◆接触×修正
タミヤやクライスが日常の象徴と言うならば、やはりライトやフードたちも僕の日常の一部だった。
こんな非日常とも言える世界で、唯一僕の非常識として心を刺激してくれるものは、どうあってもバグただ一つなのだった。
世界の疲弊が著しい昨今。既に半年以上が経過し慣れきってしまった世界。
僕はこの世界を終わらせるために、ライトから情報を得た次の日に、例のソロプレイヤーとの接触を図った。
この半年で気づいたことだけれど、誰しもあるだろう精神的な負の一面が、非常に肥大した深淵に成長していた。ダークサイドと言ってもいい――僕はつまり、非日常に触れるとそこに堕ちる。
簡単に言えば、激高るのだ。
だから僕は接触を決意していた時には既に機嫌が悪かったし、向かう道中は非常に腹立たしかった。
バグの解決がどうのうと言うより、そいつが諸悪の根源だとしたらこれほどまで苛立たしいものはない。
ここに来てからはドライな冷静さを心がけていたが……。
「ちょっといいかな」
何らかのウィンドウを開いて操作していたらしい男は、僕の声にびくりと肩を弾ませた。
男の頭上には『pride』の文字。その前後に、十字架のような記号がある。レベルは一九九。レベルから見るに、恐らくは軍人タイプ。
振り向いた彼は、鮮やかに晴れ渡る空のような色の髪をしていた。鋭い目つきに、落ち着かない口元。その背には大剣と、腰には二挺分のホルスターと拳銃が備えられている。
黒いジャケットに白のインナー、そして黒いスラックスのような衣装。黒に染まったその格好は、さながらありがちな主人公像のようだった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「な……なんだよ」
「デバチについて、何か知ってることはないかな」
「は? べ、別に、な、何も知らねーよ」
「そっか。時間をとらせて申し訳ない……ついでにもう一つ、いいかな」
――そこは道玄坂の道中にある『中華飯店』とある店内。中は飲食店ではなく、だだっぴろく何もない空間だった。
モンスターが居るわけでもなく、行商人が居るわけでもなく、宝箱があるわけでもない。ツボもタンスもなく、本当に何もない、飲食店の中をごっそりと抜き出しただけの場所だった。
そこに居るだけで不審なものだが、そういった挙動不審気味な反応も相まって、僕の中で確信が強くなった。
「君がレベルキャップ開放を解放したのはいつだい?」
「え?」
「そのレベル、随分と大変だったろうと思ってね。参考までに、どれくらいの期間がかかったか教えて欲しいんだ」
僕はにこやかに笑ったつもりだった。それとは対照的な、プライドの引きつった顔に、僕は上手く笑えていないことを悟る。
だがそれでいい。仮に彼が元凶でなかったとしても、チートをしたのは明白で、それが何らかの形でデバチに関わっているかもしれない。少しでも威圧感が出せていれば僥倖だった。
「は、半年前、だよ。デバチが起こるちょっと前に」
彼が応えた。
それを受けながら、僕は心を落ち着かせるためにタバコに火をつけた。
ゆっくりと煙を吸い込み、全身にこの有害成分が行き渡るのを擬似的に感じてから、また随分と時間をかけて煙を吐いた。ジリジリとタバコが灰に変わる。おそらく、火種に触れても火傷などしないだろう程度の、見かけだけの熱。
「そっか。ちなみに条件はなんだったんだい?」
「え、ああ、っと……」
恐怖感もあるだろうが、それ以前に対話自体に期間が空いていたのかもしれない。そう思わせるような喋りだった。
「か、課金でアイテム、か、買ったんだよ。それでミッション解放して……」
「そうかい。ちなみに――君にチート使用の疑いがある。全てを正直に話して貰えれば僕は非常に助かるんだけど、どうする?」
装備を『バグ修復ツール』に変更。実際にその装備が右手に出現するのを確認して、なるほど、ここはやはりPvPだったのだと理解した。
撃鉄を起こす。弾丸が薬室に装填される。銃口は寸分違わず、男の額を照準していた。
「先に自己紹介だ。僕はデータジェネレーション社に雇われているデバッカーで、今回のデバチの件について捜索と解決を任ぜられている」
男は見てわかるほど動揺していた。おもいっきり腰を引いて、それと同時に腰のホルスターから二丁拳銃を抜いている。
