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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
31/81

6話『君が、恋や愛の入った小瓶に貼るラベルは?』

 南区特有の酒気を帯びた雑踏を抜け、ピンクピンクした店が構えてるとは思えないほど無骨な石造りの階段を上る。

 なんだかんだ、この場所に来るのも三日連続か。


 翌日の夜。オレはレイラを連れて、再び南区のメイド喫茶を訪れた。


「え、うそぉ! クレピ女の子になってるぢゃん⁉ なんでなんで⁉」


「レイラよりはまともな反応をどーも」


 人の心を読む(あか)い瞳で出迎えてくれたミアの驚く顔を見て、小一時間ほど前のことを思い出す。

 東区のいつものベンチに寝っ転がり、レイラを待っていた時のことだ。


「ふっ、まさか悪魔のほうから誘いを受けるとはのう。さて、我が相棒クレハ! 一縷の望みのため、二本目の聖剣を手中に収め――――――あれ? すまん人違いじゃったか……」


 羞恥と気まずさが混じったあの絶妙な表情は、今でもはっきりと思い出せる。

 そのあとレイラは、足を踏み外してフェンスごと高台から落ちてった。


「…………」


 オレたちが眷属契約を交わしたあの広場は、町が一望できるくらいにはそこそこ高い場所にあるんだが、そんなところのフェンスの老朽化問題を、レイラは身をもって教えてくれたわけだ。


 まあパニクってコケて、半ば体当たりする形で破壊したとも言えるけど。


「寝起きにしてはテンションを高くしていたのが間違いじゃったか……脳内では見事な第九が流れておったんじゃがのう」


 オーケストラの演奏をバックに落ちていくレイラの姿を想像して、思わず鼻を鳴らしてしまう。


「いいモンが見られたぜ」


「……ふん!」


「いッてぇ⁉」


 にやけてたら足を思いっきり踏まれた。

 さすがにやりすぎたか……。


「元はと言えば其方(そなた)がそんな姿になってるのも要因のひとつじゃろうが。内と外が合致せんのじゃから戸惑うのが道理よ」


「悪かったよ。オレだって急にこんな身体になっちまって困ってんだ」


「そうさな、おかげでワシにも支障が出ておる」


「支障?」


「相克こそが正しき在り方であるという理があって――まあ、どうせ言っても理解できん」


 ぷい、と拗ねたように顔を逸らされてしまった。

 会話が一通り終わったところで、放心状態だったミアと目が合う。

 その紅い、瞳と。


「……クレピ、今日はひとりじゃないんだね? 子連れなんてぴえんだよ?」


「クレピ?」


 まずい、レイラが食いついた。つーか子連れのほうじゃないのかよ、気にするの。


「あ、あー……とりあえず席、座っていい?」


「うん、じゃあ一番奥の席へどうぞー」


 視線でレイラに先に行くよう合図し、オレもそれに続く。

 と思いきや、不意に服の裾を引っ張られた。


 振り返ると突然、首筋に生暖かい吐息が当たり、甘いフローラル系の匂いが香る。

 ミアだ。ミアがオレの左腕に絡むようにして身体を寄せてきた。


「ミャア、性別なんて気にしないからね。女の子になってもミャアはずっとクレピのことしゅきしゅき大しゅき♡」


 こっそり耳打ちされたのは甘い甘い恋のささやき。

 伸びたオレの金髪に、自分の黒髪を結いつけようと指を動かすミア。

 昨日とは違う目線の高さ。

 間近で覗いた瞳は本当に混じりけのない紅で、まるで鮮血そのもの。

 しかし色鮮やかでも、こびりついて離れないほどドロドロの眼差しは、訴えるのだ。



「だからお人形さんみたいに可愛い女の子連れてきちゃうとか――だるいコトしないでよ」



 それは懇願のようで、実際は似て非なるモノ。


「ミャアの気持ち、分かるよね? クレピ」

 

 ――なんだかんだ毎日お店に来てくれてるし、拒絶もしてないってさ、少しでもその気があるってことだよね?

 

「ッ、なんで……」


 おかしい。オレは《血識羽衣(アルカードレス)》を発動してないのに、どうしてミアの心の声が聞こえるんだ。

 いや……力を使わされているのか、ミアに……⁉


 ――本当に嫌なら顔も見たくないって、ミャアのこと傷つけて、いなくなっちゃうもんね?

