54話 もう逃げません
「ミコト様、私はミコト様のご指示に従いますよ」
「ルカ……?」
苦しげに思考を巡らせている俺を見かねたのか、俺を庇って前方に立っていたルカが優しい声色でそう呟いた。
「むふー! 私はミコト様が死ねと言えば死にますし、生きろと言えば絶対に生き延びてみせます。だから、ミコト様はどっしり構えて……ただ、命じてください」
「……おいおい、そうは言われても」
ルカの高い忠誠心は嬉しいが、それに甘んじて彼女や他の子達を危険に晒すわけにはいかない。ハーレムを守らなければならない立場なら、なおさら――
「不本意だけど、アタシも同感ね。どうせ契約のせいでアンタの命令には逆らえないし……ちょうど、あのムカつく女をぶっ飛ばしてやりたかったところよ」
「まさかとは思いますけれど、このままワタクシのアスタロトを引き渡すつもりじゃありませんわよね? そんな事、ぜぇったいにっ!! 許しませんわ!!」
「あややややぁ、こんなにも早く支配者クラスの方とドンパチやる事になるとは手前めも年貢の納め時ですかねぇ。しかし、悪い気はしませんよ!」
「ぬぅんっ! 勇士よ! 決断に困っているのなら、吾の旗が力を貸すぞ!!」
「お前達まで……!?」
きっと、こうして名乗りを上げた全員とも……本心ではバエルと戦う事が恐ろしくて仕方ない筈だ。その証拠に、未だに体は震えているし、覚悟を決めた表情に反して額には大粒の汗が浮かんでいた。
でも、それでも。
彼女達は選んでくれた。俺にその命を委ねて、この決断を選ばせてくれた。
「ああ、そうだよな。俺のハーレムに加わる嫁は、全員平等に愛さなきゃいけないんだ。誰かを犠牲にして幸せを得るなんて、俺のポリシーに反するぜ」
これ程の勇気と覚悟を見せられて、この最高に可愛い女の子達を束ねるべきハーレムの主たる俺が、情けない真似を晒すわけにはいかないよな。
「悪い、ヴァサゴ。お前が色々と思案して、俺達の為にベストな行動を取ってくれていたのは分かったんだけど……やっぱり俺って、欲張りみたいでさ」
危険な判断だと警鐘を鳴らし続ける理性を、俺は自らが信じる本能で抑え込む。
緊張から喉はカラカラで、声が枯れかけているが、それでも構わない。
「俺はアスタロトも、お前も、諦めたくないんだよ」
「元マスター!? 正気、ですか!?」
俺の決断が信じられないと言いたげに、激しく狼狽えるヴァサゴ。
一方、そんなヴァサゴの隣に立つバエルは、彼女の狼狽に反して、心の底から嬉しそうに口角をつり上げた。
「まぁ! 平和的に済ませる道もあるというのに、わざわざ愚かな選択を選ぼうというのね?」
「俺的には、目の前に現れた美少女達を手にする事ができずに諦める方が、馬鹿な選択だからな。それに俺は……今からお前も、手に入れるつもりなんだぞ」
覚悟を誇示するように、俺は右手に嵌めたソロモンの指輪を、握り拳ごとまっすぐ突き付ける。
本音を言えば、今でもバエルの事は直視もしたくないし……美少女に対する好感よりも、彼女の内側から溢れ出るドス黒い本性への嫌悪の方が断然強い。
しかしそれでも俺は、ソロモンの魔神全員をハーレムに加えると誓ったんだ。
気に入らなかった子だけ除外して作ったハーレムの中で、胸を張って女の子とイチャイチャするなんて――俺にはできない!
「……この妾も自分の女にするというの? あの偉大なソロモン様の生まれ変わりである……アナタが?」
「ああ。でも、ぶっちゃけると今のお前は見た目しか好みじゃねぇから、契約を交わした後は俺がたっぷりと矯正……もとい、調教してやるよ!」
「なぁっ……!? 元マスター!! もうやめてください!」
当然の如く、ヴァサゴは俺の決断を必死の剣幕で引き止める。
この子は本当に優しい子だから、俺達がむざむざ危険を冒そうとする事を見逃せないのだろう。
自ら汚れ役を買って出て、バエルにアスタロトを引渡そうとしている事からも、彼女の持つ優しい心が伺い知れるというものだ。
「自分の言っている事が、分かっているんですか!? どうして!? どうしてアナタはいつだって!! ヴァサゴの、ヴァサゴの予想を――」
「……もういいのですよ、ヴァサゴ。これ以上無理をしないでください」
「えっ……?」
怒鳴るように言葉を捲し立てていたヴァサゴだが、不意に自分が抱き抱えていた少女から声を掛けられて……素っ頓狂な返事を漏らす。
「アスタロト!? アナタ、起きて……っ?!」
「実を言いますとね、割と最初の方から起きていたんですよ。いくら私がお寝坊さんでも、あんなにも大声で騒がれたら目を覚ますというものです」
サラサラの金髪を揺らし、顔だけをこちらに向けて微笑むアスタロト。
こんな状況だと言うのに、なんともマイペースというか、落ち着き払っているというか。ヴァサゴと同じく、色んな意味で俺達も驚かされる。
「まぁ、アスタロト。アナタも意地が悪いわね。最愛の伴侶たる妾が会いに来たというのに、寝たフリをしていたなんて」
「……お久しぶりです、バエル。話はずっと聞いていましたが、アナタはあの頃から、ちっとも変わっていないみたいですね」
九百年以上もの時を経て、因縁の再会を果たしたアスタロトとバエル。
あれ程の仕打ちを受けたアスタロトからすれば、バエルに対する恨み辛みはそれこそ山積みの筈だが……その口調は実に穏やかだった。
