◆バグ修復ツール
地上に出ると、頭の中でコールが鳴り響いた。同時に視界中央にウィンドウが開く。ライトからボイスチャットがつながっていた。
僕が応答すると、彼女は少し慌てた様子で喋りだした。
『ああ、もしもし? 聞こえてる?』
「聞こえてるよ。どうしたの?」
僕らはマルキューから外に出る。なんだか騒がしい。珍しいことに喧騒と爆発音とが絶え間なく空気を震わせている。
『十一月のイベントに出る西郷隆盛が何故か出現しているのよ。イベント内容は悪堕ちした西郷隆盛を撃破せよ』
「……面白そうなイベントだね」
少し興味がある。おそらくハチ公関連で出てきたのだろう。
しかしなんだ悪堕ちって。西郷さんに何があったんだ。ハチ公が石化された設定なのか?
『しかもズーズー弁で』
「あっはっはっは!」
悲壮感に満ちた声とは裏腹なふざけた内容に、僕は思わず吹き出し笑った。
なんでズーズー弁なんだよ。西郷さんに何があったんだ。
『笑ってる場合じゃないわよ! メッチャクチャ強いんだから! 他のプレイヤーと協力しても……ごめん、急いできて!』
「了解」
ようやく答えた所で、ボイスチャットが途切れた。
「誰とお話ですか?」
「デバッカー仲間と。ズーズー弁の西郷隆盛がめちゃくちゃ強いんだって」
「ははっ、なんだそりゃ」
「バグだよ。僕は上司に連絡とってみるから、君たちは死なない程度に援護してやってくれないかな」
「了解。行くぞタミヤ」
「はいっ」
二人は早速走り去っていく。向かう先はハチ公前。この喧騒のする方向。
モウタウルスとの戦闘で少しは疲れていそうなものだが、いたって元気ハツラツだ。もしかしたらクタクタの僕はゲームに向いていないのかもしれない。
僕は即座にカノーへボイスチャットをつなぐ。恐らくライトたちもそうしているだろうが、戦闘に集中している彼女らから情報を得るよりこっちのほうが手っ取り早かった。
珍しいことに、僅か数コールで彼は応答した。
『もしもし。やはり君からも連絡が来ると思っていた』
「なら話が早いですね。西郷隆盛は斃すだけで大丈夫ですか?」
『ああ、今のところは。だが西郷は非常に強く設定してしまっているからね。君はレベルはいくつだい?』
「レベルは四八です」
改めてステータスを確認する。スキルポイントが先ほどの戦いで十分に溜まっている事に気づいた。新しいスキルを開拓できるな、と思いながらカノーの言葉を聞く。
『西郷討伐の推奨レベルは一二○だ』
「えっ」
『一二○。恐らく長期戦になるだろう。ジリ貧にでもなれば恐らく勝ち目はない』
「ど、どうすれば……」
『死亡判定はヒットポイントがゼロになってから十秒。その間に蘇生できればまだわからないが……』
「斃すしか無い、というわけですね」
レベル一二○。タミヤの狂ったレベルでも二人分だ。三人合わせればなんとかって所だけれど、それでもどうなることか。
「ちなみにモウタウルスはいくつなんです?」
『モウタウルスはレベル六○。君ならそう難しい相手ではなかったはずだ』
「ええ、まあ」
僕は言いながら頷く。しかしどうにも、倒さなければならないというのが憂鬱だ。
『一つ出来上がったプログラムがある。誤ったプログラムが引き起こしたバグならば、それに正しいプログラムを上書きしてやればいい。それをゲーム内で行えるようにした』
ピコン、と音が鳴る。メールボックスに感嘆符。開くと、無題のメールに何かが添付されていた。
開くと、そいつは勝手にアイテムボックスに収納される。
確認すると、拳銃のような武器があった。名前は『バグ修正ツール』。説明欄には、修正プログラムとして稼動する弾丸を撃ちこむためのツール、と簡単に書かれていた。
保存されたのは、ソレに加えて『爆裂弾』、『冷凍弾』、『雷轟弾』、『風裂弾』など各種揃えられていた。
『君に託そうと思っていた。これがあれば、恐らくはログアウト不能バグについての解析まで行えるはずだ。その根源がわかれば、の話だが』
「いや、上等です。これだけでも充分ですよ。これを西郷さんに撃てばいいんですよね?」
『ああ。君にとっては最悪の状況かもしれないが』
「まあ。でも人の命には代えられない」
