第十六話 ワグナー商会
「さあ、並んでください、皆まとめて治療しちゃいますよ」
病気の者、怪我をしている者、病院が開業したという噂はあっという間に街中に広まり、初日にもかかわらず百人近く集まった。全員病気や怪我というわけではなく、疲労回復も出来るということで、ろくに睡眠もとらず働き続けているアイスヴァルトやメイソン、フィンらも顔を揃えている。
「まさか聖女がお嬢さまの叔母だとは……これはとんでもない事実だぞ……メイソン、このことはくれぐれも内密に頼む」
聖女ミレイユの姉、つまり伝説の武闘派聖女クラリスがクレイドールの母親ということになる。そのような事実、帝国ですら掴んでいなかった。アイスヴァルトは徹底的に情報を管理しなければと気を引き締める。
「だな、そもそもあのセイクリッド聖国が簡単に聖女を手放すとも思えん……一体何があったんだ……」
セイクリッド聖国にとって聖女は国力そのものであり象徴であり権威そのものだ。ミレイユがいるとはいえ、他国へ嫁がせるなど簡単ではなかったはず。公になっていないこともその事実を裏付けている。
「行きますわよ、皆さまに届け――――癒しの風」
ミレイユの魔法で病気は完治し、傷や怪我が癒える。そして――――
「おおおお!!! 力が……漲る!!」
「おおう、これならいくらでも頑張れるぞ!!」
「ふふふ、これで無限に計算できますね……」
こうして疲れ知らずとなった天才と労働者たちによって、街の開発スピードは大幅にアップすることとなるのであった。
「はあ……儲かるから良いが、はっきり言って苦痛なんだよな……」
王都に本店を構える老舗ワグナー商会。若旦那のロペスは御者台でため息をつく。
毎年二回、定期的に辺境の最果てまで行くだけの簡単な仕事、部下に任せられればいいのだが、そうもいかない事情がある。
「グレイリッジ領……あそこ、本当に何も無いんだよな……」
取引相手としては最高、支払いはすべてミスリル鉱石、年々需要が増しており、ワグナー商会がライバルに差を付けているのは安定的にミスリル鉱石を扱うことが出来るから。しかも何もない辺境ゆえに持って行けば基本なんでも売れる優良顧客。
だが――――最寄りの街から馬車で三日、途中町や村もなく野宿するしかないし、グレイリッジ領には宿屋すらなければ仕入れたくなるような特産品もない。土地がやせているせいで農作物も生育が悪く必然的に飯もあまり美味しくないときている。正直あまり行きたくなるような場所ではない。
「ロペス、グレイリッジ領はまだかな?」
何が楽しいのか思い切り馬車の旅を満喫しているこの若者、毎回依頼主の要望で同行者を伴ってはいるが――――今回は明らかにいつもと違う。ブロンドに碧眼、育ちの良さとあふれ出る気品、依頼主のことを考えれば、かなり良い所のお坊ちゃんだろう。助手として扱って欲しいと言われたが、下手なことをして後で問題になったら困る。
なんてったって――――この依頼はキングダム王国王家からの命令なんだから。
「このペースならあと数時間で到着するぞ、アル」
「そうか……楽しみだなグレイリッジ領」
「いや……本当に何もないところだぞ?」
瞳をキラキラさせているところ悪いが、ガッカリされて八つ当たりされても困るからな。
「ああっ!! 本当に見えてきた!!」
「え? いや……まだ何か見えてくる距離じゃ……な、なんじゃありゃああ!!?」
まさか……道を間違えたのか? なぜか堅固な街壁が見える。この距離から見えるってことは……少なくとも五メートル以上、いや……十メートル近い高さがあるってことだ、どこの城塞都市だよっ!?