だが――わずか一撃で僕を殺せなければ、代わりに彼が死ぬことになる。それこそ本当に、擬似的なあの世の始まりだ。そこに靖国など無く、またヴァルハラなんて行けるわけもない。
「別に君が死のうと僕になんの影響も無いしまだβテスト中だ。大きい問題に発展することは決して無い」
だが君がリアルと変わりのない死を擬似的に体験したいのならば、そのまま黙していても僕は構わない。そう続けて、わなわなと、あるいはぴくぴくと男は唇を震わせた。
「お、おれは……ただ、別に」
少しずつ、保守的な言葉を含めながら男は語り始めた。
やはりこのプライドというソロプレイヤーは、チートを使っていたのだ。
「夢、だったんだ。おれは、醜い姿を削除して、キレイ事しかない次元の向こう側に、永住したかったんだ」
見てくれよ、とどこか自嘲気味に彼は諸手を広げてみせた。
彼の一挙手一投足、その叫ぶような言葉に、僕は何一つとして心動かされることはなかった。
「綺麗に整った顔! 二次元的にデフォルメされて尚リアルな造形! 出来のいい3Dアニメーションよりもずっと冴えたグラフィック! ラグ一つない動き! その気になれば、痛みや感触さえもリアルと同じだ。食事も美味いし、ベッドも柔らかいし、時間が経てば日が沈んで、死の恐怖に怯えること無く朝を迎える! 明日の学校や会社に憂鬱になることなんて決して無いし、ただゲームに没頭して時間が過ぎてしまう鬱屈した生活に嫌気がさすこともない! なんだここは!? 天国なのか!?」
二センチばかり残ったタバコを口から離して床に投げ捨てる。火種を靴裏で踏みにじって消せば、さらさらと光の粒子と化して消え去っていった。
この世界では一本吸おうと百本吸おうと、身体に害は決して無い。それを言えば、どれだけ食事をしても太ることがなければ、リアルでの食事を怠ればリアルでの自分が餓死する可能性がある。
擬似的な理想郷。彼に共感して言えば、そんな所だった。
はあはあと呼吸を乱して、僕が詳細な質問をするより先に動機を話した。
この取り乱しっぷりからデバチの原因だと認めているようだが、しかしタイミング的な問題で本人が勘違いしているケースもある。
「君が行ったチート行為を教えてくれ」
「……自分で作ったツールで、レベル上げと……」
「と?」
「自分だけ、ログアウトできなくなる、不具合を起こすようにした……筈だった。正確にはログアウトに必要なデータに適当なものを上書きして、新しく適用できなくなるように設定した。単純なもので、他に新しくログアウトのポイントを作れば、出来るけど」
「なるほど」
ここで僕が改めて理解したことは、ほどほどに運営が無能だったということだ。
次いで僕は質問を口にする。
「じゃあ、死亡して復帰できない不具合や、デバチ以降で新しいストーリーのフラグが立たない不具合は?」
「たぶん偶発的に発生した、副次的なもの、だと思う」
つまりは副産物だ。それはプライドさえも予測しなかった事態。
「君はゲーム中でもなんらかのツールやソフトを使えるのかい?」
「まあ、一応は」
「そうか。なら今から僕とともに来て、ツールを使って世界を正常に戻してくれ。君一人がこの世界に浸りたいならまだしも、この世界はあまりにも未熟だし、管理者は甘く、利用者は望まなすぎた。もしまたゲームをすることがあれば、どこか他所の、僕が居ない世界で遊んでくれ」
「……それは頼まれても、無駄なことだな」
男は言った。言ったついでとばかりに叫んでいた。
「スキル、オン!」
僕はその隙にスキル『バック・ダウン』を施行。直後、スキルによる攻撃を受けた僕の残像が、景気良く爆ぜた。爆煙と火焔の波に飲まれるプライドに、継ぐようにスキルを叩き込んだ。
スワイプ・エレジー。紫煙のように流れでた光が、瞬く間にプライドの身を拘束する。
彼は何かを叫んでいたが、僕は予断を許さず、声を張り上げながら近づいた。
「五秒だ、決断しろ。君が解除を認証しなければこのままプレイヤーキャラクターを削除する。君が嘘の供述をしていたとしても、僕は一向に構わないし、問題じゃない。新しい見方を与えてくれたことに、感謝する」
五、四、三……僕はカウントダウンする。二の次は当然のように一を数えるし、その次は必ずゼロ。僕がカウントを終えた瞬間、それより少しだけ早く動き出したプライドは、両手を上げて立ち上がった。
