54.パマルティス侵攻②
エーランド万歳。ウィンス王子万歳。礼拝堂に響く大合唱。五年前の帝国侵攻によって降服に追いやられた怨恨は、彼らを縛りつけ逆襲へと駆り立てる。
「大した役者だな」
いつしか大聖堂には、エーランドの国歌が響き渡っていた。勇壮にして荘厳な、力強き戦いの歌。大合唱が反響する中、フェルメルトと聖騎士達はその輪の内にいなかった。礼拝堂の入り口付近から冷静な目を向ける彼は、複雑な心境で一同を見守る。大層なお題目を掲げているが、ウィンスは人質を用いての脅迫的な交渉を行ったのだ。心からの賛同は出来ない。
フェルメルトが壁に背を預けた時、傍らの大扉が開かれた。そこから高齢の男性が転がり込む。その後から数人のエーランド兵が礼拝堂に足を踏み入れると、続いていた大合唱が止み、だしぬけに静寂が訪れる。
「総督のご到着だ」
皇帝の勅命より都市の政務を任されている有力者。彼は後ろ手に縛られ、這いつくばって震えていた。
「貴族としては小物だが、最初の客としてこれほどふさわしい者もいまい」
ウィンスは薄い笑みを浮かべて総督へと歩み寄る。その手には剣が握られたままだ。
「き、貴様ら! こんなことをしてただで済むと――」
「喚くな」
総督の顔に触れるか触れないかの目の前に、剣が突き立てられた。
「貴様の身は帝国府への、ひいては皇帝への交渉材料とする。大人しく従うならば身の安全は保障しよう」
「交渉……? わしはしがない法衣貴族。ただの政務官だ。人質にしたところで」
「貴様が案ずる事ではない」
開かれた大扉から、拘束された者達が次々と連行されてくる。デットラン公爵領にて拉致した貴族、豪商、学者。おおよそ帝国に対して影響力があると思われる者達と、あるいはその家族である。
有無を言わさず連れてこられた彼らは、長い監禁生活で憔悴しきっていた。反抗する気力も残っていなかった。ウィンスは人質達を睥睨し、生殺与奪の権を握る一時の優越感に浸った。しかし、些末事は即座に思考の外に追いやる。愉悦を感じるにはまだ早い。
「どうだ将軍。有力な帝国貴族の関係者は一通り押さえてある。これならば奴らとの交渉も容易くなろう」
「その用意周到さには恐れ入る」
「貴公がクローデンの娘を捕らえていれば、万全を期することができたのだがな。いや忘れてくれ。今のは失言だった」
ウィンスの物言いに、フェルメルトは軽く鼻を鳴らす。
やがて最後の人質が連行されてきた。プラチナブロンドの可憐な少女は、気丈を装っていても恐怖に圧し潰されそうな内心を隠せていない。
反応したのはフェルメルトだ。エルンダ襲撃の折に、彼女の顔を見た記憶があった。
「ラ・シエラの娘か」
「ほう。知った顔か?」
「エルンダでクローデンの娘と共にいた」
「なるほど、つくづく因縁があるようだ。しかしこれは知らないだろう。この小娘、なんと治癒魔法の使い手だ」
「……なに?」
フェルメルトは厳めしい顔をシルキィに向ける。力を帯びた視線はあたかも質量を伴っているようで、シルキィに些か以上の息苦しさをもたらした。
「真実か? 治癒魔法は魔導の深奥。とてもこんな娘が修められるとは思えん。ホラを吹いているのではないだろうな」
「はは。やけに食いつくじゃないか」
ウィンスは愉快そうに笑い、
「この目で見た。刺されたメイドの傷が跡形もなく治る様をな。疑いようもあるまい」
「……なんということだ」
それきりフェルメルトは黙り込んでしまう。鋭い眼光はなおシルキィを捉えたまま。
シルキィは、彼らに悪態の一つでも吐いてやりたい気持ちだった。しかしながらそんな勇気が出るはずもない。強引に攫われ、剣呑な空気の中でただ一人。温室で育った十五の少女には、あまりにも過酷な境遇である。
孤独と絶望の中で涙が滲もうと、シルキィはただ耐えることしかできない。
「ミス・シエラはどうも気分が優れぬようだ。今からその様子では先が思いやられる。これから死ぬまでこの街で生きることになるのだからな」
ウィンスは偉ぶって言い放つ。治癒魔法の使い手を抱える意味は、長期に渡って価値を見出すことだ。この解放戦線の後、エーランド統治を盤石にするためにも、シルキィの価値はただの人質とは一線を画していた。
だが、ウィンスにとって帝国貴族とは強い怨恨の対象である。価値があるからといって優遇するものではない。
畢竟、彼はどこまでいっても人質を祖国再興の道具としか認識していなかった。




