41.イライザ②
物語の登場人物が実在するとの確信を得て、シルキィは一段と作品を好きになった。
「ああもうっ。どうして私ったらあの時代に生まれていなかったのかしら! レイヴンやエリーゼと会って話ができたら、それ以上幸せな事なんかないのに」
もし彼らと同じ時代に生きていれば、自分も物語の登場人物になれたのだろうか。詮無き事といっても、切望せずにはいられない。
「そう言ってもらえて、レイヴンもきっと喜んでる」
「ほんとう? そうだったらいいな」
少女達はお互いに相好を崩す。殺風景な部屋に、まるで花弁でも舞っているかのような雰囲気が訪れていた。
「あーあ。どうして私の護衛はレイヴンみたいに素敵な人じゃないのかしら。あんな奴じゃなきゃ、もうちょっといい旅になったはずなのに」
「護衛? そんなに大変な旅をされてるんですか?」
「そうなのよ。アルゴノートなんて野蛮人を雇っちゃったばっかりにね」
「アルゴノート……?」
艶のある唇に指を当てて、イライザは思案しているようだった。
「あの、私からも一つ聞いてもいいですか?」
肩を竦めながら控えめに手を挙げたイライザ。
「なになに?」
シルキィは身を乗り出して答え、しばらく口を噤んだ彼女の言葉を待つ。
「そのアルゴノートの人って、どこの人? なんていう名前ですか?」
「聞きたい事ってそれ?」
何を聞かれるのかと期待していたせいで、思わずぶっきらぼうな声色になってしまったかもしれない。よりにもよってそんな質問だとは思わなかった。
「ヘレネア領のセスっていうんだけど。なに? あいつがどうかしたの?」
そっぽを向いたシルキィが見逃してしまうくらいのほんの一瞬ではあったが、セスの名を聞いたイライザはその眠たげな瞳を見開いていた。
「そう……やっと来てくれたんだ」
「え? 何か言った?」
シルキィはイライザの呟きを聞き取れず、思わず聞き返してしまう。
「別に興味を持つような奴じゃないわよあんな奴。ただの護衛よ。根無し草の野蛮人で、身の程も弁えずいちいち雇用主の行動に口出ししてくるような図々しい男。アルゴノートになる人間なんてろくなもんじゃないんだから。多少は腕が立つみたいだけど、なんだかんだ理由をつけて馴れ馴れしくしてくるし、まったく馬鹿だと思うわよ」
シルキィの言動は全て貴族としての価値観から生まれたものだ。悪気は一切なく、むしろ野蛮人を非難することに正義こそ感じていた。
故に、不意に豹変したイライザの雰囲気には衝撃を禁じえなかった。
「最低」
自身に向けられた強い呵責の瞳と、尖った氷のような声。短い糾弾の言葉。シルキィは背筋にぞっとしたものを感じた。
イライザは背を向けると、窓の外を見据えたまま動かなくなった。
シルキィは状況が良く呑み込めず、戸惑いながらもとにかく手を差し伸べようとする。
「え、あの。イライザ?」
「出てってください」
絞り出した声は、拒絶の意志で色濃く染まっていた。
シルキィは動けなかった。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。アルゴノートを悪く言ったのがまずかったのか。もしかして、彼女の身内にアルゴノートがいるのかもしれない。
部屋に重たい沈黙が訪れる。
見かねたティアが、シルキィの華奢な肩を優しく叩いた。
「お嬢様、今日のところは」
「でも」
「また後日、お詫びに伺いましょう」
イライザはこちらを見ようともしない。怒りだろうか、それとも悲しみなのか。シルキィには彼女の心情を読み取ることはできない。
「……わかったわ。アーリマン、あとはお願い」
「御意に」
名残惜しそうに、イライザの方を何度も振り返りながら、書斎を後にする。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
胸に抱いたサイン入りの小説を、慰めるように撫でた。