 でもそうじゃないんだったら、ミャアのことだけ見てて。

 じゃないと寂しくなって、心がバラバラになっちゃうよ……。


 鼓膜を撫でるような甘ったるい声が、今度は脳に直接注ぎ込まれる。

 オレはとっさにミアを引き剥がそうとして、伸ばした手に反射する、赤い光に気が付いた。


 その時だった。


「おい其方、はよこっちへ来い」


 幼いながらも威厳のある声が、オレの思考を遮るように店内に響く。

 鶴の一声ならぬ吸血鬼の一声。

 オレの中にあった妙な緊張感はそれによって解かれ、安堵と共に声が出る。


「ああ……今行くよ」


 呼ばれたから行かないと。

 心の中で呟くと、ミアは掴んでいたオレの袖を離し、不満げに顔を逸らした。


「……チッ」


 ――なに邪魔してんだよ、あののじゃロリ。

 今時古いっつの。あんなキャラでよくやってるよねホント。案外初見には受け良かったりするのかな?

 まあどうでもいっか。

 クレピにとってミャアは二番目。あのガキはミャアよりずっとクレピと深く関わってて……あー、自分だけ盛り上がってたの死にた。

 また腕の傷、増えちゃうな。

 今度はもっと深いところまで刃入れちゃお……それで太い血管傷つけちゃったりして――、


「どえぇ⁉ ……あ、あ~! オレ、ミアの超美味い料理が食いた~い! マジで毎日いけるぐらい美味いしさ! 明日も食いに来ちゃうかもなァ、ひとりで‼」


「うんうんうん、聞こえてるよクレピ♡ すぐに作ってあげるから待ってて♡」


 ――いいよ。乗せられてあげちゃうよ。

 あんまり重いのとか、引いちゃうしね。

 クレピにとって都合のいい女でいいの。

 ミャアにとって都合のいい夢を見せてくれるのなら、いいの!


「…………」


 どことなく影を感じる満面の笑みを浮かべながら、厨房に向かうミア。

 額に滲む汗を拭いながらそれを見送ったオレは、レイラのもとへ歩き出す。


「はあ~~~~……」


 椅子に座ってほっと一息。

 今は、ミアの心の声は聴こえない。

 手のひらを目元にかざしてみても、赤い光が反射することはない。


 具体的な理屈は分からないが、やっぱりミアがオレに《血識羽衣(アルカードレス)》を使わせたんだろうな。

 とんでもないヤツだよ、ホント。

 

 ま、不死鳥の炎みたいに一回死なないと力の解除ができない、なんてデメリットがないのはまさに不幸中の幸いってやつだな……。


「なあなあ、これをちょっと見ろクレハ」


 床に届かない足をぶらぶらさせながら、レイラから大きく広げた店のメニューを見せられる。


「この……ポメきゅん♡オムライスというのはどのようなものじゃ? 普通のオムライスとは何が違う? 見たところポメラニアンがモチーフのようじゃが――はッ⁉ まさか犬の肉を使っておるのか⁉」


「んなわけねーだろ……ま、人の血は入ってるかもしんねーけど」


「うーむ……ポメと萌えがかかっておるのか……? ケチャップで絵を描くことで視覚的にも楽しめるとは、また大胆な発想じゃな。メイド喫茶、存外侮れんと見た」


 と、メニューを見ながらころころ表情を変えるレイラを眺めていると、来店を知らせるベルが鳴った。



「『――こんばんは』」



 大きくも小さくもない、けれども店内によく響く綺麗な声音。

 パープルグレーの髪が優雅に揺れ、こつんと控えめな足音が耳に届く。


「『やあティアーズ、クレハ。待たせてごめんよ』」


 整いすぎた顔面で、謝罪の意を繊細に表現した彼女――アネモネは流れるように隣の席に座った。


「いやいや、わざわざお越しいただき、というやつじゃ。大した出迎えもできんですまんな」


 これでやっと役者が揃った。

 そう。昨日までどうミアから逃げるかを考えていたオレが、レイラを連れて自分からこの店に来るという正反対の行動をしたのには、ちゃんと理由があったんだ。

 

「『早速だけど、ティアーズは事の流れを把握しているね?』」


「相棒が女体化していたこと以外は、ネオスタァ殿が寄こした手紙でな。要は我が相棒と知り合い、あの地雷メイドの娘とも既に接点を持っていたから、早々に聖戦の打ち合わせをしてしまおう――という考えじゃろう?」


「『うん、そうそう。アウフィエルが企画した顔合わせ会、ボクとミアは行けなかったからね。クレハとの出会いはもう少し頃合いを見計らうつもりだったんだけど、神様は舞台を進めてほしいみたいだから。ところで――』」


