第十七話 先行者利益
「な、なるほど……ドラゴン討伐で……それは誠に残念至極、心よりお悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます、行方不明で生死不明の場合、二年その状態が続けば法律上死亡したと判断されますの。それまでは暫定領主としてこのグレイリッジ領を盛り立ててゆく所存ですわ、是非ともお力をお貸しくださいませ」
一気に家族を失ったというのに、なんと健気で気丈なお方だ……だが、それだけではない、こうして優秀な人材を得て領地を発展させる領主としての才覚をすでに示されている。損な役回りだと思っていたが――――これはワグナー商会にとっての千載一遇のチャンスかもしれない。
「もちろんでございます。ワグナー商会に出来ることがあれば何なりとお申し付けください」
「それは頼もしいお言葉ですわ、到着したばかりで疲れているところ引き留めてしまいましたね。宿を用意しておりますので、本日はゆっくり休んでくださいませ。明日、商談をして、その後街を案内いたしますわ」
「おお!! 本当に新しいのだな」
アルが感嘆の声を上げている。私があと十歳若ければ同じような反応をしていただろうな。
用意された宿屋『辺境の憩』は、完成したばかりの建物で、ラルクさまの説明によれば私たちが最初の宿泊客だという。実に光栄な話で、滅多に体験できることではない。一緒に来た従業員たちも大いに喜んでいるようだ。
「ロペス!! 見てくれ、水が自由に使えてお湯にもなるぞ!! 灯りも魔道具で調節できるし、屋敷にあった空調の魔道具も使われている。これほどの宿は王都にもないんじゃないかな?」
「だな、規模はともかく、質は王都の最上級クラスの宿に勝っている。下手な貴族の屋敷よりも上だろう。ひょっとすると王宮並かもしれないな。宿泊したことはないが」
「いや……王宮は老朽化が深刻なんだ、この宿の方がよほど快適だ」
え……ちょっと待て、下級貴族じゃ王宮には宿泊できないから、やっぱりアルって結構高位の貴族なんじゃ……? 嫌だなあ……でも今更口調を変えるのも変だしな……。
「う、美味い!! このパン最高だな」
アルが早速パンのお代わりを所望している。
「お口に合ったようで何よりです、ドワーフ族のグラニートという窯焼きパンなんですよ。その昔、鍛冶師が仕事中に食べられるように鍛冶用の窯でパンを焼いたのが始まりだと言われています。そのまま食べても美味しいですが、ソースを付けてお肉や野菜を挟んで食べると最高ですよ」
見目麗しいエルフ族の女性が丁寧に説明してくれる。エルフ族は数が少ないこともあるが、プライドが高く人族を一段低く見ているため、すくなくとも王国内でこのように接客してくれるところはまずない。まるで伝説の勇者一行になったような気分だ。
それにしても――――ワイルドボアのステーキは何度か食べたことがあるが、こんなに旨いのは初めてだ、鮮度が違うとここまで違うものなのか? それとも調味料やソースに秘密があるのだろうか?
