第十五話 聖女
『うわああああ!! 助けてくれ!!』
『いやああっ!! お母さんっ!!』
逃げ惑う人々、風光明媚な観光都市サンセットは一瞬にして恐怖のどん底に叩き落とされた。
グリフォン――――獅子の胴体に鷲の頭と翼を持った危険度Sランクの魔獣。空の王者がなぜこの街にやってきたのかはわからないが、確実なのはこの街にいる兵士や冒険者が束になっても勝ち目はないということ。
その飛行能力はもちろん脅威だが、自在に操る風魔法はさらに厄介だ。かまいたちの様に人々の足を切り裂き、動けなくしてから食べるのだ。柔らかい肉を好み、女子どもを狙うため、被害を抑えるために生贄を捧げる地域もある。
圧倒的な暴力、過ぎ去るのを待つしかない自然災害、それがグリフォンである。
――――『癒しの風』
光り輝く一陣の風が吹き、動けなくなった人々の傷が癒える。
(休暇に来てみればなんて運の無い……)
一人の女性がグリフォンによって倒れた人々を次々に回復させてゆく。
白い髪が光り輝き、慈愛に満ちた桃色の瞳、その姿はまるで女神が降臨したかのよう。その御業はまるで奇跡の行使――――
セイクリッド聖国のミレイユ――――その類まれな回復魔法ゆえに人々から『聖女』と呼ばれ神のように信仰される大陸十英雄の一人。
グリフォンの瞳が一人の少女を捉える。
(駄目――――間に合わない!!)
ミレイユは咄嗟に全身から魔力を放出する、グリフォンが好きな魔力で気を引くためだ。
『グルう!?』
グリフォンの視線がミレイユを捉える。
(あ……これマズいですわね)
聖女であるミレイユに魔獣と戦う力も、逃げ切る身体能力もない。武闘派聖女と呼ばれ畏れられた彼女の姉であればどうにかなったのかもしれないが――――
ミレイユの身体はそのまま鍵爪に掴まれて大空へ舞い上がる。サンセットの街があっという間に小さくなり、グリフォンは宝物を見つけた子どものように興奮した様子で飛び続ける。
(すぐに食べられなかったのは良かったですけれど……困りましたね……)
ミレイユは持続型回復魔法を自身にかけているため、一撃で首を落されるようなことでもない限り死ぬことはない。さらに痛みを麻痺させる魔法も使えるので、生きながらにして食べられたとしてもある程度は耐えられる。精神が持たなければ精神強化も使えるので死角はない。
ドラゴンのような魔物にバリバリやられたら終わりだが、グリフォンは嘴なのでかみ砕かれる可能性は低い。だがそれ以前にこの高度から落下したら回復以前に即死だ。どこへ連れて行くつもりなのかわからないが、大人しくしていようとミレイユは身を委ねるのであった。
「ゼロ、セリオン、お医者さま見つかりまして?」
山に入った三人は文字通り草の根を分けてお医者さまを探していた。
「医者ってのは貴重だからな、そう簡単に見つからねえよ」
「そうだな……医者が居るというだけでその街は栄えると言われているくらいだ」
ゼロとセリオンもこんなところに医者がいるとは思っていないが、彼らの雇い主は普通ではない。とはいえ、さすがに今回は厳しいのでは? と本音では思っていた。
「あ……居ましたわ!!」
突然空を見上げるクレイドール。
「は!? いやいや、なんで空に――――うわああああっ!! グリフォンじゃねえか!!」
「いや、大丈夫だ奴はこちらに気付いていない)
「こっち――――ですわあああああああああ!!!!!!!!」
大声でグリフォンを呼ぶクレイドール。
「うわああああ!? 何してんだお嬢さま!!」
「マズい、こっちに来るぞ!!」
剣とナイフを構え、戦闘態勢に入るゼロとセリオン。
「攻撃したら駄目ですわよ」
「「え?」」
