第44話 ブルース・ドライブ・モンスター
『our song』は終盤に差し掛かる。
1周目のとき、『時雨』と名付けられていたこの曲を擦り切れるほど聴いた僕にはわかる。
この2つは歌のメロディこそ同じだけど、全くの別物だ。
それが時雨の青春を映すスクリーンみたいなものだとすれば、『時雨』は限りなく黒に近い灰色、無彩色。
対して、今の『our song』にはまだ色は無い。
まだこの曲に色を付けるには序盤過ぎる。
だからこれから、この3人で少しずつ、彩りを添えていく。
最後のサビ、時雨が透明感のある歌声で歌い上げる。
あんな小さな身体から、オーディエンスを驚かせるような声が出てくるのだから本当に大したものだ。
ふと合宿のとき、不本意にも彼女を抱きしめてしまったことを思い出す。
自分が思っていたより時雨の身体は華奢で、弱々しかった。抱きしめる力を強めてしまったら、その細い腰なんか砕けてしまうのではないかと思うぐらいだった。
それでも1周目の時雨はその身体ひとつで世に飛び立っていった。
あまり詳しいことはわからないけど、とても辛いことも多かったに違いない。
でももうひとりで苦しむ必要なんてない。
2周目の人生。この先ずっと、僕がそばにいてやる。
君の辛さも、苦しさも、悲しさも、そして喜びも。全部全部受け止めてやる。
気づかないふりをしていてごめん。
僕は、やっぱり時雨のことが好きなんだ。
君の心の支えになることが、いつの間にか僕の2周目の生き甲斐になっている。
時雨が僕を必要としているかはわからないけど、ぼくはもう、時雨なしじゃ生きていけない。それぐらい君のことが好きだ。
バンドという枠の中で恋心を抱くのは絶対にやめろと色々な人に言われたし、実際に関係が拗れてしまった例も見たことがある。大切なこのバンドを、わざわざ壊すようなことは僕だってしたくない。
だから、想いを打ち明けるのはまだまだ先になるかもしれない。なんなら、一生打ち明ける機会なんてないかもしれない。
それなら僕は、心ゆくまでその気持ちを楽器に乗せて奏でようと思う。
いつかほんの少しでいいから、君に届いてくれればそれでもいいかな。なんてね。
サビの歌い終わり、一番演奏に熱が入るアウトロ。
時雨は足元に1つだけ置いてあるブースター代わりのブルースドライバーを踏み込んだ。
その筐体は、小さな少女をまるでモンスターのように豹変させる。
轟音。時雨の感情が乗ったジャズマスターの音が、増幅に増幅を重ねて場内全体へ轟く。
バカでかくなった音を、僕と理沙のリズム隊は全力で支えにかかる。
一本足では立てなかった僕らの音が、3人になってやっと立ち上がる時が来た。
恵みの雨は勢いを増し、優しかったそれは急に牙を剥く。
世界をすべて洗い流すかのように、そしてまたすべてがここから始まるかのように。
テクニックも綺麗さもない、熱量だけのアウトロ。
僕らは今、世界で一番カッコいいロックバンドだと思う。
そうして、時雨は2フレットにカポタストがついたジャズマスターから最後のCadd9のコードを鳴らした。
ほんの少しの静寂が生まれる。
「――ありがとうございました」
息が上がって、絞り出すのもやっとの声で時雨がそう言う。
その瞬間、オーディエンスは待っていましたと言わんばかりの勢いで爆発的な盛り上がりを見せた。
言葉のニュアンスは違うかもしれないけど、いわゆる「スタンディングオベーション」というやつだろう。
誰も期待してなどいなかったバンド、それも、一歩間違えたらドロップアウトしてしまいそうな3人組が、今この熱狂の渦の中心にいる。
番狂わせも番狂わせだ、こんなことを予測できた人など絶対にいない。
時雨はその光景に最初は驚いていた。もちろん、僕も理沙もびっくりしている。
でもすぐにそれは喜びに変わった。
時雨は後ろにいる僕の方を向いて、飛び切りの笑顔を見せる。
表情の変化があまり大きくない時雨が、これほどまでにいい顔で僕に笑いかけてくるのだ。何度も言わせてもらうけど、こんなの役得以外の何物でもない。
奈良原時雨独占禁止法があるのであれば、僕は鎖を噛みちぎってでも牢から逃げ出そうとするに違いない。
「――融、ありがとう」
「どういたしまして、時雨」
夢心地で自分が今どんな顔をしているかわからなかったけれど、多分僕は時雨に負けない顔で笑っていたと思う。
それで君が喜んでくれるのならば、僕がこのバンドでドラムを叩いていく理由になる。そうだったら嬉しいな。
僕らは皆楽器をおろしてステージから去っていく。会場の熱気はまだ落ち着きそうにない。
次に演奏をする陽介たちには気の毒かもなと思いながら、ストレンジ・カメレオンのファーストステージは幕を降ろした。
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サブタイトルの元ネタはthe pillowsの『ブルース・ドライブ・モンスター』です
カッコいいのでぜひ聴いてみてください




