第一話 没落寸前崖っぷち令嬢
「どうしましょう……もうお金がありませんわ」
クレイドール・グレイリッジは、空っぽの金庫を眺めて呟く。
グレイリッジ男爵家は、キングダム王国の最辺境に領地を持つ貴族だ。半年前、クレイドールの両親は、兄と部下を引き連れてドラゴン討伐に出発したまま戻ってこない。
さすがに半年も経てばクレイドールも家族は死んだのだと理解せざるを得ない。悲しみに暮れる彼女であったが現実は厳しい、使用人の給料はもちろん、各種支払い、王国への納税、毎日のように届く手紙の返信、悲しんでいる暇も余裕もない。
金庫にあった資金は半年の間にあっという間に空になり、使用人たちは全員出て行ってしまった。
クレイドールに残ったのは、屋敷だけであったが――――その屋敷すらこのままでは危うい。王国への税金が払えなければ、お家取り潰しとなってクレイドールの屋敷も没収されてしまうのではないか。
「これがいわゆる……崖っぷちというものなのかしら?」
お話の中ではドキドキするものだが、現実に自分がその境遇になってみればそれどころではない。
三日三晩悩んでクレイドールは、ある結論に達した。
「うん、私にはどうにもなりませんわ」
クレイドールは、冷静に分析した。人には得手不得手というものがある。父である男爵は口癖のように言っていた――――
『いいかいクレイドール、上に立つ者は何でも自分で出来る必要はないんだ。適材適所、それが得意な者を信頼し任せることが大切なんだよ』
『わかりましたわお父さま』
「今、この家に一番必要な人材は――――執事ですわ!!」
クレイドールにとって、執事は万能で何でもできる超人だった。執事さえいればこの状況でも何とかなるかもしれない。
だが、執事を雇おうにもお金が無い。
クレイドールは、父の言葉を思い出していた。
『知っているかいクレイドール、山にはね、なんでも揃っているんだよ、しかも全部タダ!!』
クレイドールは、瞳を輝かせる。街で執事を雇えばお金がかかるが――――山で拾って来ればタダ。
「よし、山で野生の執事を見つけますわよ」
「うーん、野生の執事を捕まえるにはどうすれば良いのかしら?」
とりあえず大きな網と縄、麻袋を用意してクレイドールは、日の出とともに山へと出発するのであった。
季節は新緑が眩しい初夏、朝晩が冷えないのは幸いだが、日差しが強く体力を容赦なく奪ってゆく。
アイスヴァルト・グラシエールは、身体を引きずるように山道を進んでいた。
その輝くような銀髪は汗で額に張り付き、氷のようなアイスブルーの瞳には絶望と疲労の色が滲む。
「もう体力も限界……俺もここまでか……」
帝国の若き天才宰相として将来を嘱望され、全てが順風満帆だったはずが、皇女を巻き込む女性スキャンダルで失脚し、処刑されるところを身一つで逃げてきたのだ。
追手に見つからないように人里を避けて逃げ続けて数か月、手元の所持金はとうに尽き、森や山で山菜や果物で飢えをしのぎながらここまでやってきたが、数日前に獣を狩った時に負った傷が化膿して日に日に悪化している。
アイスヴァルトは比較的見晴らしの良い場所を見つけ、大木に寄りかかるように腰を下ろす。
痛みで脂汗が流れる、息が荒くなって意識が朦朧としてくる。理解したくなくともわかってしまう。
――――自分がもうすぐ死ぬのだと。
「……出来れば獣に生きたまま喰われる前に天に召されたいが……」
山の天気は変わりやすいと言われるが、笑ってしまうほどの好天で空気は澄んでいる。鳥のさえずりが聞こえる――――近くに危険な獣はいないのだろう。
誰にも知られず一人静かに息を引き取る、それも悪くないかもしれない。牢獄で毒殺されたり、観衆に罵られながらギロチンで首を落されるよりはずっとマシな死に方だと思える。
帝国では死者の魂は天に昇ると信じられている。アイスヴァルトは雲一つない空を見上げる。
「あの……貴方は執事でしょうか?」
つばの広い帽子を被り、薄手のワンピースを着た女性がアイスヴァルトを見下ろしている。その灰色の髪が初夏の風に吹かれてなびき、赤銅色の瞳が期待に揺れている。
なぜこんな山の中にご令嬢がいるのか?
アイスヴァルトはその優秀な頭脳で冷静に考える。
大きな網、縄、麻袋……虫取りにしては大袈裟すぎるから獣でも捕まえに来たのだろうか?
(駄目だ……まったくわからない。それに――――執事? なぜ執事?)
「……もし執事ではなかったらどうなるのだ?」
「別に何も。このままお別れですわ」
……こ、殺される!? 意味はわからないが、執事でなかったら殺される。今のアイスヴァルトに抵抗する手段は残っていない。同時に生き残れるかもしれない最後のチャンスでもある。
(ま、まあ……宰相も国家という家の執事のようなものだしな……)
「ああ、俺は執事だ。よくわかったな」
「やっぱり!! 私、貴方を探していたのよ」
「……???? そ、そうか」
「私はクレイドール・グレイリッジ、これからよろしくですわ執事さん」




