◆終焉後の世界
『既にデータジェネレーション社から多数の逮捕者が出ていて、このままサービスを継続することは基本的に不可能になった』
カノーはその後すぐに電話をよこして、そう告げていた。
「じゃあ僕の救済は、いつになる? 解決はほとんど、したようなものだと思うんだけど」
『ああ……すぐにでも、と言いたいところだが』
「プライドからの話は全て聞いているはずだ。奴がものの五分足らずでバグを修正したんだから、出来ないわけがないだろう?」
『プログラマが不在なんだ。わかってくれ』
「なにを――ふざけるなよ! プライドに繋げ! 法を振りかざして僕を助けろよ!」
もはや僕には怒りしか無かった。
バイトとしてプレイヤーの救済の奔走した。確かに最後、単独でプライドと対峙したのは気が急いて誤った行動だったかもしれないが、結果として成功した。
失敗だったのは僕が未だこの世界に隔絶されているというただ一点のみ。
社員がどういった令状のもとで逮捕されたかはわからないし、ただ面倒だというだけで僕を救済しないだけなのかもしれないが、ただプライドが外に居るという時点で僕を脱出させることはもはや不可能ではないのだ。
デバチ――それはチーターによるデータ改ざん、クラック行為が原因。わかっているなら対処のしようがある。
全員を脱出させた。別に全てが僕の手柄と言い張りたいわけでもない。外に出てみて考えが変わることがあるかもしれないが、少なくとも現時点でデータジェネレーション社に恨みを晴らしたいというわけでもない。
僕はもとの生活に戻りたい。純粋なまでに、その想いが強いだけだった。
なのに、彼は不可能だという。目の前で檻から動物を解放したのにも関わらず、僕の檻は開けられないという。ふざけるな、と怒鳴りたくもなる。
ひと通り怒ってみて、僕はようやく少しだけ頭の熱が冷めたようだった。
「……救済措置はあるのかい」
僕は一つ訊いた。
暫く間を置いてから、彼は口を開いた。
『プレイヤーデータを削除すれば、強制的にリアルには戻ってこられるだろう。だが正規のログアウト手段をとらないため、危険を伴う……このゲームには、リスクは常だ』
「最終手段しかないのかよ」
『……すまない。一つ、最後に君の要望を叶えたいと思う』
「今更、なんの要望があったっけ」
『半年前の要望だ。その世界に、君唯一の理解者を置く。そしてこれが、最後のバージョンアップだ』
「……本当に、何もかも、二足三足、遅い連中だ」
『君には、本当に申し訳ないと思っている。だが――このMMOは哲学だ。我思う、故に我あり。君は、確かに君を保って、そこから脱出して欲しい』
「最悪だな、あんたは」
『最後に、君にこのゲームの全権限を渡す。様々なワールドにも移動できるだろう。あらゆる世界にも行くことが出来る。全て無人の、廃墟だが』
僕はもう、何かを口にする気力はなかった。
まだ怒っているのは確かだけれど、それ以上に、諦めと絶望が強かった。
誰も己を救済してくれないし、そのつもりは毛頭ない。どこかで僕の存在を知った誰かが、助けてくれるのを待つしか無いのか。
それさえもこの会社が隠蔽しているのならば、この国の隠蔽体質を恨むしかない。
だがそれでも、警察はいずれ、僕にたどり着いてくれるだろうか。逮捕者が出た。その根底の、原因に触れれば、やがて僕を知るはずだ。
ならば最後の最後まで、何年、何十年かかっても足掻いてやる。
僕が原因でVRMMOが廃れるのは本望ではないが、それでも。
瞬間、
『それでは、いつか再会できることを願う。君の幸運を祈る』
最後の絶望アナウンスが流れて、僕の意識は途絶した。
僕が目を覚ました時、そこは見覚えのない場所だった。