 アネモネは軽く店内を見回す。

 話し合いをするというのだから、自身の眷属であるミアを探しているのだろう。

 だが生憎メイドさんはオレのために料理を作ってくれている。

 まだしばらくは厨房から出てこないだろう。


「ミアなら――」


「『料理中みたいだね』」


 オレが言うまでもなく、アネモネは看破した。

 そういや昨日も強盗の狙いが本当は金じゃないって気づいてたし、能力を使うまでもなく鋭い観察眼を持ってるみたいだ。


「『まあ、予定日だけ大まかに決めちゃおうか。そちら側に希望はある?』」


「特には。多忙なネオスタァ殿に合わせられたらと、ワシは思っておるが」


「『お気遣い感謝するよ。ちょっと待って、スケジュールを確認してみる』」


 アネモネは手帳を取り出し、ページを捲り始めた。

 それを横目にオレは、さっきから何となく感じていることをレイラに尋ねる。


「なんか、やたら畏まってねえ?」


 アヤメさんの時はわりと上から目線な印象だったのに。

 まああの時は向こうがレイラを格上として見てたってのもあるけど、今回は忙しいアネモネに気を配ることもしてる。

 どうにも前回と今回で対応が違うのは明らかだぜ。


 するとレイラは、ちょいちょいと耳を貸すよう言ってくる。

 どうやらアネモネには聞かれたくないらしい。


「なんだよ」


「……ワシは生み出す側の存在には滅法弱いんじゃ」


「ふ~ん?」


 意味はよく分からなかったが、その声色はどこか弾んでいた。


「『……これは、ちょっと参ったな』」


「どうかしたかの?」


「『うん、暇な日が一日もないや。明日からは舞台が始まるし、原稿の締め切りもみっつ。そのうちひとつはもう過ぎてるよ、あはは』」


「舞台? 原稿?」


「なんじゃと!」


 オレが首を傾げるのと同時に、レイラががたんと机を揺らすほどの勢いで前のめりになった。


「もしやその過ぎてる締め切りとは来月分の『懐中時計とお勉強』シリーズでは⁉ いや実のところ、さすがに十二か月連続刊行は無茶なんじゃと心配になっていたところでの……悪い予感が的中したと言ったところか……」


「『申し訳ないけどそれについてはノーコメント。作者の事情は読者に関係ない。メッセージがあるなら作中に全部書き切るのがポリシーだから。来月分については、ただ発売日をお楽しみにとだけ。心配させてごめんね』」


「そうさのう……七月にはライブも予定されておるし、体調に気をつけてくれとしか……。あとは黙って応援するのみじゃな……」


「ライブ? ……アンタって何者なの?」


「『だからネオスタァだって』」


 だからそれが分からねえんだよ……。

 腕を組んでうんうん唸っているレイラを余所に、オレは眉をひそめる。


「で、結局聖戦はいつやんの? 何か月も先ってこたぁないよな」


「『そうだね。聖戦のペースとしては、今のところ月に一戦決着がつけば御の字ってことになってる。それが全員の願いを叶えるうえで余裕の持てる期間だからさ。実のところ、ティアーズが今月分を三日で終わらせたのはかなり理想的なムーブなんだよ』」


「前から思ってたけど、聖戦のルールって無駄にごちゃごちゃしてるよな」


「『私情アリアリで、あらゆる私情を汲み取れるように作ったから仕方がない。ボクたち仲良いんだよ。それに何かミスったら適当に帳尻合わせればいいし。ある意味、出来レースとも言えるかな?』」


「…………」


 じゃあ別に戦う必要なかったんじゃねえか、とツッコミそうになった。

 しかしふと思い返してみると、一回戦でオレとツバサが殺し合ったのはそういう()()を選択したってだけで、話し合いで解決するという道もあっただろう。


 所有権を移すための決戦は仕方ないにしても、アヤメさんが、そしてオレたちがそうしたように、()()()()()()()()()という方法を取れば勝敗は意味を失くす。


 確かにそれは、八百長と言えないこともないか……?


 と、不本意ながら吸血で得た知識、理解力のおかげで改めて聖戦に対する知見を広げたところで、ひとつ疑問が浮かんだ。


 レイラから受けた、聖戦についての最初の説明だ。

 あの屋敷の食堂でオレは、聖戦とは相手の願いを諦めさせる戦いだと聞いた。願いを殺害すると。

 それはアネモネから聞いたイメージの逆を行くような話じゃないか。


 結果だけ言えば、オレたちは不死鳥の願いを背負った。

 否定ではなく共存を選んだ。

 けどあの時のレイラには、まさかとは思うが、相手の願いを背負うつもりは微塵も無かったのだろうか。


 それがレイラの認識だったとしたなら、今は?



