『僕は僕の書いた小説を知らない』喜友名トト ~極めてヘヴィな状況だ。が、たとえ積み重ならない記憶でも、諦めないことで現実は積み重なり、『希望』をつくるから~
【あらすじ】
ある朝目覚めた小説家の俺は、「昨日」の記憶がないことに気づく。どうやら俺は一日ごとに記憶がリセットされ、新しいことを覚えられないという症状を抱えているらしい。可愛い女の子と出会っても、小説を書き進めても、そのすべてを明日には忘れてしまう。絶望的な状況のなか、「負けるものか。諦めるものか。絶対に書くんだ」というメッセージとともに5万字を越える書きかけの小説が、パソコンの中には残されており――。第六回ネット小説大賞を受賞した「あきらめない」物語、待望の書籍化!
【感想】
前向性健忘という病名は「博士の愛した数式」や映画『メメント』などで一躍有名になりました。
ある時点までの記憶しか保持できない。
その時点から何を経験しても、全てがリセットされてしまい、記憶はその『ある時点』までに戻ってしまう症状です。
博士の愛した数式などでは『僕の記憶は90分しか持たない(だったかな?)』などとメモ服に貼り付け、記憶がリセットされる度にそのメモを読んで、自分の病気を『初めて知らされる』ことを繰り返す表現がされていました。
これは、実際にある病気です。脳にダメージを受けた故の記憶障害です。
さて、作品のレビューに入っていきます。
主人公、アキラは小説家で、ある日、バイク事故で前向性健忘になってしまいます。
ある朝起きると、洗面台の鏡面にこう書かれています。
『PCを立ち上げろ。デスクトップにある『俺へ』というテキストデータを開けろ。アキラ』
ぞっとしながらも、PCを立ち上げるアキラ。そこで、彼は、自分が事故で前向性健忘であることを知ります。記憶が一日しか持たない。一日経ってしまうと、記憶がリセットされ、前日の記憶が残っていないのです。そして、また、アキラは洗面台のメッセージを信じられない気持ちと共に、眺めるしかなかったのでしょう。
普通なら絶望に浸るところですが、アキラは少し違います。言葉を悪く言えば、彼はハードボイルドを気取っている中二病的な人物。彼は、自分に言い聞かせて、すぐに事態を把握し、冷静になります。
『 どんなときでもクールになれた方がカッコいい。これは俺の好きないろんなヒーローが教えてくれたことで、そうあろうと日々思っていた。もちろんそうできないことは多々あるし、正直今なんて大声でわめきたいくらいだ。けど、ハードボイルド風味を目指して生きている俺だ。OKアキラ、冷静になろうぜ。いや冷静になった振りをしようぜ。』
このあたり、主人公の性格に共感できるかどうかが別れるところですが、この物語は、彼の『ハードボイルドたらん』とする性格がなければ、成り立たなかったでしょう。
彼は常に自分がハードボイルであることも持って任じ、その信念に沿って生きています。
だからこそ、立ち上げたPCには五万文字からの書きかけの小説が入っていたのです。
こんな状態になりながらも、彼は小説家であることをやめず、絶望に飲み込まれず、筆を進めていた。
人は一日一日の積み重ねで出来ている、と思います。しかし、アキラには、積み重ねる未来がない。未来はリセットされ、過去は作られないのです。
それでも、アキラは書き続ける。
何故なんでしょう。それは、きっと彼が『小説家』だからだと考えます。
彼にとって、その書きかけの小説は、彼が生きていることを証明する唯一の希望だったのだと、私は思います。アキラは斜に構えていますが、全てがリセットされ、振り出しに戻ってしまう中で、自分が生きている証は、日々忘れ去られ、日々積み重ねられる、その小説しかなかったと思います。
誰しも、フリーターだって主婦だって学生だって、一日一日生きていき、それが『人生』というストーリーになる。
人生というストーリーを物理的に体験できない人間が、『小説』というストーリーを作っていく。それは恐ろしく困難なことです。
ですが、アキラはくじけません。
自分に『今日得た経験を簡潔なテキストにまとめておく』『自分の書いたプロットと、それに基づく書きかけの小説を読む』『ルールを踏まえ、小説の続きを書く』というルールを課し、少しずつ、小説を紡いでいきます。
負けるものか。諦めるものか。
しかし、そうして完成した原稿の行く末は、ある理由から、悲劇的な結末を迎えます。
彼は、筆を折る、全てを諦めるかというところまで追い詰められます。
話は前後しますが、彼には、記憶にない女性・翼との出会いがあり、それは日々の『引継ぎ』と称する記録によって、翼と何度も『初めての出会い』を繰り返します。
彼女との関係は、アキラにとって大きな意味を持つことになります。
毎回初めて会う女性。しかし、翼にとってはそうでは無い。
奇妙な関係。しかし、その奇妙な関係の行く末もまた、この物語の醍醐味と言えるでしょう。
何より、それはラストの20ページで衝撃的な事実が明らかになることで、一層の重みを持ちます。ネタバレはしませんが、ラストにかけて、ページを捲る手が止められなくなるでしょう。
どんな状況になっても『小説家』であることをあきらめないアキラ。
そして、『アキラをあきらめない』周りのキャラクター達。
特に翼の存在は、アキラにとって、とても意味のあるもので。
でも、翼以外のサブキャラクターが、アキラを諦めないこともまた、この物語の根幹である『希望』というものを支えているのだと、私は思いました。
昨日を失った男が、あがいた軌跡。
明日を求めた男に、起こった奇跡。
結末は、あなたが確かめてください。
それは、あなたの心に、きっと『忘れられない』何かを残すはずです。




