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鏡面のクロノスタシス  作者: 悠葵のんの
二章【地雷乙女の物語】
29/81

4話『主演女優賞にノミネートされたみたいで』

 ――その晩、夢を見た。


 灰色の空に浮かぶ黄金の月。

 何ひとつ欠けることのない真ん丸なお月様は、その煌めきを静かに、地上の星へと垂らしている。


 星は光を受けて、一際眩しく輝いた。

 あらゆる向かい風の中でも、それはひどいくらい綺麗で。

 誰もが憧れ。誰もが手を伸ばし。

 けれども決して届くことのない、切なく寂しい泡沫の幻。


 絶世。あるいは純真無垢なる幼子の夢想。

 その光景はまるで、御伽噺のように幽玄だ。


 ――ああ。


 オレはあの時、確かに目を奪われ、見惚れていた。

 夜空が流した麗しの雫――レイラ・ティアーズという、ひとりの妖精に。


 これまで目にしてきた誰より美しい、麗人に。


「――ちょっと。ちょっと、あなた。……起きなさい!」


 暗闇の中で、やけに力の籠った声が響いた。

 

「起きてくださるかしら!」


 二度目の声。今度は身体を揺さぶられる。

 そこでオレは気付いた。声をかけられているのが自分であるということに。


 ……なんか、知らないおばさんに怒鳴られてる……?


 ぼんやりした意識を引き上げようとすると、その間に肩を掴まれて、さらにライトか何かを当てられた。

 真白の光が目蓋の上から眼球を突き刺してくる。

 どうやら向こうはオレの眠気が覚めるのを待ってはくれないらしい。


 仕方なく、ベンチの上に横になった身体を起こした。


「…………」


 手で光を遮るようにして目を開けると案の定、顔も知らないおばさんがライトを片手に不機嫌そうに立っている。

 顔や恰好は光が眩しくて見えないけど、後ろにも誰かいるな。


「こんな場所でひとりで寝るだなんて……一体どういう思考をしたらそうなるのかしら! 家を追い出された? それともほかに事情が?」


 向かい合うと、おばさんの半ば怒鳴るような声がより一層頭に響く。

 どうもこの人は、オレがこの場所で寝ていたのが気に食わないらしい。


 確かにここは東区のいつものベンチじゃなくて、南区の公園のモノだけど。

 ミアの店で精神的に疲れて、成り行きで使ったんだ。


 あ、もしかして普段はこの人が、ここを使って野宿してるのか……?

 それでオレが邪魔、とか。


「待ってください。彼女はまだ状況を呑み込めていない。少し落ち着いたほうがよろしいかと」


「……分かっています。ですのでどうかお近づきにならないようお願いします。事情が事情かもしれませんので」


 そうは言いながらも、後ろの男の呼びかけでほんの少し穏やかな声音になったおばさんは、その場で屈んでオレの顔を下から覗き込んでくる。 


「驚かせてしまってごめんなさい。言葉は通じている? 私の声が聞こえているなら返事をしてくれると嬉しいわ」


 さっきよりは取っつきやすい雰囲気だ。

 オレは現状確認のために質問をしてみる、


「アンタは――――ん?」


 つもりが、知らない声に被せられた。

 いや、妙だな。

 今の声は目の前にいるおばさんでなければ、後ろに控えているヤツでもない。

 もっと近く、それこそまるで、()()()()()()()()()()()……。

 

 なんだ……?

 何かは分からないけど、確実に何かがおかしい。異常をきたしている。

 不意に、さっきの言葉が脳裏をよぎった。


 ――()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼、女……? 

 流れ的に後ろにいる男の言葉は、オレを示したもののはず。

 なのに、()()――?


 得体の知れない寒気に襲われたオレはおもむろに腕を組もうとして、そこで認識した。


「え――? ――は? 嘘だろ、なんだこりゃあ……ッ⁉」


「ど、どうかしたのかしら? 言葉遣いが少々荒いようだけれど」


 普段はないはずの感触。

 柔らかくて、ハリがあって、嫌な過去を思い出しそうになる――それ。

 さらに目線は、自然と両腕にかかった長い金髪へと移り、そこで唐突に、理解する。

 自分が、ツキヨミクレハという存在(おとこ)が。



 ――寝て起きたら女の身体になっていたという事実を。



「マジかよ⁉ えぇええええ⁉ マジかよ! なんで……な……マジかよォ‼」


 勢いよく立ち上がり、欠けた月の光を頼りに現在の姿を改めて確認する。


 とんでもないことになっちまった……思わず張り上げた声も別人のそれだったし、髪は長いわ手足は細くなってるわ胸は膨らんでるわで、完全に女のそれに変わっちまってるぞ……なんでェ⁉