僕はカノーを尊敬して、少し嫌味っぽく言った。彼が尽力してバグの修正にとりかかっているように、僕も命がけで仲間を助けなければいけない。たとえ死が危惧だとしても、デバッカーとしての正体がバレてひどい目にあったとしても。
『まずは冷凍弾でプログラムをスキャンするんだ。どういったバグなのか判断し、それぞれの弾丸でパッチを適用させること。爆裂弾は不具合になるバグを正しく戻す。雷轟弾はプログラム自体を消去する。それぞれしっかり確認するんだ』
「了解です」
『最後に一つ。このシブヤでゲームマスターはライトただ一人だ。出来るだけ援助できるように伝えてある』
「ライトが?」
『ああ。元々はデバッカーではないが、これも行きずりだ。困ったときは彼女を頼るといい』
ライトがゲームマスター。意外な事実というか、そもそもゲームマスターの存在を忘れていた。
だったらこのツールも彼女が持ったほうが良いのではないか?
「なぜこのツールを僕に?」
問いに、暫く間が空いた。
僕はゆっくりとハチ公前、爆発と悲鳴の元へと歩き出す。
『これを言うと悲しいが……君が、私の唯一の理解者だと思っている。そういう贔屓目だ』
「そうですか」
『そうなんだ。……幸運を祈る』
ボイスチャットは、それで終えた。
あまりお高い事を言えたものではないけれど、とんだ節穴だ、と思った。
僕がカノーを良く理解している? 思い上がっているのではないだろうか。
確かに尊敬はしている。諦めず日夜バグの解析に加え、僕のあの発言からちょっとした物を追加してくれているのはありがたい。
だけれど僕は、理解しているつもりはなかった。言葉を選べば、配慮、というのが最も近い。僕はいつでも下っ端根性で、こんな状況でさえ上には歯向かえない。そんなちっぽけな人間だ。
いずれ恨むこともあるだろう。だがそれは、全力を尽くして結局ダメで、汚点を隠す為にこのゲームを消した時だ。僕は未だに業務を続けている感覚だし、もしもっと別の仕事だったら、最初からハチ公前に言って騒いでいたかもしれない。
ただゲームが好きだから、仲間が居るから、荒れないだけで。
感情の表出が苦手というわけでもないのだ。いつでも僕が中心で、僕の揺らぎが伝わって広がってしまう……そう思い込んでいるからってだけで。
「こりゃまた酷い」
少し憂鬱になっている所で、その爆発を目の当たりにした。
爆発の根源はどうやら西郷さんらしかった。完全に石像が動き出しているだけのその影が拳を振るえば、衝突した先で爆発を巻き起こしている。
多くの者は参戦しようとせずただの野次馬と化し、その広い駅前の中心になるのはライトたちと、タミヤたちだった。
どうやらエースアタッカーの面々は居ないらしい。意外だな、と感じながら人をかき分けて僕は戦場に飛び込んだ。
「遅いよっ!」
既に死んでいるフードへ蘇生術を行使したタミヤは、ゆっくりと起き上がる彼を一瞥してから駆け寄ってくる。
「めちゃくちゃ強いんですから!」
「聞いた。推奨レベル一二〇だって」
「んな話はいいですから! ほら!」
叫ぶように言って僕の背中を押す。視線の先には三メートル超の西郷どんの像。ライトが上手く立ちまわって、クライスが隙を見ては攻撃し、時には囮になっている。ライトたちのあと二人の姿は居ない。死んだか、野次馬に加わっているかだ。
実質二人。それも大規模な爆発のせいで効率的なダメージを与えられていない。
「テメェ、どこで油打ってやがった。腰抜かして逃げたかと思ったぜ」
死んでいたくせにフードは僕を挑発した。僕は少しむっとして言い返した。
「死んで厄介かけるなら、ゆっくり死んでたほうが安心なんじゃない?」
僕は少し、虫の居所が悪かった。
修正ツールならば多くの人間が持っていた方がいいに違いない。なのに僕だけに渡された。
なんだこれは。本気で世界を救おうって思ってるのか。僕は確実に怒っていた。自覚が無かったけれど、確かにその感情は他ならぬ猛る激高だった。
パッチの適用をこれほどまで簡易化できるならば、そもそもワールド自体をアップデートできるだろう。なぜそれをしない? 僕らへのリスク回避? どんなリスクだ。アップデートしたらプレイヤーキャラが消失するパッチ? そいつはバグじゃないのか?
