この瞬間がもっと続けばいいのに
目が覚めたのは、アラームより一時間も早かった。
「……浮かれてんじゃねぇよ、俺。中坊かよ……」
ベッドの上で頭を抱えてひとりごちる。
今日は、月平さんとの動物園デート。
まさか本当に約束できるとは思っていなかったし、それが現実になった今、自分でも驚くほど浮かれていた。自分にこんな感情があったのかと、初めて知った。
出かける前、GG4のグループチャットに顔を出すと、案の定全員にいじられた。
《今日は帰ってこなくてもいいからね?》
《門限は19時な(嘘)笑》
《楽しんでこいよ。手くらい繋げよ?》
四宮、井口、齊藤。
3人とも、どこか楽しそうだった。
でも、からかいながらも、ちゃんと応援してくれている。
(……ほんと、ありがとな)
***
待ち合わせの15分前に到着した。
動物園の門の前で待っていると、向こうから歩いてくる人影に自然と目が吸い寄せられた。
パンツスタイルに、フラットシューズ。
肩にかかるバッグは、小ぶりで実用的。ペンギンのキーホルダーが揺れている。
メイクも控えめで、病院で見るナース姿とは違う、休日の彼女がそこにいた。
——めちゃくちゃ、似合ってた。
「お待たせしました」
「いえ、俺が早かったんで」
彼女の姿に思わず表情がゆるむのを感じる。
今まで付き合った女性たちは、デートとなるとワンピースにパンプスが定番だった。
それはそれで似合っていたと思うけど、動物園には不向きだった。
段差も多いし、土もある。汚れるのを気にして、こういう場所を選ぶこと自体、どこか避けるようになっていた。
でも、月平さんは違った。
たぶん、きちんと「動物園に行く相手」として、服装を選んできてくれたのだろう。
それが、素直に嬉しかった。
園内では、たくさん話ができた。
月平さんは俺の2個上の28歳、整形外科病棟に勤務して5年目。新人教育も任され、毎日忙しい、と。
彼女のことを一つ、二つ知る度に心が弾んだ。
そして驚いたのは、動物の話になると饒舌になる自分の話を、彼女がちゃんと聞いてくれることだった。
「このミーアキャット、群れの中で役割分担してて、ちゃんと見張り役とかもいるんですよ。めっちゃかわいくないですか?」
「えっ、そうなんですか? わぁー、ちゃんと組織してる……ミーアキャットって可愛くて賢いんですね!」
「……っしょ? なので、ずっと見ていられるんですよねー」
女性とこんなに会話が弾むのは、いつ以来だろうか。
ペンギンのエリアでは、彼女の目が輝き出した。
「私、ペンギン、すごく好きで。種類によって鳴き声とか泳ぎ方も違うんですよ。私の推しはヒゲペンギンとコウテイペンギンで——」
「あぁ、そういえば、ペンギンのキーホルダー、持ってましたよね」
ペンギンについては、正直、自分より詳しかったかもしれない。
彼女との時間が、心地よかった。
何より——。
「これが…チンチラ。俺がいちばん好きな動物なんですけど」
ころんとした体にふわふわの毛。愛らしい瞳に丸い耳。昔から小動物は好きだったけど、この生き物は別格。見ているだけで、自分の目元が和らぐのを感じる。
そんなチンチラの展示スペースの前で、彼女は大興奮だった。
「わぁ……話には聞いてたけど、ほんと、可愛い……。あっ! エサ食べてる! 前足で器用に持って食べる姿、キュンとしちゃいますね!」
キラキラした表情に、こっちが見惚れそうになった。
夢中で見つめている様子を見て、帰り道、売店でチンチラのぬいぐるみを手に取った。
「……これ、よかったら」
「えっ、でも……」
「年パスで割引されるんで。気に入ってもらえたみたいだし、今日付き合ってもらったお礼…ってことで」
「……ありがとうございます。じゃあ、顔、選んでもいいですか?」
と、一体ずつ手に取り、慎重に顔を見比べる姿が、妙に可愛らしくて、目が離せなかった。
時間が経つのがあっという間で、帰り道も名残惜しかった。
電車を降りていく月平さんが、チンチラのぬいぐるみを大事そうに抱えて振り向く。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
思わず手を振る。
……幸せだった。
電車のドアが閉まった瞬間、ふと我に返る。
(……家まで送るべきだったんじゃないか、俺……)
自分の脳内に、遅れて現れる後悔の声。
(いや、でも……いきなりすぎるし、引かれるかもだし……ああでも、せっかく……)
「……中坊かよ、ほんと」
ため息をつく。
でも、どこか幸せで仕方がなかった。
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