29話 ありえない
「コロスっ!!!」
怒り心頭に達した蒼龍は、その身に宿る力を完全開放した。
足元から水が湧き上がり、体に宿る。
形も硬度も質量でさえも自由に変えられるそれは、鎧であり武器でもある。
『水のささやき』
蒼龍の切り札であり、最大最強の奥義だ。
攻防一体の水の鎧をまとうことで、相手に一切の反撃を許さず、攻撃を許すことなく、一気に圧倒することができる。
この状態ならば、Sランクオーバーの魔物が1000体集まってきたとしても、なにも問題なく片付けることができる。
それだけの自信を持つ、渾身の奥義だった。
「1秒で死ねぇっ、人間!!!」
蒼龍はこれまで以上の速度で駆けて……
同時に拳を振り上げて、その腕に水をまとわせる。
そして、距離を詰めると同時に勢いよく振り抜いた。
腕の軌跡に従い圧倒的な量の水が放出されて、カイルを叩き潰そうとする。
洞窟の全てを埋めるかのような大質量。
逃げ場はなし。
防ぐことも不可能。
そんな状況を前に、カイルがとった選択は……
「たぶん、これをこうして……ていっ!」
「はぁっ!?!?!?」
蒼龍は神という立場を忘れて、思い切り間の抜けた声を上げた。
それも仕方ないだろう。
なにしろ、カイルもまた、同じように水を繰り出してみせたのだから。
蒼龍に比べると、さすがに拙い。
威力も質量も控えめだ。
ただ、相殺するには十分だったらしく、カイルは即死のはずの攻撃を防いでみせた。
……あちらこちらが濡れているのは、完全に相殺できなかったからだろう。
「よし、できた!」
「き、貴様……今、なにをしたぁ!?」
「えっと、その……他に防ぐ方法はなさそうだから、蒼龍様の技を真似てみようかな……と。水属性の魔法は覚えてないけど、なんとかなるものですね」
「ふ、ふ……ふざけるなっ!? 俺の技を真似するとか、そのようなことは不可能だ! しかも水属性の魔法を覚えていないというのに!? これは、俺が数百年をかけて編み出した奥義なのだぞ!?」
「でも、できましたよ?」
「ぐっ……!?」
「まあ、完璧な再現は無理でしたけどね。おかげでずぶ濡れです、あはは……」
笑うカイルを見て、少し離れたところにいるルルとミカエルは顔をひきつらせていた。
「……ねえ、ルシフェル様。あたし、目がおかしくなったのかな? 医者行った方がいい?」
「奇遇だな。我も同じ懸念を抱いていたぞ」
「そりゃ、まあ……世の中の天才は、相手の技を見ただけで盗む、っていう人はいるけどさ。あいつが言うように、蒼龍が数百年かけて編み出した奥義を盗むとか、ありえなくない?」
「もっとありえないのは、旦那様は、これが初見だということだ。蒼龍の技を初めて見て、ほんの1分ほどの間に、かなりの完成度でコピーしてみせた。ありえないのだ……前々から旦那様はすごいと思っていたが、認識を改めねばならぬ。すごいというか、めちゃくちゃなのだ……これも故郷の影響? 魔境か……?」
そんなつぶやきは蒼龍の耳にも届いていた。
二人の言葉はただの感想なのだけど、蒼龍からしたら、笑われているように感じた。
お前の奥義とやらは、簡単に真似されてしまう程度のものなんだ……と。
「くっ……ありえない、ありえないぞ。いったい、なんなんだ、お前はっ!?」
「カイル・バーンクレッド……ただの冒険者だ」
今度は自分の番だ。
そう言うかのように、初めてカイルから攻撃に出た。
蒼龍よりも圧倒的に速度が遅い。
蒼龍からしたらスローモーションを見ているかのようだ。
迎撃のために、体にまとう水を矢として放つのだけど……
なぜか一発も当たらない。
全て必要最小限の動きで回避されてしまう。
これならばと、空間を埋めるかのような面射撃を行うものの……
やはり回避されてしまう。
逃げるスペースなんてないはずなのに、なぜか、カイルは傷一つなく回避してみせた。
どんどん近づいてくる。
どうやっても止めることができない。
蒼龍にとって、それは恐怖でしかなくて……
カイルのことを人間ではなくて、死神のように感じた。
恐れている。
震えている。
そんな自分に気づいた時、蒼龍は、かつてないほどの屈辱を感じた。
「この俺が……神である俺が、人間などに負けてたまるものかぁっ!!!」
怒りを原動力に、蒼龍もカイルに向けて突撃した。
全身にまとう水を右拳、一点に収束。
ありったけの力と魔力を込めて、カイルを殴りつける!
……はずだったのだけど。
「よいしょ」
「なっ……!?!?!?」
山を粉々にするほどの一撃が、あっさりと受け止められてしまう。
ありえない光景に、蒼龍は思わず思考を放棄してしまいそうになる。
「蒼龍様は、戦いの経験が少ないんですね」
「な、なにっ……?」
「相手を殴る時、最大限に威力を発揮するタイミングがあります。腕を伸ばした直後で、その時、全ての力を伝えることができる。でも、その前に止められたら? 威力は十分の一も発揮することができません」
カイルはそんなことを言うものの、その攻撃のタイミングを見極められる者なんて、どれだけいるだろうか?
相手が普通の人間だとしても、攻撃の全てを見極めることは相当に難しい。
蒼龍の拳となれば音を超えているため、見極めることは事実上不可能だ。
しかし、カイルは不可能を可能にしてみせた。
圧倒的な動体視力と計算と。
そして、天性の勘で。
「ついでに言うと、全力攻撃の後は隙が多いので……」
足払い。
蒼龍はコケることはなかったものの、大きく体勢を崩してしまう。
「反撃をされたら、どうすることもできません」
「ぐっ……!?」
カイルの拳が蒼龍の顔の前で止まる。
ぶわっと空気が動いて、髪が揺れた。
その一撃は、蒼龍に傷をつけることはない。
ただ、彼の心に確実なヒビを入れていて……
(……ダメだ)
この人間に勝つことはできない。
蒼龍の心に敗北の二文字が刻まれて……
そして彼は、降参の意を示すため、膝をついて両手を上げた。




