58.帝国の闇②
セスに迷いはない。十人を相手取る程度の修羅場など慣れたものだ。
手槍を構えた二人の男女がセスににじり寄る。セスの得物を長剣と見た彼らは、間合いで勝る槍で牽制を加えてきた。その後ろでは悠然と斧を担ぐ男が威圧し、緊張の面持ちで弓に矢を番えている若い女、攻性魔法の構築を始める老人も見て取れる。残りの者は自身が手を下すまでもないと高をくくっているのか、距離を取って静観の姿勢だ。
なるほど。一人も漏れず一線級の実力者であろう。B級に達するということは、相当の場数を経験しているに違いない。それがあと九人も残っている。
セスはいまだ剣を抜いてすらいなかった。それがかえって、敵に奇妙な圧迫感を与えている。
セスの手先が閃いた。マントに隠された懐より射出した投げナイフが、槍を持つ二人の両手を正確に貫いていた。神速の投擲術。何が起こったか分からないといった顔で槍を取り落とした槍使いの片方を殴りつけ、もう一方を蹴飛ばして、次いでセスは攻性魔法を放たんとする痩身の老人に跳び込んだ。瞬く間に肉薄したセスは、老人が放った白熱の魔力を視認してようやく抜剣。至近距離から放たれた光線を剣で弾き飛ばす。
「なんとッ……!」
攻性魔法を剣で防ぐという神業に、老人は言葉を失う。セスに柄頭で殴打され、驚きの中で昏倒した。
普通ならば、彼の光線は剣を破壊して敵を焼き尽くしたであろう。だが、セスの握る一見何の変哲もない長剣は魔力への強い耐性を有している。彼が駆け出しのアルゴノートだった頃、踏破したダンジョンで手に入れた無二の一振りであった。
若い弓手が狙いを定めた。短弓から矢継ぎ早に放たれた三本の矢を、セスは避けるまでもなく指の間に捕える。次の瞬間には、床に転がっていた槍を蹴り上げ、弓手の短弓を真っ二つに破壊。弓手の女は高い声を上げて尻もちをついた。
息つく間もなく、重厚な戦斧が振り下ろされた。鈍重ではあるが、驚異的な威力であることは疑いない。セスは正面から受けることを避け、繊細な剣捌きをもって斧の軌道を逸らした。勢い余った男は二の足を踏み、その隙をついて後頭部を殴打。意識を吹き飛ばす。剣の腹による強かな一撃であった。
セスがナイフを抜いてから、僅か十秒足らずの攻防。端から見れば、瞬きをする間の出来事だったであろう。すでにB級の過半数が戦闘不能ないし戦意喪失に陥っていた。
趨勢は既にセスの手中にあった。
彼は一流の剣士であったが、その一方で徒手空拳での戦闘にも優れていた。こと人間相手に限れば、彼の拳足は強力な斬撃にも劣らない。
残ったアルノゴート達は気を引き締めて奮戦したものの、流れを変えるに能わず全員がセスに打ちのめされた。最後の一人が気を失うと、組合はにわかに静寂を取り戻す。
「こりゃあ驚いた。大したもんだ」
老婆はセスの戦いに目を奪われ、煙管を嗜むことも忘れていた。
結果だけ見れば、十人のアルゴノート達が無能であったかのように思える。だがそうではない。彼らは正真正銘の実力者であり、各々が輝かしい功績を持つ豪傑である。攻撃の鋭さ、タイミング、身のこなしや防御の技術など、駆け引きを含めた戦闘能力は極めて高い水準にあった。にも拘らずこのような無様な結果に終わったのは、一重にセスが規格外であったせいに他ならない。長年に渡って数多のアルゴノートを見届けてきた老婆は、その真実を的確に見抜いていた。
「紛れもない。英雄の器だよ、アンタ」
セスは息一つ切らさず、泰然と屹立していた。鋭い眼光が老婆を射抜く。
「これでもエーランドの情報は教えてくれないんだな」
「勘違いしちゃいけないねぇ。組合には皇帝陛下の息がかかっている。腕っぷしでどうにかなるモンじゃあないんだよ」
深い皴を刻んだ笑みで、老婆が矍鑠たる笑いを上げた。
「ま、しかし。お前さんのことは個人的に気に入った。餞別に一つだけ教えてやろうかい」
老婆の気まぐれはまさに僥倖だ。少しでも情報を得られるなら、願ってもない。
「今回のエーランド不干渉。お上から圧力がかかったのは組合だけじゃない。貴族はもちろん、各軍閥、パマルティス周辺の都市警備隊にまで行き渡ってる。ウィンス・ケイルレスは、旧王都を押さえてエーランドの解放を目論んでるのさ」
「解放? そうか……くそ、どうして気付かなかったんだ」
冷静に考えればわかることだった。そもそもウィンス・ケイルレスの目的は何か。奪われた故郷を奪還し、地図に再びエーランドの名を刻むこと。
しかしまさか、敗戦から僅か五年で実行に移すとは思わなかった。この短期間で独立を勝ち取るだけの力を蓄え、帝国への根回しにまで済ませていたとは。
「わかったろう? 事はそう単純じゃあない。お前さんの手にゃ余る」
「帝国は黙認するつもりなのか」
「そういうこった。だから悪いことは言わん。大人しく手を引くんだね」
老婆はつまらなそうに紫煙を吐く。
「お前さんの味方なんて、誰もいやしないんだ」
剣を納める音が、やけに大きく響いていた。