「妾は変わらないし、変わる必要なんて無いわ。変わるべきなのは、妾に従わない愚かな者達だけで十分でしょう?」
「……ヴァサゴ、私の話をよく聞いてくださいね」
傲慢なバエルの態度を見て、まともに会話する事を諦めたのか。
アスタロトはバエルを無視して、自身を抱き抱えるヴァサゴへと語りかける。
「九百年前、私はバエルに逆らって……あのように酷い仕打ちを受けました」
「そう……とても、辛かった筈」
「ええ、とても辛かったです。身動きの取れない体で、私は何度も後悔をして、長きに渡る苦痛から心を折って……ただひたすらに救いを求めていましたから」
「だったら――!!」
「ですが、そんな私の弱い心を、あの方が救ってくださったんです。千年の時を経て、再び私の前に現れて……自身の身を危険に晒してまで」
胸の内を赤裸々に語るアスタロトが、熱の篭った視線を俺に向けてくる。
その華麗で美しい仕草に、俺は思わず、今の状況も忘れて見惚れてしまう。
「魔神でも耐えられない苦痛を、あの方は見事に乗り越えたのです。私を救い、幸せにしたいという一心の元に……」
「むふー!! いいえ違いますよアスタロト!! ミコト様はアナタだけではなく、私達全員を幸せにしようと……もがっ、もがががっ!?」
「うっさいわね、このお馬鹿。少しの間、静かにしてなさい」
空気を読めずに過剰反応を示したルカの口をフェニスが素早く塞ぐ。
アスタロトが目を覚ました事が切掛けとなったのか、あれ程緊張に包まれていた俺達に、いつも通りの空気が戻ってきたのかもしれない。
「そのような決意と覚悟の重みを見せられて、私達も動かないわけにはいかないでしょう? 戦いましょうよ、あの方と共に」
「でも、ヴァサゴは……」
「大丈夫。あの方なら、必ずなんとかしてくださるわ。信じましょう、一緒に」
アスタロトの説得のお陰か、見るからにヴァサゴは心を揺らして迷っている。
ここで俺も何か、援護になる言葉を口にすれば良いのかもしれないが……俺はあえて、そうする事はしなかった。
それは単に、ヴァサゴという少女を……俺が信用しているからに他ならない。
あの子は間違いなく、俺達の力になってくれる筈だと。
「さぁ、ヴァサゴ。勇気を出して――」
「……聞くに堪えない、酷い茶番ね。流石の妾も、かなりムッとしちゃったわ」
いよいよヴァサゴに決断を迫ろうかという瞬間。
遂に痺れを切らしたのか、眉間に皺を寄せたバエルが口を開く。
「妾への謝罪も無く、いつまでもベラベラとくだらない戯言ばかり。アスタロト、アナタにはあの程度のお仕置きじゃ、まだ足りなかったみたいね」
もうその顔に、先程までの余裕に満ちた表情は浮かんでいない。
あるのは、醜く歪んだ怒りの形相だけだ。
「マズイ! みんな、頼む!!」
「分かってるっつーの!!」
「お任せ下さい!! ミコト様!!」
「言われなくても、やってやりますわ!!」
「むぅーん!! いざ、尋常に勝負だ!!」
「あややや、手前めは攻撃が大の苦手なのですが」
バエルがアスタロトに手を出そうとしたのを見て、迅速に攻撃へと移っていく魔神少女達。
しかし、そんな事はお見通しだとばかりに……バエルは俺達の方を一瞥した。
「「「「「「ぐっ……!?」」」」」」
すると再び、先程と同じ強大なプレッシャーがバエルから発せられ、俺達の動きを格段に鈍らせる。
二回目なので流石に膝を折りこそしなかったが、それでも……アスタロトに危険が差し迫ったこの状況では、この遅れは致命的だ。
「そこで見ているといいわ。妾に逆らった者が、どうなるのかを」
「やめっ……ろっ!」
歯を食いしばり、俺は、俺達はアスタロトに手を伸ばす。
だがやはり、どう足掻こうとも……バエルの動きの方が速い事に変わりはない。
「最終通告よ、アスタロト。もう一度妾に、絶対の服従を誓いなさい」
「バエル……前から一度、アナタに言いたかった事があるんですよ」
「あら、何かしら?」
「クソくらえ、です」
「へぇ? それがアナタの最期の言葉になるなんて、とっても悲しいわ」
懸命な強がりを口にしたアスタロトに、向かって無情にも振り下ろされる右腕。
誰もが、アスタロトの死を予感し、目を背けようとした――その時。
「……どういうつもり?」
先に結論を言ってしまえば、バエルの攻撃はアスタロトを襲う事は無く、その右腕は何も存在しない虚空を引き裂いて終わった。
ではなぜ、バエルの攻撃が当たらなかったかと言うと――
「まさかとは思うけど、アナタも妾を裏切るつもりなの? ねぇ、ヴァサゴ?」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………っ!」
アスタロトを抱えていたヴァサゴが、攻撃が当たる寸前のところでバエルの傍を離れ、俺のすぐ隣まで逃げてきたからだ。
「ヴァサゴ、お前……?」
多量の汗を流し、肩で息をするヴァサゴの姿を見れば、彼女が一体どれほどの苦悩に打ち勝ち、この決断を選択したのか……その過酷さが伝わってくる。
「ヴァサゴは、もう逃げません」
そして彼女は一点の陰りも無い、輝かしい瞳で俺を見据えながら……
「だから、マスター。アナタに全てを、託します」
最高に燃える台詞を、呟いてくれたのであった。
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