◆ ニューワールドオーダー
この世界設定は、簡単に言えば冷戦状態から戦争状態に移り変わりつつ在る国政状況だ。
僕らは三ヶ国あるうちのいずれかに所属し、軍、ないし民兵や傭兵などの職業を選んでストーリーを進める形になる。
僕はいわゆる帝国側の人間に所属している一兵卒の軍人で、ストーリーは世界がやや不穏な空気に包まれているところから始まっているらしい。
むろん、対人間の戦いばかりではなく『シブヤ』のようにモンスターも出現するようで、サブクエストにはモンスターからドロップするアイテムの収集や、装備強化、あるいはイベントアイテムなどにも必要になってくるようだ。
モンスターは主に街の外に配置されているが、季節や時間帯によって『強襲イベント』があり、各プレイヤーが街を防衛するという目的の狩猟イベントも存在するようだ。もっとも、今のこの世界では本当にランダムで発生するようなので、僕は気を抜くことも出来ない。
「ま、とは言え、だね」
傍らにいるエプロンドレス――いわゆるメイド服姿のトモちゃんへ、僕は手の中に握った拳銃を見せながら言った。
「これを適切に使えれば死にはしないからね」
「それこそ、とは言え」
彼女は顎に手をやり、首を傾げながら言った。
「経験値が取得出来ないため、根本的に『死にやすい』状態には変わりありませんが」
昼日中、街の往来で賑やかなBGMやSEが響く中、僕らはまた立ち尽くして肩を落とした。
「そういえばそうだね」
根本的にヒットポイントの限界値を高め、攻撃力や防御力を底上げしなければ死にやすいのだ。どれほどチートアイテムを有していたとして、その一撃を決める前に攻撃を喰らってしまえば即昇天、ゲームオーバーだ。
結局のところ、尋常に攻略していく他ないのかもしれない。
「それをご自身に発砲し、ステータスを改ざんすることは出来ないのですか?」
「無理なことはないだろうけれど……」
アイテムウィンドウから装備画面を開き、弾丸の種類を眺める。
爆裂弾は対象のシステムの初期化、雷轟弾はプログラム自体の消去、冷凍弾は対象の情報の読み込み、風烈弾はプレイヤーの書き込んだシステムへの変更。
これらが用意された修正ツールだ。そもそもがゲーム内でのチートアイテムとして存在しているため、本当に簡単な事しか出来ない。
この風烈弾ならば単純なコードだけでも辛うじて機能しそうなものだが……。
「あまりリスクは負いたくないからね」
チートアイテムでプレイヤー自身がバグるのはどこにでもある話だ。そこからゲーム内にバグが蔓延して、いつサーバーが落ちてもおかしくない。
「難儀な話ですね」
「うん、まったく」
心底、不便なものだと思う。
外の世界に居て管理者権限を持てればなんでもござれだろうけれど、ゲーム内での権限なんて結局の所、出来ることは限りなく限られている。
MODの開発だって困難だし、アップデートも、新たなシステムを作り出すことだって出来ない。
出来ることと言えば、このワールドを自由に行き来することと、ちょっとしたチートくらいなものだ。
「まあ、とは言え、だよ」
不満ばかり垂れ流していたところで運営は見ても居ないし、見ていたとしても何もしてくれないわけだ。
何か出来るならば既にアクションしてくれていてもおかしくない。だってこの世界に取り残された僕の存在は、この会社にとって最大の汚点でしかないのだから。
それこそ、今後のVRゲームの将来が暗くなる可能性さえ秘めている。
僕の存在は決して語り継がれず、そっと闇に葬り去るほかないのだから。
「あーあぁ」
少し思考が逸れればすぐに文句がこぼれてくる。言いかけた言葉を飲み込んで大きくため息をつく僕に、トモちゃんは不思議そうな顔で言った。
「難儀な話ですね」
わかってるんだか、分かってないんだか、僕にはわからないけれど、そんな上っ面な同情だけでもないよりはマシだった。
僕はもう一つだけ大きく息を吐いてから、顔を叩いた。シャキッとしなければ、このまま廃人コースだ。ガチで。
「僕には暇つぶししか出来ないんだ。外へ綴るログだって、ホントに外へ綴られてるかもわかんないし、だから」
そう、だから気紛れに、気を紛らわすために、僕は暇つぶしをすることにした。
「まずはダンジョンにでもいってみようか」
この世界のダンジョンは、レベル制限がある。レベル一から二○までは初心者用の、チュートリアルじみた、経験値の物足りないダンジョン。
レベル八○から一ニ○までのダンジョンは、果たして一ニ○でも適性なのかというくらいの鬼畜な難易度のダンジョン。
今の僕のレベルは一ニ○だけれど、それに相応しい力はない。技量も、スキルも、戦い方さえおぼつかない。だから挑むのは、ちょうどニ○から五○までの制限のダンジョン。その名も、
「廃れた廃坑、ねえ?」
頭痛が痛い、みたいな名前のダンジョンは、街から南方に五キロほど離れた、森の奥にあった。
森にはモンスターも敗残兵も、落ち武者も山賊もいなかった。ただただ、ちょっと不気味な薄暗いだけの森に、僕は存在意義を見いだせない。
「湧かない仕様なのかな」
それともバグで湧かないのか。
どちらにせよ、いよいよダンジョンに入るまで、僕は自分の腕を試すことはできなかったわけだ。
不安しかないけれど、今更初心者用のダンジョンに行くのも億劫だ。なにせ街からまったく反対方向なのだから。
背後には鬱蒼と生い茂る森。背後には、とは言うけれど、今まさに僕が居るこの場所も、その森の中なのだけれど。頭上には背の高い木々から伸びた葉が日差しを遮断しているし、空気も心なしか冷たいような気がする。
目の前には、ぽっかりと口を開けた廃坑だ。奥の様子は見えず、梁の上には『廃れた廃坑』という名前が非現実的に浮かんでいるだけの、そんな場所。
どこか現実的で、それでも非現実感を拭いきれない。ぼくはそう改めて思った。
またそう思いながら、僕はようやくその『廃れた廃坑』へと足を踏み入れた。
◇ ◆ ◇ ◆
一瞬世界が暗転する感覚は、まだちょっと慣れない。
ほんの少しだけ背筋を凍らせてから見えた世界は、薄暗い息の詰まるような空間だった。
想像していたような坑道には、等間隔でうっすらとランプのような電灯の光が焚いてある。梁のように張り巡らされている木は四方から奥へとずっと伸びていて、その奥の方はとてもじゃないけれど、視認はできない。
「この坑道には山賊が潜んでいる……という設定のようですね」
横目に見たトモちゃんは、気がつけばエプロンドレス姿のまま、その手に鋭く冴えた剣を握らされていた。
「あれ、いつの間に武器を持ったの?」
「このダンジョンに入ったときに。おそらく、戦闘が可能になるフィールドでは、自動的に装備が反映されるようです」
「なるほど」
「なので今私が装備しているのは、この世界で標準装備となるブロードソードですね。手に入れやすく、それゆえに威力は低い初期装備です」
「はは、お揃いだね」
そういえば、装備を整えるのを忘れてた。
ダンジョンから脱出するアイテムも無い。
いやいや、これは本当に……笑っている場合じゃないかもしれない。
そんな僕の壮絶で凄絶な予感に呼応するように、坑道の奥からけたたましい雄叫びが聞こえてきた。




