたのは鉱石を操る現象体──巨大な結晶が隆起し、地を覆った。
無数の赤い花が結晶に押し潰され、悲鳴のような音を立てる。
それと同時に、陣を覆っていた花々も引いていく。
「......う」
気は失っているが命に別状はない。
陣の無事を認識した楓が、女の幻影へ刀を振り抜く。
結晶と刃の連撃に、真紅の花はついに悲鳴を上げ、幻影の女が形を崩した。
『いや......いやァ......』
艶やかな声は掠れ、花々は灰となって散っていき、やがて俺の掌に吸い込まれていった。
静寂が戻る。
「......収容完了」
息を吐きながら告げると、楓は汗を拭い、無邪気な笑顔で花畑を見つめていた。
あれだけの戦闘をしたというのに、その表情に疲れはない。
それどころか、まるで快感を噛みしめるように見える。
俺がそんな彼女に微かな恐怖を覚えた瞬間、楓はゆっくりとこちらを振り向いた。
しかし、その瞳はもう、先ほどの後輩のものではなかった。
そして、口を開く。
「────透さん。ここで死んでください。」




