第9話 デカメロン
ミュール救出に成功し、追っ手との距離を稼ぐために走り続けて15分、今俺達は山の麓の畦道をゆっくりと走っている。
ミュールがあまりにも叫び過ぎて過呼吸を起こし、落ち着かせる必要があったのだ。
「どうです、楽になりましたか?」
「はぁ・・・はぁ・・・も、もう大丈夫です。
ありがとうございました・・・」
ミュールはまだ涙を浮かべたままだが、呼吸は落ち着いたようだ。
「ぷっ・・・あはは!あーマジでウケる!!」
俺はミュールを襲おうとしていた奴等を思い出し、笑いが込み上げてしまった。
「昴さん、ミュールは苦しんでいたんですよ!?
それを笑うなんて失礼ではありませんか!!?」
「あぁ、ごめんごめん・・・別にミュールさんを笑ってた訳じゃないよ。
さっきの奴等のビビった顔が可笑しくてさ。
いやぁ、まさかあんなに怖がってくれるとはねぇ・・・あー苦しい!」
俺は怒るクーリエに謝ったが、思い出し笑いが止まらない。
「まぁ、確かにあの怖がり方は・・・ふふっ!
やめて下さい!私も思い出してしまったではないですか!」
クーリエも思い出したらしく、吹き出した。
「こほん・・・それにしても昴さん、お見事でした!
一度停まった時は何を考えているのかと心配しましたが、停まって威嚇したおかげで、彼等も予想以上に怖がってくれたみたいですね。
その後、車を反転させたのが奥の手ですか?
確か、前進中にはバックギアには入らないはずだと思っていたのですが・・・」
咳払いをし、気を取り直したクーリエは、よほど作戦が成功した事が嬉しいらしく、矢継ぎ早に話しかけてくる。
「あぁ、あれは神岡ターンって言う技ですね。確かにクーリエさんの言う通り、通常は前進中にはバックギアには入らないんですけど、タイヤをロックすれば入るんですよ。
2ペダル、セミオートマのシーケンシャルじゃそんな事はまず不可能です。
本来の神岡ターンは、クリッピングポイントを通常より奥にして、スライド中にスピンする前に後進のベクトルを与える事で、車体を安定させて速度を維持しながらコーナーを抜ける技なんですけど、条件が色々と面倒で、使えるコーナーが限られてるんですよね。
ただ、成功すればグリップ走行やドリフト走行よりも速く走れます。
まぁ、今回みたいに前進から車体を反転させて後進へ切り替える使い方も可能ですし、この車は左ハンドルですから、左側にいるミュールさんを乗せるにはこの方法しかないと思ったんですよ。
まぁ、回転数なんかをしっかり合わせないと、ギアに負担が掛かるので難しい技ではありますけどね」
「技ですか・・・習得するのに相当の苦労もされたでしょう。
見知らぬ道でも臆せず走れる胆力、初めて乗る車を正確に操縦する技術、優しい人柄、私は貴方にお願いして良かったと心から思います!」
「いえいえ、クーリエさんのサポートあってこそですよ!」
俺は一応謙遜はしたが、褒められて鼻高々だ。
「・・・ですか一体・・・何なんですか貴方達は!?」
呼吸が落ち着いたは良いものの、状況を全く理解出来ていないミュールが叫ぶ。
説明もして貰えず、ほったらかしにされたのだから仕方のない事だろう。
「ほったらかしにしてしまってすみません・・・私の名はクーリエ、貴女を救ってくださった隣の男性は昴さんです。
昴さんには、貴女を救っていただくために協力していただきました」
クーリエは申し訳なさそうに謝り、自身と俺の紹介をする。
「クーリエって・・・女神様と同じ名前なんですね」
「えぇ、私がそのクーリエです」
「は?」
ミュールはぽかんと口を開けて間抜けな顔をしている。
まぁ、いきなり自分がその女神様だなんて言われたら、こうなっても仕方ないだろう。
俺はミュールの目の前で手の平をひらひらと動かしたが、反応が無い。
気絶してるんじゃないだろうか?
「理解出来ないのも仕方ありませんね・・・。
ですが、私は本当に貴女のおっしゃった女神クーリエです。
今は訳あってこの様な姿をしていますけどね」
「えっ・・・まさかこの魔獣ですか?」
クーリエに話しかけられ、気を取り戻したミュールは、車内をくまなく見渡す。
「ふふふっ、これは魔獣ではありませんよ。
今貴女が乗っているのは、異世界の乗り物で自動車と言う物です。
昴さんは、この自動車を速く走らせる事に長けた方なのですよ。
今回、貴女に危機が訪れている事を知り、私は貴女を救っていただくために、昴さんを連れて参りました」
「えっ、ちょ待っ・・・」
ミュールは理解が追いついていないらしい。
かなり挙動不振だ。
「すぐに理解して頂かなくても構いません。
ただ、私達が貴女の味方である事は知っていてください。
ですので、安心してくださいね」
「あっはい・・・あっ!」
挙動不振だったミュールの顔が真っ赤に染まり、徐々に青ざめていく。
どうしたのだろうか?