パン、と乾いた音とともに、一昨日の方向を弾丸が突き抜けた。頭上の天井の一部にぶち当たった弾丸は何事もなかったかのように、何も起こさずに消滅する。
「わ、わわ、わかったよ! 直す! 全部直すから!」
言いながら振り返りもせず、目の前でウィンドウを展開する。それは僕にも可視できるように変わり、彼の手元にチャット用のキーボードが広がっているのが見えた。
目の前のそれはDOSのような画面で、素早いキータッチで長いプログラムが構築されていく。
数分待って、タン! とエンターキーを叩く音がした瞬間――僕の視界が、一瞬だけ明滅した。
「終わったよ」
スキル、オン。彼は確かにそう言った。それを聞いていたのにも関わらず、僕はわけもわからず、現状が確かに修正されたのか――それを確認するために、メニューウィンドウを開く。馴染みの、長細いツリーメニューが展開され、僕はその下のログアウトに触れようとする。
瞬間、僕の身体に撃ち込まれた弾丸が、全ての動きを拒絶させた。視界内に稲妻のマーク。バッドステータス、スタン。
確認すると、僕のヒットポイントは微かに削れていた。
高揚していた……のかもしれない。僕はこの不注意に何か言い訳できるような行動を、とれなかった。
『ログアウトできなくなる不具合が修正されました』
それは誰にとっても希望アナウンスだった。全てを運営の手柄にしたような言葉だろうと、僕は気にしなかった。それにしても随分と無駄に早い、と嫌味のように思った。
そう思った次の瞬間には、プライドは大剣を構えていて、
「スキル、オン」
そう言っていた。
「おれがログアウトした五分後に再びツールが世界を封じ込める。そうプログラムした。余計なアナウンスのせいでほとんどのプレイヤーは逃げ出すだろうが……はは、お前だけは、無理だ。ここで殺していく!」
「五分なら、復帰してすぐでもログアウトは出来る」
「出来ねえよ! なぜこの世界の全員がログアウトできなくなったかわかるか? 全員、俺に、あるいは俺に接触した誰かとすれ違ったからだよ。どういうわけか、ウイルスみたいに伝染するみたいでな」
「……何が、言いたい」
「お前は感染源になった。その不具合を叩き込んだ。現時点で、お前だけはもうログアウトできない。あんな無能運営じゃお前を救うことも出来ないだろうし、リアルじゃ俺の、この天才プログラマーの手にはお縄がかかるだろう。お前はこの世界で、俺が望んだ世界とともに、朽ちて死ね」
だったら、と言った。
「その望みも、君には叶えられない」
「はっ、だったら試してみろ!」
言いながら、彼は『ハンドレッド・ワンデス』と叫んで、地面と水平に構えた大剣を僕に突き刺した。
ザシュ、という効果音とともに僕のヒットポイントが一瞬にしてゼロになった。恐らくこれは、僕の装備する数多の効果を無視した、即死技なのだろう。名前からして効果を発する確率は一○○分の一。ここでそれを出したということは、確率を上げる装備をしていたのだろう。
今となっては、それもどうでもいいことなのだけれど。
ゆっくりと世界が灰色に染まって、僕は床に倒れ込んだ。無防備に顔面を床に叩きつけたが、痛みなどあるわけがない。
「絶望に浸れ」
確かにプライドにとって、僕は仇敵に似た恨むべき相手なのかもしれない。
そう捨て台詞を吐いた彼は、その場でにやけた顔をしたまま、ログアウトを施行した。
足元湧いた光の輪が、スキャンするように上へ浮かび上がる。天井まで届いた時にはそれは光の柱になって、一瞬にしてそれが消えたと思うと、そこにプライドの姿はなかった。
同時に、僕は意識を失った。正確にはその疑似体験をした。
目を覚ました世界には、見知った顔は誰一人としていなかった。
かくいう僕はただ一人で、いつも座っていたハチ公を望む壁際に立っていた。
隣に澄ました顔のクライスも、僕を笑わせてくれたタミヤの姿もない。
電話しようと思ってメニューを開いても、ライトはログアウト扱いになっていた。
僕もログアウトを試みる。メニューを開き、その文字に視線を合わせるが、
――現在、ログアウトができません。
背筋が凍えた。
絶望に浸れ。
その言葉が脳裏に蘇った時、僕は癪に障りながらも、何も考えることが出来ないまま、その場にへたり込んだ。
デバチ発生から六ヶ月二八日――連続プレイ時間、約五○○○時間。
僕のこのカウントは、まだ途切れることを知らない。




