17話
宿泊施設。
そのような名前の建物が、僕の建造できるものの中に存在する。
実際に建ててみれば、それはホテルや旅館という感じではなかった。
ビル。
ようするに、カプセルホテルやビジネスホテルに該当する、簡素な灰色の建物である。
一応、発電所と水道局を隣接するように建てて、電気と水道を通す。
ファミレスの時も思ったが、ガス関係の建物はないのに、ガスは使える。
オール電化なのかもしれない。
最低限、屋根を。
可能なら柔らかいベッドを。
贅沢を言えばシャワーかお風呂を。
そんな願いをこめて自動ドアを抜け、中に入った僕とレヴィアとマナフを待ち受けていたのは。
「いらっしゃいませお客様ー! 受付担当のサイクロプスでっす♪ ご宿泊ですか? それとも休憩ですか? あ、お荷物そちらに置いておいてくださいねー。保管しておきまーす」
……回れ右して帰りそうになった。
内部は、普通にホテルのフロントめいた空間である。
まずは毛足の長い絨毯が僕らを出迎える。
左手側には受付があって、奧にはエレベーターホールが見えた。
そして、受付にはサイクロプス――細身で背が高く、やけに巨乳な、片目を髪で隠した女の子が、明らかにサイズの小さい、胸と肩口の出ている超ミニの浴衣で出迎えてくれたのであった。
……入口の照明がムーディなこともあって、雰囲気は宿泊施設休憩施設というより、ご休憩施設とか違法マッサージ店とかいう感じなのは口にしないでおこう。
色々な問題を棚上げしておく。
そして、もっともまっとうで、答えが返ってきそうな質問だけを、サイクロプスに投げかけた。
「あの、さっきまでファミレスの店員やってなかった?」
「あらお客様、よく見たらファミレスでもお会いしましたね。ひょっとしてサイクロプスちゃんの魅力にやられてストーカーとかされてるんですか? いやーそういう愛もナシとは言いませんけどちょっと重いっていうか」
「いや、そんなことは断じてしてないけど……」
「んー、まあ、アルバイト掛け持ちとかそこまで珍しいことでもありませんし? 健気で可憐なサイクロプスちゃんはきっと、たくさんいる弟妹とかを養うため、バイト戦士でもしてるんでしょたぶん」
……ここに至るまでの詳しい経緯はフワフワしているが、働く意思だけはゆるぎないらしい。
ならばこちらも深くは突っ込まずに利用させてもらうとしよう。
「えーと、宿泊……あ、従業員は足りてる?」
「足りてますよー。受付とご案内担当のサイクロプスちゃんに、ベッドメイク、清掃担当のウォードッグちゃん。あと、クレーム処理担当のウォードッグちゃんです」
どっちがどっちだ。
というか、クレーム処理担当って……僕ら以外に利用する者がいない現状を思えば、クレーム入れるのは僕らだけだよな……
従業員は雇用過多気味のようだった。
「……とにかく、宿泊で」
「はーい。ご利用ありがとうございまーす。お部屋はみなさんご一緒で?」
「三部屋……ちなみに料金は?」
「いやですねー、サイクロプスちゃんとお客様の仲じゃないですか。養ってあげますよ。そのためのバイト戦士ですし」
「僕はお前の弟だったのか!?」
「まあ冗談はこのぐらいにして、だって料金表に料金書いてないんですもーん。サイクロプスちゃんに値段を決める権利はないっていうかー」
またか。
ファミレスに続いて再びこの仕様である。
たぶん、都市経営系ゲームで店を利用するための金額とか細かいところが設定できないという仕様が適用されているんだろうという予想がつかないでもないが……
助かるからいいんだけどさ。
サイクロプスは笑顔で続ける。
「あ、おすすめはこの『ロイヤルスイート風』ですね。最後に『風』をつけることでロイヤルスイートと呼べる水準のサービスを提供できなかった時のために言い訳できるようにしてあるあたり、最高に人間くさくて素敵じゃありません? まあ、それでもクレームあったらクレーム担当に言ってくださいねー」
今は雨風をしのげればいいぐらいの気分だったのだ。
ホテルにタダで泊まれるのにクレームがあるはずがない。
「ではご案内いたしまーす。フロント奧にあるエレベーターから七階、703、702、701号室がお客様のお部屋になります。トイレは廊下に、シャワーはお部屋にございます。鍵はこちらでーす」
と、言ってカードキーを寄越す。
案内担当とは言うが、業務的には受付から一歩も出ないらしい。
僕らは受付の案内通り、エレベーターに乗りこむ。
……が、その前に一悶着あった。
「……なんだこの箱は。檻か?」
「あたし狭いのやだ……怖い……」
レヴィアとマナフは、エレベーターを知らなかったのである。
特にマナフに至っては、エレベーターに入ることができず体を抱いて震え出す。
……魔王である彼女は暗闇と閉所が嫌いらしい。封印というのはよほど彼女のトラウマになっているみたいだ。
僕はマナフをどのように説得するかを考える一方で、非常に不謹慎なことも考えていた。
この二人の反応。
これこそファンタジー世界の人だよ。
忘れかけていた世界観を思い出す。
僕は今、ファンタジー世界にいる。
