66.決戦 3/4
結果として、セスとフェルメルトの戦いは起こることはなかった。その前に大聖堂の大扉が音を立てて開かれたからだ。
「下がって道を空けよ!」
鋭い声が轟いた。
礼拝堂の最奥。巨大なアイギス像の足下、内陣に屹立する青年。群青の鎧に刻まれたエーランド王家の紋。ウィンス・ケイルレスの面持ちは、苦虫を噛み潰したかの如く。
フェルメルトの体から魔力が失せる。セスも剣を下ろし、虹の発光は鳴りを潜めた。
つまらなさそうに鼻を鳴らし道を空けると、フェルメルトは大聖堂内部を顎でしゃくってセスの進行を促した。
ティアとイライザの姿はいつしかなくなっている。膨れ上がった光量に紛れて、うまく身を隠したようだ。
大聖堂の中。左右に割れた兵の間に魔導馬を進ませながら、セスは固い表情で視線を巡らせる。
ウィンスはセスの持つ虹の剣を見据えていた。剣に埋め込まれた宝玉は、魔力を封じ込める性質を持つ魔石である。虹の光の根源は、その宝玉にあった。
「アシュテネ王の剣か……彼の魔力がその剣に封じられたとすれば、なるほど、ラ・シエラごときに後れを取ったのも合点がいく。それがラ・シエラの手に渡るとは、なんたる皮肉か。いや、王の魔力を封じたのはラ・シエラの計略によるものか?」
「考え事なんて、随分と余裕じゃないか」
「口を慎めよ。死にぞこないの犬が」
セスが満身創痍であることは一目瞭然だ。傷付いた肉体と消耗した体力。常人ならば死んでいてもおかしくない容体。本人が一番わかっている。
「ここまでやって来たことは褒めてやる。名を聞いておこう」
「アルゴノートのセス」
「古臭い名だ」
息をするように侮蔑の一言を吐くウィンス。
「よいか、野良犬のセスとやら。拝謁を許したのは、死をも恐れぬ蛮勇に一応の敬意を表してのことだ」
「そいつはどうも。跪いて頭を垂れた方がいいかい?」
セスの軽口に、ウィンスは反応しない。彼の瞳には虹の光ばかりが映っており、瀕死のアルゴノートなど眼中にもないようだった。
「誇り高きアシュテネ王の剣が下賤の手に落ち、あろうことかラ・シエラの娘のために振るわれるとは。嘆かわしいことだ」
「人質を盾にするあなたにそんなことを言う資格はない。王家の人間にあるまじき、卑劣な行いだ」
「口だけは達者だな。清廉潔白な騎士道が何の役に立つ? 人の世は綺麗事では回らん」
帝国に故郷を蹂躙されたという苦い体験が、ウィンスの心を荒ませたのだろう。彼もかつては、誇りを胸に抱く一人の騎士だったに違いない。
圧倒的に有利な状況にあるウィンスであるが、精神的な余裕はセスに分があった。
平静に努めるウィンスに対し、セスは毅然とした目つきを絶やさない。
「お嬢を返してくれないか。そうすれば、あなたを傷つけずに済む」
その言葉にウィンスは眉を上げ、言葉を失った。しばしの間を置き、やがて肩を震わせて含み笑いを漏らし始める。
次の瞬間、堰を切ったような哄笑が大聖堂に響き渡った。
顔を押さえて笑うウィンスに、エーランド兵らは緊迫の面持ちを余儀なくされる。
笑い声が止まった時、彼の顔には鬼神が宿っていた。
「無礼者が」
燃え盛り拡がった真紅の光は、溜まり溜まって解き放たれた憤激そのものだ。
王族の持つ膨大なまでの魔力。大聖堂を揺るがし、長椅子は巻き上げられ、豪奢なステンドグラスが罅割れたかと思うと音を立て砕け散る。アイギス像を背に、群青の鎧から真紅の魔力を放つ様は戦神にも見紛うほどに苛烈であった。
内陣の床が爆散する。一切の予備動作なく跳躍したウィンスが刹那を待たず肉薄。
魔導馬に踏ん張りを利かせ、セスは両手で剣を握り締める。
真紅と七色。互いの斬撃が衝突し、迸る魔力が礼拝堂を埋め尽くす。巻き上げられた幾つもの長椅子が盛大に砕ける。衝撃はそれだけにとどまらず、大聖堂を揺るがし、経年劣化による脆い部分が崩れ、いくつもの瓦礫を落とした。
エーランド兵ですら、ウィンスの放つ魔力の圧に戦慄を禁じえない。彼らは衝突の余波で散り散りに吹き飛ばされ、大聖堂からの避難を余儀なくされる。それを真正面から受けて尚、セスは強き闘志を示した。