「嫌だわ、マジかよを三回も使うなんて……酷い錯乱状態みたい。騎士様、申し訳ありませんが先に彼女を病院へ」


「そうですね……」


「騎士――」


 息を呑む。

 その身分から連想した顔と、ライトの向こうから一歩踏み出した黒髪に赤いメッシュを入れた男の顔が、一致したから。

 情けない話だが、到底理解の及ばない状況で見知った人が現れたという安心感から、オレはヤツに飛びついた。


「ツバサ――⁉ こりゃあどういうことなんだよ⁉」


「し、失礼、レディ……どこかで面識が?」


「レディ? 面識があったかぁ? ふざけたこと言ってんじゃねえ! オレはクレハだっつの! なんでか目ぇ覚めたら女になってたんだよォ!」


「なんだって……? 言われてみればその八重歯は……いや、にわかには……」


 両肩を掴まれたツバサは、正義を求め続ける優男は、ひどく困惑した様子だ。

 そうなるのもまあ、当たり前か……。

 向こうからすればオレは見ず知らずの女だしな。

 だがツバサは信用できるヤツだ。証拠を示せば必ず信じてくれる。


 となると……戸惑うツバサを正面に、背後を確認しながらオレは軽く片手を挙げた。

 問題ない。ここからなら、死角だ。


「――――」


 オレはたった一瞬だけ、聖剣を呼び起こす。

 白銀の剣――《オース・オブ・シルヴァライズ》。

 世界に七本しかない聖剣のうちの一本であり、先の聖戦にてツバサたち不死鳥から譲り受けた責任の剣。


「――ッ」


 ツバサは目を見張り、オレは八重歯を見せて自嘲気味に笑った。


「分かっただろ?」


「――ああ。これまで気付けなくてすまなかった。信じるよ、君は本当にクレハなんだね。でも一体どうして女性の姿に?」


「んなのオレが知りてぇよ……」


「誰かの魔法、という可能性もあるけど痕跡は感じない。となると外部ではなく内部の……吸血鬼の固有能力という線はどうかな? ほら、ティアーズ卿が霧に姿を変えられるようにさ」


 スイッチが入ったのか、ツバサは冷静に仮説を組み立てていく。

 いい感触だ。このままいけば、案外さくっと元に戻る方法が分かるかもしれないぜ。


「寝て起きたら肉体が変化していた。注目するべきはその間に何があったか。睡眠中に起こる意識の変化。うん。かなり突飛な発想だけど、ティアーズ卿に雰囲気が似ているし、もしかしたらその姿は君自身がのぞ――」



「――ちょっと、私たち抜きで話を進められては困るのですが」



 怒鳴ったわけではないが、ぴしゃりと言い放つような強い声。

 オレとツバサは思い出したように顔を上げて向き直る。


「失礼しました、シャーロットさん。彼女……いえ彼は自分の友人です。今はどういうわけか女性の姿になってしまったようで」


「そういやアンタらは?」


「彼女はリタウテット女性保護連盟――通称、女護連(じょごれん)の会長を務めているシャーロット氏。後ろの方が副会長のエレーナ氏だよ。女護連はリタウテット内における力を持たない女性たちの味方となり、その保護を目的とした活動をしているんだ」


 と、説明するツバサ。


「へー」


 茶髪をショートで整えたシャーロットさんが、オレを起こした会長さんで。

 黒革のジャケットを着た、さっきから一言も喋ってない人が副会長のエレーナさん、と。


 軽く目線を合わせるとふたりが頭を下げたので、オレもそれに倣う。


「お二方は夜の南区、それも公園のベンチで寝ている君の心配して、騎士団に通報した。場合によっては君を保護するつもりでね」


 事情によっては騎士団よりも女護連で保護するほうが都合のいい場合がある、とツバサは言う。


「もっとも、すべては杞憂に終わったようですが。クレハと言いましたね。先ほどの会話から察するにあなたは、性別以前に、力ある吸血鬼でいらっしゃるのでしょう?」


「……」


 オレは無言で、口元を手で覆った。


「今さら牙を隠されてもね。むしろその行為がなければ、ただ八重歯が大きな人で通ったのに……。とにかく、我が団体は保護を必要とする女性を守り、支えることを目的としています。あなたはその対象には当てはまらない。それでよろしいですね?」


「よろしいですねって言われてもなぁ」


 曖昧な返事をすると、シャーロットさんは眉をひそめた。

 いや、なんて答えればいいんだよ。

 そもそもオレが助けを求めたわけでもないし。

 

