物理的に不可能なのですけれど正気ですか?
「出てこいカレンデュラ・ルイズ!貴様には言わねばならないことがある!」
卒業パーティの最中、そんな声がした。
カレンデュラの親友を自認する私は、そっとそちらに目を向ける。
彼女がいないのは分かり切っているのだけど。
大声で呼ぶこと数度、たったそれだけでぜえはあと息切れする男子、そしてその腕に縋りつくように抱き着いた女子。
腫物とばかりに周囲が露骨に距離を置いているところに、卒業生父兄の席から来たのだろう、カレンデュラの従兄がいらっしゃった。
「カレンデュラならご存じだろうがいないが、どうかしたかい。
あの子なら今頃北の城塞で訓練しているところだから僕から手紙を送るけど」
「はぁ!?なぜいないのです、というかなぜそんなところに」
「嫌だなぁ。婿入りするのにルイズ家について知らないのかい。
ルイズ家が辺境伯家なのはご存じの通りだが、男女関係なく武を尊ぶのだよ。
その中でもカレンデュラは幼い頃から文武両道の気質があったからこそ次期当主に選ばれ、君という婿を迎えることになっていたはずだよね」
「え?」
「兄上がいらっしゃるのにカレンデュラがそれを抑えている時点で察するところがあるはずだけどねえ」
その通り。
ルイズ辺境伯家は南の蛮族に押し入られないように軍力を蓄えた巨大な一族。
従兄のお兄様とて、分家の子爵家ながら代々指揮官を輩出する目を掛けられている家の跡継ぎ。
優美に見える肢体はきっちり前線に出られるように鍛え上げられているはずだし、その頭の中はそれはそれで指揮官としてやっていけるだけの知性が詰まっている。
そしてそもそも。
カレンデュラは軍人学校に通っていて、この貴族学園には通ってなどいない。
淑女として、当主としての教育を済ませて、十六歳でそちらに入学したのだ。
自由になる時間が極めて少なく、休みも中々合わなくなるので寂しかったけれど、今では慣れた。
あの子本人が大変なのは承知の上で、それより数段優しい教育を受けている身として、甘えた事は言えないし。
しかしあの男子生徒――婚約者らしい――は果たしてカレンデュラに何を言いたくて呼びつけようとしたのだろう。
いくらカレンデュラの婚約者だからと言って、遠征のある時にカレンデュラが駆けつけてくるわけがないのだけど。
学校が長期休暇の時ならともかく、個人的な理由でさくさく休ませてもらえるほど軍人学校は甘くないと聞くし。
「じゃ、じゃあ、ミリーがカレンデュラに虐げられていたという話は」
「ミリーって誰だい?
そもそもカレンデュラはこの学園にはいないのだし、ここの生徒に関わるのがまず無理だね。
休暇の間の社交で関わる程度なら出来るかもしれないけど」
男子生徒は信じられないものを見る目で自分の腕に絡みついたままの女子生徒を見る。
ああ、話が見えてきたわ。
要するにあの女子生徒と男子生徒は一線を越えて仲が良くて、それにカレンデュラが嫉妬して虐げていたという話を女子生徒がでっちあげていたというわけね。
最近流行の恋愛小説で見かけるパターンだわ。
バカらしくて面白くてお話としては嫌いじゃないけど、実際にやる人がいるって滑稽ね。
同じように思ったりした人がいたのか、くすくすと嘲笑う声が密かに流れる。
女子生徒は顔を真っ赤にして辺りを見ている。
「それで、その、君に親し気にくっついているレディはどなただろう?
その距離感でいていいのはカレンデュラくらいのものだけど」
「あ、いや、彼女は」
「いやいいよ。君からは公平な意見を聞けそうにない。
同級生諸君に広く事情を聞いた方が早そうだ」
従兄の方はにこやかに言ってその場を巡り始める。
男子生徒はそれを止めるわけにもという様子で顔を真っ青にしてあちこちに視線を向けているけれど、助かりようがないんじゃないかしらね。
答える側だって、辺境伯家の分家に事情を訊ねられてウソを言うわけにもいかない。
よほどあの男子生徒の家とズブズブの関係にあっても、王家と公爵家の次に権力のある辺境伯家にケンカは売れないわ。
「やぁ、お待たせ――どうしたの?」
「ああ、なんでもないのよ。ちょっとくだらない催し物があっただけ」
「そう?はい。きみの好きなクランベリーのジュースがあったからそれも持ってきたから」
「ありがとう。あなたは?」
「僕もちゃんと持ってきたよ」
婚約者が少し遠くの卓から戻ってきたことで、私にとっての出し物が終わった。
カレンデュラの婚約者は確か伯爵家の出だった気がするけれど、まあ、その程度の家柄で、もっとカレンデュラに役立つ男性なんて掃いて捨てるほどいるでしょう。
あの子は恋愛関係はドライだったから、そう未練がましくするとも思えないし。
いっそ、我が侯爵家から弟でも推薦しようかしらね。
あの子も頭は悪くないし。
なんて考えながら、爽やかな味わいのジュースを飲むのだった。
さて、その後なのだけど。
私たちはその日卒業だったから当然学園で情報共有はできない。
だけど個人的に集まったりして話をすることはできるし、手紙だってやりとりできる。
そういうわけで一週間後には流行の恋愛小説に酷似した状況が事実になっていたことが分かったの。
そのあたりは従兄の方もご存じだからカレンデュラ含めたルイズ家に連絡するだろうけど、私からもカレンデュラに手紙を書いた。
遠征から戻って早々、最終学年で面倒な事態に陥ってしまうわけだけど、こういうことも別に全くないわけではないものね。
カレンデュラからの返事が来たのは一か月後。
婚姻のための準備を始めないといけない頃合いだったけど、学園に通っていた間ほど忙しくはないからあちらの休日に会う予定を詰めたわ。
久しぶりに会ったカレンデュラは知性溢れる武人兼淑女という、なんともアンビバレンツな魅力にあふれたレディとなっていて驚いたわ。
前々から淑女としての風格は十分だったし、鍛えていることから体幹もよかったけれど、専門学校に通って鍛え上げたとなればまた格別なのでしょうね。
それで、彼女的には、私の弟も含めた求婚すべてを精査して婿取りをやり直すことにした、と。
よそに子種をぶちまけてしまうような男性が伴侶となると、蛮族とどこが違うのかと部下が不満を抱えてしまうものね。
好き勝手する種馬なんて、そもそも信頼できないから部下以前にカレンデュラや家族も嫌よねぇ。
結婚前に分かったのなら幸いよね。捨てるに限るわ。
そこでカレンデュラに、あなたか私が男だったらよかったのに、なんて言われてしまったのよね。
相性もいいし趣味も食い違いがないし思想も合うしって。
本気なのか冗談なのかわからないけれど。
でも私もそう思うことはなかったわけじゃないわ。
もちろん婚約者が嫌なわけじゃない。
ただ。
カレンデュラの隣に立って、カレンデュラの伴侶として役に立てたら幸せだったろうなと思うことがないわけじゃないってだけ。
まあ、そんなたらればは成立し得ないのだけど。
私たちはそれなりの伴侶を得てそれなりに生きていく。
それだけ。
もし弟が選ばれなくても、私とカレンデュラの友情に陰りはないのだし、これからもうまくやっていきたいわね。
貴族としての損得抜きで、ね。