「お医者さまが捕まってらっしゃるのですから」
言われてみれば、たしかに鍵爪で何かを掴んでいる。まさか最初から視えていたのか……いや、それ以前になぜ捕まっている人がお医者さまだと思えるのか。
「そんなこと言っても――――」
「だ、だがどうするんだ?」
グリフォンがすごいスピードで突っ込んでくる。
「大丈夫ですわ、あの鳥捕まえたことありますから」
鳥じゃないっ!! ゼロとセリオンの心の声が見事にハモる。
「私が捕まえたら、ゼロとセリオンはお医者さまをよろしく頼みますわね」
「お、おう……」
「こ、心得た」
ガシッ クレイドールは、襲い掛かってきた鍵爪を掴んで――――ビタアアアアアアン、そのままグリフォンを地面に叩きつける。
その衝撃で投げ出されたお医者さまを、ゼロとセリオンが見事な連携で受け止めた。
「う……うーん……ここは一体?」
ミレイユが目を覚ますと、可愛らしい令嬢と妙に迫力のあるメイドと、やたら強そうな剣士が顔を覗き込んでくる。
「大丈夫ですの? 私はクレイドールと申します」
「メイドのゼロ」
「護衛のセリオンだ」
「貴方たちが助けてくれたのね、私はセイクリッド聖国のミレイユ、心から感謝するわ」
(な、なあセリオン、セイクリッド聖国のミレイユって……まさかあの聖女!?)
(ああ……間違いない、一度だけ式典で見たことがあるからな……)
「ところで……ここはどこかしら?」
「キングダム王国の辺境、グレイリッジ領にある山の中ですわ、ミレイユさま」
「キングダム王国っ!? ずいぶん遠くまで来てしまったのですね……え? 今、グレイリッジって言いませんでした?」
「ええ、ここはグレイリッジの領地なのですわ」
「グレイリッジ……クレイドール……灰色の髪……赤銅色の瞳……きゃあああ!!! こんな偶然あるかしら!! クレイドール、私はあなたの母クラリスの妹、貴女の叔母なのですよ!!」
驚くクレイドールを抱きしめるミレイユ。聞けば、姉クラリスからの手紙でクレイドールのことはよく知っているのだという。
「ミレイユおばさま?」
「なあにクレイドール?」
「ミレイユおばさまはお医者さまですの?」
「そうですね……まあ……そう言えないこともないかしら。お医者さまよりもたくさんの人を助けることが出来るのですよ」
「良かったですわ、実は町にお医者さまが居なくて探していたのです」
「そうでしたの、それなら喜んで力にならせてちょうだい!!」
こうしてお医者さま問題は解決した。
(これって……お嬢さまには聖女一族の血が流れているってことか?)
(そういうことになるが……他でもないクレイドール嬢だからな……)
(まあ……お嬢様だからそれくらいおかしくないよな……)
色々考えるのをやめている二人であった。
「ミレイユおばさま、この子治せますか?」
クレイドールに叩きつけられたグリフォンは、全身の骨が砕けて翼も折れてしまっている。
「もちろんですよ――――『祝福の雫』」
みるみるうちに全身が元通りになってゆく。
「お嬢さま……その危険な魔獣どうするんだ?」
「え? 騎獣にしますわ、私もセリオンみたいにモフモフなのが欲しかったんですの」
『グルう……』
まるで分厚い絨毯のような背中を撫でると、グリフォンは甘えるように服従の姿勢を示す。
「名前を付けてあげないといけませんわね……」
「クレイドール、グレイ、なんてどうかしら?」
「っ!! 素敵ですわおばさま!! 今日からアナタはグレイ、ですわ」
『グルうううう!!』
その後――――クレイドールたちはグレイに乗って屋敷に戻ったのだが、グリフォンの襲撃だと勘違いしたリッジフォードが大混乱に陥ったのは言うまでもない。