「一応聞いておきたいんだけど、君、元に戻れるかな? 僕が思うにこれは意識の問題だ。元の姿を強くイメージしてみて」


「…………う、う~~~~~~~ん…………」


 目蓋を閉じて、言われた通りに男だった頃の自分を思い浮かべてみる。

 十秒。三十秒。一分。三分――悪夢が覚めますようにと、眉間に力を入れて念じてみるが。


「……無理っぽい」


 相変わらず胸は膨らんだままだし、そのうえ男の身体より若干背が縮んでいることに気付いて余計にショックだ。


 まずいぞ。女の身体になってしまったという現実。

 この状態がいつまで続くか分からない、あるいは一生元に戻れないのではないかという不安。

 それらが実感として徐々に追い付いてきた。

 

 明かりも持たずに夜道を歩み始めたような、おぼつかない感覚。

 そんなオレの心情を察してか、シャーロットさんが再び一歩前に出る。


「クレハ。あなたは今後、女性として生きていくつもりはありますか?」


「えっ?」


「我々は女性を保護する団体です。あなたが女性としての身体を利用し、女性に危害を加えるようなことをしないのなら。もし今後身体が男性に戻ったとしても、それでも女性として生きることを望むのなら。女護連代表としてあなたを保護し、支援することを約束しましょう」


「シャーロットさん。そんな物言いはあんまりですよ」


 ツバサが慌てて口を挟むが、しかしシャーロットさんの目は真剣だ。

 揺るぎない、強い意志を感じる。


「ええ、もちろん理解しています。ですが……転生者の年代が進み、新たな価値観が増え、比例してリタウテットにも多様化の時代が求められています。なのに実際のところ、我々女護連はまだ――例えば身体は男性のモノでも、性自認が女性だといったトランスジェンダーの方を受け入れられる体制を構築できていない。西区のお偉い方も、騎士団もそうでしょう? 組織の改革、より多くの人の助けになるために、クレハの存在は良きテストケースになると私は考えているのです」


「モルモット扱い、ですか」


「――綺麗事だけでは立ち行かないと思いませんか? もちろん協力して頂けるなら、尊重と配慮は欠かさないと約束します」


「…………」


 ツバサは言い返さなかった。言い返せなかった。

 綺麗事だけでは立ち行かないってのはツバサ自身よく理解していることだから。

 理解して、諦めようとして、それでも諦めきれなくて――ゆえに聖剣に願いを託した。

 そしてそれは今、オレの背に乗っている。


 決めるのは、オレだ。


「大規模な犯罪や差別などは騎士団長様の努力により、押さえつけには成功している。でもそれは完全ではありません。多数派からこぼれた少数派。孤立する選択肢しかなく中央都市を出ていく人も皆無とは言えない。私はリタウテットを本当の意味で、あらゆる存在の許容ができる世界にしたいの。そうでなければ大いなる車輪に圧し潰された者たちを――もう一度手に掛けることになってしまうから」


 シャーロットさんは視線を合わせたまま、オレの考えを問うてくる。


 そうだな。ひとつ言えるのは、オレにはこれから女として生きる道があるということだ。

 まさか、アウフィエルに確固たる自我を作るよう言われた次の日に、性別まで混線しちまうなんて。


 とんだ笑い話もいいとこで、返す言葉もない。

 だってまだ、オレはオレのことを何も分かってないんだ。

 

 吸血によって流れ込んできた他人の記憶。それが形成する自我。淘汰されようとしているツキヨミクレハ――答えはまだ、出ていない。

 だから。


「悪いけど、まだ何とも言えない……です」


「……そう。そうね、結論はこの場でなくて結構。今日のところはこれで失礼します。けれど返答はいずれ、イエスでもノーでも聞かせてもらうから、そのつもりでお願いね」


「はい」


「それと最後にもうひとつ。吸血鬼のあなたにはまだ不鮮明でしょうけれど、リタウテットは弱者に厳しい一面を持つわ。魔法も武器もない女がひとりでベンチで寝てみなさい。確実にレイプされる。善人を装って少女を誑かし、奴隷のように扱う外道もいる。覚えておいて頂戴」


 今後は絶対にベンチで寝るなと念を押したシャーロットさんは、副会長のエレーナさんを連れてこの場を離れていく。

 去り際、ツバサが警護を申し出たが、腕に自信があるのかエレーナさんが断っていた。

 その様子を横目に、オレはぼそっと呟く。


「……知ってるよ。おかげで一緒に爆破されたし」


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