高さだけではない、その幅、おそらく数キロに及んでいる……王都を除けばここまでの規模感の街壁は見たことがない。
「あれがグレイリッジの領都リッジフォード?」
「え? た、たぶん……」
マズいな……嘘の報告を上げていたなんて思われたら……いや、それはないか。報告は同行していた人間がしていたはずだし。アルも楽しんでいるから大丈夫だろう。
「おお……立派なものだなロペス」
「前回来たときは無かったから、出来立ての新品なんだろう、一体どんな魔法を使ったらこんなことが……」
張りぼてだと思っていたが、逆に近づくにつれてその威容と造りの精巧さに気付く。使っている素材や工法がわからないなんて初めての経験だ。
「ようこそリッジフォードへ、商人か?」
出迎えてくれたのは、青髪に水色の瞳の偉丈夫、衛兵隊長だろうか? 物腰、言葉の端々からその人柄と教養がにじみ出ている。どこぞの騎士団長と言われても納得してしまう貫禄がある。
「ああ、王都から来たワグナー商会だ」
「おお、待っていたぞ、私はラルク、案内しよう」
「わあ……広いなあ王都の中央通りと同じくらいあるんじゃないか?」
「そ、そうだな……」
ワグナー商会の馬車十台が余裕で呑み込まれてしまう広い通り、建物がまだ少ないので余計に広く感じるが、街に入った途端馬車の移動がスムーズになった。綺麗に舗装された道のおかげで快適そのものだ。石畳でもレンガでもない……一体どうやったらこんな滑らかな道が出来るんだ?
「なあロペス、屋台が出てるぞ、行ってみたい!!」
「駄目だ、まずは領主さまに挨拶しなければ」
通りの脇には果樹が均等に植えられていているため非常に見栄えがする。この短期間でどうやったのか見当もつかないが。
「おお、あそこが領主さまの屋敷だな」
良かった……屋敷だけは変わっていない、若干綺麗になったような気もするが……異国で知人と出会ったような、ホームへ帰ってきたような安心感がある。
「エルフにドワーフか……珍しいな」
「そうだな……」
普通は街に数人いるかいないかというエルフやドワーフが普通に歩いている。むしろ人族よりも多いくらいだ。それにしても、リッジフォードは人口三百人そこそこだったはず……これでは完全に別の街だな。
「到着早々疲れているところ申し訳ないが、領主さまがお待ちだ」
部下たちに待機するように伝え、アルと二人で屋敷に向かう。
「ようこそ。グレイリッジ家執事のアイスヴァルトと申します、ここからは私が案内させていただきます」
誰だこの男は? 以前居た執事は引退したのだろうか……サラサラの銀髪に涼し気なアイスブルーの瞳か……社交界に出てきたら令嬢たちが大騒ぎするだろうとんでもないイケメンだ。
「……ふーん、わずかに帝国訛りがあるな、それに……アイスヴァルト……か、実に興味深い」
アルの目の色が変わった……一体何者なんだよこのお坊ちゃんは!?
こういうのは詮索しない、深入りしないのが長生きする秘訣だ。俺は何も見ていないし、聞いてもいない。商売の話に集中しよう。
「それにしても――――お屋敷の中はじつに快適ですな」
「屋敷内の気温を調整する魔道具を使っております。ご興味があれば後ほどお見せしましょう」
「ほお!! 実に興味深い!!」
そんな魔道具、もし仕入れられたら……貴族連中に引っ張りだこになるだろうな。是非とも詳しく聞かせてもらいたいところだが――――
「領主さまはこちらでお待ちです」
いつも商談していた勝手知ったる応接間――――のはずなんだが、明らかに造りが変わっている。
「うわっ!?」
スーッ 触ってもいないのに自動で扉が開く。
「どうぞお入りください」
応接間に入ると、一番奥にこの屋敷の主人が居た。
男爵さまではない? たしか……あれは末娘のクレイドール嬢? どういうことだ?
立ち上がるとドレスが光り輝き――――髪飾りから星が零れ落ちる。
完璧な所作と堂々とした立ち居振る舞い。まだ幼いがすでに淑女の空気を纏っている。しばらく見ない間に立派なレディになられたのだな。
「……へえ、あれが」
おい、アル、お前何者なんだよ、怖いから思わせぶりなこと言うのやめろ。
「遠路はるばるグレイリッジ領へようこそ。暫定領主クレイドール=グレイリッジは皆さまを歓迎いたしますわ」