「クレピ~、お料理できたよん♡ ほら、今日もたっくさん食べて食べ、て――――は?」



 スイングドアの開く音。直後に聞こえたミアの萌え声は、途中で止まった。

 驚いたように目を見張り、次の瞬間にそれは鋭い目つきへと変化する。


 怒りに滲むメイドの眼光を一直線に浴びているのは――アネモネだ。


「『ミア、久しぶり』」


「話しかけんな。さっさと出てって」


 まただ。《血識羽衣(アルカードレス)》が発動して、オレに伝わってくる。

 普段とは違う口調で、ミアはアネモネを心の底から拒絶している。

 一方でアネモネはただ、困ったように笑うだけだ。

 その腹の内は、どういうわけかこれっぽっちも見えない。レイラも、同じく。


 ――ボクたち仲良いんだよ、ね。

 皮肉でも言うように、さっきの言葉がリフレインした。


「『……ごめん、そういうわけにはいかないんだ。聖戦の打ち合わせだよ。君はまだボクの眷属だから、願いを追う権利が残ってる。ルールは前に話したけど……覚えているかい?』」


「覚えてるわけないじゃん。ミャア頭悪いもん」


「『……クレハ、説明をお願いしてもいいかい?』」


「いや、ここはワシが話そう。おい地雷メイド、よく聞け」


 ――うるせぇんだよ、ガキ蝙蝠(こうもり)が。


「ぶッ――⁉」


 三者三葉の怪訝な視線が、一斉に降り注ぐ。


「……くしゃみダヨ」


 そう言ってオレは、引きつった微妙な笑顔で続きを促した。

 くっそ~、ミアのあまりにも直球な暴言で吹き出しちまったじゃねーか。

 しかも心の声はオレにしか聞こえてねえから、完全に変なヤツを見る目をされたぜ……。


「気を取り直して――聖戦は、一試合を二段階で構成しておる。

 眷属が戦う初戦と、主人が戦う決戦じゃ。

 しかし実質的な勝敗は初戦で決まり、決戦は聖剣の所有権を移行するための消化試合みたいなものじゃな。

 つまり今回の場合、初戦では我が相棒と地雷メイドが戦うことになる。

 なお勝負の内容は決められておらん。

 あくまで勝敗がつけられ、なおかつ両者が合意する方法ならば何でもよいぞ」


「……オレたちには助けたいヤツがいる。聖剣が揃ったら手に入るっていう、世界を変える力じゃないと救えないヤツがな。ミアとアネモネの願いはなんだ? もしそいつが、オレたちが代わりに叶えてやれることなら……聖剣を譲ってほしい」


「じゃあクレピ、ミャアの恋人になって! 正真正銘、カレカノの関係! ずっと一緒に居て!」


「えぇ⁉ マジで……ッ⁉」


 聖戦の説明を理解したのかしてないのか。

 一息で距離を詰め、オレの手をぎゅっと握ってくるミア。


 その泣き腫らしたような目でじっと見つめられると、オレに対する感情が剥き出しで伝わってくるのも相まって、底なし沼に足を突っ込んだような気持ちを抱く。

 がしかし、視界の端に映ったオレを睨むレイラの顔が、ギリギリ正気を保たせてくれた。


 その願いに対して、オレの中で答えはもう決まっているんだ。

 ミアが今どれくらい視ているのかは分からないが、オレの本心は――、



「『――なら、こういうのはどうだろうか』」



 なんて、タイミング。

 思考から行動へ移る瞬間を、アネモネの声が割り込んでくる。


「『聖戦のひとまずの期限である一か月を使って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というのはどう? ふたりが結ばれたらミアの勝ち、そうならなかったら君の勝ちだ』」


「ッ……余計なことしないで‼」


 ミアは力強く抗議するが、アネモネはその涼しい表情を崩すことなく、視線をオレに向ける。


「『クレハ――君が、恋や愛の入った小瓶に貼るラベルは?』」


 その質問にオレは答えることができなかった。

 なぜなら意味が、意図が分からなかったから。


 ……結局、初戦に関してアネモネの提案に代わる案が出されることはなく、そのまま採用で決まっちまった。


 こうして、これから一か月。五月末まで。

 オレはミアと戦いを繰り広げることになったのだ。


 恋愛という名の、聖なる(?)戦争を――。

 

 ちなみに話し合いが終わるまでオレは、終始レイラから半目で睨まれていた。

 なんでだよ。


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