「あら大変・・・」
クーリエはすぐに状況を理解したらしく、困った様に呟いた。
自分だけ理解されても困るんだが。
と思っていると、隣から鼻をつく臭いがしてきた。
これはアレだ・・・お小水だ。
ミュールは泣きそうな顔で俯いている。
極度の恐怖と緊張感にさらされ、さらには女神クーリエが自分を助けるために動いていたのだ。
助かった事を理解して、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
「えっと、クーリエさん・・・近くに水浴び出来る川か何か無いかな?」
「ここから北に5kmほど先に水場があります・・・」
「了解です」
俺はミュールを見ない様に前だけを見て車を走らせる。
気にしないフリをしてあげないと可哀想だ。
「うぅ・・・もうお嫁に行けないよぉ・・・。
もうヤダーーーーー!!!」
隣から、俺の鼓膜を破らんばかりの絶叫が聞こえた。
「この辺りで良いかな?」
「はい、ここから3分程歩けば小さな滝がありますから、そこにミュールを連れて行きましょう」
俺は、クーリエに詳しい場所を教えて貰い、泣き噦るミュールに辟易しながら車を走らせ、なんとか目的の水場の近くまでたどり着いた。
「ミュールさん、立てる?」
俺は車を降りて助手席側に向かい、ドアを開けて手を差し出す。
「うぅ・・・腰が抜けて立てません・・・」
ミュールは涙を流しながら俺を見る。
まぁ、前髪で隠れていて目は見えないのだが。
「仕方ない・・・ミュールさん、背中に乗って」
「えっ!流石にそれは・・・汚ないですよ」
ミュールは慌てて両手を振って拒否する。
「立てないなら仕方ないだろ?
服は洗えば良いし、正直俺も汗を流したいから水浴びしたいんだよね」
「本当に何から何までありがとうございます・・・」
ミュールは恥ずかしそうに俺の首に手を回し、背中に乗る。
(デカっ!!何このデカメロン!?見た目地味なのに、ヤバイ物隠してやがった!!)
ダボついた服で気付かなかったが、ミュールはかなりの巨乳だった。
背中に当たる乳圧が凄まじい。
『昴さん・・・まだ私と繋がっている事を忘れてませんか?』
俺の脳裏に不機嫌そうなクーリエの声が聞こえてくる。
(仕方ないじゃん!こんなん押し付けられたら、健全な男子は反応するの!!クーリエさんだって解るでしょ!?)
『解りませんよ・・・だって、私は処女ですし』
(マジか・・・)
『えぇ、女神は処女である事も条件ですので』
ヤバイ、俺の想像力が掻き立てられる・・・だが、これ以上はクーリエに殺されそうだ。
(さいですか・・・)
俺は煩悩をタキオンの速さで追いやった。
「行きましょう・・・。
クーリエさん、車はどうします?」
俺は何事もなかった様にクーリエに問いかける。
「見られてはいけませんし、一応分解しましょう。
また後で造り直せば良いですからね」
クーリエもいたって普通に返答した。
聞かなかった事にしてくれるらしい。
俺が車を離れると一瞬だけ眩い光に包まれ、光が消え去ると、そこには何も残っていなかった。
「さぁ行きましょう」
俺の背後から声が聞こえる。
クーリエだ。
「わっ!?えっ、まさかクーリエ様ですか?
あっ・・・すみません」
声に驚いたミュールがクーリエを振り返ると、何故か俺に謝ってきた。
背中に生暖かい湿り気が伝わってくる・・・。
(勘弁してよ・・・下の蛇口緩いんじゃないのこの娘!?)
「もう良いです・・・この際、出し切っちゃって・・・」
「本当にごめんなさい・・・」
俺は涙を流しながら項垂れた。
「昴さんはあちらに、ミュールはこちらへ。
服は私が洗って乾かしますから、ゆっくりと身体を流して下さいね。
それと、昴さん・・・覗きは許しませんよ?」
滝に到着すると、岩を挟んで右側にミュールが、左側に俺が入る事になった。
俺が後から入っても良かったのだが、レーシングスーツの背中に粗相された俺への配慮だろう。
だが、クーリエは威圧感のある笑顔でクギを刺す事を怠らなかった。
今まで色気より車を優先してきた俺だが、女体に興味が無いわけじゃない。
あんなデカメロンを押し付けられたら、正直生で見て見たい気はする。
だが、それをしたら本当に殺されかねない・・・探究心より命の方が大事だ!
