16.夜風の邂逅①
出立の前夜。館の中庭で、セスは偶然シルキィと顔を合わせた。
彼女は噴水の縁に腰を下ろし、星空を見上げていた。月光に照らされた白い横顔はどこか儚げで、言葉を失うほどに美しい。
星を映す瞳は柔らかく、ほのかに微笑んでいるような口元には気品がある。知性に溢れる居住まいは、組合で見たシルキィとはまるで別人だ。
荘厳な一枚絵のごときシルキィの姿は、セスが気付くと同時に露と消えてしまう。彼女は柳眉を逆立たせ口元を歪ませ、歩み寄ったセスを睨みつけた。
「何か用?」
相変わらず険のある声だ。
「夜風にあたっていると、ミス・シエラのお姿が見えたものですから。ここに来てからあまりお会いできていませんでしたし、叶うことなら少しお話でもと」
トゥジクスの計らいによって、セスはラ・シエラの館に滞在を許されていた。シルキィはそれが気に入らないようで、意図的にセスを避けているのだ。
「あなた、何か勘違いしていないかしら? 護衛を依頼したからって、気安く話しかけることを許した覚えはないわ」
「警護の為にも、お互いに理解を深めた方がよろしいかと存じます」
「必要ないわそんなこと。ティアに勝ちを譲られたからって、有頂天になっているんじゃないでしょうね」
「とんでもない。あの時は運よくアイギスに見初められただけ。一歩間違えれば不覚を取っていたのは私の方でした」
アイギスとは、大陸全土で信仰されている戦いと勝利の女神だ。アイギスに見初められるとは、勝負事の運が向くということを意味している。
「当然よ。私にはティアがいる。お父様の意地悪な条件さえなければ、そもそもあなたなんか不要なんだから」
確かにティアの剣は冴えている。凡百の剣士とは比べ物にならない。だが、旅の護衛としてシルキィを守り切れるかどうかとは、また別の問題だ。
「つかぬことを伺いますが、ミス・シエラ。どのような者ならばご自身の護衛に相応しいとお考えですか?」
問われたシルキィはしばし思案する仕草を見せてから、したり顔で口を開いた。
「かの英雄レイヴンのようなお人ならば、願ってもありません」
「レイヴン?」
「知らないの?」
その声には責めるような響きがあった。
「存じております。とある物語の主人公ですね」
「レイヴンズストーリーはノンフィクションよ。レイヴンは、実在の人物なの」
シルキィの口から出たのは、帝国内で話題沸騰中のシリーズ小説の名である。主人公の奴隷剣闘士レイヴンが、剣闘の世界で活躍し、国や貴族の陰謀に巻き込まれながらも剣闘士としての名声と自由を手に入れる、という大筋の英雄譚である。




