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52話 はじまりの魔神バエル


 俺が過去に女性から受けた罵倒の言葉は、数え切れない程に多岐に渡る。

 キモイ、ウザイ、うるさい、面倒くさい。

 その一つ一つに、彼女達なりにそう感じるだけの根拠や理由があったのだと思うし、俺は別にそれらの罵倒に対して恨みを抱いてなんかいやしない。

 しかし、たった一つだけ。

 ずぅっと、俺には意味が理解できず……腑に落ちない拒絶の言葉があった。

 俺の事をよく知る子だけではなく、初めて顔を合わせた子さえも口にした、その言葉とは――


「生理的に無理……って、こういう感情を言うのか」


 月の明りに照らされながら、夜風になびく長髪を左手で耳にかける絶世の美少女を前にして……普段の俺からは想像もつかないような感情が溢れ出す。

 大きくパッチリとしたツリ目には、白い瞳が輝きを放っており、その端正な顔立ちを更に現実離れさせている。

 しかも、彼女の顔……肌の色は雪みたいに真っ白で、その身に纏う純白のドレスや髪も合わせてみれば、清廉潔白な女神のように見えない事も無い。

 だけど俺は、彼女の清らかな外見の中に渦巻く……圧倒的なまでのドス黒い何かを感じ取ってしまった。どれだけ性格が悪かろうとも、美少女ならばそれで良いと思っていた俺が、その考えを捨ててしまう程の――


「もぅ、気の利いた言葉を期待していたのに、随分と酷い事を言うのね」


 コツコツと、高いヒールで黄金の床を踏み鳴らすバエル。

 表情は楽しげに笑ってはいるものの、その声に抑揚が無いところを考えれば、彼女がこちらに対してあまり良い感情を抱いていない事は明白だ。


「そこのアナタ達からも、ソロモン様に何か言ってくれない? いくらなんでも、さっきの言い草は酷いと思うでしょう?」


「「「「「っ!!」」」」」


 俺の背後で硬直したままの面々に向かって、バエルは親しげに問いかける。

 けれど、驚愕と動揺から一切動けずにいる彼女達は、誰もその問いには答えようとはしない。いや、答えられないといった方が正確か。


「ミコト様……!! 私の後ろに隠れてくださいっ!!」


 かろうじて、口を開きながら動いたのはルカ。

 彼女は俺とバエルの間に割って入り、その両手を広げて俺を庇う形を取った。

 しかしその体は激しく震えており、表情は青褪めていて血の気が通っていない。


「あらあら、貫きの魔神フルカス! クラスは最下位なのに、とても勇気があるのね! 妾へ最初に立ち向かうのがアナタだとは、予想していなかったわ!」


 そんなルカの懸命な姿を見て感心したのか、バエルは笑顔で両手を叩く。

 可憐な仕草、愛嬌のある微笑み。こんなにも魅力的な要素が溢れているというのに、なぜこんなにも……彼女に対して、嫌な感情がこみ上げてくるのか。


「それに引き換え……アナタは本当に愚図ね、フェニックス」


「っ!!」


「本来、誰よりも先に主人の盾となるべきなのは不死の力を持つアナタじゃない」


「ア、アタシは……」


 元は自分の配下であったフェニスに対し、非難の言葉をぶつけるバエル。

 いつものフェニスなら、強気な態度で反論しそうなものだが、彼女もやはりバエルに恐れをなしているのだろう、その歯切れは悪い。


「気にするなよ、フェニス。お前はさっき、アスタロトを助ける時に力を貸してくれただろ。俺はそれだけでも、十分に嬉しいよ」


 だから何も、自分を責める必要なんて無い。俺はがそう続けると、フェニスはキュッと下唇を噛んで……コクリと力なく頷いた。


「まぁっ、今回のソロモン様は随分とお優しい方ね」


「あ、あの……バエル様! なぜ、この場所に……!?」


 フェニスを庇った俺の姿を見て、口元に手を当てながら驚くバエル。

 一方、そんな彼女の後ろに控えるヴァサゴはおずおずと、バエルの機嫌を窺うようにして、この場の誰もが知りたがっている事を訊ねた。


「ヴァサゴ、随分と野暮な事を訊ねるのね。妾が愛しい子に会いに来るのに、何か特別な理由がいるのかしら?」


 そう言ってバエルは、ヴァサゴが抱えるアスタロトの寝顔を優しく撫でる。

 眠りにつく元恋人に触れる手の仕草はとても優しく、慈しみに満ちており、その場面だけを切り取ってみれば……バエルという少女に好感を抱けるのだが。


「お待ちなさい、バエル!! ワタクシはアナタに会ったら、ずっとお聞きしたいと思っていた事がありますのよ!!」


「……黄金の魔神ベリト。アナタの事は今も昔も嫌いだけど、妾に代わってアスタロトを守っていた功績に免じて……なんでも質問に答えてあげるわ」


 ここでようやく、硬直を解いたGちゃんがバエルに向かって声を張り上げる。

 現状、俺と契約している魔神の中で最も階位の高い魔神である彼女なら、バエルに気圧される事なく対話を行う事ができるかもしれない。


「アスタロトはアナタの恋人だった筈ですわ!! それなのに彼女はなぜ、アナタではなくワタクシ達に救いを求めてきましたの!?」


 確かにそれは、俺も少しだけ不思議に感じていた。

 みんなの話を聞く限り、バエルは相当強大な力を持つ魔神だ。アスタロトが誰かに狙われているのなら、バエルほど頼りになる存在はいないだろう。

 だけど実際は、アスタロトはアリエータではなく、カプリコルムにいるベリト達の元までやってきて……自身の庇護をベリト達に求めた。


「あら。何を知りたいのかと思えば、そんな簡単な事だったの?」


「簡単な事……だと?」


 特に狼狽える様子もなく、むしろ落ち着き払った態度でバエルは目を細める。

 それはつまり、彼女がアスタロトの身に起きた事の全貌を知っているという意味なのか? だとしたら、もっと詳しく話を聞く必要がある。

 そんな風に、俺が思考をまとめかけた直後の事だった。


「だって、アスタロトの力を暴走させたのは、この妾だもの」


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