第34話 STAND BY ME
時雨の住むマンションの入口にたどり着いた僕と理沙は、オートロックの自動ドア前にあるインターホンで彼女を呼び出した。
「はい、奈良原です」
呼び出しに答えたのは時雨の母だろう。随分とおっとりした声だ。
「あ、あの……、時雨さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、もしかして時雨のバンドの……。ちょっと待ってくださいね」
僕が話すと、時雨の母は何も言わずオートロックを解除して自動ドアが開いた。
余程僕らだと確信があったのか、それとも単に不用心なのかはわからないが、余計な手間がかからなかったのはありがたい。
4階へ上がって奈良原家の呼び鈴を押すと、先程の声の主である時雨の母が現れた。
「こ、こんにちは初めまして、僕ら時雨さんとバンドをやっている芝草と、こっちは片岡です」
慣れない場面に僕は緊張しながら自己紹介をする。
幸いにも、時雨の母親は僕らを怪しんだり疎ましく思っているということはなさそうだった。
むしろ、いつもうちの娘がすいませんと言いたげに少し困った表情を浮かべるぐらいだ。
「……わざわざすいません。時雨ったら早退したっきりずっと部屋の中にいて……」
「いえ、僕らも彼女が心配でやって来たので。……それで、時雨はどんな様子ですか?」
「最近は元気だったんだけど、帰ってきたときはまた昔みたいな顔をしていました。親なのに何もしてやれなくて……、ごめんなさいね」
時雨の母は申し訳なさそうにそう言う。
口下手な時雨のことだ、苦しさのあまり母親にさえうまく思いを伝えられなかったのだろう。
トラウマが蘇って来るというのはそれぐらい辛いものだ。
僕らは時雨の母親に部屋の前まで案内された。
ひとつ息を吸い込んで、僕はドアをコンコンとノックする。
「……時雨?入ってもいいかい?」
返事はなかった。
カギはかかっていなかったので、僕はそのままドアノブを回して扉を開ける。
部屋の中には、片隅で三角座りをした時雨がいた。
「……時雨」
すぐに僕らは時雨に近づいた。
僕の見間違いでなければ、何かに怯えるように小さく震えていたと思う。
「融……、理沙……。ごめんなさい……、私やっぱり、歌えそうにない……」
普段から小さめの声で話す時雨だけど、その小さな声をさらに絞り出すような窮屈な声。その綺麗な透明感のある瞳からは、大粒の涙が流れている。
見えない恐怖に彼女は包まれていた。
「……よく頑張って堪えたんだね。ごめんよ、来るのが遅くなって」
僕は時雨の隣に座って彼女の右手をとる。
理沙はその反対側に座って、時雨に寄り添った。
「ごめん……、なさい……。バンド、あんなに楽しかったのに、昔の事を思い出しちゃって……、怖くて……」
「……大丈夫、それは時雨のせいじゃないよ」
過去のことが自分のせいでないことは、多分時雨も理解し始めている。
しかし頭ではわかっていても、やはりトラウマというのはそう簡単に身体から抜けていくものではない。
過去にとらわれ続けていることがバンドの足枷になっている。それが余計に彼女を苦しめていた。
「ごめんなさい……、私が弱いせいで……。みんなの足を引っ張って……」
「時雨、それは違うよ。弱いのは君だけじゃなく、僕らみんな弱いんだ」
時雨は少し顔を上げた。僕の口からそんな事を言われるなんて思っていなかったのだろうか、ちょっと虚を突かれたようなそんな表情だ。
「僕らは各々ひとりじゃどうしようもないくらい弱い。だからこうやって3人になったんだよ。理沙だって僕だって同じだ。君だけじゃない」
「そうだな、私もそう思う。融だけでも時雨だけでもダメなんだ。この3人だから、今はまともに立ち上がれる。時雨がひとりだけ弱いなんてことは、ない」
理沙も僕の意図を理解していた。
誰を欠いてもこのバンドは成立しないんだ。トラウマに苛まれて、それを自分だけで背負う必要はない。
僕は時雨にそう伝えたかった。
1人では潰されてしまいそうな恐怖でも、3人なら大丈夫。
毛利元就の『三本の矢』じゃないけど、苦しみぐらいシェアさせてくれたっていい。
しばらく沈黙しているうちに時雨の震えが収まった。
「……ありがとう。ちょっと楽になった」
「良かった、前みたいに時雨が頑固だったらどうしようかと思ってた」
僕はそう冗談を言うと、時雨は少しムッとして軽く拳を僕の肩にぶつけてきた。
「……でも、まだちょっと学校には行きたくない。やっぱりあの空気は怖い」
時雨は少し立ち直ったけど、確かに根本的なトラウマの原因は消えていない。
このまままた明日学校に出たら、今日と同じように耐えられなくなってしまうだろう。
そのトラウマを克服するには、やっぱり週末のライブを成功させるのが一番だと僕は思う。
大勢の前で歌うことで、今度こそ自分の歌が通用すると身を持って体感する。
力業でショック療法みたいだけど、一番効果的だろう。
今日は月曜日。金曜日は最悪遅刻して学校に行くとして、それまでの3日間はなるべく時雨をトラウマの恐怖に晒したくない。
だから僕は、思い切ってこんなことを言ってみる。
「それじゃあ、明日から3日間学校をサボっちゃおうか。旅行でも行っちゃう?」
時雨と理沙は、また僕が変なことを言い出したなと呆れていた。でも、不思議と嫌がってはいないあたり、悪い提案じゃなかったのかなと思う。
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ちなみにサブタイトルの元ネタはGOING UNDER GROUNDの『STAND BY ME』です
カッコいいのでぜひ聴いてみてください




