第十三話 屋敷の朝
「よし、今朝はこのくらいにしておくか」
朝の修練を終えた剣聖セリオンは、そのまま風呂へ向かう。
魔石に触れるだけであっという間に湯が満たされる最新式の魔道風呂、セリオンは魔石を提供してくれたクレイドールと作ってくれたドワーフ族に感謝しながら汗を流し湯船に浸かる。
「ふう……湯加減も最高だな」
風呂から上がると、風が出る魔道具を起動する。最近、毎日のように屋敷が改造されていて、気付くと新しい魔道具が設置されている状況にも慣れてきた。この髪を乾かす魔道具も昨日までは無かったものだ。
(もうすでに帝都に居た頃よりも快適かもしれないな……)
「アイスヴァルトの作る食事は美味いし、ドワーフやエルフの店の料理も美味い。食事だけでもここへ来て良かったと思うくらいだ」
元々剣を振るうことが三度の飯よりも好きだったセリオンだが、グレイリッジ領に来てからは、食事も同じくらい気に入っている。今日の朝食はなんだろうか、考えていると食堂からアイスヴァルトが出てきた。
「おはようアイスヴァルト」
「おお、セリオン丁度良かった、朝食の準備が出来たからお嬢さまを起こして来てくれないか」
「わかった――――って、ちょっと待て!? それはメイドの仕事だろ!!」
「ゼロならまだ寝てるからついでに起こしてくれ」
あの駄メイドめ……セリオンは内心毒づく。
「いやいや、ご令嬢の寝所に男が入ったらマズいだろう?」
「俺は毎日入っていたから今更だ」
「だったらお前が起こして来ればいいだろう?」
アイスヴァルトがガシッとセリオンの両肩を掴む。
「お前は俺に死ねというのか? お嬢さまの寝姿はたしかに天使のように可憐だが……寝相が悪いんだ!!」
なるほど……セリオンは納得する。あの規格外の身体能力だ、無意識の寝返り一つでアイスヴァルトなど瞬殺してしまうだろう。
「仕方ない……先に起こしてゼロにお嬢さまを起こしてもらおう」
「やめておけ、ゼロはお嬢さま以上に危険だ、特に寝起きが最悪だからな」
大陸最強の暗殺者と朝からやり合うつもりはない。ただでさえ先ほどから腹の虫がなっているのだ。
「はあ……わかったよ、起こせばいいんだろ?」
「とは言ったものの……くっ……緊張する」
セリオンはアイスヴァルトの親友をやっているだけあって、女性耐性は限りなくゼロに近い。
柔らかなブロンドにルビーのような紅い瞳、まるでどこぞの王子様のような風貌ゆえに非常にモテるのだが、剣の修行を言い訳にこれまで逃げ続けてきた。
ここグレイリッジ領に来てからは、護衛兼騎士団長としてクレイドールの近くに居ることが多く、距離感がバグっている彼女とは必然的にかなり距離が近くなりがちである。
セリオンとしても少しは慣れてきたと思っていたのだが、仕事とプライベートでは緊張の度合いが全く違う。出来れば起きてくれと願いながら強めにドアを叩くが反応はない……。
「……失礼する」
女性の部屋に入るなど生まれて初めての経験だ、心臓をうるさいほどドキドキ鳴らしながら、視線はまっすぐにクレイドールを捉える。
「……可憐だ」
柔らかそうな灰色の髪は朝日を浴びて銀色に輝いている。こうしてみると人形のように整った美しい目鼻立ちをしており、あと五年もすれば国中の男たちを虜にする美女となるだろうと想像出来てしまう。
セリオンは一瞬見惚れてしまうが、すぐに首を振って我に返る。
「クレイドール嬢、起きて――――」
ごろん クレイドールがベッドから落ちそうになる――――
「っ!! 危ないっ!!」
咄嗟にクレイドールを受け止めてしまったが――――その柔らかさと温かさにピシリ、固まってしまう。
(いかん……は、早くベッドに――――いや待て、このまま起こした方が……)
混乱しパニックになるセリオンだったが――――
「……お父さま……お母さま……お兄さま……」
「そうか……クレイドール嬢は家族を失ってしまったんだよな……可哀想に……」
恐ろしく強く、元気なクレイドールだが、まだ成人前の少女なのだ。セリオンは己を恥じる、自分が守らなければならないのに一体何をしているのか、と。
「……お父さま……お母さま……お兄さま――――隙アリ――――ですわ!!!」
至近距離から凄まじいパンチが飛んでくる。
セリオンは鍛え上げた反射神経でパンチをかわす。寝ぼけていたからなんとかなったが、当たっていたらと思うと肝が冷える。
「クレイドール嬢、起きてくれ!! 朝食の時間だ」
「ん……んう……? あ……セリオン?」
寝ぼけているクレイドールは可愛いが、呑気に眺めている余裕はない。
「朝だ、朝食の準備が出来ているぞ」
「はう……お腹空いたのですわ……セリオン、このまま食堂まで連れて行ってくださいませ」
「寝間着のままだろう? 着替えないと」
「あら……本当ですわね、セリオン、着替えさせて」
甘えるようにぎゅっと抱き着くクレイドールに、セリオンの限界は呆気なく突破された。
「な、ななな、なにをいっているんだ!! 駄目に決まっているだろうっ!? は、離れるんだ」
「い~や~ですわ!! 着替えさせてくれるまで放しません」
もう駄目だ……こうなったら一か八か――――
クレイドールに抱きつかれたまま屋敷内で唯一の女性であるゼロの部屋へ向かう。
「ゼロ、起きろ!! 朝食だ!! それから――――うおっ!?」
ナイフや様々な暗器が飛んでくる。
「てめえ……レディの部屋に入って来るとは……死にてえようだな――――ってお嬢さま?」
「ゼロ、助けてくれ……クレイドール嬢が着替えさせろって……」
状況を察したゼロがニンマリと笑う。
「仕方ねえなあ……私を着替えさせてくれたら手伝ってやる」
「無茶言うな!!」
クレイドールと違ってゼロは成人している女性だ、色々とマズい。
「ねえ……セリオン……お風呂入りたい」
「あははははは、お嬢さまがお風呂を所望だぞセリオン、ほら早く行けよ、良かったな!!」
「うわああああ!!!! 勘弁してくれ!!」
「よし、喜べ、私も一緒に入ってやる!!」
「あいつら遅いな……」
「放っておきなよ、どうせくだらないことしてるんだから」
待ちくたびれるアイスヴァルトと、気にせず黙々と食べるフィンであった。