「ふう……まさに天国だな」
「うむ……違いない」
極上の食事の後は宿の地下にある大浴場で旅の疲れを癒す。道中風呂はおろか水浴びすらままならなかったから、ひと際湯が全身に染み渡る……。
そして――――材質はわからないが、信じられないほどふかふかのベッド、とてもリラックスできるお香によって、あっという間に眠りに落ちてしまった。
「おはようございます、昨晩はよく眠れまして?」
「おかげさまでぐっすり眠れました。お気遣い感謝いたします」
「それは何より、では――――早速商談をすすめさせていただきますわね」
商談の窓口は執事のアイスヴァルトさまだ。これまでは商談らしい商談をしたことはなかったが、今回はそう簡単にはいかないだろう。下手に欲を出して心証を損ねるのだけは避けなければ。
――――が、商談そのものはあっさりと終わった。
こちらが用意したものはすべて買い取ってくれたし、価格交渉もほぼなかった。そこまではいつも通り、違っていたのは、金、銀、銅貨を求められたことだ。
正直これは理解出来る。これまでは貨幣を使う必要がなかったグレイリッジ領だが、これからは違う。この街のことが知られれば、国中、いや……大陸中から人がやってくる。場合によっては物流の流れすら変わってしまう可能性すらある。いくら通貨があっても足りないだろう。
「あまり用意しておらず申し訳ございません」
どうせ買うものなど無いと現金をあまり用意してこなかったのは痛恨の失態……。
「いいえ、こちらこそ無理を申し上げてしまいました。それよりもロペスさまには是非とも当グレイリッジ領に支店を構えていただきたいのです」
「支店ですか……それはこちらとしても前向きに検討させていただければと思います」
たしかに可能性を感じる街ではあるが……支店を出すとなると話は別だ。王都からも遠い、近くに経済圏が存在しない以上利益を出すのはかなり難しい、これまで通り、年二回、その規模を増やす程度が現実的な線だ、少なくとも現時点では支店云々は時期尚早だろう……。
「ありがとうございます、では街を案内させていただきますわ」
「ここが現在街で唯一の商店ですわ」
アストリア商会……トナリノ王国を拠点とする中堅商会だな……誠実信用がモットーの優良商会だ、まさかもう支店を出しているとは……たしかにグレイリッジ領からならトナリノ王国の方が地理的に近い……むう、このままでは先行者利益を根こそぎ持って行かれる可能性が……だが、出店するとなれば莫大な初期費用が必要……投資に見合うだけの納得させる根拠が必要になる。アストリア商会と提携して互いの商圏をカバーできるのであればあるいは……。
「ちなみにこちらが新たな商会用に建設した建物ですわ。もしワグナー商会が支店を出してくださるのでしたら、この建物を無償で提供いたします」
「む、無償っ!?」
あ、あり得ない……明らかに一流の建築士によってデザイン建設された三階建ての壮麗な建物、地下に倉庫もあるし、ちゃんと搬入搬出口も広く用意されている。王都なら建設費だけで数十億バニーはくだらない、おまけに場所も街の一等地……。
「ちなみに無償提供は先着一商会さままでですわ」
落ち着け、たしかに無償提供は魅力だが、いざ店を構えるとなれば、がっつり税金で持って行かれてしまう。特に一等地であればその分税金も高額にならざるを得ない、長期的な視野に立って採算が取れるかどうか慎重に精査――――
「それに――――グレイリッジ領では税金はかかりませんのよ」
「クレイドールさま、是非とも当ワグナー商会に出店の栄誉を!!」
「まあ!! 良かったですわ、今すぐに入居出来ますので、契約を終えたらすぐにでも商売を始められますわよ」
これは――――最初から筋書き通りなのだろうな、こんな条件を断れる商会など存在しないが、逆にこんな条件を提示できる領主など他に存在しない。ここは素直に選ばれたことを神に感謝すべきだろうな。
「さて……どうしたものかな」
あの後、街の市場を見て回ったが、どれもこれも珍しく貴重なものばかりだった……他所の街、いや……王都ならここで仕入れた何十倍、何百倍の価格でも飛ぶように売れる。だが……人員も仕入れる金もない。
「皆、聞いてくれ。私は急ぎ王都へ戻り、大商隊を率いて戻ってくる、半数の馬車と人員は最寄りの街で一部ミスリル鉱石を換金し、その金で生活用品などを仕入れてリッジフォード支店の品揃えを最優先に動け、アルは私と共に王都へ――――」
「いや、私はリッジフォードに残ってワグナー商会リッジフォード支店の開店準備を進めるよ、二人ほど残してもらえると助かる」
は? いやいや、お前は王宮へ報告するのが役目じゃないのか!? そもそも商売やったことないだろお前!!
「ああ、報告のことならもうすでに飛ばしたから大丈夫、商売のことはわからないから、雑用でもなんでもやるよ。気に入っちゃったんだ、この街も――――あの可愛らしい領主さまも――――ね」
はあ……本当に何を考えているのかさっぱりわからん。いずれにしてもこちらに選択権はないのだから好きにさせるしかないんだが……。
ロペスはアルのことを頭から外し、どうやって本店の連中にこの街のことを信じさせるか、という難題に頭を悩ませるのであった。




