17.夜風の邂逅②
実際に帝国では剣闘が盛んであり、剣闘士達が凌ぎを削る興行として広く認知されている。その残虐性から、帝国内でも賛否両論が叫ばれているが、皇帝自らが推進する行事である為その規模は極めて大きい。
レイヴンズストーリーはそんな剣闘士の姿を広く世間に浸透させた作品であり、特に若い女性を対象に書かれている為か、最近では剣闘そのものの人気も高まって帝国の誇る一大事業としてその地位を確立しつつあった。
セスは中身を読んだことはないが、物語の概要は知っている。
「その小説は私も存じていますが……主人公のレイヴンは剣奴ではありませんか。シルキィ様は世に卑しいとされる奴隷の護衛をお望みなのですか?」
「これだから野蛮人は」
シルキィは小馬鹿にするようにせせら笑った。
「確かに奴隷は卑しい身分かもしれないわ。けれど、魂は身分に宿るものじゃない。いいえ、低い身分であるからこそ、その肉体に宿る気高く高貴な魂はどんな聖者よりも尊い」
作中からの引用だろうか。アルゴノートという生業を侮辱しておきながらのこの発言の矛盾に、彼女は気付いていないようだ。
「レイヴンの信条をご存知かしら? 勝利は幸、敗北は不幸。彼は決して自身の非運を嘆かなかった。どのような境遇にあろうとも、いかなる苦難の前であろうと、彼は決して怯むことなく、毅然として胸を張り悠々と勝ち進んだのです」
まるで自分の功績であるかのように、シルキィは得意げに語っていた。
「高尚な心根を持ち、現実的な強さを兼ね備えている。お嬢様は、レイヴンのそんなところに惹かれていると?」
「ひ、惹かれ……? ま、まぁそうね」
シルキィは頬を染めて俯く。少女らしい可憐な仕草は、羞恥を自覚させられた怒りをもって鋭い視線に変わった。
セスは苦笑を漏らす他に選択肢を持たなかった。年頃の娘が創作物の登場人物に熱を上げるのはそう珍しいことではない。
とはいえ、史実のレイヴンが活躍した時代は百年も前に遡る。実際のレイヴンと小説に描かれる彼は大いにかけ離れていることだろう。
創作の登場人物に理想を抱く彼女の言葉は、実に年頃の少女らしいものだ。セスは自身への侮蔑はどこ吹く風、シルキィを微笑ましく思った。
「道中、エルリス領にダプアという街があるわ。レイヴンが剣闘士として初めて立った地よ。あなたも少しは彼の生き様を学んでみてはどう?」
「心得ておきます」
「まあ、所詮は野蛮人。いくら理解できるものかわからないけど」
シルキィのつんとした物言いに、セスはそれ以上何も言わない。
夏の温い風が、二人の肌を撫でていった。




