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この声が続く限り

 菜緒さんが腕の中からそっと見上げてきた。


「……私も、日辻さんが、好きです」


 想いがこもった瞳が、こちらを見つめていた。彼女の顔が近い。心臓の音が聞こえてしまいそうだった。震える声で、でもしっかりとした言葉が続けられた。


「羊さんが……日辻さんだったこと、全然知らなかったけど……それでも、あなたの声に、言葉に、何度も何度も救われてて……。でも、日辻さんとして出会っても、あなたは私を助けてくれて、笑顔にしてくれて。私は……もっと深く、ちゃんと、あなたのことを好きになりました」


 真っ直ぐな言葉に、息が詰まった。彼女への想いが溢れて止まらない。


 彼女の頬に手を添えて、ゆっくりと顔を近づける。彼女も、そっと瞼を閉じてくれた。


 唇が触れ合った瞬間、すべての迷いが溶けていった。柔らかく、深くもなく、静かで、けれど確かに熱を宿したキスだった。胸がじんわり熱くなる。

 

 たった数秒のことなのに、世界がゆっくりと回りだしたような気がして。そっと唇を離すと、菜緒さんの目元にはまだ涙の名残があり、けれどその顔は穏やかで、優しく微笑んでいた。


 今まで見たどんな女性よりも綺麗だ、と思った。



 俺は彼女の耳元に唇を寄せ、低く囁く。


「……菜緒さん」


 その声に、彼女の肩はぴくりと跳ねた。呼吸が甘く震え、微かに声が漏れる。

 彼女が“羊の声”を好きだと言ったことが、今になってこんなにも響いてくる。


(ああ、やっぱり。この声が好きなんだな)


 愛おしさと同時に少しだけ悪戯心が湧き上がる。


「……そんなに俺の声、好きなの?」


 冗談めかして囁くと、こくりと小さく頷いた。頬が火照り、瞳は潤んでかすかに光をまとって揺れている。

 その表情はヤバいって……。


「だったらさ、これからも、君のために、俺の声……使わせてもらって、いい?」


 耳に吐息が触れるたび、彼女の身体が小さく震える。真っ赤な顔で目をギュッと瞑って、耐えるように俺のシャツを握り込んでいる。それでも俺の声に反応して小動物みたいにプルプル震えているのが、可愛くて仕方ない。


 俺は少し笑って続けた。


「知っての通り、俺の実況、目的のためなら使えるもんは何でも使うってスタイルだからね。……あなたをつなぎとめられるなら、この声が続く限り、いくらだって使う」



 少し低く落とした声で、甘い言葉を重ねる。愛しさがこぼれるように、嘘偽りのない想いを、耳元から彼女の心の奥に注ぐ。


「好きです……。ずっと、君が欲しかった。君に名前を呼んでほしかった。俺の声で、君の心を全部染めてしまいたい」


「……っ…、その声……ダメです…。ずるいです…。反則です……」


 菜緒さんの瞳がとろけるように細まり、理性の幕が一枚ずつ剥がれていくのがわかる。


 やがて彼女がそっと腕を伸ばして、俺の背に手を回してきた。キュッと抱きしめられ、2人の距離がゼロになる。

 鼓動が、体温が、息遣いが、すべてが重なって——ただ、ひとつになる。


 その瞬間。


 張り詰めていた理性の糸が、確かに音を立てて切れたのを感じた。


 気がつけば、ゆっくりと彼女を押し倒していた。彼女ももう、何も言わず、すべてを委ねてくれた。


 相手の心臓の音を感じながら、視線が絡まり合い、ただ静かに、お互いの温もりに二人で溶けていった。


 すべての言葉が、今は不要だった。


 ただ一つ、確かなこと。

 それは、二人がようやく想いを重ね合えたということ——。

読んでいただき、ありがとうございました。

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