ゲームを辞められない異常を、全てを抹消してしまう異常で相殺のつもりか? ふざけるなよ、再起動で満足なんてパソコン初心者くらいだ。復元なり書き換えなり、まだ十分尽くせる手があるはずだ。
拳を握る手に力が入る。みんながこんな一生懸命戦っているのに、渡されたのがそれを一発で殺せる拳銃。なんだこれは、こんなの渡せるなら西郷さんを元に戻せるんじゃないのかよ。
今度はチュートリアルのつもりなのかよ。
今度はバグ修正ゲームでも始めさせるつもりなのかよ。
「ふざけるな……!」
いつしか僕は、そう口にしていた。
「ああ?」
「噛み付くなよ。うざったいんだ、吠える暇があったら西郷を怯ませてみろ!」
「……テメエ」
「君の肥溜めみたいな臭いプライドなんざ捨ててしまえ。なんなんだよ、どうして――」
どうしてこうも、全員が全員、まだゲームをしているつもりなんだ?
だから僕は気がついた時には、咆哮を上げながら走りだしていた。拳銃を片手に、装填するのは悲しいまでに冷凍弾。その実効果はスキャン用のプログラムだ。
僕は理性的なのか本能なのかわからないけれど、その拳銃を確実にゼロ距離でぶっ放すつもりだった。
クライスの視界に僕が入る。何かの考えなのだろうと思ったかもしれない。だから彼は敢えて危険を顧みず片膝を落として、狙いを定めていた。
西郷さんが大きく腕を振り上げる。同時に打ち込まれる『ヘッドショット』。大げさな演出の後、西郷さんは背中から倒れた。かと思えば、跳ね上がるようにして跳ね橋のように直立する。
僅かな時間稼ぎ。距離は先ほどから半分ほどに縮まっていた。
「何か手があるのね」
赤髪の女がそう言った。僕は答えず走り続ける。
彼女は身の丈をゆうに超える無骨な大剣を構え、何らかのスキルを発動させた。力任せの下方からのスイング。暴風を巻き起こして放たれた剣撃が、勢い良く西郷さんの横っ腹にぶち当たる。身体がほんの僅かに浮き上がり、あまりにも大きな隙が出来上がった。
僕は思い切り大地を踏み切り、跳び上がる。瞬く間に距離が消えて西郷さんの胸の中に飛び込んだ。かちゃ、と音を鳴らして突き立てられる拳銃。落ちる撃鉄。弾ける衝撃。貫く弾丸。
刹那にして、西郷さんの総身が黒く明滅した。その中に白抜きの文字でプログラムが走査する。
ガチャリ、と音がして弾丸が勝手に入れ替わった。拳銃自体が必要なパッチを判断したのだろう。込められたのは爆裂弾だった。
西郷さんが受け身もなく二本の足で着地した瞬間、発生した衝撃波が地表を舐めた。伝播する物理の風が野次馬さえも軽々と吹き飛ばす。悲鳴が轟く。それでも僕は、まだしがみついていた。
闇堕ち西郷の眉間に拳銃を突きつけ、発砲。
全てがそれで終了した。
先ほどと同じように暗転した西郷さんのシルエットが、パッチのプログラムを走らせた瞬間に粉々に砕け散り始めた。
みんなが死にかけた敵が、たったの一発で敗れた。
呆気ない終わりだった。その場に居る誰もが何も理解できないまま――幸か不幸か、公式が迅速に対応した、という噂が流れるだけの、虚しい終焉を迎えた。