白すぎるほど白い天井。身を包むのは暖かく柔らかい布団。スプリングの良く効いた、反発性の高いマットレス。
身体を起こすより先に、声が聞こえた。
「おはようございます、マスター」
「――っ!?」
僕が横たわるベッドの脇に立つのは、濃紺のロングワンピースに白いフリルのついたエプロンを着けた衣装の女。頭にはフリルのついたカチューシャ、ホワイトブリム。
いかにもメイドメイドした姿の彼女は、黒く長い艶やかな髪を伸ばし、大きな琥珀の瞳で僕を見ていた。
下腹部より少し高い位置で手を組んで、彼女はゆっくりと頭を下げる。
「本日より『シブヤ・ザ・ワールド』に各プレイヤーのホームが設立されました。ここがマスターのホームであり、室内のインテリアやBGMの変更、アイテムボックスの整理、装備の変更やプレイヤーキャラクターの容姿の変更、私の衣装、及び容姿の変更が可能となります」
「……そうか」
いつか、僕が頼んでいた事だったか。
半年前。僕はすっかり忘れていたが、その頼み事はついに叶ったということだ。
皮肉にも、この荒んだ世界で一人心を癒せる場所になったわけだけれど。
まったく、気が利いているものだ。僕は嫌味っぽくそう吐き出した。
「マスター、私は人工無能です。あなたとの会話で、私は徐々に言葉を覚え、成長していきます」
「ああ、よろしく。えーっと……」
「よろしくお願いします」
彼女は改めて頭を下げた。やはりニュアンス的なことは、まだ読み取れないようだ。
「君、名前は?」
「初期設定より『マーリー』となっております。私の名称、及びマスターの呼称の変更は可能です。またマスターは管理者権限をお持ちであるため、私をホーム外より追従させて頂くことも可能となっております」
「そうか。名前か……」
僕は身体を起こして、ベッドの縁に座って考える。
名前。僕はどんなゲームでもこいつに一番の苦労を要する。結局初期設定のまま、というのが多いけれど、さすがに今回はまじめに名付けなければ後悔するだろう。
彼女は、この世界で唯一無二の僕の相棒になる。ともなれば、いずれどんな名前でも愛着が湧くだろうけれど……。
「君は、自分で名前を決めることが出来ないのかい」
「ランダムでの設定をご希望ですか?」
「……いや、君自身が、君に似合う名前を決めるってこと」
だが、所詮は人工無能だ。彼女はあらゆる言葉、出来事を経て経験を蓄積して成長することはできるが、見せかけの人らしさを脱却することはできない。
彼女はプログラムであり、人ではない。
ましてや人工知能とは程遠い、既に完成されたシステムなのだ。
彼女は顎に手をやり、首を傾げる。少し考える仕草をしてから、「そうですね」と言った。
「先にマスター、あなたの名前をお伺いしてよろしいでしょうか」
僕のプレイヤー名は、僕の頭上に表示されている。同じように、彼女の頭上には『マーリー』と緑色のNPCを示す文字が並んでいる。
「本名を?」
「もしマスターが嫌でなければ」
僕は少し、意外に思った。彼女はあまりにも人らしすぎると。
この半年間で作りこんだのだろうか、と考える。考えた所で、どうにかなるわけでもないのだが。
僕は頷いて、本名を告げた。彼女は受けて、にっこりと笑った。
「なら私の名前は、『トモ』です。マスター、あなたの永遠の友達。あなたがゲームを去っても、決して再会することがなくても、あなたの、私という友達は、ずっとここに」
「僕の名前は、関係ないじゃないか」
「そうですね。ただこういう無意味なやりとりも、人らしさかと思案致しました。これが私の人らしさ、私らしさと許容頂ければ幸いです」
彼女はまた、首をかしげるようにして笑った。愛嬌のある、とても可愛い女性だった。
僕は少し照れたように頭を掻いていると、彼女は次を催促するように促した。
