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51話 まだ話していなかった


 異世界セフィロートの西部。

 始まりの魔神バエルを救世の聖女として崇め、奉っている宗教国家アリエータ。

 その中央に建てられた絢爛な宮殿の、更にその中央……最上階に存在する聖女の座する玉座の間には、巨大な円卓が置かれている。


「なにこれ、まっずーいっ!」


 その円卓に両足を乗せて、行儀の悪い体勢で座している少女の名はマルファス。

 桃色の髪や羊のような巻き角を持つ彼女は、かつてソロモンに仕えた72柱の魔神の1柱であり、現在は魔神バエルに従う配下となっていた。


「パフェもまともに作れないとかさぁ、ぶっ殺されたいわけー?」


 そんな彼女は十数分前、バエルを信奉する信者の一人にパフェ作りを命じていたのだが……そのあまりのクオリティの低さに、機嫌を悪くしているようだ。


「も、申し訳……ぶぶぇっ!?」


「言い訳する暇があったら一秒でも早く作り直したら? 次はマジで殺すからね?」


 恐怖に体を震わせて、謝罪の言葉を口にしようとする若い男性信者の顔に向けて、マルファスは一口食べただけのパフェを容器ごと投げ付ける。

 無論、ガラス性の容器は鈍い音を立てて信者の顔面に激突。男は鼻から血を垂れ流しつつも、ペコペコと頭を下げながら、玉座の間から退室していった。

 こうして残されたのは、不機嫌そうに舌打ちを鳴らすマルファスのみ。


「チッ……どいつもこいつも、役立たずばーっか」


 信者が開いて去っていった扉を見つめ、苛立たしげに愚痴るマルファス。

 しかしそんな彼女の表情は、次のその扉を通ってきた者の顔を見た瞬間に……酷く曇る事となってしまった。


「役立たず、ですか。それはアナタの事を差す言葉では?」


「うげぇっ、鬱陶しいヤツが来ちゃったし」


 カツカツとヒールの音を鳴らし、玉座の間へと入室してきたのはマルファスと同じようにバエルに付き従う魔神――アガレスであった。

 もっとも、隙があればバエルの寝首を掻こうと目論むマルファスと、バエルに対して絶対の忠誠を誓っているアガレスとでは、その立場も大きく違うのだが。


「またくだらない雑事を信者に押し付けたのですね。何度も言っていますが、彼らはバエル様を信奉する者達であり……アナタの信者ではないのですよ」


「はぁ? 誰を信奉していようがなんだろうが、アイツらが下等生物である事は間違いないじゃん」


 だから魔神であるウチに従うのは当たり前だと、マルファスの目は語っていた。

 それに対し、マルファスの主張を黙って聞いているアガレスの鋭い瞳は恐ろしい程に冷たい。高貴で気品に満ち溢れた神官を思わせる白い装束とは裏腹に、その瞳の奥にはドロドロとした悪意と殺意が沸々と煮え滾っているのだ。


「……図には乗るのはよしなさい。バエル様の前では、誰であろうとも下等生物なのです。アナタは当然として、この私でさえも」


 ズンッと、玉座の間を包む空気が一変し……マルファスの顔から余裕が消える。

 これ以上挑発すれば、目の前のアガレスは間違いなく自分を殺しに動く。千年近い付き合いであるマルファスには、それが手に取るように分かっているのだ。


「はいはい、ちゃんと分かってるし。そんな下等生物の私達を分け隔てなく重宝してくださるバエル様は、なんて寛大で素晴らしいお方なのか……でしょ?」


「ええ、その通り! バエル様こそ! この世界を治めるに相応しい王の器!!」


 マルファスとしては、嫌味半分で口にしたつもりの言葉であったが、熱狂的なバエル信者であるアガレスにはそんな皮肉すらもまるで通じていない。


「ふーん? でもさぁ、滅多な事は言わない方がいいんじゃない? そういう前置きってぇ、誰かに足元をすくわれるフラグになりそうだし」


「ありえません。私やお前ならばともかく、バエル様が遅れを取る相手など存在する筈がありません。それがたとえ、他の支配者クラスの魔神であっても」


 絶対の自信を持っているのか、アガレスの言葉には確固たる意思の強さが伺える。

 総勢10柱以上にも及ぶ強大な支配者クラスの魔神の面々。その全員と比べても、確かにバエルは最上位に位置すると……マルファスも内心では認めていた。


「そう簡単な話だといいけどね。ウチの見た感じだと、新しいソロモンちゃんだって、結構侮れない相手だと思うしぃ」


「……新しいソロモン、ですか。確か、先だっての報告では随分と、その……形容しがたい人物に変わっているとの話でしたね」


 ソロモンの名前を耳にした途端、アガレスは興味深そうに円卓の一席に腰を下ろす。普段、アガレスがこのように腰を据えて話す相手はバエルだけである事を考えれば、ソロモンという存在がいかに彼女の興味を惹いているのかが伺える。


