第8話 ユキちゃん
ライブハウス『BURNY』はこの街の繁華街にあるキャパ150人程度のハコ。
規模はそれほど大きくはないが、ブッキング担当が敏腕で地元のバンドから全国各地のツアーバンドまでジャンル問わず集まる賑やかな場所だ。
僕の1周目のバンド生活もBURNYから始まったと言ってもいい。
このライブハウスは僕にとっての第2の家だ。目を瞑っていても辿り着ける。
開場の時刻に間に合うようにBURNYを訪れると、既に薫先輩がそこで待っていた。
昼間は学校にいたので制服だったけど、夜はライブ参戦ということで彼女は建山さんのバンドが自主制作したTシャツを身に着けている。
メイクアップもされていて、いつもの凛々しい先輩の中に少しだけ恋する乙女が垣間見えた。
Tシャツは黒地に建山さんのバンド名である『Sleepwalking androids』という白のロゴが刻み込まれていて、素人仕事にしてはかなり格好良く仕上がっている。
「すいません、もしかして待ちました?」
「いやいや、私も今来たところだよ」
そうは言うけれど多分嘘だ。
薫先輩の顔には汗が滲んでいる。初夏と言うには少し気温が高いなか、ここでワクワクしながら待っていたのは想像に易い。
「君の分もチケットを取り置きしてもらったから、受付で支払ってくれ」
「了解です」
こういうライブハウスのブッキングライブは、よっぽどお客が呼べる人気バンドでない限りはチケットノルマ制だ。
各出演バンドごとに何枚とノルマが定められていて、それを売り切ればトントン。売れ残ればその分は自腹。
その辺のバンドは、大概自腹を切ることになるのが多い。
僕も痛いほど自腹を切った記憶がある。その時の自分は、将来に向けての自己投資だと思い込んでいたなというのが最早微笑ましい。
受付で代金を支払ってドリンクチケットやフライヤーなんかを受け取ると、僕はホールの中へ足を踏み入れる。
懐かしい。
地下故に若干湿っぽいこの空気がたまらない。今すぐに何か爆音を浴びたくなるそんな匂いがする。
僕はとりあえず先にドリンクを交換してしまおうと、バーカウンターにチケットを差し出した。
「えーっと、生ビ……、じゃなくてコーラで」
いけないいけない、ついタイムリープ前の癖でビールを注文しそうになってしまう。
10年前に戻って来て今の僕は16歳。お酒に手を出せるようになるまでまだ4年程度待たなければならないと思うと、ちょっと気が遠くなる。
あの生ビールを流し込んだ時の爽快感は当分お預けだ。
「はい、コーラね。オマケでちょっと多めに入れといたから」
「あ、ありがとうございます!」
バーカウンターのお姉さんからコーラを受け取る。
そのお姉さんは僕もよく知っている人、――ユキさんだ。
この頃からBURNYのスタッフだったらしい。今はバーカウンター担当だけど、僕が1周目で出会ったときはブッキング担当を務めていた。
気さくで明るいキャラクターを武器にめちゃくちゃ良いバンドを集めていて、敏腕担当なんて呼ばれていたものだ。
正確な年齢は知らないけれど、さすがに10年若返っているので思わず僕は「若っ!?」と言いかけてしまった。我慢出来てよかった。
「なんだかキミ、ビールを飲みたそうな顔してるけど、さすがに未成年にはお酒出さないからね。見た感じ高校生でしょ?」
ユキさんはニヤニヤしながら僕を見る。
そんなに僕からは「ビール飲みたいオーラ」が出ているのだろうか……。ちょっと気を引き締めないとなあ。
「い、いや、そんなの当たり前じゃないですか、ハハハ」
「偉い偉い、世には未成年飲酒したがる奴が結構いるんだけど、結局それでバカを見るのはウチらみたいなお酒を提供する側だからね。正直なのは良いことよ」
よくわからないけど褒められてしまった。多分今のユキさんには何か言いたいことがあるのだろう。
そういえば、建山さんはユキさんと付き合っていたこともあると言っていたことを思い出した。
確か彼が20歳そこそこの時期だと言っていたので、今はまさに付き合っている最中かもしれない。
なんだかもの言いたげな今のユキさんだけど、もしかしたら建山さんに対する不満が溜まっていたりして。
それにしたって建山さんの女性関係はエピソードが多すぎる。同じドラマーでも全くモテなかった僕とは正反対だ。
僕がコーラを受け取ると、後ろに並んでいた薫先輩はオレンジジュースとチケットを引き換えた。
先輩はこのときからユキさんと仲が良かったのだろう。結構話し込んでいて、ちょっと楽しそうであった。
外で待ってたせいで喉が渇いていたのか、ユキさんとの会話を終えた彼女は、オレンジジュースを生ビールのCMみたいな勢いで飲み干してしまう。
「……す、すまん、ちょっと喉が渇いていたものでな」
「いいですよ、今日も暑かったですから」
薫先輩は我に返ったのかちょっと恥ずかしそうにしている。
僕としてはこれぐらい豪快な方が先輩っぽくて良いと思うけど、姉いわくとっても乙女であるという先輩のことなので、案外こういうところを気にしているのかもしれない。
そのギャップというのに惹かれる人も恐らく多いんじゃないだろうか。軽音楽部の中でも、薫先輩を狙う人はそれなりにいるだろう。
開演が迫ってホールには人が増えてきた。
建山さんのバンドは地元ではそこそこ集客できる力があるので、閑古鳥が鳴くようなことには絶対にならない。
お客さんの中にも僕にとっては懐かしい面々がいるなあなんて思いながら辺りを見渡していると、ふと目立つ人影が目に入った。
ガラスのような瞳、触ったら消えてしまうのではないかというくらいサラサラの長い髪、そして最近ちょっと豊かになりはじめたその表情。
間違えるもんか、あの人影は奈良原時雨以外あり得ない。
なぜか彼女はこのライブハウスを訪れていたのだ。
さらに僕は衝撃的な事実に気がつく。
その時雨の隣に立っているのは、僕のよく知る10年来の仲間。
「よ、陽介……? どうして時雨と一緒に……?」
僕の脳裏にはあの時の悪夢がよぎった。
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サブタイトルの元ネタはモーモールルギャバンの『ユキちゃん』です!
是非聴いてみてください!