「嫌だなぁ・・・流石にしませんって!
やるなら合意の上じゃないとね!俺だってそこら辺は弁えてますよ!!」
俺は冷や汗を流しながら左側に移動し、木陰で服を脱いで水に浸かった。
「おぉ・・・めっちゃ冷たい!凍える!!」
滝の水はかなりの冷たさだった。
歯がカチカチと音を立てて震える。
「そこは我慢してください。
今は向こうの世界で言うと12月位ですからね」
俺の服を取りに来たクーリエは、苦笑まじりに答えた。
「背に腹はかえられないとは言え、風邪引きそう・・・」
俺は寒さを我慢して頭まで水に浸かる。
「この世界に風呂ってあるのかな?あったら嬉しいな・・・」
「きゃっ!?」
俺が仰向けで水に浮かんでいると、ミュールの叫び声が聞こえた。
(追っ手は引き離したからまだ来てはいない筈だ・・・なら熊か何か出たのか!?)
俺は水を掻き分け、急いでミュールの元に向かった。
(別に覗きたいんじゃないよ?あくまで心配だからだよ?)
俺は自分に言い聞かせ、岩の陰からミュールを確認する。
「大丈夫か!何かあったのか!?」
「いたた・・・だ、大丈夫です」
結果を言えばミュールは無事だった。
何かに襲われているって事は無く、ただ岸で尻餅をついていただけ・・・こちらを正面にして。
(大事な所が丸見えだ!!)
俺が岩の陰でガッツポーズを取っていると、俺を見たミュールの表情が赤から青へと目まぐるしく変わる。
そして、大きく息を吸う。
ミュールの大きな胸が、吸い込んだ空気に押し上げられてさらに膨らむ。
「キャーーーーーーーーーーーーッ!!!」
およそ人の肺活量では不可能に思える程の大絶叫が森に響く。
寝ていたはずの鳥たちが驚き、木の葉を揺らしながら一斉に飛び立つ。
「どうしました!?」
ミュールの絶叫を聞き付けたクーリエが焦りの表情で駆けつけた。
「見ないでください!見ないでください!!」
ミュールは泣き叫びながら前を隠す。
そして、服を干していたのだろう、腕まくりをしていたクーリエが、俺を虫を見るような目で一瞥する。
(めっちや怖い・・・!!)
美人が怒るとこんなに怖いのかと心底思った。
死を覚悟した。
「昴さん・・・何か申し開きはありますか?」
クーリエは努めて笑顔だ。
だが口元は笑っていても、目は笑っていない。
「違うよ!不可抗力だよ!ミュールさんの悲鳴が聞こえたから、心配になって見に来たんだ!!」
俺は必死に弁明する。
「ミュール、昴さんの言っている事は本当ですか?」
クーリエは優しくミュールに話しかける。
俺に対する態度とは雲泥の差だ・・・まぁ仕方ないけど。
「それは・・・本当です。
私が水浴びを終えて身体を拭いていたら、滑ってしまって・・・その時の悲鳴を聞いて心配してくださったんです」
(おおお!ナイスフォロー!!ありがとうございますありがとうございます!!不埒な考えをしてごめんなさい、君はクーリエに劣らない女神だ!!)
俺は内心歓喜した。
これで命は救われる。
「ふむ、本当のようですね・・・。
わかりました、信じましょう・・・ですが、今後は気を付けてくださいね!」
クーリエは頬を膨らませながら人差し指を立てて俺を睨む。
先程までの刺すような殺気は消えている。
美人のこう言う仕草はなんか萌える。
「大丈夫だよ!あれだけ忠告されたのにやると思う!?心配して見に来たのに、疑われてたらいざという時助ける事も出来ないじゃないか!!」
俺は、首が飛びそうな程に何度も頷きながら、昔見たアニメのキャラクターを思い出した。
二足歩行のクマのキャラクターだ。
リコーダーを盗み、三角定規で女子のスカートをめくろうとしていた彼奴だ。
変態と言う名の紳士だ。
「そうですね・・・軽々しく疑ってしまい、申し訳ありませんでした。
ですが、そろそろ戻られてください・・・ミュールが風邪を引いてしまいます」
「あぁ、ごめん!」
俺は踵を返して岩から離れた。
(今回は変態紳士の汚名は免れたけど、次は無いだろうな・・・不埒な行動はしないようにしよう!)
俺はそう決心し、ミュールのデカメロンを想像しながら、クーリエが洗濯してくれた服を着た。