思いを新たにしつつ、僕はマナフを説得するため、エレベーターの『開』ボタンを押しながら口を開いた。
「大丈夫だよ。この箱は、ただの移動装置だから」
「……ほんと?」
怯えるような目だった。
見た目は妖艶な雰囲気の女性だが、その表情は歯医者を怖がる子供のようだ。
庇護欲や父性を刺激される。
僕は我知らず優しい声音になりながら、説得を続ける。
「大丈夫だよ。ほら、僕はすでに乗ってるだろ?」
「でも、あたし知ってるもん。そういうのにあたしを詰めこむ時って、だいたい封印する時だもん。知ってるもん」
「もしもここで封印されたら、その時は僕も一緒に封印されることになるんだけどね……」
「……管理人はあたしを置いて逃げないの?」
「逃げないよ。だから、一緒に行こう」
マナフは悩んでいるようだった。
彼女がどのような悪辣な手段で封印されてきたか僕は知らないが、その思考時間は、長い。
まあ、最悪、低い階層の部屋に変えてもらって、階段を利用すればいいか。
そう考え始めたころ。
「……わかった。でも、管理人、一つだけ条件があるわ」
「どんな?」
「手、放さないで。放したら、管理人があたしを置いて逃げたって思うからね。そしたら絶対許さないからね。絶対だからね」
「わかったわかった。それぐらいなら――ほら」
『開』ボタンを離すわけにもいかなかったので、ボタンに触れていない方の手を差し出す。
マナフはおっかなびっくりという様子で僕の手に触れ、握った。
ギュッと――痛いぐらいの力だったけれど、僕はなんでもない顔をして、彼女をゆっくりとエレベーターの中に招き入れる。
マナフを収容することに成功した。
続いて、もう一人に声をかける。
「レヴィアも手をつなぐ?」
「いらんわ! ……ふん、竜人族は恐れない。そのような箱、一人の力でも入ってみせよう」
「そう? 助かった。実は、ボタンから手を離せないから、レヴィアまで手をつないでって言い出したらどうしようかと思ったんだ」
「私は自立した大人の女性だからな! どこぞの中身がお子様な魔王とは違う!」
かくしてエレベーターに三人で入る。
この施設のエレベーターは、かなり狭いものだった。
収容人数は六人とのことだが、ここに六人を乗せるのは、もう『詰めこむ』と表現すべき荒技なのではないだろうか。
安っぽいエレベーターだけに、動き出す時に、けっこうな震動をともなった。
そして、浮遊感。
「なななななんだ!? 浮く!? 何が起きているのだこの部屋は!?」
……と、乗りこむ前は強気なことを言っていたレヴィアが、見栄も外聞もなく僕の腰あたりに抱きついてきたのは、彼女らしいフラグ回収能力と言ってしまおうか。
大した事件もなく、七階へ。
僕はカードキーの使い方を簡単に説明し、二人をそれぞれの部屋に入れた。
その後――一人で、部屋に入る。
与えられた部屋は、ベッドと小さな机だけがある、殺風景な空間だった。
どのへんがスイートなのかは、ちょっとわからない。
それとも、窓の外、手を伸ばせば触れられそうな位置に発電所がなければ、スイートの名に恥じないもっといい景色が見えたのだろうか。
僕はみっともなくもベッドダイブした。
考えてみれば、この世界に来てから初めて一人きりになる。
色々なことがあった。
ありすぎてもう一週間二週間は余裕でこの世界にいるような気分なのだけれど、実際には今日が二日目の夜だ。
あの二人との旅路は、せわしくも楽しいものである。
でも、基本的にインドア派でソロリストな僕は、こうして一人きりの時間が好きだった。
さてどうしようかなと考えていると――
ガンガン!
ドアがノックされた音だ。
……そう判断できたのは数秒思考停止したあとで、一瞬、部屋が掘削工事でもされているのかと思ったほどの、それはすさまじい轟音だった。
実際、ノックの主は部屋のドアをぶち破ろうとしたのかもしれない――だが、僕の建てた建造物は、僕が整地する以外では破壊できないのだ。結果、音だけが部屋を揺らしたのだろう。
とにかく尋常ではない。
おそるおそる、僕はノックに対応する。
「はーい……?」
すると、返ってきた声は二つだった。
一つはレヴィアの声。
ややムッとした雰囲気がうかがえるのだが、怒っているというよりは、何かを誤魔化そうとしているような、大仰とでも言うべき、微妙な演技くささがあった。
もう一つはマナフの声。
こちらはほとんど涙声である。母親とはぐれて必死に捜しまわる幼子は、たぶんこのような声を出すだろう。
そして、二人の発言は、口ぶりこそ異なるが、同じようなものだった。
「ご主人様、その、部屋に入れないのだが、どういうことだ」
「ちょっと管理人! 部屋に入れないんだけど!」
……これはアレだ。
僕はたしかに、二人を部屋の中に入れたが――
「……そういえば、部屋を出る時はカードキーを持って出ろという注意を怠っていた気がする」
僕はため息をついてドアに向かった。
ようやく訪れると思った一人きりの時間は、訪れないらしい。
まあ、それもいい。
別に嫌いな時間というわけでもないのだ。嫌気が差すまではお付き合いしよう。




