第二話『希望の糸』
デバチ発生から半年が経過した。連続プレイ時間はもう四千を超えていた。
僕らは相変わらずシブヤ・ザ・ワールドに居て、西郷さんクラスのバグも無く順調に時間を流していた。
「少し疲れたね」
そうは言うが、その実僕は疲れ果てていた。
きっとみんなはもっと死にそうなのだろうと思えば、少しくらいは気が休まった。そんな気がした。
半年前に巻き起こった『西郷隆盛事件』。あの衝撃によって巻き込まれたやじ馬たちの一部はそのまま死亡判定を受けた。
二日経ち、三日が経過した。気が付いた時には一か月が過ぎて、今になってはもう半年……彼らの姿は、いまだ見えない。
死亡して、復帰しない。
普通じゃない現象が、この世界に、新たなバグとして発生していた。運営からの報告はなく、彼らがリアルに復帰したのか、闇の中で意識を持ち続けているのか、ゲーム内でもリアルでも意識喪失したままなのかもわからない。
見えない恐怖が、肩に手を置いた。そんな感覚だった。
僕らは決して死なないというルールその一を忠実に守り続け、そうして誰もが決して争うことなく円満に過ごしていた。いつしかPvPのフィールドに立ち入る者はいなくなり、自然、廃れていった。
ゲーム内での死亡が、謎の依頼受注状態を解除してくれる契機でなくなったかもわからないが、僕らは確実に、そいつは最後の最期の手段だと決めていた。
「そろそろ休むか」
クライスはそう言って、定位置にやってきたところで腰を落とした。
ハチ公を眺めるシブヤ駅前。僕らは並んで、地べたに座り込む。
色々なことがあった。とてもリアルでは体験できない、様々な悲劇と歓喜とが交わりあった世界で、僕らは多くの経験値を獲得した。
この身体は心臓にナイフを一突きされたとしても決して死にはしないし、逆によくわからない魔法的な力で即死してしまうこともある。
多くの友達も出来た。あの半裸の大剣の男とスーツの男、タケシとトオルはホントにいい奴らで、最近ではよく五人で冒険することが多い。
あれから半年――事態は進退を見せず、世界は日々進化を見せた。
「奥が深えよな、シブヤ」
クライスはひとりごとのように言った。僕は静かに頷いた。
「三種類しかタイプねえのに、スキルの成長でタイプが細分化されるしよ」
最近、クライスは無理にこのシブヤを賞賛するような口をきく。そうとでも思わないとやってられないらしい。
タバコの量も増えた。害が無いのをいいことに、既に一日五箱という狂った本数を消費している。
「まったく、楽しくってしかたがねえな」
自嘲気味に煙を吐いて、また新しいタバコに火をつけた。
僕は彼にかける言葉も知らずに、ただハチ公を眺めていた。既にカンストしたレベルは六五。クライスは八八。タミヤは一○九。レベルキャップ開放しない限り、僕らはこのレベルより上に行くことはない。
まだミッションは序盤。全てのダンジョンは運営によって解放されているが、この悲しいレベルでは到底チャレンジできるものではなかった。
僕らは余すこと無く腐りかけていて、その中でもっとも生き生きとしているのは、やはりエースアタッカーの面々だった。たまにしか見かけない彼らは、PvPフィールドで活動している。日に三回ほどシブヤに来て食事を済ませる。その際に必要な買い物を行い、また活動区域に戻っていく。
それに憧れて、エースアタッカーに入りたがる者も多かった。それでも殆どは入団に際する『面接』の前に破れて、再びこの街で腐りつづけていく。
なんの目標もなく、なんの楽しみもなく。これまでの生活のように、金銭的な危機があるわけでもない。金に困ればモンスターを狩ればいいし、贅沢をしたければ武具強化素材を売ればいい。
ただ時間だけを持て余す。終わりのない平穏。いざとなればスリルもあるが、平穏を砕く理由はない。
それに、皆が皆一様に絶望しているわけでもない。日頃から変わらぬ日々を過ごすように、くだらない馬鹿話を話して笑っている人たちも、まあ少なくはない。僕らもそうあるべきだと思っていた。そうあり続けると信じていた。
そうならなかったのは、僕が誰よりも絶望してしまったからかもしれない。
相変わらずバグの捜索は続いていて、それでも僕の拳銃が火を噴く事がないのは、なんのバグも見つからないせいだ。もしかすると時間経過によって西郷さんのような事が起こるかもしれない。
その時はその時で、また対処するだけだ。対処して、デバチがどうなるわけではないけれど。
僕はいい加減沈黙に飽きてきて、唐突にタミヤに言ってみた。
「タミヤさん、面白い話してよ」
どこかからか買ってきたらしい大量のマカロンやマドレーヌを膝の上に置いて食べ始めていた彼女は、驚いたような顔をして僕を見る。彼女だけは、本当にいつまでも変わらない。
「なんでですかっ!?」
「いやあ、暇だし」
「ああ、暇だ」
クライスが乗ってくる。彼が居る時の心強さは、何物にも代えがたい。
「さ、最年少の引き出しなんて皆無ですよ!」
「妄想でもいいんだ。君がそうやって太らないのを良いことに何でもかんでも拾ってきて食べてるものの話でも」
「拾ってません! 買ったんですよ!」
「砂糖の塊を食ってんだろ、なにが旨いんだそれ」
「おいしーじゃないですか! マカロンを理解できない大人はノーが沸いてるんですよ」
「オーノー」
頭を抱える仕草をして、クライスはそう言いながら笑った。僕もつられて笑う。
僕はそうしてロングピースに火をつけて、紫煙をくゆらせた。少しだけ格好がつく大人になった僕を指さして、タミヤが笑っていた。
「ぜんっぜん似合わないですね」
「うるさいな」
「タバコは似合う似合わねえの話じゃねえんだよ」
クライスの言葉に、僕は深く頷く。
だからといって、僕がタバコを旨いと感じているわけではない。結局はカッコつけだ。
僕がタバコを本格的に吸い始めた理由は、半年の間に誕生日を過ぎたからだ。晴れて二十歳になった僕は、単純にアルコールが苦手という理由で、だったらタバコだけでも、と吸い続けていた。
僕らは半年前と変わらず、半年後の今もこうして過ごしていた。
緩やかな腐敗。そう感じているのは、僕だけなのかもしれない。




