13.辺境伯④
「伝説に語られる白竜は、生まれたばかりの我が子を深い滝壺に投げ捨てるという。長い時を激流に踊らされ、沈められ、それでも尚屈せずに滝を昇り切った時、竜の子は初めて天高く舞う力を得るのだとか。いずれはこのラ・シエラを継ぐ女だ。危ない橋の一つや二つ渡り切れぬようでは、どのみち領主など務まらぬ」
厳しい口調で言い切ったトゥジクスには、為政者として自身を律する風格があった。
「と、もっともらしい理屈をつけることもできるが。実際は、吐いた唾を飲めぬ、というのが一番の理由よ。貴族やら領主やらといっても、所詮父とは娘に弱い生き物なのだ」
一転して表情を崩し、彼は重厚な笑い声を漏らす。セスもつられて笑みを零した。
間もなくノックの音が聞こえ、ティアがお茶を運んできた。テーブルに置かれたカップから湯気と香りがたちのぼる。紅茶を口にすると、緊張が少しほぐれた気がした。
「報酬の話に移ろう。私から出せるのは、この程度だ」
トゥジクスから提示されたのは、平均的な帝国市民が稼ぐ月収の倍近い金額ではあるが、命をかける代償としてはあまりにも少ないものだった。組合への納入金を引けば、実際の実入りは目減りするだろう。ラ・シエラ領から帝都までは、馬車を用いたとしても一月はかかる。無論これは何事もなく進行できた場合の話で、実際はそれ以上かかるだろうし、帰りの旅費も必要だ。もっと割りの良い仕事はいくらでもあった。
「満足な額を用意できず忍びない。本来ならこの三倍は用意して然るべきなのだが……これでも依頼を受けてくれるのかね?」
セスは少しだけ考えるふりをする。報酬がいくらであろうと決して心変わりはありえなかったが、下手に出すぎるのもいらぬ誤解を招く可能性があった。
「旅の経費を負担して頂けるのであれば、それ以上は望みません」
トゥジクスはセスの目をじっと見つめると、しばらく口を開かなかった。皴に囲まれた瞳は、シルキィと同じ鳶色である。心を見透かされそうな彼の目に、セスは真正面から応えた。セスには一片の負い目も後ろめたさもなかった。
それが伝わったのだろうか。トゥジクスはひときわ大きく頷いた。
「そうか、ありがたいことだ。旅費はティアに持たせる。必要ならば申しつけてくれ」
部屋の隅に控えるティアと目が合うと、彼女は軽く会釈する。
トゥジクスはティーカップを端に寄せると、テーブルの上に地図を開いた。セスも対面からそれを覗きこむ。カップが空になれば、ティアがその都度紅茶を注いでくれた。