「まぁねー。あの頃のソロモンちゃんと比べると、覇気もオーラも比べ物にならないくらいゲロ弱でさー、本当にフェニックスを倒せたのか怪しいって感じ」


「だとしたら、ますますバエル様の地位は磐石だと言えるでしょう。唯一あのお方に届きうる牙が、そのような有様であるのなら……何も怖くありません」


 今世のソロモンが未熟であるのなら、敵になりはしない。そう言いたげに口元を綻ばせるアガレスだが、対照的にマルファスの表情は固くなっていく。


「って、思うじゃん? 案外、そうでもないみたいでさー」


「それはまた、随分と含みのある物言いですね」


「あっ、ごっめーん! アンタにはまだ、あの事を話してなかったっけー?」


 飄々とした態度で勿体ぶるマルファスの話し方に、アガレスは不愉快そうに片眉を吊り上げるも……口を挟む事なく続きを待つ。

 主絡みの事では異常なまでに沸点の低い彼女だが、それ以外の事では無駄な労力を使いたくないというスタンスであるらしい。


「いっつもウジウジしているアンタのゴミクズ妹だけじゃ、バエル様からの命令を果たせるかどうか微妙でしょ? だから一応、ウチの使い魔を残してきたわけ」


「……ヴァサゴ。確かにあの子なら、しくじりかねません。無論、そうなった場合はバエル様に代わり、この私があの子を殺すだけの話ですが」


 自分の実の妹を面と向かって馬鹿にされているというのに、気にするどころか賛同の意を示し、あまつさえ物騒な事を口にするアガレス。

 その容赦の無さにマルファスは満足げに頷くと、声高らかに続きを話し始める。


「そんでさぁ、ついさっき使い魔が一匹戻ってきてね。そいつが言うには、あのカプリコルムを覆っていた毒の瘴気――綺麗さっぱり消えちゃったんだって」


「カプリコルムの瘴気が? それはつまり……」


 猛毒の瘴気によって、魔神すらも足を踏み入れる事の敵わないカプリコルム。

 その瘴気をいとも容易く消し去ったとなれば、それを行った人物の力は魔神の能力をも超越しているといっても過言ではない。


「そういう事だねー。いやぁ、只者じゃないとは思っていたけど、本当にカプリコルムを攻略するなんて……ああ、早くソロモンちゃんとヤりあいたーい」


 大きく口を歪に裂いて、狂気に満ちた笑みを浮かべるマルファス。

 紅潮して火照った体はジットリと汗ばみ、いつか訪れるであろうソロモンとの対峙を想う事で、彼女の体内では性的興奮にも似た疼きが駆け巡っていた。


「……なるほど。確かに今世のソロモンは、油断ならない相手のようですね」


 新たなソロモンの底知れぬ実力を知り、アガレスは自分の軽率な侮りを反省。

 親指の爪を噛みながら、バエルに危険を及ぼしかねなかった自らの短慮をどのようにして詫びればいいのか……大粒の涙を瞳に溜めながら、考えていた。


「いえ、ちょっと待ちなさい。マルファス、アナタは先程……【アンタにはまだ話していなかった】と言いましたね?」


「そうだけど? それが何か問題なわけ?」


「問題です。アナタは既に、カプリコルムの件をバエル様にお伝えしたのですね?」


「あったりまえじゃん。アンタがここに来る、数分前くらいの話だけどー」


 あっけらかんと答えるマルファスとは裏腹に、アガレスの表情から一気に血の気が失われていく。賢明な彼女はマルファスの発した一言だけで、自分の知らぬ間に何が起きているのかを理解してしまったのだ。


「では、先程からバエル様のお姿が見えないのは――まさか?」


「きゃはははははっ! やっぱり分かっちゃう!?」


 その顔が見たかったと言わんばかりに瞳を輝かせたマルファスは、唖然として口を大きく開いたアガレスを嘲笑うように……トドメの一言を口にする。


「今頃は、感動の再会を果たしているかもねぇ……?」


 どう転んでも、自分にとっては面白い結果になるに違いない。

 そう確信するマルファスの顔は、そのあまりある絶世の美貌とは裏腹に……陰湿で醜悪な、下卑た笑みに塗り潰されていた。


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