「それでは、マスター。私の、あなたへ対する二人称を設定してください」
「変わらず、マスターでいいよ」
「いいのですか?」
「……ごめん、ちょっとまって」
僕はまた、考えた。
これは人間関係だ。彼女のよくわからない彼女らしさに動揺したが、僕は彼女を人だと信じきって、人間関係を構築し始めようと考えた。
人ではないが、彼女は確かに人の形をして、人の体温を持ち、人の言葉を操る人だ。
信じれば、彼女とて人。これはVRMMOの哲学の第一歩なのかもしれない、と思った。
「じゃあ僕……いや、俺にしよう。もう、いつまでも子供じゃいられないし、いい機会だろうし」
「はい」
「じゃあ俺のことは、そうだな……これもやっぱり、君の呼びやすいように呼んでいい。君は自分で選択し、決定できるんだろう?」
「はい。マスターの認可があれば」
「じゃあ許可するよ。俺を好きに呼んでくれ、トモちゃん」
「では」
彼女はそのどこか柔らかくも機会的な口調で、暖かな人の声で、僕を呼んだ。
呼んでから、イタズラっぽい笑顔を見せて、僕を唖然とさせた。
まるで人じゃないか、と思う。どうにも彼女がシステムと思えなくなってきて、ならばもう開き直ろうと決めた。
今のところこの世界が僕の現実だし、僕の目の前に居る女性はこの世界で唯一無二の理解者だ。それでいい。それが一番、簡単だ。
なんであっても割り切るのが重要だ。
いつまでも檻の中で外の世界を切望していても、何も始まらない。僕はこの世界からの脱出手段を持たないし、鬱屈した生活をするなんてまっぴら御免だ。
何年、何十年になろうとも……僕は、この世界で生き抜く。
そう、決めた。
「マスターにします。よろしくお願いいたします、マスター」
「ああ。君は俺と、この世界で生き抜いてくれ」
◇ ◆ ◇ ◆
それが、僕が生き抜いたこの世界での半年の物語だ。
デバチは一度解決した。しかしこの世界は、未だ封じられている。
僕はやがてここから脱出する手段を見つけ出したが、その時にはあまりにも時間が経ちすぎた。
二三年。途方も無い時間。無情なる世界の変化。
僕はリアルに戻って、それについていけるだろうか。僕はリアルで、まだ生きているだろうか。
あの半年で出会った彼らは、まだ僕の存在を覚えているだろうか。
続出した逮捕者たちは、きっと僕よりも短い拘束期間で元の生活を取り戻しているだろう。
徹頭徹尾、その間僕はここに居る。あらゆる世界を旅して、あらゆる出来事と出会って、助かる誰かが居ない虚無な世界を見てきた。
警察は動いたのか、僕は誰かに発見されたのか、誰かはこのログを読んでくれているのか。
僕にはわからない。誰もいない世界で、確認することもなく情報を入力するだけの僕は、もうこんな事でしか気を紛らわせなくなっていた。
世界の消滅……今の僕には、それが最終手段になった。
世界を壊す。いかにもダークヒーローっぽいカッコイイ台詞だけれど、同時に僕の消滅も意味する。そこに悲しむ人や、それを後悔する思いもない。
それでもまだ選択しないのは、誰かによる救済を望んでいるから、なのだろう。
僕はここに居る。
誰かがこの物語を、たとえ創作と思ってでも見てくれたら、と思う。
誰かが拾って書籍化してくれれば、いずれ僕の存在も明らかになるだろう。そんなことさえも、僕は期待してしまう。
「マスター、まだお休みにならないのですか?」
ホームに置かれるパソコンの前に座る僕へ、彼女は毛布を肩にかけてそう声を掛けた。
「ああ、もう少しで寝るよ」
僕はこのログを締めくくる言葉を考えて、そうだ、と思いついた。
僕の世界に、もうアナウンスは流れない。
だがせめて言わせて欲しい。
こんな僕から、これを読んでくれた君に、ささやかな幸運を祈る。




