幕間 サイダーの海
サウナですっかりととのった僕と陽介は、スーパー銭湯の中にある休憩ルームで談笑していた。
「案外悪くないもんだな、スーパー銭湯もサウナも」
「でしょ? リラックスするには最高だと思うよ」
見た目によらず甘党な陽介は、こういうときに炭酸飲料を選びがち。その手には自販機で買った500ml缶のサイダーが握られている。
一方の僕は、ビールを飲みたい気持ちを抑えに抑えてただの炭酸水を買った。
「まあ、ちょっとオッサン臭い趣味だなとは思うけど」
「そのオッサン臭いのを僕におすすめしてきたのは、『未来』の陽介なんだけどね」
「それは別の時間軸の話だろ。今は今。ここにいる俺はお前から教えてもらった。だからオッサン臭いのはお前」
「ははは、実際に僕の中身は10歳分年をとってるからそうかもね」
懐かしい。なんにも気にすることなく陽介と会話をするなんて、本当に久しぶりだ。
秘密を打ち明けたおかげで無理に喋ることを繕う必要もない。タイムリープしてから、一番気持ちが弛緩できていると言ってもいい。
「でも融が10歳分年食ってるってことは、それだけ色々なことも経験しているってことだよな?」
「そういうことになるね。自慢できるような経験はないと思うけど」
「そんなこと言って。東京に出て、いっちょ前に彼女作って同棲とかしてたんじゃないのか? いや、稼ぎ的にはヒモになってたりとか?」
そんな建山さんみたいなことをするかよ。と、僕は内心ツッコミを入れる。
高校を卒業して数年は地元にいた。それから一念発起して東京に出てからの生活は、彼女どころか生きていくことすら必死だったから、本当に周りを見渡す余裕なんてなかったなと自嘲する。
「ないない。そもそも東京に出てから彼女いなかったよ」
「ということは、東京に出る前まではいたと」
こういうときに陽介は鋭い。
「ま、まあ、そういうこともあったようななかったような……」
「お前、その娘とやり直す気はあんの?」
僕はそう言われて一瞬考え込んでしまった。
上京を期に別れてしまった元カノが僕にはいたわけだけど、今更彼女とやり直したいかというと、回答に詰まる。
そこに言及すること、考えることを辞めたような回答を僕は陽介に返した。
「それは……、多分ないかな。そもそもこの時期はまだ出会ってないし、出会うこともないかもだし」
「ふーん、いろいろあるんだな。ちなみに俺はどんな娘と付き合ってた?」
僕にはその陽介の食いつきっぷりが意外だった。彼は男前だけれども、あまり色恋沙汰にクビを突っ込む方ではないから。もちろん、全く興味がないわけではなかったけど、やや蛋白というか、優先順位が低い感じ。
「ええっと、陽介はモテるけど彼女をあまり作ることがなかったからなあ……。唯一僕がきっちり覚えている娘は……」
「……いや、やっぱいいや。そういうのは聞かないほうがいい気がしてきた」
「それもそうだね」
僕も言わなくて良かったなとホッとする。
唯一僕が覚えている陽介の彼女というのも、色々あって別れてしまう。そんな未来を聞かされても気分など良くないだろう。
余程喉が渇いていたのか、陽介はあっという間に飲み物を飲み干してしまった。
空の容器を捨てに行って戻ってきた彼は、控えめにまた話を切り出す。
「つかぬことを訊く」
「なに?」
訊きたいことがあるという割に、質問が出てくるまでやけに間があった。言いにくいことなのかもしれないと思った僕は、少しだけ彼の言葉を聞く前に身構える。
「やっぱりあれか? タイムリープしてまでバンドを組むってことは、奈良原のこと……」
僕はドキッとして目を見開いた。
今ここで僕が時雨を好いているということを、あまり悟られたくなかった。
「べ、別にそういうもんじゃないよ! 僕はただこのまま悲惨な未来を迎えたくなかったってだけさ。それに……」
「それに?」
時雨は多分別に想い人がいる。それは多分君だよ。と言おうとして思いとどまった。確証のないことは言わないほうがいい。
代わりに当たり障りのないことを僕は口にする。
「あの子と楽しくバンドをやりたかっただけなんだよ」
「そうか。……先は長そうだな」
何故か陽介は少しテンションが下がっているようにも見えた。僕は悪いことを言ってしまったのかと自分の言動を振り返る。
「もしかして僕、変なこと言った?」
「いや、なんでもない。独り言だ」
「なら……、いいんだけど」
僕は手に持っていた炭酸水を飲み干す。何か間を取らなければいけないような、そんな変な空気だった。
「なんだか融に訊いてばっかりってのも不公平だな」
「そんなこと気にしなくてもいいよ。僕のほうがよっぽど不公平なことしてるし」
「確かに。違いない」
陽介はクスッと笑う。
「それで笑ってくれるようになったなら、僕は安心だよ」
「不公平なことされた分、このあときちんと取り返さないとだな」
「何をする気だよ」
「お前の知ってる『未来』には絶対にしてやらねーってことだよ」
既にもう僕の知らない未来だよ。と言いかけてやめる。このヘンテコな陽介の意気込みに水を差すのは野暮だなと思ったから。
「まあでも、もう融の『未来』とは違うかもな」
「それ、言わないようにしてたのに」
「すまんすまん。でも、間違いなく違うって確証を持てることがひとつある」
「なんだよそれ」
僕が訊くと、間奏のような沈黙が流れる。十分にタメたあと、陽介は語気を弱めて恥ずかしそうに意外なことを言い始めた。
ちょっと初心なその陽介の姿は、1周目の僕でも見たことなかったと思う。
未来は少しずつ、それでいて大胆に変わり始めていた。
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サブタイトルはねごと『サイダーの海』




