第十八話 セイクリッド聖国と聖女の力
「た、大変です教皇猊下!!」
「何事だ……騒がしいぞ」
セイクリッド聖国教皇ヴェリディクトゥスは、そのふくよかな身体を億劫そうに揺らす。
「聖女ミレイユさまが――――休養先のサンセットで住民の身代わりとなってグリフォンに……」
「な、なんだとっ!?」
驚きと動揺で椅子から転げ落ちる教皇、側近たちが五人がかりで何とか椅子に戻す。
「ど、どうなさいますか?」
「く、くそ……とにかく徹底的に情報を隠蔽しろ、聖女不在を悟られてはならん」
セイクリッド聖国というのは、聖女という存在が生み出す利益を管理するために誕生した。国家というよりは宗教団体が国を名乗っていると考えた方が実態に近い。
国は聖女の為す奇跡によって生み出される利益、信者たちによる献金、お布施が無ければ立ち行かなくなる。今は聖女が休養中ということになっているのでしばらくは誤魔化せるが、いつまでも聖女無しでは回らない、そもそも教皇を始めとした教団幹部にまともな神聖魔法の使い手はいないのだ。
「くそう……姉のクラリスの二の舞にならぬように結婚させなかったのが裏目に出たか……せめて娘でも産んでくれていれば……」
今更後悔しても後の祭りである。
「よし、信者から搾れるだけ絞って逃げるぞ、そうだ、交易のある各国から聖女の式典費用の名目で貢がせよう、代わりに聖女を派遣すると言えば喜んで飛びついてくるだろう」
聖女あっての国家運営、ミレイユを散々こき使って蓄えた富は使いきれないほどあるというのに、ヴェリディクトゥスの欲は留まるところを知らない。
「教皇猊下、たしかクラリスさまに娘がいると聞いておりましたが?」
聖女の魔法は血統限定、しかも女性にしか受け継がれない。たしかに聖女の力を受け継いでいる可能性はあるが――――
「馬鹿者……死にたいなら勝手に行ってこい、あの化け物相手に話し合いや説得は不可能だ……」
クラリスが国を出る際、セイクリッド聖国の四分の三が焦土と化した。あの悪夢のように恐ろしい姿は当時枢機卿の一人だった彼の脳裏にはっきりと焼き付いている。うっかり思い出してしまったヴェリディクトゥスは、当分夜一人でトイレに行けなくなることだろう。
「そもそもクラリスが国を出てから聖女の力を使ったという話は一切聞かない、つまり仮に娘に聖女の力があったとしても表舞台に出す気はないのだろう。寝ているドラゴンを起こすような真似はご免だからな」
「ミレイユさまは国へ戻らなくても良いのですか?」
グレイリッジ領としては居てもらえるのは有難い限りなのだが、アイスヴァルトとしてはセイクリッド聖国の動きを無視するわけにはいかない。聖女とは――――その存在だけで大陸におけるパワーバランスが変わるほどなのだ。
「ああ、大丈夫ですよ、たぶん私のことは死んだと思っているでしょうし。それに――――あの金の亡者で醜い豚どもにこき使われるのはもううんざりなので」
「な、なるほど……それならば良かったです」
よほど腹に据えかねていたのだろう、感情のない表情は普段とのギャップもあってかなり怖い。
「あいつらのせいで結婚も出来なかったですし……」
公務と称してめちゃくちゃ仕事を入れて、男性と接するあらゆる機会を徹底的に妨害されてきたのだ。
「ミレイユさまは美人ですし、これからはお相手には困らないのでは?」
神秘的な白い髪、桃色の瞳、ミレイユは幻想的でとびきりの美人である。すでにリッジフォードではミレイユ目当てで病院へ通う男たちが列をなしている。
「ありがとう、でも私、こう見えても二十八歳なのですよ? アイスヴァルトは私と結婚出来ます?」
「え!? そ、それは……その……」
しどろもどろになり慌てるアイスヴァルト。
「ほらね、結局殿方は若い子を選ぶのです」
「あ、いや……そういうわけでなく、良く知らないのに結婚など考えられないだけで……」
「あら、貴族なら会ったこともない相手と結婚するのが普通ですよ? 意外とロマンチストなのですね、ふふ」
女性耐性ゼロで隠れコミュ障のアイスヴァルトにミレイユの相手は厳しい、真っ赤になってしまった執事を見てミレイユは愉しそうに笑う。
「とにかく、この街は面白そうですし、少なくともお姉さまが帰ってくるまではクレイドールを一人になんてさせません」
「え? いや……クラリスさまはドラゴン討伐で……」
死んだはず、などと本人を目の前にして言えるわけがない。
「ああ、その話なら聞きましたけれど、あのお姉さまが死ぬわけありません、単身で国を相手に喧嘩して勝ってしまうような人ですよ? ましてやお義兄さまと一緒なら余計です。きっと何か帰って来れない理由があるのでしょう」
大切な人の死を信じたくない、というよりは純粋に信じられないという強い信頼感、アイスヴァルトは、少しだけだが、もしかしたら生きているのかもしれないな、と思ってしまう。
いや、クレイドールのためにも生きていて欲しいと強く思う。
「ところで――――それだけではないのでしょう?」
「お見通しでしたか、お聞きしたかったのは――――お嬢さまも聖女の能力をもっているのか、ということです」
聖女が血統で受け継がれることは常識として知られている。しかも女性にしか受け継がれない。もし――――ミレイユが未婚のまま女の子を産まなかった場合、聖女の血筋は途絶えてしまう可能性があるのだ。
「うーん、正直なところわからない、あの子が魔法を使っているところは見たことないですし、使えないんじゃなくて、単純に使い方を学んでいないだけの可能性もありますね」
聖女の魔法は特別ではあるが、基本的な使い方は他の魔法と同じで、才能があったとしても勝手に使えるようになるわけではない。きちんと魔法の師について学ぶ必要があるのだ。
「なるほど……たしかにグレイリッジ領にはきちんとした魔法使いがいませんでしたね」
「本人に聞いてみたら良いんじゃないですか?」
「わかりました、さっそくお嬢さまに聞いてみますね」
「魔法? 習ったことないですわ」
どうやら思った通り魔法については学んだことがないらしい。ちなみに鉱物生成能力は魔法ではなくスキルと呼ばれる固有能力だと思われる。
「お嬢さまは聖女の血筋だから、普通の魔法はともかく神聖魔法の適性はあるはずだ」
「面白そうですわね……ちょっと探してきますわ」
もう、どこへとは聞かない。何を探しに、とも聞かない。だが――――
「駄目だ、もうすぐ夕食の時間だ、行くのは明日にしてくれ」
「ちぇ……ですわ」
残念がるも駄々はこねない、クレイドールは良い子なのだ。
(念のため魔塔も作っておいた方が良いかもしれないな……)
魔法使いたちは魔塔と呼ばれる場所で魔法を学んだり研究したりする。ある程度の規模の街には大抵魔塔が存在しているものなのだ。後回しにするつもりだったが、クレイドールが探しに行くとなれば話は別だ。高名な魔法使いを連れて来てしまう可能性もゼロではない。
アイスヴァルトは、メイソンが過労で倒れないと良いな、と案じつつ、夕食のメニューを考え始めるのであった。




